第8話 今日みたいな日が続けばいい
食事を終えて、職場へと戻ってきた。
午後からは、橋本さんから仕事内容を具体的に教えてもらうつもりだ。
「橋本さん、普段はどのような仕事を?」
「普段ですか? えっと……企画資料の整理や編集、顧客やお得意先との業務連絡が多いですね。
あとは、地域のアンケートデータをまとめたり、課長のプレゼン資料を作るお手伝いもします」
「なるほど……」
前の世界で私がやっていたことと大きくは変わらない。
その事実に、少しだけ安心感を覚えた。
「じゃ、じゃあ……まずは、このアンケートの集計から一緒にやりましょう!」
橋本さんは緊張した様子で、
でもどこか嬉しそうにパソコンの前に座った。
私は隣に座り、画面を覗き込む。
「こ、この部分が……ちょっと難しくて……」
「ここは、こうすると早いですよ」
私は自然に手を伸ばし、
データの並び替えや関数の使い方を説明した。
「わ……すごい……! こんなに早くできるんですね……!」
橋本さんの目が輝く。
その表情が近くて、思わず胸が熱くなる。
そのとき――
周囲の女性社員たちがざわつき始めた。
「え……橋本さんの隣に男の人が……」
「距離近くない……?」
「橋本さん、すご……勇気ある……」
視線が刺さる。
でも、橋本さんは気にする様子もなく、
私の説明に夢中になっていた。
「春樹さん、これも教えてください……!」
「もちろんです」
彼女の声は少し震えている。
緊張と、嬉しさと、期待が混ざったような声だった。
私は丁寧に説明を続ける。
すると――
「霧崎さん、すごいわね。
もう橋本さんの仕事、半分くらい理解してるじゃない」
美夏課長が後ろから声をかけてきた。
「ありがとうございます。前の世界……いえ、前の職場でも似たようなことをしていたので」
「頼もしいわ。
橋本さん、いい先生ができたわね」
「は、はいっ……!」
橋本さんは耳まで赤くしながら、
嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、
私は午後の仕事が少し楽しみになっていた。
「霧崎さん、ちょっと来て」
美夏課長に呼ばれたので、彼女の近くに行く。
「あなたには今度の会議のプレゼン資料の作成を手伝ってもらいたいの」
「はい。了解です」
今度の会議の議題は、進行中のプロジェクトの進捗確認のために行われるそうだ。
「えっと、まずは――」
美夏課長はデスクの上から数枚の資料を取り出し、私の前に並べた。
「このプロジェクトの“現状”をまとめた資料よ。
あなたには、これをもとに“改善点”と“次のステップ”を整理してほしいの」
「改善点と……次のステップ、ですか」
「そう。進捗会議では“今どうなっているか”だけじゃなくて、
“これからどうするか”を示す必要があるの。
その部分を、あなたの視点でまとめてほしいのよ」
課長の声は落ち着いていて、
でもどこか期待が込められていた。
「もちろん、橋本さんにもサポートしてもらうわ。
二人で協力して進めてちょうだい」
「はい。頑張ります」
ちょうどそのとき、
少し離れた席から橋本さんがこちらを見ていた。
目が合うと、
彼女は小さく手を振って、
嬉しそうに微笑んだ。
(……午後も一緒に仕事ができるのか)
胸の奥が、ほんの少しだけ熱くなる。
美夏課長は続けた。
「まずは、前回の会議資料を読み込んで。
そのあと、橋本さんと一緒に“改善案の候補”をいくつか出してみてほしいの。
あなたの視点は、きっと役に立つわ」
「了解しました」
課長は満足そうにうなずいた。
「期待しているわよ、霧崎さん」
その言葉は、
この世界に来てから初めて“仕事を任された”実感を与えてくれた。
橋本さんと仕事を始めて数時間が経った。
互いに協力しながら作業を進められたおかげで、予定よりも早く終わった。
定時のチャイムが鳴り、
オフィスの空気がふっと緩んだ。
「今日もお疲れさまでした」
橋本さんが、少し照れたように頭を下げる。
「こちらこそ。いろいろ教えてくれてありがとう」
「い、いえ……!
春樹さんがすぐ覚えてくださるので、私のほうが助かってます……!」
彼女は胸の前で手をぎゅっと握り、
嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、
今日一日の疲れがすっと軽くなる。
美夏課長も近づいてきた。
「霧崎さん、今日はよく頑張ったわね。
明日も橋本さんと一緒に進めてちょうだい」
「はい。よろしくお願いします」
課長は満足そうにうなずき、
先に帰り支度を始めた。
オフィスの外に出ると、
夕方の風が頬を撫でた。
美夏課長と橋本さんと一緒に駅まで向かうことになった。
「霧崎さん、朝、男性専用車両に乗らずに出社してきたわよね」
「そうですね……」
「なにか悪いことが起きるといけないから、次からはちゃんと男性専用車両に乗らなきゃだめよ」
「わかりました。そうします」
三人で駅へ向かって歩く。
夕方の風が心地よかった。
橋本さんとは駅の前で別れることになった。
「では、また会社で会いましょうね!」
そう言いながら、彼女はほんの少しだけ名残惜しそうにしていた。
「はい!」
橋本さんと別れたあとは、
美夏課長と駅のホームで電車を待った。
「私は別の車両で帰ることになるから、ここで別れることになるわね」
「はい」
「今日の仕事はどうだった?」
「そうですね……期待と不安がごちゃまぜになっていましたが、
美夏課長のサポートのおかげでなんとかなりました」
「それはよかったわ。
あなたが出社したときは正直とても驚いたけど、
ちゃんと自分の仕事を全うしててすばらしいと思ったわ」
「ありがとうございます! これからも頑張ります!」
ホームに来た電車の風が、
美夏課長の綺麗な髪を揺らす。
「ではまた会社で」
「そうね、また明日」
美夏課長と離れ、男性専用車両に乗る。
車内に男性はいなかった。
この時間に外出する男性は珍しいのだろうか。
今日の会社のことを思い返す。
今日みたいな日がずっと続けばいいなと思った。
何も特別なことはないのに、ただ会社に行って、誰かと話して、誰かに必要とされる――そんな一日が、こんなに温かいなんて思わなかった。
前の世界では味わえなかった温かさが、胸の奥に残っていた。
(朝読んだラノベの続きを読もうじゃないか)




