帰還者を狙う者たち
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嬉しずぎる
森の夜。
焚き火もない暗闇の中、冷えた地面の感触と森の匂いだけが意識を満たしていた。
目を閉じても眠気はなかなか訪れない。
むしろ頭だけが妙に冴えてしまう。
(……寝れねぇな)
横になったまま、ユウはぼんやりと考えていた。
俺は、このまま無事に村まで帰れるのか。
父さんは今ごろ何をしているのだろうか。
母さんは飯の支度をしているかもしれない。
弟のルクは、また風邪を引いて泣いていないだろうか。
ダンのやつは、どうせどこかで隠れて酒でも飲んでるんだろうが――。
そんなことを考えていた、その時だった。
ふと、空気が違うことに気づく。
《気配察知》
(……誰かいる)
音はまだ聞こえない。
だが、“気配”だけがはっきりとそこにあった。
――近い。しかも気配は一つじゃない。
そのとき、森の奥からぱき、と枝を踏み折る乾いた音が響いた。
小さな音だったが、それで三人の身体が同時に跳ねるように起き上がる。
ロイは反射的に身体を起こし、ジンも腰を浮かせる。
ユウも短剣へ手を伸ばしかけ――そこで止めた。
枝を踏む音に混じって、草を擦る音が一つ、また一つと増えていく。
隠す気はない。
むしろこちらに“聞かせるように”一定の間隔で近づいてくる。
ロイが小さく舌打ちした。
「……なんかこっちに向かって来てねぇか? ゴブリンとかじゃねぇといいが」
ジンも眉をひそめながら、耳を澄ますように森へ視線を向ける。
「……いや、獣の足音じゃねぇ気がする」
少し間を置いて、言葉を選ぶように続けた。
「人……かもしれねぇ。まさか盗賊とかじゃねぇよな」
「どっちにしろ、まともな相手じゃねぇな……最悪だ」
ロイは立ち上がりながら周囲へ視線を走らせる。その動きだけで、ユウには分かってしまった。
囲まれている。
重い沈黙が落ちる中、その静けさを壊すように闇の奥から笑い混じりの声が響いた。
「おいおい、そんな固くなるなって。別に命まで取るつもりはねぇよ」
軽い口調だったが、その気安さには人を脅すことに慣れた者特有の嫌な生々しさがあった。
「戦場帰りだろ、おまえら。どうせ多少は持ってんだろ? 金でも食い物でも武器でもいいから、素直に出しな」
さらに別方向から、低い笑い声。
「逆らうならそれでもいいぜ。その場合は、こっちで勝手に全部いただくだけだしな」
声が途切れたかと思うと、周囲から足音が散っていく。
逃げ道を塞ぐような動きに、ロイが小さく息を吐いた。
「……こいつら何人いるんだ?」
「少なくとも三人って数じゃねぇな」
ジンの声は低かったが、その奥に焦りが滲んでいた。
戦場帰りで疲弊した三人に対して、この状況は最悪だった。
やがて木々の間から影が現れる。
痩せた男たちだった。装備は粗末だが、動きに無駄がない。短剣、棍棒、曲がった刃物――どれも戦場の兵士のような派手さはないが、人を傷つけるためには十分に馴染んでいる。
先頭の男が、にやりと笑った。
「悪く思うなよ。今日はお前らの運が悪かった」
その視線が、順番に三人を舐めるように動く。
「どうせ戦地から逃げてきた負け犬だろ?」
「そんなボロ雑巾みてぇな連中、襲わねぇ方が損ってもんだ」
ロイが鼻で笑った。
「そりゃどうも。こっちは最悪のタイミングで出くわしたってわけか」
「安心しな。素直に金目のもん差し出しゃ、無駄に傷つけたりはしねぇ」
男が一歩前へ出る。それに合わせるように周囲の気配もじわりと狭まり、逃げ道を塞ぐように位置を変えていく。
ジンが低く吐き捨てた。
「……ちっ、囲まれたか」
ロイが肩をすくめ、わざと軽く笑った。
「見りゃ分かるだろ。戦場で使い潰された帰りだ。金になりそうなもんなんざ残っちゃいねぇ」
「あるかどうかを決めるのは、俺たちだ」
「隠し持ってるかもしれねぇだろ?」
「何も持ってねぇなら、なおさら調べりゃいいだけだしな」
男は笑ったあと、不意に視線をユウへ向けた。
「で、そこのガキ」
「おまえ、なんか隠し持ってるだろ?」
ユウは何も答えなかった。
だが、その沈黙が逆に男の笑みを深くした。
「そういう顔するやつ、だいたい分かるんだよ」
「何も持ってねぇって顔してる奴ほど、案外いいもん隠してるもんなんだ」
ロイがわずかに前へ出る。
「ガキにちょっかい出してんじゃねえよ。こっち見ろ」
「じゃあ代わりにおっさんの方が持ってんのか?」
「ねえよ。あったらこんなとこ歩いてねぇ」
「ははっ、違いねえ」
笑い声が広がる。
だが次の瞬間、その空気が一変した。
男の一人が地面を蹴る。
最初から踏み込むつもりで間合いを測っていた動きだった。疲労の残るユウには、見えた瞬間にはもう遅い。
「――なっ!」
反射で体をひねる。だが、間に合わない。
視界に影が割り込んだ瞬間、腹へ重い蹴りがめり込んだ。
「がっ……!」
呼吸が一気に潰れる。
肺の空気が強制的に押し出され、胃の奥まで揺さぶられた衝撃で視界が白く弾け、そのまま地面に転がり込む。
土の感触が頬に擦れ、遅れて腹の奥から鈍い痛みが広がった。
「おいおい、そんな鈍くてよく生き残れたな」
「戦場じゃなくて、奴隷小屋にでもいたのか?」
その間にも、ロイとジンは動いていた。
ロイが拾った棒を振り回す。
「くそっ……大人しくしやがれ!」
だが盗賊はまともに受けない。半歩引いて軌道を外し、崩れた瞬間だけ肘を合わせてくる。
「遅ぇ遅ぇ」
ジンが低い姿勢から距離を詰める。
「どけっ!」
だが踏み込みは読まれている。足元を払われ、体勢が崩れかける。
盗賊の男が笑う。
「そうだ、その調子だ。 動きが分かりやすくて助かるぜ」
笑いながら距離を取る。
「素人相手は楽でいいな」
力任せではない。人を痛めつけることに慣れた動きだった。
「ちっ……!」
ロイが肩を殴られて体勢を崩し、ジンも刃を避けきれず腕を浅く切られる。そのやり取りを見た瞬間、ユウは理解した。
勝てない。数の問題じゃない。
こいつらは、こういう相手を襲うことに慣れきっている。
戦場帰りで疲弊し、食料もなく警戒も緩んだ帰還途中の兵士たち。
――最初から、自分たちは狩られる側だった。
ユウは腹を押さえながら立ち上がる。痛みで足は震えていたが、不思議と頭だけは冷えていた。
ここで戦い続ければ終わる。
なら、やることは一つしかない。
「ここでまともにやるな! 森に入って撒くぞ!」
叫びながら、ユウ自身も木々の奥へ向かって駆け出した。
ロイが即座に反応する。
「ちっ……分かってる!」
ジンも歯を食いしばりながら向きを変える。
次の瞬間、三人は同時に走り出した。
背後から怒号が飛ぶ。
「逃がすな! ガキから先に殺せ!」
森へ踏み込んだ瞬間、空気が変わった。
枝葉が視界を遮り、木々の影が輪郭を曖昧にする。起伏のある足場も、追う側の足をわずかに鈍らせていた。
そして、その中でユウの感覚だけが妙に冴えていた。
どこを踏めば音が減るのか。どの木の陰へ入れば視線が切れるのか。どの方向へ走れば相手の追跡が乱れるのか。
考えるより先に身体が動く。
障害物を利用し、足跡をずらし、追う側の予測を一つずつ外していく。
背後の足音が、ほんのわずかに遠ざかった。
その感覚に、ユウは小さく息を吐く。
(これなら撒けるかもしれない)
枝が頬を裂き、靴が柔らかい土へ沈み込み、それでも三人は一度も振り返らないまま森の奥へ走り続ける。
帰るだけのはずだった。
戦場から生きて戻る、それだけだったはずなのに、現実はまるで終わる気配を見せず、むしろ“生き残った後”からさらに牙を剥きはじめている。
そしてユウはまだ知らない。
この森へ逃げ込んだこと自体が、もっと別の“踏み込んではいけない領域”への入口だったことを。
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■ とある新兵の記憶
徴兵の日、少しだけ誇らしかった。
村を守る兵士になる――その響きは、思っていたより悪くなかった。
支給された槍は使い古しで、鎧も少し大きい。それでも、兵士として認められたような気がして、悪い気はしなかった。
「俺たちも、ついに兵士か。なんか、まだ実感わかねぇな」
「帰ったら酒飲もうぜ。どうせなら武勇伝の一つでも持ち帰らねぇとな」
そんな他愛のない話をして、みんなで笑っていた。
訓練は厳しかった。
毎日怒鳴られて、何度も地面に転がされた。それでも不思議と嫌ではなかった。
同じ村の仲間がいて、一緒に飯を食って、愚痴をこぼして、夜になれば焚き火を囲む。
辛いことがあっても、みんなで笑えばそれで終わりだった。
戦争なんて、どこか遠い話のように思っていた。
ある夜、年上の兵士に聞かれた。
「お前、怖くねぇのか?」
少し考えてから、新兵は照れくさそうに笑った。
「怖いですけど……まあ、なんとかなるかなって」
深い意味はなかった。
周りの大人たちも戦ってきたのだ。自分もそのうち慣れる。戦争なんて、きっとそんなものなのだろう。
今思えば、あの頃の自分は何も知らなかった。
初陣の日。
陣地に立った瞬間、空気が違うことだけは分かった。
遠くから怒号が響き、地面がかすかに震えている。
昨日まで騒いでいた仲間たちは誰も笑わず、冗談を口にする者もいない。
張り詰めた空気の中で、初めて胸の奥がざわついた。
それでも、その時の俺はまだ分かっていなかった。
「来るぞ! 前へ出ろ!」
「列を崩すな! 置いていかれるぞ!」
「盾を上げろ! 下を向くな!」
怒鳴り声が次々と飛ぶ。
そして、
「行け! 止まるな!」
その声に押されるように列が動き出し、新兵も周りに遅れまいと足を前へ出す。
土煙で前方はよく見えず、近づいてくる怒号と金属音だけが戦いの始まりを告げていた。
そして――
土煙の向こうに現れたそれは、最初こそ城壁のように見えたが、人間というにはあまりにも巨大すぎた。
黒鉄の鎧を纏った四メートルを超える巨体。
踏み出すたびに地面が震え、右腕に握られた巨大な戦鎚は、武器というより災害そのものだった。
誰かが、ひび割れたような声を漏らす。
「……砕鉄のグラムだ!」
「嘘だろ……」
「なんであいつがここにいるんだよ……!」
その名が広がった瞬間、前列の兵士たちは足を止めた。
逃げようとしたわけではない。ただ、身体の方が先に理解してしまったのだ。
――勝てない。
新兵の喉がひきつる。
「あれと……戦うのか……?」
次の瞬間。砕鉄のグラムが戦鎚を振り下ろした。
轟音とともに地面が消し飛び、土も石も人間も、すべてがまとめて踏み潰される。
さっきまでそこにいた兵士たちは、もうどこにもいなかった。
誰かが悲鳴を上げる。
「逃げ――」
誰かの叫びは途中で途切れ、その続きを聞くことはなかった。
グラムが一歩踏み出すたびに地面が震え、戦場そのものが押し潰されていく。
新兵は反射的に槍を構えようとした。
だが、震える手は柄をうまく握れない。
逃げなければ。
そう思うほどに、足は地面に縫い付けられたように動かなかった。
周りでは誰かが叫び、誰かが逃げている。
「無理だ! 勝てるわけがねぇ!」
「逃げろ! 逃げろぉ!!」
「隊長は!? 隊長はどこだ!?」
「嫌だ! 死にたくねぇ!」
「うわあああああっ!!」
それなのに、自分だけが取り残されたように動けない。
(……なんでだよ、まだ、何もしてないのに)
(俺、今日が初陣なんだぞ)
喉が震える。
頭の中は恐怖で埋め尽くされていた。
(くそっ……!)
そして次の瞬間、視界いっぱいに黒い戦鎚が迫る。
あまりにも巨大で、落ちてくる空を見上げているようだった。
(……村のみんなに、話したかったな)
初陣を迎えたことも、兵士になれたことも、帰ったら酒を飲もうと約束したことも。
まだ何一つ伝えられていない。
せめて一度だけ、故郷へ帰りたかった。
そんなささやかな願いごとごと、砕鉄のグラムの一撃が踏み潰した。
――二十年にも満たない人生だった。
《設定詳細》
■盗賊
この森に現れる盗賊の多くは、もともと正規の盗賊団に属していたわけではない。
その正体の大半は、戦場から逃げ延びた脱走兵や、税や収穫の搾取によって生活が立ち行かなくなった村人たちだ。
武器の扱いに長けているわけではないが、生き延びるために“奪う側”へ回るしかなかった者たちであり、標的もまた同じく疲弊した旅人や帰還兵が中心になる。
彼らにとって重要なのは戦いの誇りではなく、明日を生き延びるための食料と金だけである。
※解説
実は盗賊たちの中に《感知遮断》という固有能力の持ち主がいました。
この能力は、相手の危機感知や気配察知などの索敵系能力を無効化します。
ユウはこれまで《危機感知》や《気配察知》によって相手の攻撃を察知し、無意識に回避していました。
しかし今回は《感知遮断》の影響でそれらが機能せず、接近にも気づけなかったため、避けることもできないまま腹へ蹴りを受けています。
なお、盗賊本人はこの能力を持っていることにまだ気づいていません。
■固有能力
《感知遮断》
■効果
対象となる相手に対し、危機感知・気配察知・索敵系スキルを無効化する。
効果時間:1日
ロイとジン、頼もしいですね。
戦場帰りで疲弊している状態でも、真っ先にユウを庇おうとする二人はやはり大人です。




