橋本透香・第6話 「恋情」
夜風が少し冷たかった。
「今日は楽しかったです」
春樹さんがそう言った瞬間、
胸が跳ねた。
「わ、私も……すごく楽しかったです!」
言ったあと、顔が熱くなる。
春樹さんは少し照れたように笑った。
その笑顔が、胸の奥に深く刺さった。
(ああ……好きだ)
はっきりと自覚した。
グレーだった毎日が、
色鮮やかに変わっていくのがわかった。
(私の空っぽな胸の内を埋めてくれるのは……
春樹さんへの恋情なのかも)
そう思った瞬間、
胸がじんわりと温かくなった。
この日、私は初めて
"恋をしている自分"を受け入れた。
◆
春樹さんと映画を観に行くことになった。
二人きりではないけど、
それでも嬉しくて、
私は目いっぱいオシャレをした。
イタリアでは「運命の人にいつ会ってもいいように」
常にオシャレをするらしい。
その話がファッション誌に載っていて、
すごく素敵だと思った。
(好きな人が私を見たとき、
いつでも"きれい"って思ってほしい)
そんな気持ちで服を選んだ。
映画館へ向かう道。
春樹さんが隣を歩いているだけで、
胸がふわっと温かくなる。
(今日、楽しみだな……)
期待を胸に、
映画館に入った。
◆
席に座ると、
自然と春樹さんの隣になった。
それだけで心臓がうるさくなる。
映画が始まる。
暗闇の中、
スクリーンの光だけが揺れている。
物語は、
"好きになってはいけない相手を好きになる"
そんな切ない恋だった。
登場人物の苦しさが胸に刺さる。
(……なんか、苦しい)
映画のせいだけじゃない。
隣を見ると、
春樹さんは真剣にスクリーンを見つめていた。
その横顔が、
どうしようもなく綺麗だった。
(好き……なんだな、私)
胸がぎゅっと締め付けられた。
◆
映画の中盤。
静かなシーンで、
ふと小さな声が聞こえた。
「……課長、こういうの好きなんですか?」
春樹さんの声だった。
私は反射的にそちらを見た。
美夏課長が、
少しだけ微笑んで答える。
「ええ。こういう"言えない恋"って、心に残るのよ」
「なるほど……わかる気がします」
二人は映画の音に紛れるように、
静かに、
でも親しげに話していた。
(……え?)
胸の奥が、
ちくりと痛んだ。
(なんで……?)
映画の恋の痛みよりも、
目の前の二人の距離のほうが、
ずっと胸に刺さる。
野々花さんが私を見て、
小さく囁く。
「あの二人、いい感じですね……」
「そうだね……」
「なんて言ってる?」
「映画の感想、かな……」
「なるほどね……」
野々花さんも、
あの二人の距離が気になっているようだった。
課長は落ち着いていて綺麗で、
春樹さんと話すときの声が柔らかい。
春樹さんも、
課長に向ける目がどこか優しい。
(やだ……)
その言葉が、
心の中で震えた。
(こんな気持ち、知らなかった)
映画の暗闇の中で、
自分の表情がどうなっているのかわからない。
ただ胸が痛くて、
息が少しだけ苦しかった。
◆
明かりがつく。
「どうでした?」
野々花さんが聞く。
「……胸がぎゅってなるような……」
私はそう答えた。
本当は、
映画よりも"あの二人の距離"のせいで胸が痛かった。
でも、
そんなこと言えるわけがない。
◆
帰り道。
美夏課長が春樹さんと楽しそうに話している。
その距離が近く見えて、
胸の奥がまた痛む。
(……まただ)
昨日よりも、
もっとはっきりとした痛み。
(私……こんなに弱かったっけ)
自分でも驚くほど、
心が揺れていた。
春樹さんが課長の方を向いて笑う。
その笑顔が、
胸に刺さる。
(好きって……こんなに苦しいんだ)
でも――
その痛みの奥に、
確かに温かいものがあった。
(それでも……好きなんだ)
映画の中の恋と同じように、
私の恋も、
静かに、
でも確かに始まっていた。
読んでもらい、光栄です。次からは美夏さん編です。




