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前へ進むために

 ユウはゆっくりと立ち上がった。足はまだ重く、身体の奥には昨日の熱がしつこく残っている。それでも、いつまでもここに留まっているわけにはいかなかった。


 そのとき、静まり返った廃屋に腹の虫がやけに大きく響いた。


「……最悪だな」


 思わず呟いてから、ユウは小さく息を吐いた。


「まあ、そうなるか」


 昨日はまともに食べておらず、手持ちの食料もない。腹が減るのは当然だった。生き延びられるかどうかを考えるより先に、身体が「何か食わせろ」と訴えてくる。


 その妙に現実的な感覚に、ユウはほんの少しだけ気が楽になる。


(少なくとも、考える余裕はある)


 短剣を握り直し、ユウは廃屋を出た。


 村は昨日と何も変わっていなかった。建物も畑も井戸も残っているのに、人の気配だけが完全に消えている。音もなく、動くものもない。まるで村そのものが死んでしまったようだった。


 足元に転がる骨へ一瞬だけ目を向ける。壁際には倒れたままの遺体も残っていたが、ユウはすぐに視線を逸らした。


(……慣れるもんじゃねえな)


 近くの家へ入り、扉を開ける。中も荒らされたままで、倒れた棚や床に散らばった器の破片が目についた。食料を探した形跡も残っている。


「……やっぱりか」


 ユウは室内をざっと見回した。これだけ荒らされていれば、探すまでもない。


(ここには、もう何もないな)


 そう判断すると、そのまま家を出て次の家へ向かう。


 扉は閉じたままで、壊された形跡もない。軽く押すと、古い木が低く軋みながら開いた。中は薄暗く、外より少し空気が重い。それでも、腐敗した臭いはほとんど感じられなかった。


(……何か残ってればいいんだが)


 足を踏み入れると、部屋の奥に人影が見えた。壁に寄りかかるように座ったまま、微動だにしない。


 ユウは一瞬だけ視線を向けたが、すぐに室内へ戻した。


(……ここもか)


「……今は、使えるものが先だな」


 倒れた棚や開け放たれた箱を順に調べていくと、破れた布の中にまだ使えそうなものが混じっていた。隅の袋には乾いた豆も少しだけ残っている。


(食えるかどうかは、あとで確かめればいい)


 ユウは布と豆を拾い上げ、さらに木箱を開けた。中には短いナイフが一本入っている。刃は多少くすんでいるものの、使うには問題なさそうだった。


 手に取って重さを確かめる。今まで使っていた短剣より少し重いが、重心が素直で扱いやすい。


「……これは当たりだな」


 ナイフを腰に差し、残った室内を見回すと、革袋から銅貨が六枚ほど見つかった。少ないが、今は文句を言っている場合でもない。


 指で弾くと、乾いた金属音が静かな室内に響いた。


(銅貨六枚か……まあ、ないよりはマシだ)


 袋をしまおうとしたところで、ユウの手が止まった。何か音がしたわけでもない。ただ、空気の奥に妙な違和感がある。


(……何かいる)


 そう意識した瞬間、背筋を冷たいものが撫でた。


 それでもユウは振り返らない。気配の正体を探ることもせず、必要なものだけを布にまとめると、そのまま家を出た。


(……今は無視だ。戦う必要はない)


 外へ出ると、空は相変わらず青かった。けれど、その青ささえ、この死んだ村には遠く感じられる。


(何もかも足りない)


 水も、火も、食料もない。生きるために必要なものを、一から集めなければならない。


(まずは水だな)


 ユウは村を歩きながら、水がありそうな場所を探した。桶でも壺でもいい。飲める水が手に入れば、それだけで大きい。


 やがて、石で囲まれた円形の構造物が目に入った。


「……井戸か」


 足を止め、そのまま井戸へ向かう。


(ここが使えれば助かるんだがな)


 縁に手をかけて中を覗くと、底は暗くて見えない。ただ、わずかに湿った空気が上がってきている。


(……枯れてはいないみたいだな)


 近くに置かれていた桶と縄を確認し、ユウは桶を井戸へ下ろした。しばらくすると、水面に触れた小さな音が返ってくる。


「よし」


 縄を引き上げると、ずしりと腕に重さがかかった。ちゃんと水はある。その感触にわずかな安堵を覚えながら桶を縁へ乗せた、その瞬間だった。


 水面が、かすかに揺れた。


「……ん?」


 ユウは眉を寄せ、もう一度井戸の底を覗き込む。暗闇の中に白いものが見えた。最初は布か何かだと思ったが、水に揺れる輪郭を目で追ううちに、それが何なのか分かってしまった。


 小さい。人の形をしている。


「……っ」


 喉が詰まった。


 井戸の底に沈んでいたのは、子供だった。水に浸かった身体は白くふやけ、輪郭も崩れかけている。それでも、それが子供の遺体だということだけははっきりと分かった。


 ユウはしばらく動けなかったが、やがてゆっくりと井戸から顔を離した。


「……ふざけるな」


 吐き捨てるように呟き、ユウは反射的に桶から手を離した。こぼれた水が地面に広がり、湿った臭いが鼻を突く。思わず数歩後ずさると、喉の奥が締まるような嫌悪感が込み上げてきた。


(……ここはダメだ)


 水があるかどうかの問題じゃない。あれを見てしまった以上、この井戸の水を飲む気にはなれなかった。


(くそ……)


 ユウはそれ以上考えるのをやめ、井戸から目を逸らす。そのまま踵を返しかけたところで、ふと足を止めた。


(……どうするか)


 喉の渇きは、時間が経つほどはっきりしてくる。この村に残っているものを探し続けるより、先へ進みながら探したほうがいい。


(《採取》があるなら、森のほうがまだ可能性はあるか)


 植物の種類くらいなら見分けられる。水分を含んだものが見つかれば、少なくとも渇きを凌ぐことはできるはずだ。


(……ここに留まる理由は、もうないな)


 そう判断すると、ユウは井戸のことを頭から切り離した。拾った物資をまとめ直し、短剣とナイフの位置を確かめると、そのまま村の外へ向かって歩き出す。


 振り返ることはなかった。


ーーー


 村を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。背後の建物は木々の向こうへ沈み、目の前には森と草原が広がっている。道らしい道もなく、どこへ進めばいいのかさえ分からない。


 ユウは足を止め、辺りを見回した。


「……帰る方向、どっちだこれ」


 振り返ってみても、さっきまでいた村はすでに木々の向こうへ紛れかけている。


(来た方向の逆を辿れば、そのうち戻れるはずだ)


 無意識に唇を舐める。乾いていた。村にいたときよりも、喉の渇きがはっきりと感じられる。


(人は水なしで三日、長くて五日……だったか)


 知識として覚えていた数字が、今になって現実的な意味を持ち始める。


(……思ったより余裕ねぇな)


 そのとき、視界の端に周囲の草とは少し違う葉が映った。厚みがあり、色も濃い。光を受けた葉の表面が、わずかに艶めいている。


(……あれは)


 しゃがみ込み、指先で葉に触れる。

 ひんやりとした感触とともに、葉からわずかな湿り気が滲んだ。


ーーー

【湿葉草】

・食用可

・水分含有量:中

・毒性:なし

・効果:口渇を軽減する。ただし強い水分補給効果はなく、苦味が強いため大量摂取には向かない。

ーーー


(これか……前に食ったやつだな)


 ユウは一枚摘み取り、軽く揉んでから口へ放り込んだ。


「……うっわ、やっぱ苦ぇ……」


 青臭さと強いえぐみが一気に広がり、思わず顔をしかめる。それでも、噛んでいるうちに乾いていた口の中へ少しずつ水分が広がっていくのが分かった。


「……まあ、ないよりマシか」


 ユウは必要な分だけ葉を摘み、布袋へ詰めていく。手のひらには緑色の汁が残り、袋の中にも青臭い匂いがこもった。


(しばらくは、これで凌ぐしかないな)


 立ち上がり、口の中に残る苦味を吐き出すように息をつく。喉の渇きは完全には消えていないが、先ほどよりは幾分ましだった。


 ユウは袋の口を締め直し、森の奥へ目を向ける。


(これなら、もう少し動ける)


 周囲に危険な気配がないことを確かめ、ユウは先ほど決めた方向へ目を向けた。


 短く息を吐くと、そのまま森の中へ足を踏み入れた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


■ とある少女の記憶(side:リナ)


 いつものように、母が作る朝ご飯の匂いで目が覚めた。焼けたパンの香ばしい匂いと煮込みスープの湯気、木の家の隙間から差し込む柔らかな朝日が部屋を満たしている。


「ままー! おはよー!」


 少女は笑顔で母に駆け寄ると、そのまま抱きついた。母は困ったように笑いながらも、優しく少女の頭を撫でる。


 少し前まで母は咳をして寝込んでいた。それが今は台所に立ち、いつものように歩いて笑っている。その姿を見られるだけで、少女は嬉しかった。


 そんな穏やかな朝に、いつもなら早朝から森へ狩りに出ている父が、まだ日も高くならないうちに帰ってきた。


「リナー! 帰ったぞ!」


 いつもならそう言って少女を抱き上げてくれる父が、その日は笑顔こそ浮かべているものの、どこか様子がおかしかった。母もすぐにそれに気づいたのか、手を止めて父を見る。


「……あなた、どうしたの?」


「いや……なんでもない。ちょっと早く帰れただけだ」


 そう言って父は笑ったが、その笑顔にはどこか無理があった。少女はその妙な空気を感じ取り、気を紛らわせるように明るい声を上げる。


「あっ、そうだ! 今日ね、ユウお兄ちゃんと薪拾いに行く約束してるの!」


 その言葉に、父と母の動きが一瞬だけ止まった。


 ほんのわずかな沈黙のあと、父は少女の顔を見ながら、言葉を選ぶように口を開いた。


「ユウは……少し遠いところへ行ったんだ」


「とおいところ?」


「ああ。カルディアっていう街だ。薬とか、村に必要なものを買いに行ってる」


「いつ帰ってくるの?」


 少女が尋ねると、父は一瞬だけ視線を逸らした。


「……そう遠くないうちに帰ってくるさ」


 そう言って笑う父を見つめながら、少女は小さく首を傾げた。


「……ふーん」


 少女はそれ以上何も聞かなかったが、どうしても納得できなかった。ユウは約束を守る人だった。何も言わずに遠くへ行ってしまうなんて、やっぱりおかしい。


 その夜、家族が寝静まったころ、少女は布団の中でそっと目を開けた。


(おとうさん、ぜったいうそついてる)


 昼間の父の顔が頭から離れない。


(ユウおにいちゃん……どこいったの……)


 そんなことを考えていると、リビングの方から小さな話し声が聞こえてきた。父と母が話しているようだったが、声は小さく、ところどころしか聞き取れない。


「今日……徴税に来た連中が……」


「冬の食料も、……冬を越せるかどうか……」


 少女には何の話をしているのか分からなかった。ただ、その中に聞き慣れない言葉が混じった。


「……それに、徴兵としてユウが……」


 その瞬間、少女は布団をぎゅっと握りしめた。


(ちょうへい……?)


 意味は分からない。それでも、父と母の声がいつもと違っていることだけは幼い少女にも伝わってきた。


「……うそでしょ……」


 母の震えた声が聞こえる。


「なんで……そんなこと……」


 それ以上は聞き取れなかった。少女は不安を紛らわせるように布団をぎゅっと抱きしめる。


(ユウおにいちゃん……)


 目を閉じても、不安は消えなかった。そのまま小さな胸にざわめきを抱え、少女はいつの間にか眠りへ落ちていった。


ーーーーーーーーーーーー

■獲得したもの

・短いナイフ(良質な刃・使いやすい・既存の短剣より優秀)

・銅貨6枚(600円)

・布(包帯・補修用に使える程度のもの)

・乾いた豆の袋(少量の食料):この豆は.......

IF とある転生者の記憶入れようと思いましたが、、IF は別で載せよう

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