第11話
「次に狙われるのは、どこだ?」
俺の問いに、白妙はピンと張った猫耳をわずかに揺らし、都の中心部へと視線を向けた。
その瞳に映る不穏な影が、次なる激務の始まりを告げていた。
「中心部と言っても広い。具体的にどの屋敷か特定できるか」
「あたくしが掴んでいるのは、奴が都の防衛線を狙っているという事実だけですわ。あとは、そちらの役所仕事でどうにかしてくださいな」
白妙はそれだけ言い残すと、夜明け前の薄暗がりへと姿を消した。
俺は重い足取りで役所へと戻った。果てしない無給労働の予感に、胃の奥が冷たくなるのを感じながら。
窓際部署の薄暗い部屋に戻ると、頼道が分厚い規定集を開いて待機していた。俺は白妙から得た情報を彼に共有する。
「都の防衛線を狙っている……ですか。つまり、これまでの怪異騒動はすべて、結界の要所を破壊するための陽動だったと」
「そういうことだ。葛葉は合法的に、あるいは事故に見せかけて結界を削り取ろうとしている」
俺はため息をつき、腕を組んだ。
ここ数日、俺の元には毎夜のように貴族たちから厄介な怪異案件が持ち込まれていた。
ある夜は、右京の屋敷で「屋根裏に棲みついた鬼が夜通し暴れ回る」という通報を受けた。現場に到着すると、確かに巨大な角を生やした鬼が梁の上で咆哮を上げていた。家主の貴族は震え上がり、陰陽師を呼べと騒ぎ立てていた。
だが、俺にとっては違う。
「家屋への不法侵入および、深夜の騒音被害として処理する」
俺は顔色を変えずに告げると、支給品の分厚い木片を構え、跳躍と同時に鬼の顎をかち上げた。鈍い音が響き、一撃で沈黙した鬼を庭に放り出す。
「な、なんだその野蛮な術は……!」
唖然とする家主に、俺は被害届を差し出した。
「事後処理の書類です。ここに署名を」
またある夜は、「蔵の財宝を食う妖獣」の駆除。これもまた、葛葉が意図的に暴走させたものだろう。蔵の中で金銀財宝を貪る四つ足の獣に対し、俺は「器物損壊および窃盗の現行犯」として実力行使に出た。木片によるフルスイングで妖獣を壁に叩きつけ、浄化という名の物理的破壊を完了させる。
俺はそれらをすべて行政トラブルの延長戦として事務的に殴り飛ばし、淡々と実務を完遂していった。
だが、モグラ叩きのように怪異を処理し続けても、根本的な解決にはならない。
「頼道。過去の怪異発生記録と、現在の被害箇所を照合してくれ。葛葉の狙う結界の要所を特定するんだ」
俺の指示に、頼道は目の前に積まれた木簡の山を見て、絶望的な声を上げた。
「先輩……これ、過去十年分の記録ですよ。本当に私が一人でやるんですか」
「特別手当の申請書は俺が書いてやる。頼んだぞ」
「……分かりました」
頼道は泣きそうな顔をしながらも、筆を執った。彼の適応能力は異常だ。最初はマニュアルにない事態に戸惑っていたが、一度自分の中でルールを構築すると、恐ろしい速度で情報を整理していく。
油灯の頼りない明かりの下、頼道は凄まじい集中力で木簡を読み込み、地図に印をつけていく。筆の走る音だけが、静まり返った部屋に響いていた。
俺はその間、次々と舞い込む新たな苦情の対応に追われていた。伝令が持ってくる依頼書に目を通し、優先順位をつけ、処理方針を決定していく。
「先輩、見えてきました」
数刻後、頼道が声を上げた。その目の下には、俺と同じような濃い隈ができている。
「被害箇所を地図に落とし込むと、見事に都の防衛線と重なります。そして……」
頼道が取り出したのは、一枚の木簡だった。
それは、何度も泰長から差し戻されている、あの小さな怪異事件の始末書だ。
「この始末書の発生源。ここが、結界の最重要拠点の一つに位置しています」
俺は地図と始末書を見比べる。
「なるほど。泰長が意図的に差し戻していたわけではなく、葛葉がこの場所の異常を隠蔽するために、何らかの工作をしていた可能性があるな」
「ええ。そして、次に狙われる可能性が最も高いのも、この場所です」
そこへ、足音を荒らげて伴義清が部屋に入ってきた。
「貴様ら、また勝手な真似を……!」
義清は神経質そうな顔を歪め、俺を睨みつけた。
「小野景継! 貴様、またしても規定を無視した野蛮な真似を繰り返しているそうだな!」
義清は俺のやり方を異端として激しく嫌悪している。
「直ちに業務を停止し、監査を受けろ」
だが、頼道が一歩前に出た。
「お待ちください、伴監査官。こちらの報告書をご覧ください」
頼道が提示したのは、徹夜で作成した完璧な書類の束だった。
「規定集に基づく緊急措置として、適切な呪術的アプローチを用いて処理した記録です。書類上、一切の不備はありません」
義清は書類を食い入るように見つめるが、反論の余地がない。
「くっ……こんなでっち上げが……だが、書式は……」
「不備がない以上、業務停止の理由は存在しません。お引き取りを」
義清はぐうの音も出ず、悔しげに踵を返した。
「やりやがったな」
「……私はいったい、何のために役人になったのでしょうか」
頼道は深くため息をついたが、その顔には妙な達成感が浮かんでいた。無茶苦茶な上司を持った苦労人としての諦観と、書類上の勝利による連帯感。
「よくやった。これで心置きなく実務に戻れる」
俺は地図と始末書を見比べる。
葛葉が次に狙うであろう標的。差し戻され続ける始末書の発生源。
「……中御門大路の、あの廃屋敷か」
「先輩、そこは……」
「ああ。先回りして、書類の決裁をもらってくる」
次に狙われる屋敷の特定と、差し戻され続ける始末書との奇妙なリンク。先回りした屋敷で、果たして何が待ち受けているのか。




