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第22話

地鳴りが足裏から頭頂へと突き抜ける。


大路を埋め尽くす異形の波は、黒々とした濁流そのものだった。空を覆う妖気は粘り気を帯び、冷たい夜風さえも淀ませている。逃げ惑う貴族の牛車が遠くで砕け散る音が響いた。


その黒雲のような群れの最前線から、ひときわ重い足音が響いてきた。敷石を一段ごとに粉砕しながら、巨大な影が歩み出てくる。


「……またお前か」


俺は右手に提げた木製の笏を軽く握り直した。樫の芯材を極限まで圧縮した特注品だ。ずっしりとした重みが掌に馴染んでいる。


「待たせたな、下級役人!」


筋骨隆々の巨躯を誇る鬼――大嶽が、身の丈を超える分厚い大太刀を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべていた。背後に控える無数の下等妖鬼どもが、その威圧感に気圧されて波のように左右へ割れる。


「前回の決着、まだついてはおらんだろうが。貴様のような人間が、我ら百鬼の行軍を遮れるなどと思い上がるなよ」


「思い上がってなどいない。こちらは公務の進行管理をしているだけだ」


俺は視線を大嶽の胸元に据えたまま、平坦な声で告げた。


「百鬼夜行の一括処理を行うにあたり、お前は通行区分違反および公務執行妨害に該当する。速やかにその凶器を収め、道路の端へ寄れ。さもなくば、即時強制執行に移る」


「ぬかせっ!」


踏み込んだ剛脚が石畳を放射状に爆砕する。


巨大な刀身が夜の闇を裂き、暴風のような質量を伴って振り下ろされた。屋敷の門扉ごと叩き割る威力の薙ぎ払い。常人なら気圧されて足がすくむところだろう。


俺は半歩だけ右へ身を引いた。風圧が前髪を激しく揺らし、衣服の袖をバタつかせる。大太刀の切先が鼻先をかすめて地面に突き刺さり、敷石が爆発したように跳ね上がった。


間髪を容れず、俺は笏を水平に振り抜いた。


ゴッ、と鈍い打撃音が大路に響く。


特注の笏の平たい面が、大嶽の左脇腹へ正確にめり込んだ。巨木を打ち据えたような手応えが腕に返ってくる。


「ぐっ……!?」


大嶽の巨体がわずかに横へ揺らいだ。だが、この大妖は怯むどころか、目を血走らせてさらに凶悪な笑みを深めた。


「効かんなあ! その程度の棒切れで、この俺の肉体を砕けると思うたか!」


大太刀が地面をえぐりながら跳ね上がり、逆袈裟に切り上げられる。刃が空気を裂く鋭い風切り音が耳朶を打つ。


俺は笏を縦に構え、刀の腹へ斜めに当てて軌道を逸らした。金属と硬木の擦れ合う激しい火花が闇に散る。手首に強烈なしびれが走るが、指の力は一切緩めない。


「棒切れではない。官給の標準装備だ」


受け流した勢いを利用し、俺は懐へ一気に踏み込んだ。


大嶽の懐は広い。だが、それは接近戦において格好の的でもある。重心を低く落とし、笏の先端を大嶽の鳩尾へ向けて最短距離で突き出す。


ズシンッ、と空気が圧縮されるような衝撃波が走った。


「ごはっ……!?」


大嶽の巨体がくの字に折れ曲がる。妖気の鎧を貫通した純粋な運動エネルギーが、内臓を直接揺さぶったのだ。大嶽の足が地面から浮き、数歩後方へとよろめいた。


「おのれ……人間ごときが、この膂力……!」


「口を動かす暇があるなら、退去命令に従え。案件の処理件数が多すぎて、貴様一人に割ける時間は一分もない」


俺は間合いを詰め、笏を両手で構え直した。


周囲を取り囲む百鬼夜行の雑魚どもが、恐れをなして後退していく。だが、背後の本隊からは絶え間なく邪悪な妖気が供給されており、都を呑み込もうとする大群の勢いは止まらない。ここで時間を浪費すれば、後方の防衛線が瓦解する。


迅速に、確実に、目の前の障害を排除しなければならない。


「舐めるなよ、小僧があああああっ!」


大嶽が全身から赤黒い闘気を噴き上げると、大太刀の刀身が灼熱し、周囲の大気を陽炎のように歪めた。


地面が陥没し、大嶽が弾丸のような速度で突進してくる。大太刀が上段から振り下ろされる。


避ければ背後の大路が数百町にわたって両断されるだろう。避ける必要もない。


俺は右足を一歩引き、笏を頭上へ斜めに掲げた。迎え撃つのではない。打撃の頂点を捉え、その威力を真下へ叩き落とす。


大太刀の刃が笏の角と激突した。


キィィィィンッ!


鼓膜を劈く金属音が夜空に響き渡り、衝撃波が同心円状に広がって周囲の街路樹をなぎ倒した。腕の骨が軋み、足元の敷石が粉々に砕けて靴が土に埋まる。


だが、笏は折れない。頑丈さだけを追求して鍛え抜かれた職人の業だ。


「何ッ……受け止めた……だと……!?」


大嶽の目が驚愕に見開かれた。力比べで人間に競り負けた事実が、この誇り高き武闘派の頭脳を一瞬だけ麻痺させる。


その硬直こそが、実務上の決定的な隙だった。


「作業完了だ」


俺は大太刀の刃を笏で外側へ弾き飛ばし、大嶽の体勢を完全に崩した。無防備になったその分厚い胸板へ向けて、体全体の体重を乗せた渾身のスイングを繰り出す。


ドゴオオオオオッ!


鈍器としての破壊力が、大嶽の巨体を真正面から粉砕した。


衝撃のあまり、大嶽の背後から円錐状の衝撃波が突き抜ける。巨漢は宙を舞い、大路の敷石を何十枚も削り取りながら、数十尺後方の土塀へと激突した。土煙がもうもうと立ち込める。


静寂が訪れた。


百鬼夜行の前衛にいた無数の妖鬼たちが、信じられないものを見る目で立ち尽くしている。最強の先兵が無残に吹き飛ばされた光景に、群れ全体の統率が乱れ始めていた。


ガラガラと音を立てて瓦礫が崩れ、土煙の中から大嶽が這い出てきた。大太刀は半ばからへし折れ、その巨躯は傷だらけだったが、その双眸には奇妙な光が宿っていた。


怒りでも、怨嗟でもない。純粋な武人としての感嘆と、強者に対する敬意の念。


「……見事だ」


大嶽は口元の血を手の甲で乱暴に拭うと、折れた大太刀を地面に突き立て、自らの足でしっかりと立ち上がった。


「呪法もまじないも使わず、ただの棒切れと己の腕力だけでこの俺をねじ伏せるとはな。貴様ほどの豪傑、あやかしの歴史を遡ってもそうはおらんぞ」


「過大評価だ。道具の耐久性に助けられたに過ぎない」


俺は笏の表面についた煤を指先で払い、息を整えた。肩と腕の筋肉が熱を持っているが、まだ業務を継続できる。


大嶽は低く笑い、折れた刀を背中に背負い直すと、ゆっくりと横へ歩いて道をあけた。


「行け、役人。先兵の役目はここまでだ。貴様のような骨のある男が、百鬼夜行の本体をどう料理するのか……見届けさせてもらうぞ」


「協力を感謝する。後ほど退去命令書に受領印をいただくことになるが、今は先を急ぐ」


俺は事務的に告げ、大嶽の脇を通り抜けた。大嶽はそれ以上手を出さず、腕を組んで俺の背中を見送っている。


目の前には、依然として都を呑み込もうとうごめく百鬼夜行の本隊が広がっていた。先兵を一人片付けたに過ぎない。中心部で渦巻く妖気の巨塊は、いまだ衰える気配を見せていなかった。


俺は笏を強く握り直し、果てしなく続く異形の群れへと向かって、再び確かな足取りで進み始めた。

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