第17話
大路を歩く俺の背後から、バタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。
「先輩! お待ちください!」
振り返ると、頼道が両腕に抱えきれないほどの木簡と書状を持って走ってくる。彼の背後には、青ざめた顔をした貴族の使者たちが数人、すがりつくように追ってきていた。
「どうした。お前は後方支援に回る手はずだったはずだが」
「それが、本局で書類処理を進めようとしたのですが、各所からの緊急要請が直接窓口に殺到しまして……! 決裁権を持つ者が誰もいないため、現場の先輩に直接判断を仰ぐしかなく、ここまで押し切られてしまったんです!」
頼道が息も絶え絶えに差し出した書状の束を見る。どれもこれも「我が屋敷を優先して守れ」「すぐに術者を派遣せよ」という身勝手な要求ばかりだ。
都全土を巻き込む百鬼夜行の暴走。本来なら陰陽寮の総力を挙げて対処すべき未曾有の事態だが、肝心の術者たちが不在となれば、しわ寄せはすべて俺たちのような下級役人の元へ来る。
要するに、都全体からの超大型クレーム案件というわけだ。
「この数……到底さばききれません。どう処理すればよろしいでしょうか」
頼道がパニック寸前の顔で問いかけてくる。彼の背後では、使者たちが「早く来てくれ」と泣き叫んでいる。
「落ち着け。俺たちの目的地はあくまで儀式の中心地だ。ルート上の案件のみ、ついでに処理する」
俺は端的に答え、役所支給の分厚い板を肩に担ぎ直した。
「それ以外は保留扱いだ。動線に沿って優先順位を整理しろ。無駄な往復をしている暇はない」
「承知いたしました。直ちに経路上の被害報告をまとめます」
頼道はすぐさま道端にしゃがみ込み、猛烈な勢いで木簡を並べ替えていく。マニュアル外の事態には弱いが、書類の辻褄合わせと情報整理に関しては異常な適応力を見せる男だ。
「よし、経路の確定が終わりました。まずは三条大路を西へ向かいます」
「行くぞ」
◆ーーーー◆
数分後、俺たちは最短ルートを割り出し、再び歩みを進めた。
道中、瘴気にあてられて暴走する異形たちが次々と姿を現す。
先日右京で処理した案件と似たような状況だが、今度の鬼は屋根の上ではなく、立派な門扉をへし折り、母屋の壁を豪快にぶち抜いて侵入していた。逃げ遅れた使用人たちが、崩れゆく柱の下で悲鳴を上げている。
「家屋への不法侵入、および器物損壊の現行犯だ」
俺は顔色一つ変えず、跳躍とともに分厚い板を振り下ろす。
鈍い音とともに鬼の頭蓋が粉砕され、巨体が黒い霧となって消滅した。
「処理完了。ここに確認の署名を。印がなければ拇印でも構いません」
俺が懐から取り出した書類を差し出すと、腰を抜かした家主は震える手で指の腹を押し当てた。
「はい、確認しました。次へ行くぞ」
「被害状況と処理結果、記録いたしました」
またある蔵では、財宝を食い荒らす妖獣が待ち構えていた。鋭い牙を剥き出しにして威嚇してくるが、これも「窃盗および不法投棄」として物理的に浄化する。
「財産的損害の査定は後日行われます。現状維持でお願いします」
呆然とする持ち主にそう告げ、俺はすぐに背を向けた。
厄介な案件が次々と立ち塞がるが、すべては実務の一環だ。俺は淡々と処理を続け、頼道が背後で被害状況と処理結果を木簡に記録していく。
賃金の発生しない労働はお断りだが、今回は特別手当がつく。そう自分に言い聞かせながら、俺は次々と怪異を殴り飛ばしていった。
大路をさらに進むと、路地裏から無数の視線を感じた。暴走を免れた、比較的理性の残っているあやかし達だ。
「おや、役所の旦那。今日は一段と物騒だね」
暗がりから、顔見知りのあやかしが声をかけてきた。
「邪魔をするなら公務執行妨害で処理するぞ」
「とんでもない。俺たちは大人しく隠れてるよ。旦那の邪魔はしないさ。ほら、道を開けな」
そう言って、路地裏に潜むあやかし達が一斉に道を空ける。
「先輩、あやかし達が道を譲りましたよ……」
頼道が目を丸くして呟いた。
「ただの顔見知りだ。無駄な戦闘を避けられるならそれに越したことはない」
最近、都の裏社会を束ねる大妖や、こうしたあやかし達から妙に一目置かれるようになってしまった。独自のコネクションが築かれていくのは、平穏無事な生活を望む俺にとっては不本意極まりない。
やがて、見覚えのある立派な門構えが見えてきた。右大臣、雅信の屋敷だ。
門前では、牛ほどの大きさがある蜘蛛の怪異が、今にも結界を破ろうと張り付いていた。八つの赤い目が不気味に光り、粘着性の糸を吐き出している。
「先輩、あそこは経路上の処理対象です」
「了解した」
俺は地を蹴り、蜘蛛の背後に回り込む。
「深夜の迷惑行為規定違反だ。速やかに退去しろ」
警告と同時に板をフルスイングし、怪異の胴体を真っ二つに叩き割った。断末魔の悲鳴とともに、蜘蛛はドロドロの液体となって地面に溶けていく。
騒ぎを聞きつけたのか、屋敷の門が開き、雅信が転がり出てきた。派手な柄の狩衣を着ているが、顔は恐怖で引きつり、目の下の隈がひどく目立っている。
「おお、よくぞ来てくれた! 優秀な呪術師たちが皆逃げ出してしまい、途方に暮れていたのだ!」
雅信は俺の姿を認めるなり、涙目で駆け寄ってきた。
「ついでに通りかかっただけです。後日、特別手当の請求書と事後承諾のサインをいただきますので、ご準備を」
俺が冷淡に告げると、雅信は何度も頷いた。
「いくらでも払おう! そちのような確実な仕事をする者こそ、真に頼りになる。今後も我が家の専属として……」
「お断りします。一介の公務員ですので」
これ以上面倒な繋がりを持たれるのは御免だ。俺はため息をつき、足早にその場を立ち去った。
◆ーーーー◆
儀式の中心地である廃屋敷が近づくにつれ、周囲の空気はさらに重く、冷たくなっていった。
貴族たちのクレームを捌きつつ進んできたが、怪異の発生ペースが異常に跳ね上がっている。
大路の先、濃密な瘴気の向こう側に、無数の赤い眼光が浮かび上がった。
「先輩……前方の怪異の数、規定の想定を遥かに超えています」
頼道が木簡を握りしめ、震える声で報告する。
「特別手当の申請枠を拡大しておけ。それと、労災の書類もな」
俺は分厚い板を構え直し、前を見据えた。
空を覆う黒雲はさらに厚みを増し、都を飲み込もうとしている。
確かな手応えはある。だが、この無数の群れを定時までに突破できるのか。
俺は小さく舌打ちをし、黒い波の中へと足を踏み出した。




