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騙り神の忘却  作者: 不透明白
終わりを結ぶ

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31/32

 〈 る 〉


 この数か月間、能力を発動しながら生活をし、朝と夜に走り込みをし続けた新井リコによる最大出力のパンチは、衝撃を逃すことなく、その結界の繋ぎ目にぶつけられた。

 そしてそれは、普遍を保ち続けた結界を大きく揺らし、結果として――結界は崩壊した。

 そして、溢れ出た。

 結界の中に〝封印されていた〟大量の文字が流出したのだ。

 渦巻いていた桜色の渦に段々と黒い渦が混じり合い、その渦の中心にいる骸井へと流れ込んで、段々と小さくなっていく。

 千年間、結界の中に閉じ込めていたモノ。

 〝行灯(あんどん)猫の王〟としての記憶と力を取り戻して、骸井九は――大妖怪、八又行灯猫(やつまたあんどんねこ)はを復活する。


 千年前に封印された伝説であり、最強の化け猫である八又行灯猫、〝骸井九〟の完全復活。


 渦は完全に消滅した。

 その渦に代わって、上空に浮かぶ人影。

 それは圧倒的な存在感を発し、同時に抗いがたい脅迫的な「畏れ」を、この場にいる全ての存在に抱かせた。

 一秒前まで騒乱と化していたグラウンドに静寂を落とし、そのほとんどが上空にいる人影を見上げていた。

 勿論、その人影の目下にいた白井有栖も例外ではなく、むしろ、誰よりも熱い視線を送っていた。

 とろけそうで、火傷しそうなほどにドロドロした熱視線。

 身をよじり、口元を抑える手をよく見れば、人差し指を咥えてじくじくと噛み、身体から溢れる欲望を抑えようと震えていた。

「あぁ、きゅ、九ちゃん?」

 その声は小さかったが、白井有栖の特性により、確実に八又行灯猫へと届く。


「……相変わらず鬱陶しいね」


 白井有栖へと向けた言葉に、彼女は興奮した様子で、

「あ……あぁ……嬉じぃ」

 と恍惚とした表情で湿り、しゃがんだ。

「〝私〟の声、本当に聞こえてる? 今悪口を言ったんだけどさ」

 その声は以前とは違い、とても柔らかくて優しかった。

 まるで毛布に包まれるような、そんな声で彩られた言葉は、内容を問わず、肯定しなければ自分がおかしいという自己理解をしてしまいそうな、そんなイカれた庇護欲を掻き立てられる。

 豪華絢爛な着物に身を包み、その背後から孔雀のように広がった〝九つの尻尾〟はふわふわと揺れ、頭の上に生えた猫耳をぴょこぴょこと動かしている〝彼女〟に誰もが見惚れるのも頷ける。


 かつて、「八つの尻尾」を蓄えていた化け猫の女王は、それを「九つに尻尾」に増やして現代の世界へと顕現した。


「うぅ辛辣、でも今はそれでもいい! 九ちゃん、私は貴女にずっと逢いたかった……好きなの貴女が! だから、だから……」

 その時、一人の猫又が咄嗟に動き、白井有栖に対して奇襲を仕掛けた。

「ぐぁ……」

 その猫又は白井有栖の出した幽霊に首を掴まれて、グラウンドの硬い地面に叩きつけられた。辺りには砂埃が虚しく立ち込める。

「邪魔すんな。殺すぞ」

 殺意を込めた視線をぶっ刺す白井有栖。


「――そこの勇敢なる同志よ」


 地に伏せた猫又は砂埃の中、半目を開きながら空にいる行灯猫の女王を見上げる。

「決して自分を責めないで。君の勇気は私の心を動かしたんだ。でも、私は大丈夫だから安心して」

「……うぅ、すみま……せん、ありがとうございばず……」

 猫又は涙を浮かべ、感謝を述べながら、仲間と共に離れていく。

「九ちゃんは相変わらず、仲間に恵まれてるのね……嫉妬しちゃう」

「ははっ、君だって今は、騒がしくしているようだけど」

「……九ちゃん」

「なに?」

「私の願いを聞いてもらってもいいかしら」

「うーん……内容によるかも」


「私を滅茶苦茶に犯してくれないかしら。――それはもうぐちゃぐちゃに。私にならなんだってしていいのよ? ……ね? 魅力的でしょ?」


 その声は身の毛がよだつほどに妖艶であり、その光景を想像しなくとも勝手に脳内へと流れ込むイメージは、激しく艶美なものであり、情欲や劣情を抱かない者は〝本能を失った人でなし〟、と言ってもおかしくない程の嗜虐心を刺激してくるものであった。

「別に私はしたいと思わないけど……まぁ、お願いだったら聞いてやったっていいよ。なんたって私は化け猫の中の化け猫、行灯猫の女王だからね。でも、条件がある」

「それは……何かしら」


「その願いを叶えるのに最も相応しい場所があるんだけど、そこに行くには君が死ななくちゃなんだ。その条件を飲んでくれるならいいよ」


 行灯猫の女王は軽々しく言った。まるでそれが、なんてことないみたいな口調で。


「――いいわ」


 白井有栖も、ただ簡潔に、躊躇など全くなく、その条件を飲み込んだ。

「貴女が憶えているかはわからないけれど、私は一度、貴女に殺されたことがあるわ」

「……忘れもしないね」

「あの時の貴女は〝貴方〟だったけれど、それでも今の貴女と同じぐらい優しく、心を込めて殺してくれたの。だから、その条件を飲むことなんて些細なことよ」

「そ。じゃあ、楽しみに上で待っててね」

 そう言って、行灯猫の女王は黒目を細長くして瞼を落とし、大きく腕を開いてから一度制止――一拍を置いて。そして、勢い良く合掌を――



「ちょっと待てーーーい!」



 かつて、渦を作っていた桜の木。

 その下から聞こえた大きな声。

 その声が聞こえた途端、行灯猫の女王は静止した。手のひらの間、およそ9.99mmの隙間を残してぴたりと止まった。

 その声がした方を見れば、そこには一人の女の子が、小柄な女の子の肩を支えながら立っていた。

「お姉ちゃん! と……嵯峨野さん?」

 思わず出た新井リタの声は、今まで抱えていた不安をようやく解消できた安堵を帯びていた。

「おい、神下! なんでお前がいるのにリコちゃんこんなことになってる? 勢い余ってこっちの方までめり込んできたんだけど!」

 嵯峨野はプリプリと怒りながらそう言った。

「そうだ! そうだー!」

 肩を組まれている新井リコが下っ端のように加勢したのだが、そのボロボロの姿も相まって説得力は些末だった。

「……リコちゃん本当にごめんね」

 唯一無事だった右足の結界紙から神下の声がか弱く聞こえてくる。

「謝るのならよし」

 嵯峨野花のその言葉に新井リコは思わず、「えー、不服だぁ」と漏らした。


「おい、私が今九ちゃんと話してんだろうが。邪魔すんじゃね」


「おやおや~? 君は白井有栖「さん」じゃあないですか? あれ、どうしたんですか? そんなところでお座りなられてますけど」

「……殺すわ」

 白井有栖はおもむろに幽霊の濁流を嵯峨野花に向けて解き放った。

 が、その濁流は嵯峨野花の目の前で、透明の壁にぶつかるみたいに止まった。

 ニイッ、と嵯峨野花は憎たらしい満面の笑みを見せつけるように突き付けた。

「私が今慌てて守ったんだから、ナナがドヤ顔することじゃないでしょ」

「お姉さま! その名前で呼んでくれるのなんていつぶりですか⁉ そうですよ、千年ぶりです! だから、もっと呼んでください!」

 行灯猫の女王が嵯峨野花を「ナナ」と呼ぶ理由は、彼女が骸井九と同じ様に〝猫又〟であり、そして、尻尾が七又に分かれていたからなのだが、今の嵯峨野花を見る限り一本も尻尾が生えていない。

「あれ、ナナ尻尾隠してるの?」

「面倒ごとが増えるので普段は隠してます。でももうその必要が無いので、出しますね」

 そう言うと、嵯峨野花の尾てい骨あたりからふわりと大きなしっぽが見えるようになった。

「あれ、尻尾……増えてない?」

 一、二、三……数えるとその本数は八本あった。

「いやーバレちゃいましたか……ということで、私の尻尾は七本から八本になりましたので、今呼んでもらっている「ナナ」を変えて「ハナ」とお呼びください!」

 得意げにそう言った嵯峨野「花」の言葉に、行灯猫の女王は穏やかな笑顔で頷いた。

 そして、その微笑みの中に、昔を懐かしみ、今を噛み締める内情を密かに揺蕩わせていたことを自覚してしまい、本人にばれていないか気になって、一人恥ずかしくなった。

「……さて、僕の呼び名などは後に置いときまして。白井有栖さん?」

「……」

 名前を呼ばれた白井有栖はただ嵯峨野花を睨んでいた。

「睨んだり、恨んだり、憎んだり、忙しいですねぇ幽霊ってのは。でもですねぇ……私はあなたのことを許してないんですよ。お姉さまはお優しいので〝死〟をもって許そうとしてましたが、それはあまりにも癪なんです、嫌なんですよ。わかりますかぁ?」

 嵯峨野は酷く冷たい表情で淡々とつらつらと。


「お姉さまを千年という途方もない年月封印した罪を払いなさい」


 その言葉と共に、白井有栖の方へと腕を伸ばしながら捻り、連動して手を捻り、最後に指を巻くように捻る。

「お姉さまお願いします」

「ハナ、それ使うと、私この後しばらく動けないよ?」

「大丈夫です、その後のプランも考えてあります」

「……はぁ、わかったよ」

 行灯猫の女王は、嵯峨野の近くへと降り立って、その背中に手を据える。

「――ふん!」

 嵯峨野花が思いっ切り引っ張る動作をしたその瞬間――白井有栖は気を失ったかのようにへたりと頭をもたげて動かなくなった。

 そしてそのまま、引っ張った勢いのままに、腕を桜の木の方向へと伸ばした。

 まるで〝何かを投げ飛ばした〟かのように。

 次に、新井リコが四肢に括りつけていたダサい結界紙に手を触れた後、そこから何かを引っ張り出して、それを白井有栖の体へと差し向けた。

「嵯峨野さん、まさか……」

 新井リタが恐る恐る尋ねると、

「そのまさかだよ。白井有栖をあの木に封印して、神下を元々白井有栖だったあの身体にぶん投げてとっかえたってこと!」

 と言って、嵯峨野は得意げに胸を張った。

「あんた……無茶苦茶だよ」

「別にリコちゃんには言われたくないけどね」

「いや、なんで⁉」

 白井有栖を封印した後、あんなに大量にひしめき合っていた幽霊達は、最初からそこにいなかったと思い込んでしまいそうな程に忽然と姿を消しており、もうグラウンドには〝生きている者達〟しか見えなかった。


「「「うおおぉぉーーーー」」」


 猫又達はみな一斉に歓喜の声を上げた。

 その盛大な歓声に隠れるように。

 空からは回転する鉄の羽音。地上を取り囲む鉄の箱がエンジンをふかし、武装した人間が校舎の上から見下ろしている。

「ハナ、本当に大丈夫なんだよね?」

 嵯峨野におぶさっている、「行灯猫の王」とは言いがたい姿の王女様が吐息混じりの声で言った。

 耳元で言った。

 吐息は当然耳にかかっている。

 その状態で、嵯峨野花の精神状態が無事であるかどうか。


「はい。……神下、簡易結界を得意の雷で早く作って下さい」


 逆に清々しいほど凛々しい表情と声になっていた。


「……ハナちゃん、後で説明してくれるんだよね?」


 低く妖艶な声でそう言った神下に、前の面影は一切なかった。

 それと不思議なことに、元々白井有栖の身体なのだけど顔や雰囲気がまるで違っていて別人のようだった。

 現実として別人ではあるけれど。

「うん説明する。だから、早くやってくれんか? 私はもう持たないから……早く!」

 実はじわじわと嵯峨野の理性を蝕んでいたらしかった。限界は近い。

 人知を超えた存在になった影響で得た雷の力を使い、グラウンドを全て囲うロープのようなものを、神下は一瞬で作った。

「あ、そういうこと!」

「ちょ、ちょっと、お姉さま喋らないで! それで、えっと、結界ができたら、その中に入って、反転させて」

「反転……ということは」

「そう、結界を壊した後に〝座標の位置をずらす〟ということの応用。というか、そもそも、そんなこと、君にしかできないからね? そこんとこわかってる?」

「え? てっきり骸井――女王様もハナちゃんもできるものかと」

「できても数メートルが限界だよ」


 ――バン!


 屋上から大きな銃声が一発。

 嵯峨野ハナの頬に紅の一線が走り、真っ赤な液が垂れた。

「結界に食い込んでくる弾丸……やっぱりただの銃火器だけじゃないよねぇ。神下! 急ごう」

 そう言って、骸井、嵯峨野、神下、新井姉妹は結界内へと足を踏み入れた。

 たちまちに結界は反転し、崩壊する。

 瞬きすら許さぬ刹那、残る者は何もなかった。

 そこには、ただ風に吹かれた砂埃があるだけで。


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