安堵はまだ遠く
本当に皆さん、私が毎回「とある○○の記憶」みたいな話を挟むせいでメインがなかなか進まず申し訳ありません。
ただ、ああいう話もせっかく考えて作ったものなので、メインだけを追っていると読まれないまま埋もれてしまう気がして、つい入れたくなってしまうんです。
もちろん、寄り道ばかりで冗長にならないようには気を付けたいと思っています。
フォルナ村を抜けてから、どれくらい歩いただろうか。
はっきりとは分からない。ただ、太陽だけが淡々と空を進み、自分の感覚だけが置き去りにされているようだった。
(……これ、グレイウッド村まで戻るのに七日以上はかかるかもしれないな)
森へ入るにつれて木々は密度を増し、いつの間にか道らしい道も消えていた。頼れるのは自分の足と、わずかに残った食料だけだ。
ユウは歩きながら湿葉草を口に放り込み、乾いた豆を数粒噛み砕く。硬く味気ない豆を無理やり飲み込むと、空腹がほんの少しだけ紛れた。
(……俺は、本当にグレイウッド村まで辿り着けるのか?)
答えは出ない。それでも、足を止めるわけにはいかなかった。
森は静かだった。だが、その静けさには安らぎなどなく、耳の奥にまとわりつくような妙な圧迫感だけが残っている。
(……嫌な感じがする)
背後から何かに見られているような感覚が、さっきからずっと消えない。
気のせいだと思おうとした、その瞬間だった。背後の草が「ガサッ!」と大きく揺れ、ユウが振り向くより早く、頭上から何かが勢いよく振り下ろされた。
ゴンッ!!
「……っあああああぁぁぁッ!?」
視界が白く弾け、ユウの身体が前のめりに崩れた。地面を転がりながら顔を上げると、そこには歪んだ小さな影が立っていた。濁った目でこちらを見下ろし、手には木を削っただけの棍棒が握られている。
「ギギギッ!」
甲高い鳴き声が響いた直後、周囲の草が次々と揺れた。
「ギャッ!」「ギギッ!」「ギィィ……!」
気づけば、さらに三体。合計四体のゴブリンに囲まれていた。
(……気配察知が反応してない?)
おかしい。本来なら姿を確認するより先に気配を捉えられるはずだ。それなのに、最初の一体も、後から現れた三体も、姿を見せるまで何の気配も感じなかった。
(なんでだ……!?)
考える暇はなかった。
「ギャアッ!」
一体が棍棒を振り上げ、真横から叩きつけてくる。ユウは咄嗟に身をひねってかわしたが、避けきれず肩を打ち抜かれた。
ゴンッ!!
「ぐっ!?」
骨まで響く痛みに膝が揺らぐ。それでも倒れるわけにはいかなかった。気配察知も危機察知も沈黙したままだが、今は考えている余裕すらない。
(くそっ……!)
意識が沈みかけた瞬間、《即時回復》が強制的に発動した。MPが削られる感覚とともに、途切れかけた意識が無理やり引き戻される。
「はぁっ……はぁっ……!」
荒い息を吐きながら立ち上がったユウを見て、ゴブリンたちが一瞬だけ動きを止めた。
「ギ?」
「ギギ……?」
倒れると思っていた獲物が立ち上がったことが予想外だったらしい。
(今だ)
ユウは地面を蹴った。最も近くにいたゴブリンとの距離を一気に詰め、その喉へ短剣を突き立てる。
「ギィィッ!」
悲鳴を上げたゴブリンが崩れ落ちる。しかし、その直後には背後から別の棍棒が振り下ろされていた。
ゴンッ!!
「がっ……!」
背中を打たれ、肺から空気が一気に抜ける。ユウはその勢いのまま転がるように距離を取り、膝をついた。焼けるような痛みに顔を歪めた、その瞬間だった。
《スキル:痛覚耐性を取得しました》
《痛みによる行動停止を軽減します》
(……まだ、動ける)
さっきまで全身を焼くようだった痛みが、ほんの少しだけ遠のいている。ユウはその感覚を確かめる暇もなく、飛び込んできた二体目のゴブリンを倒れたまま蹴り上げた。
顎を打たれたゴブリンがよろめく。その隙に身体を起こし、ユウは踏み込みざまに短剣を首筋へ走らせた。
「ギッ……!」
血を撒き散らしながら、二体目のゴブリンが地面へ倒れる。
残るは二体。だが、すでに傷ついた身体ではまともに対応できそうにない。左右から同時に迫ってくるゴブリンを見た瞬間、ユウの背筋を嫌な予感が走った。
次の瞬間、左から振り下ろされた棍棒が身体を捉える。
ゴンッ!!
「……っ!」
視界が大きく揺れ、足元がぐらりと傾いた。
(やばい――!)
反射的に《加速》を発動する。
瞬間、世界の動きが急激に鈍った。揺れる木々も、迫ってくる棍棒も、すべてが水の中にいるかのようにゆっくりと見える。
(動け……!)
ユウは無理やり足に力を込め、迫る棍棒の軌道を紙一重でかわす。そのまま懐へ潜り込み、短剣をゴブリンの腹へ深く突き立てた。
「ギギィィッ!」
腹を押さえたゴブリンが後退する。だが、ユウに息を整える暇はなかった。残った一体が横から棍棒を振り上げ、そのまま勢いよく突っ込んでくる。
《集中強化》
発動した瞬間、思考が一気に研ぎ澄まされた。相手の体重移動や肩の動き、棍棒を握る腕の角度までが、次の動きを示す情報として頭へ流れ込んでくる。
(右……次に左。そのあと、首を狙ってくる)
予測どおりに棍棒が振られた。
ユウは最小限の動きでかわし、続く一撃も紙一重で避ける。そして相手の体勢が崩れた瞬間、短剣を首筋へ滑り込ませた。
「ギッ……!」
ゴブリンが崩れ落ちる。
残る一体は仲間をすべて倒されたことに怯えたのか、甲高い叫び声を上げながら一直線に突っ込んできた。
「ギィィィィッ!」
動きは単純だった。ユウは真正面から踏み込み、すれ違いざまに短剣を突き出す。刃が胸を深く貫き、ゴブリンは勢いのまま数歩よろめいたあと、そのまま地面へ倒れ込んだ。
森に、静寂が戻った。
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
ユウは肩で息をしながら、その場に立ち尽くしていた。手にした短剣から血が滴り、足元には四体のゴブリンが転がっている。
ようやく戦いが終わったのだと実感した。だが、安心している暇はない。膝は震え、《加速》と《集中強化》が切れた途端、全身に重い疲労が一気に押し寄せてきた。
<ステータス表示>
HP:18/50
MP:6/18
状態:【出血】(頭部)
※失血進行中
(……やばいな)
頭から血が流れ続けている。このまま放っておけば、戦うどころか歩くことさえできなくなるだろう。
「……くそっ」
ユウは荷物を探り、村で手に入れた布を取り出した。血で濡れた額を押さえながら布を細く裂こうとするが、うまく指に力が入らず、何度も手元が滑る。それでも何とか裂き終えると、傷口へ当て、その上からきつく巻きつけた。
「……これで、少しはマシか」
流れ続けていた血が、少しずつ弱まっていく。だが、失った体力まで戻るわけではない。《即時回復》もすでに使ってしまっている。
(……回復できるのは、明日か)
ユウは小さく息を吐き、周囲を見回した。視界に入るのは、どこまでも続く木々ばかりだった。グレイウッド村へ戻るには、この森をさらに抜けなければならない。
今の身体でそこまで歩き続けるのは厳しい。さっきの戦いで体力も削られ、頭の傷も完全には止血できていない。
(この状態で先へ進むのは……無理だな)
このまま無理をすれば、途中で倒れる。それなら、まずは身体を休められる場所を探したほうがいい。近くに村があるかは分からない。それでも、森の中で力尽きるよりはずっとましだった。
「……どこか、休める場所を探すか」
ユウは短剣を鞘へ戻し、ふらつく足に力を込めた。痛みをこらえながら、一歩ずつ森の奥へ進んでいく。
(……止まるわけにはいかない)
今は、それだけを考えていた。
――――
それから数時間。ユウはふらつく足を引きずりながら、森の中を進み続けていた。
「……はぁ、はぁ……」
喉は乾き、頭の傷は脈打つたびに鈍い痛みを訴えている。失った血のせいか、ときおり視界が白く霞んだ。それでも、立ち止まる気にはなれなかった。ここで座り込めば、そのまま二度と立ち上がれなくなる――そんな気がしていた。
ただ無心で足を前へ運んでいると、やがて木々の切れ間から、わずかに開けた景色が見えてきた。
(……村か?)
霞む視界の中で目を細める。遠目にも、人の暮らしが残っていることが分かった。家々の煙突からは白い煙が立ち上り、畑には作物が実っている。風に揺れる穏やかな光景は、死の気配しか残っていなかったフォルナ村とはまるで違っていた。
人がいる。生きている人たちがいる。
その当たり前の光景を目にした瞬間、張り詰めていた心がわずかに緩んだ。
(頼む……)
乾いた唇がかすかに動く。
(少しだけでいい……休ませてくれ……)
足は何度ももつれた。それでもユウは歯を食いしばり、一歩ずつ村へ向かって進んでいく。やがて人々の話し声が聞こえ始め、石畳の道が見えた頃には、身体はもう限界だった。
(……もう、無理だ)
次の瞬間、視界が大きく揺れた。足から力が抜け、身体が前へ崩れ落ちる。
石畳へ倒れ込む寸前――
「おい! 子どもが倒れたぞ!」
誰かの叫び声が響いた。
「なんだこの怪我……!? 頭から血が出てるぞ!」
「早く布を持ってこい! 誰かマリアさんを呼べ!」
「おい坊主! しっかりしろ!」
大勢の足音が一斉に近づき、倒れかけた身体を誰かが慌てて支える。そのまま抱き起こされると、周囲から次々と声が飛んできた。
「こんな小さい子が一人で……いったい何があったんだ……」
「大丈夫だ! もう大丈夫だからな!」
肩を支えられる感触と、頭の傷を押さえられる感触だけが、ぼんやりとした意識の中でも妙にはっきりと伝わってくる。
(……助けて、くれるのか……)
その思いを最後に、ユウの身体から力が抜けた。
もう、抗う必要はなかった。
小さな安堵を抱えたまま、ユウの意識はゆっくりと闇へ沈んでいった。
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■とある妹を心配する男の記憶
俺は領都グレイハイムで生まれ、生まれてからずっとこの街で暮らしてきた。今はレストランの使用人として働き、妻と子供たちと慎まかに暮らしている。
昔は妹と二人きりだった。
両親を早くに亡くしてからは兄妹で支え合って生きてきたが、俺が結婚した頃、妹も付き合っていた男と夫婦になり、夫の住む村へ移り住んでいった。
優しくて真面目な男だったし、やがて子供も生まれたと聞いた。
『毎日忙しいけど、家族みんな元気に暮らしてるから心配しないでね』
そんなことが書かれた手紙が時々届き、その文字を見るたび俺も安心したものだ。
だが数年前、戦争が始まった。
最初は遠い話だった。どうせ貴族同士の争いで、自分たちには関係ない。少なくとも、あの頃の俺はそう信じていた。
しかし一年、二年、三年と時が流れても戦争は終わるどころか激しさを増し、最近では店へやって来る行商人たちから嫌な話ばかり耳にするようになった。
徴兵、重税、飢饉、難民――そして、村が一つ消えたという話まで、最近耳にするのは不安になるような噂ばかりだった。
「東の方じゃ、村が一つ丸ごとなくなったらしいぞ」
「徴税官が来て、冬越し用の食料まで根こそぎ持っていったって話だ」
「若い男はみんな徴兵されて、村には老人と女、それに子供しか残ってないらしい」
そんな話を聞くたび、自然と妹の顔が浮かんだ。妹の住む村は領都から遠く、そう簡単に様子を見に行ける距離ではない。そのうえ、ここしばらく手紙も届いていなかった。
夕食の支度をしていた妻が、考え込んでいる俺を見て苦笑する。
「また難しい顔してるわね。妹さんのこと?」
「……分かるか?」
「そりゃ分かるわよ」
俺は苦笑しながら小さく頷いた。
「最近、物騒な話ばっかり聞くからな。あいつら、ちゃんと元気にしてるかなって思ってさ」
窓の外では、夕暮れの光がゆっくりと街を赤く染め始めていた。
(もし食べ物が足りなかったら……。旦那さんが徴兵されていたら、それとも村そのものが襲われていたら……)
考え始めると、不安ばかりが次々と頭に浮かんでくる。そんな俺を見て、妻は少し考えてから、穏やかな声で言った。
「考えてるだけじゃ、余計に心配になるわよ。手紙を書いてみたら?」
「手紙か……そうだな」
「もし困ってるなら、遠慮しないでこっちに来ていいって伝えてあげればいいじゃない」
その言葉に、俺は思わず目を見開いた。
領都での暮らしだって楽じゃない。家も狭いし、余裕があるわけでもない。それでも、村よりは仕事もあるし、食べ物だって手に入りやすい。妹夫婦と子供たちが増えたところで、何とかなるだろう。
その夜、俺は久しぶりに便箋を広げた。
元気にしているか。戦争の影響はないか。何か困っていることはないか。筆を進めるうちに、気づけば心配事ばかりを書き連ねていた。
そして最後に、少しだけ迷ってから、こう書き添えた。
『もし何か困っているなら、一人で抱え込まずにこっちへ来てくれ』
『家は狭いし贅沢はさせてやれないが、暮らしていくくらいなら何とかなる』
『よかったら旦那さんと一緒に、みんなでグレイハイムへ来てほしい』
最後の一文を書き終え、俺はしばらく便箋を見つめていた。
胸の奥にあった重苦しさが、ほんの少しだけ軽くなった気がする。少なくとも、今できることはやった。横から便箋を覗き込んだ妻が、安心させるように小さく笑った。
「そんなに心配しなくても、きっと二人とも元気にしてるわよ」
「……そうだといいんだけどな」
俺は苦笑しながら便箋を折りたたんだ。
「ああ……そうだといいな」
心の底から、そう願った。
――だが、そのときの俺はまだ知らなかった。
この手紙が妹のもとへ届く頃には、彼女たちの暮らす村が、もう以前の姿ではなくなっていることを。
【解説】
今回の主人公は、フォルナ村編『■とある商人の護衛の記憶』に登場した女性のお兄さんです。
当時、彼は何も知らないまま遠く離れた領都で妹を心配していました。
もう一度『■とある商人の護衛の記憶』を読んでいただけると、「ああ、この人が……」と少し違った見方ができて面白いかもしれません。




