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戦場 ―混ざり合う生と死―

リアクションしてくださった方ありがとうございます!うれしい!


進軍は思っていたよりずっと静かだった。雄叫びも号令もほとんどない。

聞こえるのは鎧の擦れる音と、何百という足が同じ速度で地面を踏みしめる重い振動だけだ。


乾いた風が大地を撫でるたび、砂が薄く舞い上がり、前方の景色をわずかに曇らせる。

その霞の向こうに、黒い影があった。


敵の陣だ。


距離はあるはずなのに、遠いという感覚はない。

進むほどに、見えない圧だけがじわじわとこちらを削ってくる。


やがて風が抜け、黒い陣形の上に旗が現れた。

赤黒い布のアルデン領軍の旗。

揺れるたびに、押し返してくるような圧がはっきり伝わる。


対するこちらにも旗がある。


グレイロード家の紺の旗。

獣の紋章が刻まれ、揺れるたびに静かな支配の気配を落としていく。

二つの旗はまだ距離があるのに、すでに正面で噛み合っているようだった。


ユウは列の中でその光景を見上げる。

周囲は同じ徴集兵で埋まっているが、誰も真正面を見ていない。


見ているようで、見ないようにしている目だ。


誰も口を開かない。

それでも、耐えきれないように小さな声が落ちる。


「……なあ、本当にこのまま行くのかよ……」


声は震え、押し殺したはずの不安がにじみ出ていた。

隣の男がすぐに低く返す。


「聞こえるぞ。黙ってろ」

「でもよ……相手、あれだろ? アルデン軍の本隊来てるって……昨日聞いたぞ」

「だからなんだよ、今さら逃げられるわけねえだろ。後ろ見てみろよ」


その言葉に、若い男が振り返りかけて――やめる。

後方には、正規兵たちが並んでいた。


逃げるための隙間なんて、最初から存在しない。


「……くそ」


それだけ吐き捨てると、男はそれ以上何も言わず、再び列の中に沈んだ。

沈黙が戻り、ただ進軍の足音だけが重なっていく。


ユウは手に握った剣の重さを確かめるが、まだ馴染まないまま歩くたびに刃先が揺れ、そのたびに腕へ余計な負荷が積み重なっていく。


握り直す。もう一度、握り直す。

気づけば、指先にはじっとりと汗が滲んでいた。


「……もう戻れねぇな」


ユウは前を見ながら、距離ではなく“時間”を測っていた。


あとどれくらいでぶつかるのか。

あと何歩で、戻れない場所に足を踏み入れるのか。


曖昧だった感覚が、進むほどに輪郭を持ちはじめ、確定へと変わっていく。


前を行く兵士たちの空気が変わる。


一定だった足音にわずかな乱れが混じり、肩が揺れ、呼吸が浅くなる。

剣を握る手だけが不自然に強く締まっていた。


その変化は周囲に伝わり、ユウの体にもじわじわと染み込んでくる。


喉が乾く。舌が張りつく。息を吸うだけで胸が重い。


そして、その圧が限界に達したように――

前方から鋭い声が飛ぶ。


「来るぞ! 盾を構えろ! 矢が来るぞ!」


その叫びが終わるより早く、空気を裂く音が走った。


ヒュン、と鋭い音が一つではなく、重なりながら増えていく。最初は点だったそれが、すぐに面へと変わっていくのが音だけで分かる。


「伏せろ! 立ってたら抜かれるぞ! 地面に張りつけ!」


怒鳴り声が遠い。耳に入っているのに、理解より先に警告だけが身体へ落ちてくる。

ユウはほとんど反射で地面に身を投げた。


その瞬間、頭上を“何か”が削っていく。


風ではない。空気そのものを切り裂いていくような鋭さだった。


一瞬遅れて、背後で重なる音が連鎖する。乾いた衝撃と、鈍い何かが地面に叩きつけられる音。誰かの声が途中で途切れ、そのまま飲み込まれていく。


戦場の音が、そこで一段階“現実”に変わった。


「ぐっ……! なんだよ今の……!? 見えねぇのに飛んでくるとか、ふざけんな……!」

「くそっ……当たった……!足が……くそっ、動かねぇ……!こんなの避けられるわけねぇだろ……!」

「たすけっ……頼む、誰か……っ!置いてくな、まだ……まだ俺は……っ!」


鈍い衝撃と、途切れる声。


(……盾もねぇのに立ってりゃ、そりゃ当たるよな)


心臓が跳ね、体の中にまだ矢が飛び続けているような錯覚が残る中、《危険察知》が遅れて広がっていく。


皮膚の内側をざわつかせるような警告がまだ消えない、


「止まるな! ここで止まったら終わりだ、そのまま前に出ろ!」


別の場所からも、ほぼ同時に声が飛ぶ。


「頭上だけ見てると足が止まるぞ! 押し込め!」


伏せていれば生き残れる状況ではない。むしろ一瞬でも動きを止めた瞬間に後ろからも前からも飲み込まれることを、誰もが理解しているからこそ、その理解が逆に全員の体を無理やり立ち上がらせていた。


ユウも同じように体を起こし、土に汚れた指で剣を握り直すと、その冷たさが一瞬だけ現実に引き戻す。


一度だけ深く息を吸う。

その認識だけが、余計な感情を全部削ぎ落としていく。


視界の端で誰かが崩れ落ちるのが見えるが、それを追う余裕はないし、見てしまえば同じ場所に引きずられることも分かっているから、視線は最初からそこに固定されないまま前だけに残されていく。


そして次の瞬間には、考えるより先に、押されるように走り出していた。

前へ。地面をを蹴る。


「前へ! 進め――!!」


それまで「遠い」と思っていたはずの敵が、数歩踏み込んだだけで輪郭を持った人間として目の前に現れる。粗末な装備の隙間や、揃っていない防具の歪みまで見えるほど近い。


だがそれ以上に強く目に入るのは、その中にいる全員が同じように張り詰めた目をしているという事実だった。


(……同じだ)


ユウの中で、敵味合という区切りは意味を失っていた。

あいつらもまた、前に出されているだけだ。


鎧は不揃いで、武器も粗い。軍というより寄せ集めの集団に近い。

その中に、自分と同じように村から連れられて来られたであろう男の姿もある。


痩せた頬、疲れ切った目。

それでも武器だけは必死に握っていた。


逃げれば死ぬのか、守るものがあるのか。

理由は違っても、やることは同じだ。


生きるために前へ出るしかない。


少し前まで、敵は“倒す対象”でしかなかった。

だが距離が近づいた瞬間、それは崩れる。


目の奥の恐怖や焦りが見えてしまい、理解できてしまう。

だからこそ、気持ちが悪い。


もし立場が違えば、そこにいるのは自分だったかもしれない。


それでも――


(……それでも、止まるわけにはいかない)


理解していても剣は止まらない。止まれば死ぬ。後ろも守れない。

ここにいる全員がそれを分かっているからこそ、誰も止まれない。


その認識が重なった瞬間、戦が始まった。

鉄と鉄がぶつかる音が一斉に弾け、怒号と叫びが土を蹴る音と混ざり合う。


視界はすぐに土煙に飲まれ、前も後ろも曖昧になる。


隊列は崩れ、形は意味を失う。

敵か味方かを判断する余裕すら消えていく。


「うおおおおっ……死ねええええっ!!」

「邪魔だぁっ! どけぇ!!」

「押し返せ! ここで止めろ!!」

「くそっ……来るな、来るなぁっ!!」


怒号が飛び交う中、泥を蹴散らしながら男が真正面から突っ込んでくる。


「どけよ! 邪魔なんだよ、お前みたいなのが前に出てくるな!!」


振り下ろされた剣は力任せで隙も大きい。

だが恐怖と焦りをそのまま叩きつけるような勢いがあった。


乱れた呼吸と血走った目のまま踏み込んでくる圧に、ユウは反射的に全身へ力を入れる。


(来る)


その瞬間だけ、周囲を埋め尽くしていた怒号や金属音、土煙の中で入り乱れる人影の気配が遠くへ引いていき、目の前から突っ込んでくる男の動きだけが異様なほど鮮明に浮かび上がった。


「どけぇっ!! ここはガキが出てくる場所じゃねぇんだよ!!」


《集中強化》


肺の奥が焼けるように熱くなり、全身を巡る感覚が一段階鋭く研ぎ澄まされ、相手が遅くなったわけではないのに、自分だけがその動きの隙間へ滑り込めるような奇妙な感覚が走った。


(攻撃を右に流す……一瞬だけでいい、軌道を外す)


考えるより先に身体が動く。


「死ねぇっ!!」


真正面から受ければ腕ごと持っていかれる斬撃を、わずかに角度をずらして滑らせるように逸らす。

耳障りな金属音とともに火花が散る。


「……っ」


剣先が頬を浅く裂き、熱を残したまま通り過ぎていく。


「ちっ……! 当たらねぇかよ!!」


男の舌打ちが飛ぶ。


致命傷には程遠く、むしろ勢いのまま大きく踏み込みすぎた男の身体は前へ流れ、その崩れた体勢の内側へ、ユウはほとんど反射のように潜り込んでいた。


息が触れそうなほど近い距離。

汗と泥と鉄臭さの混ざった匂いが鼻につき、乱れた呼吸まで聞こえる。


男の喉元は無防備に開き、脇腹も鎧の隙間が露出していて、今の位置なら剣をほんのわずかに振るだけで届くと即座に理解できた。


(今なら確実に剣を当てられる)


訓練でも、狩りでも、何度も繰り返してきた“隙”であり、ここで斬れば終わると頭では冷静に理解している。

理解しているはずなのに――そこで、ほんの一瞬だけ身体が止まった。


視線が合い、血走った目と恐怖で引きつった顔、必死に歯を食いしばりながらそれでも生き残ろうとする表情が、一気に目へ飛び込んできた。


その顔が、“敵”ではなく、自分と同じように怯え、死にたくないと思いながら無理やり前へ立たされている一人の人間として見えてしまい、その認識がほんのわずかに刃を鈍らせる。


(……こいつを、俺は本当に殺せるのか?)


目の前の男は、武器を握り、怒鳴り声を上げながら突っ込んできた敵のはずだった。

本来なら迷う必要なんてない。斬らなければ、自分が死ぬ。


それだけの話のはずなのに、鎧の隙間から流れる汗や荒い呼吸、恐怖を押し隠しきれていない表情が妙に生々しく目に入り、“敵”という曖昧な塊だった存在が、一気に血の通った人間として輪郭を持ってしまう。


死にたくないと思っている。死に生き残ろうとしている。

それは、自分と何も変わらなかった。


(殺すって……こういうことなのか)


剣を振るうという行為の先にあるものを、ユウは今までどこか現実から切り離して考えていた。

魔物を倒すのとは違う。訓練用の木剣を振るうのとも違う。


この刃が届けば、肉が裂け、血が流れ、目の前にいる人間が本当に動かなくなる。


(俺は……人間を、切れるのか)


ほんの一拍にも満たない躊躇。

だが、生き死にが交差する戦場では、その一瞬だけで十分すぎた。


「なんで止まってんだよ! ふざけてんのか!」


怒鳴り声と同時に、崩れかけていた男が半ば捨て身のように身体ごとぶつかってくる。


不意を突かれた衝撃で視界が大きく揺れ、踏ん張ろうとした足は泥を滑り、体勢が一気に崩れた。


(まずい、倒れる!)


背筋が冷え、視界が傾いた瞬間、影が覆いかぶさる。

男は恐怖に歪んだ顔のまま、形も狙いもない剣を振り上げていた。


土煙の向こうで誰かの叫びと鉄のぶつかる音が混ざり合う。

すべてが遠のき、振り下ろされる刃だけが異様に鮮明に見えた。


(ここで死ぬわけには――)


その瞬間、思考よりも早く身体が動き、転がるように地面へ逃げて剣が土を抉る音だけが耳の横を通り過ぎ、跳ね上がった土が頬を叩いた。


(まだ、いける……まだ動ける)


剣を掴み直すと、目の前の男の動きが一瞬だけ止まる。


(遅い、見えてる……これなら――)


呼吸を整える余裕すらないまま、踏み込む。


「ーー加速」


身体が一段軽くなったような感覚とともに距離が一気に詰まり、相手の驚きの声が遅れて追いついてくる。


「……はっ!? 今の、なん――」


剣を振る。首ではなく、確実に届く隙間へ刃を滑り込ませ、そのまま一気に通す。

抵抗の感触のあと、力が抜け、男の体が崩れ落ちた。


「……お前、なんで……そんな動きができるんだよ……おかしいだろ……こんなの――」


言葉は途中で途切れる。

まるで、最後まで形にする余裕すら残されていないように。


崩れ落ちながら、理解できないものを見上げる目だけが、わずかにこちらに残る。


「……なんで、俺が……こんなところで……死ぬんだよ……まだ、何も――」


かすれた息のような声が漏れたところで、膝が折れ、体がそのまま地面に沈んだ。

ユウはその場に立ち尽くし、呼吸だけが荒く積み重なっていく。


「……っ、は……っ、はぁ……っ」


(……やった。人を、殺してしまった)


その事実は理解というより、“残像”のように遅れて落ちてくる。

吐き気が遅れて追いかけてくる。


「ぼさっとすんな!次来てるぞ、立て!」


横から怒鳴り声が飛び、同時に別の剣が横薙ぎに迫る。


「っ、くそ……!」


完全には避けきれず、頬が裂けて血が流れ落ちる感覚だけが遅れて認識される。


(まだ戦いは終わってない)


戦場はすでに形を失っていた。


敵も味方も境界を失い、そこにあるのはただ剣を振る者と、振られて倒れる者が入れ替わり続けるだけの混沌だった。


その中に立たされたユウは、今ここで立ち止まればそのまま飲み込まれることを、理屈ではなく身体の奥で理解していた。


(ここで止まったら終わる)


身体が勝手に一歩を踏み出す。


「来るぞ! 気を抜くな……! 押し返せぇぇ!」


誰の叫びかも分からない声が、土煙と怒号の中を切り裂いて響く。

その一言で、崩れかけた空気がまた張り直される。


「くそっ……終わりがねぇ!」


視界の向こうから、次の敵が踏み込んでくる。

倒れた兵士を踏み越え、血と泥で足を滑らせながらも止まらない。


戦場は、一人倒れたくらいでは止まらない。

すぐに次が埋める。


「次だ……!」


誰かの怒鳴り声に押されるように、ユウは剣を握り直した。

掌には、さっき人を斬った感触がまだ残っている。


重い。気持ち悪い。それでも手は離れない。


(剣を手放したら、そこで終わる)


その事実だけが、冷たく頭の奥に沈んでいる。


気づけばユウは、もう“巻き込まれる側”ではなく、剣を振るう側にいた。

ただそれだけのことが、やけに現実だった。



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■とある行政官の記憶


とある行政官の机には、今日も無数の懇願書が積まれていた。


「今年の取り立てが厳しく、冬を越す分の穀物が残りません。どうか少しでも減らしていただけないでしょうか」

「このままでは税を納めきることができません。来年まで待っていただくことはできませんか」

「男手を持っていかれたため、畑を回すことができません。これ以上の徴兵はお許しください」


どれも似たような内容だった。

行政官はそれらを一瞥すると、静かに紙を握りつぶし、廃棄箱へ落としていく。


一枚。二枚。三枚。


作業は淡々と続いた。

そこに感情はない。ただ“処理対象”がそこにあるだけだった。


ふと、机の隅に目をやると、すでに処理済みの紙束が小さな山になっている。

その一番上の紙には、こう書かれていた。


「――このままでは、村が消えます」


行政官はそれを見ても、特に何も思わなかった。

そして次の懇願書を、また手に取った。



《設定詳細》


■レグナリア王国(ユウがいる国)


レグナリア王国は、大陸西部に存在する中規模国家である。

現在は一つの王国として統一されているが、かつては五つの小国に分かれており、それぞれが独自の王や軍を持って争っていた。

約百年前、初代国王レグナール一世が武力によって五国を統一し、現在のレグナリア王国が成立した。

しかし統一後も旧国家時代の有力者たちはそのまま貴族として残り、強い自治権を持ち続けているため、完全な中央集権国家にはなっていない。

その実態は、“王家を中心とした貴族連合国家”に近い構造を持つ。


■統治と領地戦


レグナリア王国では、各領主が独自の軍隊や徴税権を保有しており、地方への支配力は非常に強い。

そのため領地・鉱山・農地・交易路などを巡る争いが頻繁に発生している。

本来、国内での戦争は禁止されているが、王家への申請と許可を得た場合に限り、“領地戦”として限定的な私戦が認められている。

王家は基本的に直接介入せず、各領主同士の均衡を保つ形で国内を管理している。


これは、旧国家時代から続く大貴族たちを無理に押さえ込めば、大規模な反乱へ発展する危険があるためでもあった。



※本作の世界は地球の約3倍の規模を持つ惑星として設定しています。

また、レグナリア王国は中規模国家に分類されますが、その領土面積は現実のアメリカ合衆国と同程度の規模を想定しています。


※ep.20ではユウが倒した相手は気絶と認識していましたが、今回は初めて明確に「命を奪う」行為を経験することになります。




皆さんいつもお読みいただきありがとうございます。

次話の投稿少し間隔空くかもしれません

下記に戦争の現状の設定画を掲載中です

https://x.com/xyvks6ol1hnqvwv/status/2058891806541255142?s=46

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