キスの味
「こら待て! 梓!」
いつものようにパパが私を呼び止める。
「何度も言わせるんじゃない! 家を出る時は『行ってきます』だろ!」
「フン!」
私もいつものように憎まれ口を返す。
「学校へ行くんだから、いちいちそんなこと言わなくてもわかってるでしょ! 小学生じゃあるまいし……。いつまで娘が素直なものだと思ってるの?」
「礼儀だ! 親子の間にも礼儀があるだろうが! 挨拶と筋肉は正しい人間の基本だぞ!」
「筋肉がなくたって正しいひとはいるわよ!」
「まぁまぁ、二人とも」
ママが奥から出てきて笑ってくれた。
「喧嘩するほど仲がいいっていうけどねぇ〜……、親子でそんなことしないのっ。恥ずかしいわよ?」
私は無言で背を向けた。
「こらっ! 梓! 『行ってきます』は!?」
無視して家を出た。
まったくもう……いくら娘がかわいいからって干渉しすぎる。でも基本的には私のことを信じて自由にさせてくれるパパ、好き。大好き。
いつもの楽器店の前に行くと、今朝は柏木だけが待っていた。
なんだか店のガラスケースの中のギターに見とれてる。
「おはよう」
私が声をかけると、笑顔で振り向いた。なんか今日の朝日はやけに眩しい。
「おはよう、神崎」
白い歯をキラーンと光らせて、耳に心地よい声で挨拶を返してくれた。なるほど……パパの言う通りだ、挨拶って気持ちいいものだ。
「コンジョーくんたちは?」
「まだ来ないみたいだね」
「同じ家から歩いてくるんだし、一番近いからもう来てるかと思った」
「朝ごはんが美味しすぎて時間がかかってるんじゃないかな、きっと」
何それ冗談? って思ったけど、何も返してやれなかった。
いかにも口が上手そうな糞イケメンのくせに、コイツはよくすべる。
なんだかそこがかわいいと、最近思いはじめた。
「ところで何見てたの?」
「ああ……」
柏木がガラスケースの中に視線を戻す。
そこには白いエレキギターが飾られてあった。
「これ、欲しいなって思って、見てた」
うっとりするように語る柏木の横顔が綺麗に見えた。
「ギター弾くやつの悪い癖でね、もう使えるのを持ってても、新しいのを見て、惚れちゃうと、欲しくなってしまうんだ」
「浮気性なのね」
皮肉のつもりで言ってやった。
「あんたならいくらでも買えるんじゃない? 今日の帰りにでもサクッと買えば?」
「オレ、自分の本当に欲しいものは、自分でバイトして稼いだ金で買ってるんだ。信じてもらえないかもしれないけど……」
目をキラキラさせてそんなことを言う。
「それに──本当に大好きな一本に出会えたら、そのギターだけを愛するよ。コンジョーがえみちゃん一人にゾッコンなようにね……。ああいうの、憧れる」
意外だ──
顔のいいやつから純愛崇拝みたいな台詞が出ると、なんかすごく意外に感じる。
しかもギターの話にたとえられると嘘っぽさがなくて、信じてしまいそうになる。
「そういえば──あんたがバンドで歌ってるの見たことなかったわ」
なぜか、つい、そんなことを言い出してしまった。
「ライブとかいつやんの?」
「えっ? 見に来てくれるの?」
ものすごく嬉しそうに、柏木の顔が輝いた。
「神崎が見に来るならすぐにでも手配するよ! 今週末でも! あっ。神崎は都合、いい?」
「まっ……、まぁ! 同じ部の仲間だから、見に行ってあげてもいいってだけよ!」
私もなんだか楽しみになった。
「勘違いしないでね。興味なんてないんだから──」
「あっ」
柏木が私の後ろのほうを見て、声をあげた。
「コンジョーたちが来たよ」
そして結構逞しい、いい筋肉を感じさせる動きで手を振った。
「おーい、遅いぞ、遅刻するぞー!」
振り向いて、やって来る二人を見て、違和感を覚えた。
なんだか、いつもと違う。何かが違ってた。
「オッス!」
「おはよ〜」
二人の声がいつもより弾んでる。二人とも幸せMAXな笑顔をしてる。二人とも肌がつやつやしてる──
手を繋いでいる!
な、何かあったのか?
直感でわかる! 二人の間に昨日、何かがあったに違いない!
柏木たちと別々の教室に分かれ、笑と二人になると、早速聞いてみた。
「笑……。コンジョーくんと何かあったの?」
「えー? べつにー? 何もないよー」
嘘だ。
私が親友の嘘を見抜けないとでも思うのか。
腑抜けみたいなその笑い方、それでいて泳ぎまくってるその目、何より挙動不審に動く頭の上の猫耳!
これで何もなかったとは言わせないぞ。
問い詰めるとようやく白状した。
「あのね……。恥ずかしいからあまり言いたくなかったんだけどね……」
顔を赤らめながら、小さな親友は、さらに小さくなって、喋りはじめた。
「昨日の夜……、お兄ちゃんと一緒のお布団で寝ちゃった」
「……は?」
思わず、間抜けな声が出た。
教室の始鈴が鳴ったことすら耳に入らない。
「一回しか言わないからね……。コンジョーくんのお布団にあたしが入り込んで、イチャイチャしてたんだけど、あたし、彼のことがあまりにもかわいくって……それで、思わずキスしちゃったの」
「……は!?」
さらに間抜けな声が出た。
おおきな声だったので教室のみんなが振り返った。
顔を真っ赤にして、両手で頬を押さえながら身をよじる笑。
猫耳がピコピコとパニックを起こしたように跳ねている。
なんてことだ──
親友に先を越されてしまった。
私だって経験ないのに!
ふつう、親友なら、ここで「おめでとうー!」とか「どんな味だった?」とかの言葉をかけるものなのだろう。でも私はただ絶句してしまった。
そのままHR、そして授業に突入し、お昼ごはんを一緒に食べ、放課後になって、笑は根性部に、私は忍者部に──分かれるまで絶句していた。
なんだ、これは……嫉妬?
親友が一線を越えたというのに祝福もしてあげないなんて、なんて醜いやつ! とも思わなかった。
心の中では祝福していたのだ。次の日には口に出して「おめでとう」と言える確信さえあった。
自分の中で何が起こったのかはわからない。ただ、何やら得体のしれない自己嫌悪のようなものに襲われてしまったのだった。
親友よ、笑よ──さすがあんたは猫という名の肉食獣だ。
なんて自分の気持ちに素直で、行動もストレート! 自分から大好きな彼の唇を奪うだなんて──
それに比べて、私は……
いつまで自分の気持ちを誤魔化し続けるつもり?
「神崎」
名前を呼ばれてハッとして顔を上げると、白い忍者装束姿の柏木が心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫? 気分でも悪い?」
私たちは極秘任務中だった。
天井裏に二人で潜み、校長先生の頭がヅラなのかどうかを暴く重要な任務だ。
だからおおきな声を出してはいけないのだが、思わず大声で答えてしまった。
「な……、なんでもないわよっ! ほっといて!」
校長先生が下で「誰かいるのかね?」と聞く声がしたが、無視して柏木は私に聞いてきた。
「顔が赤いよ? 熱があるんじゃないか?」
「そんなところで何してるんだ?」と聞く校長先生を無視して、私は答えた。
「ん……、んー……。そういえばちょっとフラフラするけど……熱、あるのかしら? もしかして?」
こう言えばイケメンのとる行動は、きっとあれだろうと期待した。
おでことおでこで──
「キアアアア!」
思わず想像して叫んでしまった。
「ど、どうしたんだね?」と校長先生の声が下で聞こえた。
「任務を中止しよう。保健室へ連れて行く」
そう言って柏木が立ち上がった。この学校の天井裏って忍者部の部室があるくらい、結構広いから、長身イケメンが立ち上がっても頭は打たなかった。
「だ、大丈夫よ。それより……、ねぇ、柏木」
私はうずくまったまま、唐突に話を変えた。
「笑とコンジョーくんがね、遂に──」
「あっ。キスしたらしいね」
柏木の声が嬉しそうに変わる。
「コンジョーに聞いた。いちごみるくの味だったって」
いちごみるく……
どんなのよそれ!
私は立ち上がると、柏木に言ってやった。
「あんたはさぞかし経験豊富なんでしょうね」
「そんなことないよ」
糞イケメンがしれっと嘘をつく。絶対、嘘だ。
「ねぇ、してみてよ」
自分が何を言い出したのかわからなかった。
「いちごみるくがどんなものか知りたい」
「いいの?」
抱き寄せられた。
なんだかものすごく手慣れた感じで──
心臓がトゥンクと跳ねる。
全身の血が一気に顔に集まっていくのがわかる。
天井裏の埃っぽい匂いも、下にいる校長先生の気配も、全部どこか遠くへ吹き飛んでしまった。
私はガチガチに固まって、目を閉じて、いちごみるくの味を待った。
ガチン!
「いたた……」
「いたたたた……」
ファーストキスの味は、歯と歯がぶつかり合う、パチパチソーダカルシウム味だった。……やっぱりコイツ、肝心なところですべる。
「いきなり何すんのよ!」
「え……? だって神崎が『してみて』って……」
「だからって本当にするやつがあるか! あんた本当、軽すぎ!」
胸を手で突き返すと、案外逞しい筋肉が感じられた。
「違うよ」
糞イケメンが優しい目で私を見つめる。
「本当はね、オレのほうがしたかったんだ」
その美しい唇が、言った。
「もう我慢できないから言うよ。好きだ、神崎」
「う……」
私は思わず──
「うわあああああ!!」
その場で激しくドタバタした。
「あっ! そんなにドタバタすると──」
天井板が抜けた。
二人で落ちていった。校長室の高級ソファーの上へ。
ウィッグ装着前の校長先生が、落ちてきた紅白の忍者を呆然と眺めていた。
埃が舞う中、守るように私を抱きとめながら、柏木の真剣な顔が、至近距離から私に聞いた。
「大丈夫!?」
私はその顔をうっとりと見つめながら、遂に、言ってしまった。
「好き!」




