橋本透香 第3話 「愛情」
カクヨムで投稿しています。カクヨムで書いていた話をなろうにも投稿しておくかと思って、毎日予約投稿していたのですが、こんなに多くの人が見ているとは思ってもいませんでした。1か月くらいログインしてませんでした。これから今までの話を毎日予約投稿します。
卵白を泡立て、砂糖を少しずつ加えていく。
メレンゲがつやつやしてくると、気持ちも少し落ち着いてきた。
(……春樹さん、どんな顔するかな)
想像しただけで、また胸が跳ねる。
(美味しいって言ってくれるかな……
変な味って思われたらどうしよう……
ああもう、私どうしたの)
自分でも笑ってしまうくらい、落ち着かない。
でも、こんな気持ちになるのは初めてだった。
(好きな人のために作るって、こんなに特別なんだ)
絞り袋に生地を入れ、丸く絞っていく。
オーブンに入れて、タイマーをセットする。
焼き上がるまでの時間が、やけに長く感じた。
(……美夏課長と話してるときの春樹さん、すごく楽しそうだったな)
胸の奥が、ちくりと痛む。
(課長は綺麗だし、仕事もできるし……
私なんかより、ずっと大人で……)
不安がじわじわと広がる。
(私じゃ、だめなのかな)
昼休みに浮かんだ言葉が、また胸を締めつけた。
でも――
「橋本さんのスイーツ、食べてみたいです」
その言葉だけは、嘘じゃないと思いたかった。
タイマーが鳴る。
オーブンを開けると、マカロンは綺麗に膨らんでいた。
(……よかった)
胸を撫で下ろしながら、そっと取り出す。
クリームを挟んで、丁寧に仕上げていく。
完成したマカロンを見つめると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
(明日、渡せるかな……
ちゃんと笑って渡せるかな……)
不安もある。
でも、それ以上に――
(春樹さんに、喜んでほしい)
その気持ちが、私の背中を押していた。
明日が少しだけ怖くて、でも、すごく楽しみだった。
「よし」
会社に入る前に、自分を鼓舞するため、小さく声を出した。
喜んでくれるか不安だけど、春樹さんを思って丁寧に作ったから。
きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら会社に入った。
春樹さんはすでに会社にいた。
「お、おはようございます」
「おはようございます」
春樹さんは仕事の準備をしているところだった。
その姿を見るだけで胸が跳ねる。
「きょ、今日いい天気ですね」
「そうですね。気分が明るくなります」
(わああどうしよう)
バッグの中には、昨日の夜に作ったマカロン。
ただ渡すだけなのに、足が震えるほど緊張していた。
結局このときは勇気が出せなくて、渡せなかった。
(まだチャンスはある!)
そう思いながら、仕事を爆速で進めた。
◆
「あの、お昼いっしょに食べませんか?」
勇気を振り絞って誘うと、春樹さんは自然に頷いてくれた。
二人で食堂に向かう。
「今日はカレーにします」
「私もそれにします!」
一緒に席に着き、私は深呼吸をした。
「あの、渡したいものがあって……」
「ん? 何ですか?」
「えっと、これです」
バッグから、綺麗にラッピングしたマカロンを取り出す。
私が作ったものの中で、最高の出来だった。
「前……私のマカロンを食べてみたいって言ってましたよね?」
「はい」
「私……作ってきました!」
春樹さんには見られていないが、足は震え、手は汗で少し湿っていた。
「そんな……わざわざありがとうございます」
春樹さんはマカロンを受け取り、その場で食べてくれた。
「とても……おいしいです」
その言葉が聞きたかった。
「はい! よかったです!」
(春樹さん……)
目の前で、私の作ったマカロンを食べている。
その光景だけで、胸がいっぱいになった。
「ん? 大丈夫ですか?」
「あっ、大丈夫です!」
顔が熱くなっていることに気づき、慌てて笑う。
「また! スイーツ作ってきますね!」
「……いいんですか?」
「はい! もちろんです!」
春樹さんのためなら、いくらでも美味しいものを作れそうな気がした。
――私は、このとき。
誰かに一部始終を見られていたことに、まだ気づいていなかった。
◆
昨日の夜は、なかなか眠れなかった。
(春樹さん……本当に食べてくれたな……)
思い出すだけで胸が熱くなる。
枕に顔を埋めて、何度も何度も転がった。
(あんなに震えてたのに……
ちゃんと『おいしい』って言ってくれた)
その言葉が、ずっと頭の中で反響している。
◆
翌朝、会社に向かう足取りは軽かった。
空気がいつもより澄んでいるように感じる。
(今日も会えるんだ……)
そう思うだけで、胸がふわっと温かくなる。
会社に入ると、春樹さんはすでに席にいた。
「おはようございます、橋本さん」
「お、おはようございます!」
声が裏返りそうになって、慌てて咳払いする。
(落ち着け私……!)
でも、落ち着けるわけがなかった。
春樹さんは、昨日渡したマカロンの包みをまだデスクの端に置いてくれていた。
(……捨ててないんだ)
それだけで胸がぎゅっとなる。
◆
午前中の仕事は、ほとんど手につかなかった。
資料を見ていても、頭の中は春樹さんのことでいっぱい。
(また作ってきますね、なんて言っちゃったけど……
本当に作っていいのかな……
迷惑じゃないかな……)
不安と期待がぐるぐる回る。
そんなときだった。
「橋本さん、これ確認お願いできますか?」
春樹さんが少し身を乗り出して資料を渡してくる。
距離が近い。
息が止まりそうになる。
「あ、はいっ! すぐ確認します!」
声が大きくなってしまい、周りの同僚がちらっとこちらを見る。
(やだ……恥ずかしい……)
でも、春樹さんは気にした様子もなく、いつもの優しい目で微笑んでくれた。
その瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。
(……好きだ)
ようやく、はっきりと自覚した。
昨日のマカロンは、ただのきっかけ。
本当はもっと前から、私は春樹さんに惹かれていたのかもしれない。
グレーだった毎日が、色鮮やかな毎日へとはっきり変わった。
(私の空っぽな胸の内を埋めてくれるのは、春樹さんへの恋情なのかも……)
その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
◆
昼休み。
私は席を立とうとした。
(今日も一緒に食べられるかな……)
そんな期待を胸に、春樹さんの方を向いたとき――
「霧崎くん、今日の午後の会議の件だけど」
美夏課長が、春樹さんのデスクに立っていた。
二人は自然に会話をしている。
距離が近い。
課長の落ち着いた声が、妙に耳に残る。
(……まただ)
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
でも今日は、昨日よりも少しだけ強い痛みだった。
(私……こんなに嫉妬深かったっけ)
自分でも驚くほど、感情が揺れていた。
春樹さんが課長に向ける柔らかい表情。
課長が春樹さんを見るときの、どこか優しい目。
全部が胸に刺さる。
(……負けたくない)
初めて、そんな言葉が浮かんだ。
自分でもびっくりするくらい、その気持ちははっきりしていた。
(私……春樹さんのこと、本気で好きなんだ)
その瞬間、
胸の奥で何かが静かに灯った。




