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ノイレン〜黒の純真  作者: 山田隆晴
第六部『ノイレンの空』

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84/88

84「なにそれ?」

 3日後の夕方前アデナに着いたノイレンとサフィアはその足でカーツォ商会アデナ支部に出向き、支部長に到着の挨拶をしてから宿へ向かった。

 支部の近くにある造りの立派な構えの建物。サフィアの父カーツォがここへきた時の定宿だ。

「すっげーー。何この部屋。」

 ノイレンに割り当てられた部屋のドアを開けて中を見た途端目を丸めて立ち尽くした。

 今まで見たこともないハイグレードで広い部屋。それまでは一番安い部屋にしか泊まったことがない。しかも宿代を浮かすためにいつもトレランスと同じ部屋だった。それが今回はノイレン一人だけで今までより広い部屋を使っていいときた。

「こんなすげー部屋あるんだ。」

 部屋の隅々まで見て回り、そこに置かれている調度品やふかふかのベッドの寝心地、窓のわきにある机や椅子の作りの良さに感心しまくり。まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のようにはしゃいでしまった。

 ベッドに大の字に寝転がると天井を眺めた。天井の板もそれまでとは違う仕上げの良い代物だ。

「ほんとにわたし一人で使っていいのか、こんな部屋。」

 はっと何かに気づいたようにノイレンはむくっとベッドの上に起き上がるときょろきょろとあたりを見回した。

「もしかしてこれも何かの試験だったりすんのか。」

 油断してたらいきなりサフィアが入ってきて「不合格よ、ノイレン!」なんて言われるんじゃないかと不安になった。そう、サフィアの部屋はこの隣。あまりはしゃいでいるとおそらくその声や物音が聞こえてしまうはず。

 ノイレンは足音を忍ばせて壁に近づきそっと耳をそばだてた。サフィアの部屋からは何も物音がしない。

「寝ちゃったのかな。野宿続きで疲れただろうからな。」

 今回の旅で人生初めての野宿を経験し、思いがけずハイになって寝不足で昼間は馬車の中で仮眠をとるというパターンを繰り返してしまったサフィアは支部長に挨拶している間も眠そうにしていた。

「それにしても腹減ったな。何か食べに行こう。」

 ノイレンはサフィアの部屋へ行くとドアを三回ノックした。返事がない。もう一度ノックしてみたがやはり反応がない。念のためドアノブを回してみるが鍵がかかっている。

「サフィア? 腹減ったからなにか食べに行こう。」

 ドアの向こうに呼びかけるもやはり返事がない。

「しかたない。一人で食べに行くか。」

 依頼の報酬は事後払いのためまだ貰っていないが、ロンチャウの仕事をこなすようになってからのノイレンは常にある程度の現金を持ち歩いていた。

 宿の外へ出たノイレンは通りを右に進んでいった。以前この街に来た時とはまったく別の地区だから道に不案内でどこに何があるのかわからず宿の人に一番近い酒場を教えてもらっていた。


 酒場に近づくと中の賑やかさが漏れ聞こえてきた。ノイレンの心がほっこりした。自分がいていい場所、そこへ帰ってきた気がする。

 中へ入るとまっすぐにカウンターへ向かった。そこにいる店主らしき男性のもとへいくと向こうから声をかけてきた。

「いらっしゃい。見ない顔だな。」

「ああ、今日アデナに着いた。」

 両手をカウンターについてにこやかに答えるノイレンへ店主は頭の上からブーツまでジロリとその視線を這わした。店に受け入れていい客かどうか見極めているようだ。

「剣士か。アデナには何しに?」

 ノイレンは右手の親指を立てて店の外を指さした。

「護衛だ。そこにあるカーツォ商会の会長の娘、サフィアのね。」

 カーツォ商会の名を出した途端店主の態度が軟化した。

「そういうことは早く言ってくれ。カーツォ商会にはいつも世話になってる。ところでサフィアは来ないのかい?」

「疲れて寝ちゃってるみたい。声かけたけど返事がなくて。」

「そりゃしかたない。次は連れてきてくれよ。歓迎するぜ。」

「ありがとう。言っとくよ。」

「さあ注文はなんにする? なんでも言ってくれ。」

 店主は口角を上げてノイレンを受け入れた。

「とりあえずビールをくれ。」

 剣士として仕事をするようになってからノイレンは相手に舐められないよう酒場ではビールを頼むようにしていた。まだあまりその味に慣れていないがちびちびならなんとか呑める。ベストのポケットから半分に割れた銀貨を一枚出してカウンターに置いた。店主はそれを見るとジョッキに注いで出してくれた。

「あいよ。」

「いい感じの店だね。こういう店わたし好きだ。」

 客たちは誰も彼も皆和気(わき)藹々(あいあい)として酒を酌み交わしている。店内の一角に一段高くなったステージが設けられていてその端で演奏係がリュートやフィドルで陽気な曲を奏でている。それを和やかな眼差しで眺めつつノイレンがぽつりと店主に伝えると彼はにっこりした。

「ありがとうよ。お嬢さん酒場が好きなんだな。」

「まあね。これでも普段はシャルキーズカバレって店で給仕とダンサーしてんだ。」

「シェヒルにある店かい?」

「知ってるの?」

 ノイレンは驚いた。

「すまんがその店は知らない。でもカーツォ商会といえばシェヒルに本部があるだろう。」

「ああそっか、それで。」

 ノイレンは納得した。

「ところであんたダンサーしてるって言ったな。よかったらうちでも踊っていかないか? いや、うちで雇ってる子が風邪で寝込んじまってね。」

 店主の申し出にノイレンの目が輝いた。

「いいの?! でも衣装持ってきてないからこの恰好で剣舞しか出来ないけど。」

「衣装ならうちの子のやつが裏に何着かある。使っていい。」

 ノイレンはにっこり両方の口角を上げてうんうんと頷いて一つ質問した。

「ダンスのあとみんなに挨拶回りしてもいい?」

 これだけで店主はノイレンの狙いを察した。

「チップは半分貰うよ。衣装代としてな。」

「かまわないぜ。」


 ノイレンは控室へ行くとそこにあるダンス衣装を物色した。ワインのような深い赤色のもの。恥ずかしさがよみがえってくる菜の花のような鮮やかな黄色の衣装。ラクスが好きそうな淡い桃色など数着あった。

「これにしよ。」

 その中からノイレンはスプリンググリーンの衣装を選んだ。サフィアの部屋で見たカーテンと同じ色だ。肩だしのワンピース風で、ブラカップは谷間がよく見えるように深く切れ込みがあり、ウエスト部にはベルト下から大胆なスリットが左右に入っている。スカート丈は短く膝が隠れる程度。それに透け感の強いケープを肩に巻くことでデコルテと胸元をチラ見せするような効果が生まれる。

「こりゃいいや。おっさんたち喜びそう。」

 試着したノイレンは少し動きまわってみて、その衣装の妖艶さが気に入った。ただ一つ問題が。

「ちょっとカップが大きいな。かがんだら見えちまうかも。」

 指でブラカップの先端をつまんでそこに包まれているものを覗き込んだ。

「ま、いっか。かがまなきゃいいだけだし。これならたっぷりチップ入るじゃん。」

 ここでも踊れることと、小遣いを稼げるという喜びのほうが(まさ)った。


 フィドルの高い音色が陽気に響くなかノイレンは踊り始めた。古いバイオリンであるフィドルはカバレで使われているシトール(古いギター)よりも高い音色を奏でる。ノイレンはいつもより軽やかな感じの音色とリズムに合わせて即興でステップや体の動きを速く、小刻みにして踊った。

 店を埋め尽くす客たちは初めて見るダンサーのリズミカルなダンスに魅了された。しかもその動きに合わせて谷間がよく見える深い切れ込みがときどき浮く。するとそこに隠されているふくらみがちらちらと垣間見える。

「いいぞ、姉ちゃん!」

「ひょお~、最高だぜ。」

「酒が進む~、おかわり早くくれ。」

 客たちは思い思いにノイレンのダンスを楽しんだ。店主は予想していたよりも盛況で客たちの評判がいいことにほっくほくになり、いつにない忙しさで笑いが止まらなくなった。

 ダンスの終わりにノイレンはくるんと一回転して足をそろえると左足を一歩下げて膝をかるく曲げ、カーテシーで締めくくった。それまでの目の保養たっぷりのダンスが上品な仕種によって昇華されて見え、客たちは大道芸とは違う高級な出し物を見た気がした。

 端からあいさつ回りをすると皆上機嫌でノイレンと言葉を交わし、デレデレする者、()()()()接触に期待しチップを挿し込んでくる者、これからも踊ってくれと勝手にこの店にスカウトする者までいた。

「ありがとう。」

 ノイレンは満面の笑みで客たちの間を縫って歩く。歩が進むたびにその胸元の隙間が埋まりぴったりフィットしてくる。

『こういう緩い衣装もいいもんだな。』

 チップでキツくなってきた胸元を覗き込んでほくほくな笑顔になった。



 翌朝ノイレンはいつも通り走り込みに出かけ冷たく澄んだ空気の中を駆けていく。白い息が早朝の清々しさをその目にも感じさせる。ノイレンは爽やかな気分でアデナの街並みを眺めた。

 宿に戻るとノイレンの部屋のドアに肩をもたれかけたサフィアが待っていた。

「おはようサフィア。」

 走っていた時そのままの爽やかな笑顔で挨拶するノイレンとは対照的にサフィアは不満気味だ。

「どこ行ってたのよ。」

「走ってきた。毎朝走ってんだ。」

「ふうん。それは分かったわ。でもそういうことは前もって言っておいてよね。どこ行っちゃったかと思ったじゃない。」

「ごめん。ね、よかったら明日からサフィアも一緒に走らない?」

「いやよ。」

 ノイレンが笑顔で提案するとサフィアは即答した。

「あはは・・・」

 ノイレンはどこかで聞いたセリフだなあと笑顔が引きつった。

「走ると気持ちいいんだけどなあ。」

「それよりおなか減ったわ。朝食に行きましょ。」

 サフィアはすたすたと歩いていった。


 朝食を済ますと二人は支部へ出かけた。

「あなた読み書きできるんでしょ。仕事手伝ってもらうわ。」

「ええ?! 私の仕事って護衛じゃないのかよ。」

「もちろん私の護衛よ。でもあなたとはコンビなんだから私の仕事を手伝ってもいいじゃない。」

 サフィアは何かといえば”コンビ”を強調している。けれどもノイレンにはコンビがなんなのか分かっていない。

「あのさ、コンビって何? トンビなら知ってっけど。」

 サフィアは何もないところで蹴っつまづいて転びそうになった。

「そうね、あなたがわかりそうな言葉で言うなら”相棒”ってとこね。」

「ああ! 相棒か。それならそうと言ってくれよ。」

 ノイレンは納得して一人頷いた。サフィアはそれを見てほくそ笑んだ。


 (うずたか)い書類の山と数冊の帳簿が目の前に現れた。ノイレンとサフィアはテーブルを挟んで向かい合っているはずなのに相手の顔が山の間から垣間見える程度で目を合わせることも困難だ。

「なに・・・これ。」

 ノイレンは圧倒されてそれしか言えなかった。

「まずはその帳簿と一枚一枚の書類の項目と数字が合っているか確かめて。それが終わったら帳簿の計算が間違っていないか検算して。」

「けんざん?」

「帳簿の数字を全部足して、そこに書かれている合計が正しいかどうか確かめるのよ。それならあなたにもできるでしょ。」

「こんなたくさんの数字、どうやって計算するの。私の頭じゃ無理だよ。」

「馬鹿ね、誰も暗算しろなんて言ってないでしょ。これを使うのよ。」

 そう言ってサフィアは長細いものを取り出した。丸い珠をいくつも刺してある細い棒が均等に何本も並んでいるものだ。長方形の木枠は真ん中より上寄りにある仕切りで2つのエリアに分けられていて、上には珠が2つ、下には珠が5つある。

「なにそれ?」

「これは東方の国で使われている計算機スワンバンよ。慣れるとアバカスより計算しやすいわ。東方と交易している隊商(キャラバン)に頼んで取り寄せたの。」

「ソロバン?」

「スワンバンよ。」

「ふ~ん。」

 ノイレンはサフィアが自慢げに掲げるスワンバンの珠の隙間から彼女の顔を覗き込んだ。

「仕方ないわね、計算は私がやるわ。あなたは書類との整合をして。」

 スワンバンをテーブルに置くと横にあった書類の山と帳簿を2冊ノイレンのほうに押してよこした。

「えっ?!」

「私が計算するんだからそれもやってよね。」

 ノイレンはぷうとリスのように頬を膨らませた。


 この部屋にはノイレンとサフィアの二人だけ。静けさの中に紙や薄い木板(もくばん)が擦れる音と帳簿をめくる音が時折する。それを味付けするようにパチパチと小気味よいリズムが響く。サフィアがその指で弾くスワンバンの珠が立てる音。それを聞きながら書類と帳簿の照らし合わせをしているノイレンは、スワンバンの珠が奏でるそれが耳に心地よくて足でリズムを刻んだ。

「ちょっと、さっきからなに貧乏ゆすりしてるのよ。はしたないからやめなさい。」

「び、貧乏ゆすりじゃねえ!」

 ノイレンはぷうとリスのように頬を膨らませて抗議する。

「その、ソロバンとかいうやつの音が小気味よくてダンスしてるみたいだからつい、」

「へえ、これがダンスねえ。そんなこと言った人あなたが初めてだわ。」

 サフィアはノイレンの言葉が面白くて感心した。

「もしかしてあなたダンスできるの?」

「まあね。」

 ノイレンは人差し指で鼻をさすった。

「じゃあ社交界にも行ったことあるんだ。」

「なにそれ?」

 サフィアは頭がこんがらがってきた。

「ちょっと待って、社交界じゃなきゃ、どこでダンスするのよ。」

「酒場。」

 サフィアは鳩が豆鉄砲を食ったように目が点になった。

「酒場でワルツ? どういう酒場よ。」

 今度はノイレンの目が疑問で点になった。

「ワルツってなんだ?」

「はい?」

 ようやく二人はお互いの話がかみ合ってないことに気づいた。

「実は昨夜(ゆうべ)、サフィアが寝ちゃってるようだからわたし一人で近くの酒場に行ったんだけど、そこで店のおっさんに頼まれてダンスしてきた。みんな盛り上がってくれて楽しかったよ。」

 ノイレンは昨夜のことを思い出しながらにっこりと話した。

「ちょ、ちょっと待って。なにそれ。女が一人で酒場に行った? ダンスした? あなたなに危ないことしてんのよ!」

 サフィアはテーブルにばんっと手をついて立ち上がるとものすごい剣幕で怒った。しかしノイレンはきょとんとしている。

「サフィア、なに怒ってんの? 酒場って楽しいし、ダンスも楽しいよ。」

「私が言ってるのはそういうことじゃないわ。あなたのような年ごろの女が夜に一人で出歩くなんて。しかも酒場なんてガラの悪い男だっているでしょう。」

「大丈夫だよ心配ない。昨日のお店はわたしが働いてるお店とおんなじで気のいい人たちばっかりだったよ。」

 サフィアは呆れて右手を顔に当てるとうつむいて黙ってしまった。ごにょごにょとなにか考えこんでいるようだ。しばらくするとおもむろに口を開いた。

「今後一人で夜に出かけるのは禁止します。命令よ! 護衛のあなたにもしものことがあったらどうするの。」

「ええーーっ、なにそれ!?」

 ノイレンは驚きのあまり開いた口が塞がらない。

「当たり前でしょ。ここはアデナなのよ。シェヒルよりもずっと大きい街なの。その分様々な人がいるの。いくらあなたが剣の達人でも男たちに囲まれたら太刀打ちできないでしょ。」

「いや、それくらいは・・・」

 一対複数での実戦経験もあるノイレンには大したことではないのだが、サフィアはそれを知らない。

「とにかくダメよ。いい? これは依頼主である私からの命令。」

 ノイレンはぷうとリスのように頬を膨らませてサフィアを睨んだ。

「フグになって睨んでもダメ。あなたのためでもあるんだから。」

「じゃあサフィアも一緒に行こうよ。二人でならいいでしょ。」

「!」

 サフィアは言葉に詰まった。なぜなら商会の付き合いで大きな取引先と会食もあり得るからだ。その場合相手の都合によっては夜になることも。

「し、しかたないわね。」

 サフィアはそう答えながらもなんとかノイレンが酒場に出入りするのをやめさせようと考えた。

次回予告

4年ぶりのアデナでよい酒場に巡り合ったノイレン。ひとりで出歩くことをサフィアに禁じられたノイレンはなんとかしてサフィアを酒場に連れ出そうとする。根負けしたサフィアは行ってみたい店があると、ライバル商会が経営する酒場へノイレンを連れて行った。そこでノイレンはあるものを目にし、また、得意のダンスで喝采を浴びるのだった。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第八十五話「やるようになったねあの子。」

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