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第19話

義清の視線を背に受けながら、俺は朱雀大路の石畳を蹴り、北へと駆け出した。


空はどす黒い瘴気に覆われ、月明かりすら届かない。百鬼夜行の中心地である大内裏に近づくにつれ、道は複雑な結界と罠によって封鎖されていた。


路地裏からは、かつてなら単発の苦情として処理していたような厄介な連中が次々と湧いてくる。「屋根裏に棲みついた鬼」や「蔵の財宝を食う妖獣」といった、一筋縄ではいかないあやかし達だ。


毎夜のように貴族たちから持ち込まれていた厄介な案件の数々。それらを書類仕事の延長として次々と処理してきた経験が、この異常事態でも俺の歩みを止めさせない。


建物の陰から、四つん這いの妖獣が飛び出してきた。鋭い牙を剥き出しにし、俺の喉笛を狙って跳躍する。


「夜間の騒音防止条例違反だ」


踏み込みの勢いを利用し、下から上へとかち上げるように手元の分厚い木板を叩き込む。書類を揃えたりメモを挟むための実務用品でありながら、特注の鈍器でもある相棒だ。


鈍い打撃音が響き、妖獣は空中でくの字に折れ曲がって吹き飛んだ。壁に激突し、黒い泥のような残骸となって崩れ落ちる。


直後、頭上の屋根瓦を突き破り、巨大な鬼が降ってきた。かつて右大臣家の屋根裏に棲みつき、連夜の騒音で苦情の的となっていた個体よりも一回り大きい。


太い腕を振り下ろし、俺を石畳ごと粉砕しようとする。


「建造物損壊の現行犯も追加だ」


俺は半歩引いて一撃を躱すと、無防備になった鬼の膝関節に木板を叩き込んだ。骨が砕けて体勢を崩した鬼の脳天へすかさず追撃を振り下ろし、完全に沈黙させる。その後も次々と湧いてくる有象無象の怪異たちを木板一つで粉砕し、俺は歩みを止めることなく大内裏へと続く朱雀大路を北上していった。


骨の砕ける嫌な音が響き、鬼が体勢を崩す。すかさず脳天へ追撃を振り下ろし、完全に沈黙させた。


息をつく暇もない。次から次へと現れる有象無象の怪異たちは、まるで終わりの見えない決裁書類の束のようだ。一つ処理すれば、また次が湧いてくる。


あの妖獣は、先月左大臣家の蔵に出たやつと同種だ。あの時は被害状況の確認と報告書の作成で、三日連続の夜勤を強いられた。思い出すだけで胃の奥が重くなる。


どんなに数が多くとも、やるべき実務は変わらない。俺は淡々と腕を振り、立ち塞がる障害を物理的に排除し続けた。


◆ーーーー◆


しかし、葛葉の配置した罠は陰湿だった。


大路の真ん中に見えない壁がそびえ立ち、触れれば強力な呪詛が跳ね返ってくる仕掛けだ。試しに木板で叩いてみたが、硬質な反発力と共に腕が痺れた。


物理的な攻撃には強いが、空間を捻じ曲げるような結界が幾重にも張られており、直進を阻んでくる。周囲の石畳には、踏み入れば幻覚に囚われる陣が巧妙に隠されている。合法的に嫌がらせをしてくるあの狐らしい、狡猾で計算高い配置だ。


迂回ルートを探すべきか。だが、そんな申請書を書いている暇はない。


舌打ちをしたその時、背後から複数の足音が近づいてきた。


「相変わらず、風情のない祓い方をしていますね」


聞き慣れた、しかしこの場には全くそぐわない上品な声。


振り返ると、豪奢な装束の裾を短くからげた彰子が立っていた。背後には、数人の屈強な護衛を従えている。


「なぜここにいる。一般市民の立ち入りは規制されているはずですが」


「私の目で確かめずにはいられなかったのです。それに、あなた一人ではこの先の結界を抜けるのに手間取るでしょう?」


好奇心に目を輝かせる彼女の態度は、都が滅びかねない非常時だというのに全く変わらない。右大臣家の姫君という立場でありながら、自ら危険な現場へと足を運ぶ。その行動力には呆れるほかない。


さらに、屋根の上から白い影が舞い降りた。


「まったく、人間というのは世話が焼ける生き物ですわね」


白装束に身を包み、二股の尾を揺らす白妙だった。彼女は周囲に散らばる怪異の残骸を一瞥し、鼻で笑う。


「あたくしの同胞たちが集めた情報によれば、この先の結界には三箇所の綻びがあります。案内してあげてもよろしくてよ」


都中に散らばる野良猫や小動物のあやかし達。彼らのネットワークを駆使して、葛葉の結界の弱点を探り当てたのだろう。


「恩に着る。だが、お前たちまで巻き込むわけにはいかない」


「あら、今さら何を言っているの? 都が滅びれば、あたくしたちの住処も無くなるのよ。それに、あなたにはまだ借りを返してもらっていませんからね」


規格外の働きぶりを見せ続けた結果、都の裏社会を束ねる大妖や、変わり者の姫君といった連中の目に留まってしまった。


これまでの業務を通じて培ってきた彼女たちとの繋がりは、今や確かな実績を持つ外部リソースとなっていた。この未曾有の危機を乗り切るため、俺は彼女たちの協力を正式な業務フローに組み込む決断を下した。


「……民間委託として処理する。後で協力者名簿にサインを頼む」


俺は懐から木簡を取り出し、素早く筆を走らせた。


「ふふっ、こんな時でも書類の手続きは忘れないのですね」


彰子が扇子で口元を隠しながら微笑む。


◆ーーーー◆


白妙の案内により、巧妙に隠された結界の抜け道を次々と進んでいく。


「そこから三歩右へ。足元の石畳の色が違う場所は踏まないで」


白妙の的確な指示に従い、俺たちは見えない壁の隙間を縫うように歩を進めた。


死角から襲い来る怪異は、彰子の護衛たちが牽制し、俺が木板で叩き潰す。


路地の角から飛び出してきた一つ目のあやかしに対し、護衛の一人が素早く槍を突き出した。怪異の動きが一瞬止まる。


「そこだ」


俺はその隙を見逃さず、木板の角を怪異の急所に叩き込んだ。


最初は怯えていた護衛たちも、俺が淡々と怪異を粉砕していく姿を見て落ち着きを取り戻したようだ。彼らの的確な援護がなければ、もっと時間を食っていただろう。


陰陽寮の特権階級たちが為す術なく逃げ出し、都全土を巻き込む超大型クレーム案件へと発展したこの暴走。事態の収拾は、結局のところ現場の末端に押し付けられている。


本来なら、高度な呪術を持つエリートたちが対処すべき事案だ。だが、彼らは怪異の真の危険度を察知し、早々に都から姿を消してしまった。


「あなたを見ていると、本当に退屈しませんね」


背後を歩く彰子が、ふと漏らした。


「こんな恐ろしい夜だというのに、まるで日常の延長のように淡々と仕事をこなす。その姿は、とても痛快です」


「ただの業務です。定時を過ぎている以上、一秒でも早く終わらせたいだけだ」


俺は前を向いたまま答えた。


「それに、俺はただの役人です。雅な呪術など使えませんからね。手元にある道具で、物理的に解決するしかない」


「それが良いのです。身分や肩書きにとらわれず、目の前の真実だけを見て、自らの手で道を切り開く。私には、それが何よりも頼もしく見えます」


彼女の言葉には、貴族社会のしがらみに対する反発が滲んでいた。右大臣家の姫君という肩書きだけで判断され、籠の鳥として生きることを強いられてきた彼女にとって、俺の事務的な怪異処理は、古い常識を打ち破る痛快な見世物なのだろう。


仲間たちの協力のおかげで、進行は想定以上に順調だった。


罠を抜け、ついに儀式の中心地である広場へと繋がる大門の前に辿り着く。


だが、門の隙間から漏れ出す気配に、俺は足を止めた。


白妙が耳を伏せ、彰子も息を呑む。


門の向こう側から立ち上る妖気は、これまで遭遇したどの怪異とも比較にならない。


空間そのものが歪み、大気が重くのしかかってくるような尋常ではないレベルに達していた。


石畳には細かい亀裂が走り、周囲の空気が氷のように冷え切っている。


この奥で、一体何が待ち受けているのか。


俺は木板を握り直し、ゆっくりと門に手をかけた。


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