ミルハルト村②
昨日投稿する予定だったけどボタン押し忘れてました、、、
その日の夕方。
結局、ユウはエリックの家へ連れて行かれることになった。道中も二人は「俺が先に誘った」「私のほうが先だった」と言い争っていたが、家に着くなりエリックの母親から「うるさいよ」と一言言われ、二人ともあっさり黙り込んだ。
「ほら、入りな」
サラに促され、ユウは家の中へ足を踏み入れた。室内には野菜を煮込んでいるらしい優しい匂いが漂っており、空腹を刺激するように鼻をくすぐる。
「ただいま!」
「おかえり」
台所から顔を出した女性が、ユウの姿を見て目を丸くした。
「この子が、昨日倒れてた子かい?」
「そう! ユウっていうんだ!」
「わざわざ説明しなくても分かるだろ」
エリックが呆れたように言うと、サラは小さく笑いながらエプロンで手を拭き、ユウの前まで歩いてきた。
「こんにちは。エリックの母親のサラだよ」
「……ユウです」
「うん、話は聞いてるよ。まだ本調子じゃないんだろ?」
ユウが小さく頷くと、サラは安心させるように微笑んだ。
「なら、今日はゆっくりしていきな。お腹も空いてるだろう?」
「……はい」
「遠慮なんかしなくていいから、食べられるだけ食べな」
しばらくして食卓に並んだのは、硬いパンと豆のスープ、それに茹でた芋だけの質素な夕食だった。それでも、立ち上る湯気と温かな香りを前にすると、ユウは胸の奥がじんわりと緩んでいくのを感じた。
(……あったかい)
冷えた保存食とも、奪い合うように口へ詰め込んだ食料とも違う。誰かが自分のために用意してくれた、温かい食事だった。
ユウは木の匙でスープをすくい、ゆっくりと口へ運ぶ。優しい塩気と豆の旨味が広がり、思わず言葉が漏れた。
「……うまい」
その一言に、サラが嬉しそうに目を細める。
「そうかい。それならよかった。まだあるから、遠慮せず食べな」
「ほらな! 母さんの料理、うまいだろ!」
エリックが得意げに胸を張る。
「なんでエリックが自慢してるのよ」
メアリーが呆れたように言うと、エリックは不思議そうに首を傾げた。
「だって、俺んちの飯だからな!」
「それ、エリックが作ったわけじゃないでしょ」
「細かいことはいいんだよ!」
「もう、本当に調子がいいんだから」
サラが呆れたように笑い、エリックは不満そうに頬を膨らませる。そのやり取りが妙に可笑しくて、ユウは思わず小さく吹き出した。
「なんだよ、ユウまで笑うなよ!」
「だってエリックが変なこと言うから」
「お前までメアリーの味方かよ!」
「当たり前じゃん」
「なんでだよ!」
二人の言い合いがまた始まり、サラは呆れたようにため息をつく。
「ほらほら、飯が冷めるよ。喧嘩するなら食べてからにしな」
「はーい」
「分かったよ」
二人は渋々と匙を手に取った。そんな二人を眺めながら、ユウももう一口スープを口へ運ぶ。温かな味が身体の奥へゆっくりと染み込み、張り詰めていた力が少しずつ抜けていく。
「……こうやって、誰かと飯を食うの……久しぶりだ」
ぽつりと漏れた言葉に、食卓の空気がわずかに止まった。
「……そうなのか?」
エリックが少しだけ声を落とす。
「まあ、エリックは毎日こうだから分からないよね」
「いや、そういう意味じゃ……」
エリックは言葉を濁し、困ったように頭を掻いた。どう返せばいいのか分からないらしい。そんな様子を見たメアリーが、重くなりかけた空気を吹き飛ばすように、明るい声を上げる。
「じゃあ、また一緒に食べればいいじゃん」
「それだな!」
エリックもすぐに顔を上げた。
「明日も来いよ、ユウ」
「なあ、母さん。いいだろ?」
突然話を振られたサラは、少し驚いたように目を瞬かせ、それから困ったように笑った。
「一人増えたくらいで、どうこう言うほど狭い家じゃないよ」
「やった!」
「ただし、毎日騒がしくするんじゃないよ」
「分かってるって!」
「エリックが一番怪しいけどね」
「なんで俺なんだよ!」
また始まった二人のやり取りに、サラが苦笑する。
「食べられるときに、ちゃんと食べるんだよ。それが一番だからね」
「……はい」
ユウは小さく頷いた。
昨日会ったばかりだというのに、まるでずっと前から知っていた家族のように、当たり前の顔で自分を食卓へ迎え入れてくれる。その距離の近さには戸惑いもあったが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
むしろ、胸の奥に残っていた冷たさが、少しずつ溶けていくような気がした。
ーーーー
食事を終え、空が赤く染まり始めた頃になると、ユウは二人に急かされるようにして診療小屋へ戻ることになった。
夕焼けに染まった村では、仕事を終えた人々が次々と家路につき、すれ違うたびに気さくな声をかけてくる。
「おう、もう歩き回れるようになったのか!」
「……はい」
声をかけられるたびに、ユウは小さく頭を下げた。昨日までこの村の誰も知らなかったはずの自分を、まるで昔から知っているかのように気にかけてくれる。そのことが、ユウには少し不思議だった。
やがて、村のあちこちから夕食の煙が立ち上り、家々からは笑い声や子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてくる。すぐ隣ではエリックとメアリーが何やら楽しそうに話していた。
その光景を眺めながら、ユウはふと足を止めた。
「ん? どうした?」
エリックが振り返る。
「ユウ?」
メアリーも不思議そうに顔を覗き込んできた。
「……なんでもない」
ユウはそう答えたが、胸の奥には妙なざわつきが残っていた。
(……なんなんだろうな)
温かい光景のはずなのに、どこか少しだけ苦しい。
(……帰らなきゃいけないのに)
グレイウッド村へ。父さんたちのところへ。
その思いだけは変わらないはずだった。それなのに、この村の景色を見ていると、胸の奥に説明のつかない引っかかりが残る。
「ユウ?」
メアリーが心配そうに首を傾げた。
「……本当にどうしたんだ?」
エリックも少しだけ声を落とす。
「……なんでもないって」
ユウがそう言うと、エリックはしばらく顔を見つめたあと、ふっと笑った。
「お前さ、たまにじいさんみたいな顔するよな」
「え?」
「子どもなのに、妙に難しい顔してるっていうかさ」
「……してない」
「してるって」
即座に返され、ユウは小さく息を吐いた。
「……勝手なこと言うな」
「ほら、またじいさんみたいな言い方」
「エリック、からかいすぎだよ」
メアリーが呆れたように言うと、エリックは悪びれる様子もなく「はいはい」と笑った。そんな二人のやり取りを聞いているうちに、ユウの口元にも自然とわずかな笑みが浮かぶ。
「……騒がしいな」
そう呟きながらも、その声に嫌そうな響きはなかった。
三人はそのまま、夕暮れに染まり始めた村の道を並んで歩いていった。
ーーーーー
その夜。
診療小屋へ戻ったユウは、マリアに傷の具合を診てもらっていた。
「ふむ……頭の傷も、だいぶ落ち着いてきたねぇ」
マリアは包帯を外して傷の様子を確かめると、ほっとしたように息を吐いた。だが、次の瞬間にはじろりとユウを睨む。
「……で、今日は大人しくしてたんだろうね?」
「……まあ」
「まあ、じゃないよ」
嫌な予感を覚えたユウが目を逸らす。
「……少し歩いただけです」
「少し?」
「……村を」
「村を?」
「……案内してもらって」
マリアはしばらく黙ってユウを見つめ、それから大きくため息をついた。
「まったく……病み上がりのくせに、ずいぶん元気なことだねぇ」
「……すみません」
「謝れば済むなら、薬師なんていらないよ」
そう言いながらも、マリアの手つきは丁寧だった。傷口を確かめ、必要な薬を塗り直してから、新しい包帯をゆっくりと巻いていく。
「治りかけの傷を開いて、またここへ担ぎ込まれるなんてのは御免だからね」
「……気をつけます」
「気をつける奴は、最初から無茶なんてしないんだよ」
「……はい」
言い返す気にもなれず、ユウは素直に頷いた。
マリアはそれ以上何も言わず、包帯を手早く結び終えると、具合を確かめるように傷口へ目をやった。それから棚へ手を伸ばし、小さな木椀を取り出す。
「ほら、これも飲んどきな」
「……なんですか?」
「薬草茶さ。傷の治りを助けるからね」
ユウは椀の中を覗き込む。茶色がかった液体からは、いかにも薬らしい苦い香りが漂っていた。
「……苦そうですね」
「苦いよ」
あまりにも迷いのない返事に、ユウは思わず顔を上げた。
「……飲まないと駄目ですか?」
「駄目だねぇ」
マリアはにやりと笑う。
「良薬は口に苦し、って言うだろう?」
「……聞いたことあります」
「なら話は早いさ」
ユウはしばらく椀を見つめていたが、やがて観念して両手で受け取った。
「……分かりました」
一口飲んだ瞬間、ユウの顔がわずかに歪む。
「……苦い」
「だろう?」
マリアは満足そうに頷いた。
「薬なんてものは、大体まずいもんさ」
「……どうして嬉しそうなんですか」
「ちゃんと飲んだんだから、それでいいのさ」
マリアはそう言って笑うと、何事もなかったように薬棚の整理へ戻っていった。
ユウはもう一口だけ薬草茶を飲み、それから何となく棚へ目を向ける。乾燥させた薬草や小瓶に詰められた粉末が整然と並ぶ中、その隙間に一冊の古びた手帳が挟まっていた。
「……それは?」
ユウの視線に気づいたマリアが振り返る。
「ああ、これかい?」
手帳を取り出すと、マリアは懐かしそうに表紙を撫でた。
「薬の覚え書きさ」
「覚え書き?」
「薬草の種類や配合、それに作り方なんかを書いてあるんだよ」
マリアは手帳をぱらぱらとめくる。ページには細かな文字と、薬草らしき簡単な絵がびっしりと書き込まれていた。
「年寄りになるとねぇ、昔は覚えてたことでも、いつの間にか抜けちまうんだよ。だから忘れないように書いてるのさ」
ユウは手帳へ視線を落とした。厚みはそれほどないが、擦り切れた表紙や黄ばんだページからは、長い年月使い込まれてきたことが伝わってくる。
「……ずっと使ってるんですか?」
「ああ。何年になるかねぇ」
マリアは少し考えるように目を細めてから、肩をすくめた。
「もう、数えるのも面倒なくらいさ」
「……そんなに長いんですか」
「薬師を続けてりゃ、覚えておきたいことも増えていくからねぇ。薬草の種類もそうだし、効き目や毒のこと、季節による違いなんかもある。年を取ると、さすがに全部を頭へ入れておくのは難しくてね」
そう言って、マリアは手帳をぱたんと閉じると、元の棚へ戻した。
「だから、忘れちまったら困ることは書いておく。それだけのことさ」
ユウはしばらく、棚に収められた手帳を眺めていた。
そこに記されているのは、薬草の名前や効能だけではないのだろう。長い年月を生き、その中で覚えてきたことを一つずつ書き残した、マリア自身の記録なのかもしれない。
そんなことを考えながら、ユウは手の中に残った薬草茶へ視線を落とした。
「……苦いですけど」
「ん?」
「……こういうの、悪くないですね」
マリアは一瞬だけ目を丸くした。それから、口元をわずかに緩める。
「そうかい」
嬉しそうな様子を隠すように咳払いをすると、冗談めかして椀を指差した。
「じゃあ、もう一杯いっとくかい?」
「……それは遠慮します」
「あはは。そりゃそうだ」
マリアは楽しそうに笑うと、そのまま薬棚へ向き直った。
それから、明日の薬作りに使う薬草の整理が始まった。机には乾燥させた薬草がいくつも並べられ、籠の中には採取したばかりの草が積まれている。マリアは一つずつ手に取って状態を確かめながら、慣れた手つきで種類ごとに仕分けていた。
ユウも何となくその様子を眺めていたが、ふと籠の中の一株に目が留まる。他の薬草とよく似た姿をしている。だが、葉の縁だけがわずかに黒ずんでいた。
その瞬間、ユウの脳裏に淡い文字が浮かび上がった。
ーーー
【瘴滴草】
・食用不可
・毒性:中(経口・皮膚)
・効果:軽い吐き気・倦怠感・集中力低下
・備考:葉から微量の黒い液体を分泌する
ーーー
(……瘴滴草)
脳裏に浮かんだ文字を見て、ユウはその草の名前と性質を理解した。スキル《採取》が、対象の情報を伝えてくれたのだ。
ユウは籠の奥にある一株を指差す。
「それ……」
「ん?」
「その草です」
マリアが手を止め、ユウの指先を追う。
「……それ、瘴滴草じゃないですか?」
「……何だって?」
マリアはすぐに籠を引き寄せ、他の薬草を脇へ避けながら一株を取り出した。
「これかい?」
「……はい」
マリアは葉を裏返し、茎や葉の形を確かめるようにじっくりと眺めた。やがて葉先から黒い液体がほんのわずかに滲み出ているのを見つけると、目を見開く。
「……おや」
もう一度、手の中の草を確かめる。
「本当じゃないか」
マリアは瘴滴草を他の薬草から離し、別の容器へ移した。
「薬草採りを頼んだときに、間違って混じったのかねぇ。危ないところだったよ」
「……そんなに危ないんですか?」
「触ったくらいなら大したことはないけどね。間違って薬に混ぜちまったら、具合を悪くする人が出てもおかしくないよ」
そう答えてから、マリアは改めてユウへ視線を向けた。
「それにしても、よく分かったねぇ」
「……なんとなく」
「なんとなく、ねぇ」
マリアは少し不思議そうに目を細めたが、それ以上は聞かなかった。
「まあ、分かったんならそれでいいさ。あたしも気をつけるとしようかね」
そう言って、マリアは再び薬草の仕分けに戻った。
ユウもそれ以上は何も言わず、黙ってその作業を眺めていた。マリアが薬草の名前や効能を口にするたび、ユウは何となく耳を傾ける。そうしているうちに、気づけば窓の外はすっかり暗くなっていた。
「ほら、もう寝る時間だよ」
マリアが薬草を片付けながら言う。
「病人はいつまでも起きてちゃいけないんだ。明日になれば、またいくらでも薬草を見せてやるからね」
「……分かりました」
ユウは素直に頷いて寝台へ向かった。横になると、昼間の疲れが少しずつ身体に戻ってくる。布団へ身体を沈め、ぼんやりと天井を見上げていると、外から虫の鳴き声や遠くで犬の吠える声が聞こえてきた。
少し離れた家からは、男たちの笑い声も聞こえる。
それは、どこにでもある村の夜の音だった。
戦場の悲鳴も、盗賊たちの怒号も、魔物の唸り声もない。ただ人々が当たり前のように暮らしている、その気配だけが静かな夜に溶け込んでいる。
(……静かだな)
何かに怯えることなく夜を迎えるのは、いつ以来だろう。少なくとも、ユウの記憶にある限り、こんな穏やかな夜はほとんどなかった。
目を閉じると、遠くから聞こえる笑い声が耳に届く。その声をぼんやりと聞きながら、ユウは久しぶりに何も警戒することなく、静かな眠りへ落ちていった。




