素直になれる場所
あぁ……
落ち着く……
産まれる前に俺がいたのは、この場所だったんだ。そう、思える。
朝日奈笑の胸に顔を埋めながら、俺はそう思っていた。
もう、なんにもいらない……
今が幸せというやつなんだ……
やわらかい……。マシュマロよりもやわらかい……。
これであと、朝日奈笑が俺を抱きしめてくれたら……。しかし彼女の腕は、何をどうしていいかわからないようにオロオロしてるだけだった。
その腕が、動いた。
俺の後頭部を、綿のような手触りで、ぽんぽんと叩く。
心地よい──
今は根性なんていらない。ただこうして、やわらかい時に包まれていたい。
カラッ……と、部室の扉が可能な限り静かに開く音が、俺には聞こえた。
「ひゃっ……!」というような女子の声が聞こえた。「おぉっ……」という、男子の声も続いて聞こえた。これは間違いなくハルトの声だ。
どこだ……
ここはどこだ……
どこなんだっけ……
天国だっけ……
ふいに頭上から朝日奈笑の慌てた声が聞こえた。
「あっ! コンジョーくん、梓ちゃんたち戻ってきたよ」
あずさちゃん……?
あずさちゃんって、誰だったっけ……
あぁ……、ハルトと一緒に忍者部に顔見せに行ってたカワイコちゃんか……
戻ってきた──?
勢いよく朝日奈笑の胸から離れた俺は後ろにあった机に頭をぶつけ、パイプ椅子を倒し、そのまま床に転がったが、根性ですぐに起き上がった。
「おめでとう」
ハルトがそう言いながら、拍手をするのが聞こえた。
「だいったんー! ごめんね、笑。邪魔しちゃって」
そう言いながらカワイコちゃんも拍手をはじめた。
「ち……、違うのっ!」
朝日奈笑が俺をフォローしてくれる。
「コンジョーくんが、コケそうになっちゃって、支えてあげようとしたら……こんなことに……」
「へぇ〜。支えようとして、頭から抱きかかえちゃったんだ?」
ハルトの声がなにやらニヤニヤ笑いを帯びている。
「素直すぎるぐらいに仲いいのに、なかなか進展しないなーって思ってたのよー。おめでとう」
カワイコちゃんの声もヘラヘラ笑いを帯びていた。
「だから違うのっ!」
朝日奈笑は耳まで真っ赤になって両手をぶんぶん振った。
俺も慌てて口を開く。
「そ、そうだ! 誤解だ!」
「でも、お前、めちゃくちゃ幸せそうな顔してたぞ」
ハルトが肩をすくめる。
否定できない。
「見た見た」
カワイコちゃんがうんうんとうなずく。 「もう赤ちゃんみたいな顔だったよ。『あぁ……落ち着く……』って聞こえてきたし」
全部聞かれてた!?
俺は一瞬で血の気が引いた。
「『もしかして、産まれる前はここにいた気がする』とかも──」
ハルトが言ったが、俺、そんなこと呟いてたのか!?
俺は静かに天井を見上げた。
終わった。
人生、終わった。
「言ってた」
ハルトが親指を立てる。
「ばっちり」
「うわああああああ!」
思わず床を転げ回る。
穴があったら入りたい。
いや、今すぐ異世界に転生したい。
「コンジョーくん……」
笑がおそるおそる俺の制服の袖をつまんだ。
「わ、私は……嫌じゃ、なかったから……」
その一言で、部室の空気が止まる。
「え?」
ハルトが固まる。
「え?」
カワイコちゃんも固まる。
俺はもっと固まる。
朝日奈笑は自分で言った言葉に気づいたらしく、「きゃっ」と小さく声を上げると、顔を真っ赤にして両手で口を押さえた。
「ち、違うの! そういう意味じゃなくて!」
「どういう意味?」
カワイコちゃんがにやりと笑う。
「えっと、その……コンジョーくんが安心してくれるなら、それでよかったなって……」
「つまり?」
「つ、つまり……」
笑は俯き、前髪の隙間からちらりと俺を見る。
その視線が合った瞬間、俺の心臓が一回、大きく跳ねた。
「……また、困ったら、貸してあげても……いい、です」
部室が静まり返る。
三秒後。
「キャーーーーー!」
カワイコちゃんの絶叫が部室中に響いた。




