81「最期に笑って死ねるように。」
ノイレンは信じられなかった。
彼女にとってその言葉は決して聞くことのないものだと信じ込んでいた。
「師匠が死ぬ」
そんな馬鹿なことがあり得るわけがない、少なくとも自分が生きてる間には起こり得ないものだと心のどこかで思い込んでいた。
「なんで、どうして? なんで師匠がそんなことに・・・」
ノイレンは取り乱してアニンの両腕にしがみつき必死なまなざしで食い下がる。アニンの目を見つめるノイレンの瞳に悲しみと怒りが渦巻いているのが分かった。
「私のせいですわ・・・」
アニンは目を伏せ、暗く落ち込んだ表情でぽつりと言った。アニンはとても辛そうな顔をしている。
「あのとき、公爵の伯父様が私を妾に所望なさったときに、私が先生を頼ってここへ逃げて来さえしなければ・・・。こんなことにはならなかったんですもの。」
アニンはノイレンが帰ってくるまでずっとそうやって自身を責めていた。とても悲しそうな色を浮かべたその表情にノイレンは別の怒りを覚えた。
「違う! おばさんは悪くない!」
ノイレンはまっすぐにアニンの目を見つめ、自身を責める彼女を擁護した。
「優しいのね。でも私が来なければ先生が追手と戦うこともなかったわけだから、やっぱり私が先生をここまで追い込んでしまったのよ。」
それでもアニンはやはり自分を責め続ける。そうでもしないとこの現実を彼女も受け入れられないとでも言うように。
「それは違うよ! おばさんはちっとも悪くない。悪いってんならわたしのほうだ。」
ノイレンの意外な言葉にアニンは目線を上げた。
「どういう、ことですの?」
「わたしは、わたしは、師匠が脇腹をさすってるのを知ってて、ドクターに何も言わなかった。」
ノイレンはぎゅっと目を閉じ激しく後悔に苛まれた。ドクターがトレランスに「痛みが別の場所に移るようなら知らせろ」と言っていたのを聞いて知っていたのに、師匠がなんでもないと言うからってそのまま放置してしまった。自分のその甘さを今更ながらに責めた。
「そんなの、先生が何ともないと言えばあなたがそれ以上どうこうできるものではないじゃないの。あなたは悪くないわ。自分を責めないで。責めを負うのは私なんだから。」
アニンはノイレンを包み込むように抱きしめるとそう言って慰めた。
「違う! 違う! わたしが悪いんだっ。」
ノイレンはアニンの腕の中で首を激しく振る。それをアニンはぎゅっと受け止めた。ノイレンは悔しくて悔しくて、でもそこからくる怒りをどこにぶつけていいのかわからずもどかしさに身悶えした。
アニンの脳裏にドクターとのやり取り浮かんできた。それはちょうどノイレンが白豚イケメンを退治した頃のこと。それまで時折脇腹がちくちくするとさすっていたトレランスはカバレでいつものように店内に目を光らせていた時急に胸を押さえて膝を床に着いた。彼のうしろでその広い背中を肴にビールをちびちび飲んでいたアニンは慌ててトレランスを支え、助けを呼んだ。そして常連たちに担がれてドクターのもとへ運ばれた。
一通りの診察を終えたドクターはトレランスを一喝した。
「なぜもっと早くわしんとこへ来なかった、このバカものが!」
怒りながらもドクターの目は悲しみを湛えている。
「膝の痛みが他所へ移ることがあったら知らせろと言っておいたろうが。あれほど言ったのにお前というやつは・・・」
「すまないドクター。そんな大したことなかったもんでな。つい、」
トレランスは患者用の椅子に座ったまま頭を掻き掻き言い訳した。
「”つい”じゃないわい! お前は医者じゃなかろう、素人に何がわかるってんだ。」
ドクターは自分の机を拳で叩いた。その怒りは収まらない。
「あの、ドクター、それはどういうことですの?」
店からずっと付き添ってきていて診察している間もトレランスのそばにいたアニンはドクターの剣幕にただならぬものを感じ、恐る恐る尋ねた。ドクターはアニンの顔を見ると一つ深呼吸してから彼女の目をまっすぐに見つめた。
「覚えとるか? このバカがお前さんを追ってきた輩と戦って矢で射られた時のことを。」
「もちろんですわ。私はトレランスのおかげで今こうしていられるんですもの。」
「実はな、バカの胸に刺さった矢を抜いたとき鏃が欠けていてな。探したんじゃが、その欠片は見つからんかった。」
アニンの心に不吉な稲妻が落ちた。
「まさか・・・」
「そうだ。だからわしは体のどこかに痛みが出たら、痛みが移ることがあったら教えろとこのバカに言っといたんだ。それなのに・・・」
ドクターは以前トレランスが膝をさすっていた時に無理にでも足を切断してしまえばよかったと後悔した。
「痛みが脇腹にある時ならまだしも、胸に上がってきたんじゃもうわしの手には負えん。いくらわしでも胸を掻っ捌いて欠片を取り出すことはできん。」
アニンはトレランスの膝に崩れるようにすがり、後悔に染まった悲しみのまなざしを彼に向けた。
「申し訳ありませんっ! 私のせいで先生が・・・。お詫びのしようもございません。」
「嫌だなあ、何を言ってるんですか、アニンはこれっぽちも悪くない、気にしないでください。」
トレランスはニカっと笑ってアニンを笑わそうとした。しかしアニンは体を小刻みに震わせて顔を伏せた。
「私のこの命を先生に差し上げることができれば・・・」
その頬を冷たい涙が伝う。しずくとなった涙は滴り落ちて診察室の床をみるみる濡らしていく。
「泣かないでください。あなたに泣かれると俺もいたたまれなくなる。ドクターの言うことを聞かなかった俺がいけないんですから。」
トレランスは申し訳なさそうにアニンの左肩にその大きな手をぽんと置いた。
「そうだ、悪いのはお前だ、この大バカもの!!」
ドクターは悲しみのこもった声で一喝するとアニンに向かってお願いをした。
「アニン、すまんがこのことをノイレンに知らせてくれ。正直なところこのバカがあとどれだけ持つかわしにもわからん。もしもあの子が留守の間になんてことがあればわしは一生あの子に顔向け出来ん。」
こぼれる涙を手で拭いながらアニンが返事をしようとするとトレランスが強い口調でそれを遮った。
「悪いがそれはやめてくれ! もしノイレンが知ったら間違いなく仕事を放り出して戻ってくる。そんないい加減なことをノイレンにさせるわけにはいかない。」
「お前が言うな、大バカもの!」
ドクターがまたまたぴしゃりとトレランスを叱りつけた。
「いいや、いくらドクターの頼みでもこれだけは聞くわけに行かない。ノイレンは今独り立ちするための大事なときなんだ。俺のことにかまけてる場合じゃない。」
ドクターの目をまっすぐに見てそう言ってから膝元に頽れているアニンの肩をもう一度ぽんと叩いた。
「アニン、頼む。ノイレンには知らせないでくれ。俺の最後の頼みだ。」
アニンは今自分の腕の中で悲しみと怒りに身もだえしているノイレンをぎゅっと抱きしめた。
ノイレンはこみあげてくる涙を必死にこらえて自分を責めることでやり場のない感情を押さえようとした。
「わたしがあの時ドクターに伝えに行っていれば。」
「いいえ、私がいけないのよ。あなたは悪くない。」
アニンもノイレンの自責を否定し、罪は己にあると主張した。
「おいおい、さっきからそこで何を言い争っているんだ。」
トレランスが起きてきてドアのところに顔をのぞかせた。
「先生。」「師匠!」
アニンがトレランスをベッドに戻そうとするのを両手をかざして制止すると二人の目をじっと見つめた。
「俺は剣士だ。仕事とはいえ人を殺めることもある。それゆえに教会から異端視されている。でも俺はずっとそういう生き方をしてきた。だからその最期がどんなものであったとしてもそれは全部俺が自分で選んできたことなんだ。俺はいつでも覚悟はできてる。二人がお互いに罪を奪い合うことはない。すべては俺自身の責任だし、俺の運命だ。」
「でも先生、」「師匠、」
トレランスは再び二人の前に手をかざした。
「アニンのことが本当に迷惑なら初めから助けたりしないし、ここに置いておくこともしてない。」
アニンの目を見て話す彼の表情は真剣だ。彼女に有無を言わせない迫力がその瞳にこもっている。トレランスはその目を今度はノイレンに向けた。
「俺はノイレンの師匠だ。師匠である以上剣士としての生きざまも俺には教える義務がある。同じように弟子であるノイレンには俺の生きざまを見届ける義務がある。最後まで決して目を逸らすな。」
複雑な感情をその心に抱えつつ、それでもノイレンはまっすぐにトレランスの目を見つめ返して返事した。
「はいっ!」
トレランスはその表情を見つめるとにこやかに頷いた。
「ノイレンちょっと来てくれ、話がある。」
トレランスはそう言うとノイレンを部屋に入れた。アニンはドアのところで一人立ちすくむ。思うように動かない左腕がもどかしい。
「話って何。」
トレランスはベッドに腰かけると目を閉じて深く息を吸い、吐いた。欠片のせいで頭がぼうっとする。
目を開けるとノイレンが腰に提げているネオソードのオレンジ色の石に視線を移して感慨深げにそれを見たあと彼女の目を見た。
「俺がその剣を師匠から受け継いだ時一緒にもらった言葉があると言ったろう。」
「うん。」
ノイレンは頷いた。
「今のうちにそれを伝えておく。しっかりと心に刻んでほしい。」
トレランスはまっすぐにノイレンの目を見つめている。ノイレンはじっとそれを受け取り師匠の言葉に耳を傾けた。
「俺の師匠が言うにはなんでも400年に一度『魔』が甦って人々の心を試すんだそうだ。そしてその『魔』を打ち祓えるのは世界に4本の聖剣だけ。そのうちの一本がそれだ。」
トレランスは目で指し示す。ノイレンは両手でネオソードを持ち上げてオレンジ色の石を見つめた。
「これが?」
「ああ。」
「それで、あとの3本はどこにあるの? 『魔』ってやつはいつ甦るの?」
ノイレンは半信半疑ながらも師匠の言葉を受け取り尋ねた。
「それは俺にもわからん。師匠も知らなかった。だから、ここからが大事だ。」
トレランスは真剣な表情でじっとノイレンの目を見つめた。片目は黒い眼帯で覆われているのにノイレンには彼の両目で見つめられている気がした。ノイレンは目を逸らすことができない。目線を動かすこともできない、そう感じた。それだけ強い意志を持って見つめられている。今目を逸らすことは師匠を裏切ることと同じ、そういう感覚に囚われた。
トレランスの脳裏に遠い昔師匠から言われた言葉が鮮明に浮かび上がった。
『トレランス、お前にはお前の人生がある。来たるべき日が来るまでは己の人生を悔いなく生きろ。いいか宿命のために人生を無為に過ごすな。そしてその日が来たら懸命に戦え。でないとお前はその命を全うするときに後悔するぞ。』
トレランスはその言葉をなぞるようにノイレンに語った。
「ノイレンにはノイレンの人生がある。”その日”が来るまでは自分の人生を精一杯悔いなく生きろ。いいかそんな宿命のためにノイレン自身の人生を無為にするな。そしてもしもその日が来たなら懸命に戦え。ノイレンの全てを懸けて戦え。最期に笑って死ねるように。」
そうしてトレランスは穏やかな笑顔を浮かべた。ノイレンはその言葉を受けて初めて自分の人生について考えた。
『最後に笑って死ぬ』
その重みがノイレンの心の底にどっしりと居座った。
「師匠、」
「この話はこれで終わりだ。あまり気にするな。気にしすぎると息苦しいからな。」
トレランスはノイレンを気遣ってか、ニカっと笑って今までの重さを一気に吹き飛ばした。
「さあて、ノイレンも帰ってきたことだし、今夜はごちそうにしよう。」
自分で作るわけでもないのにトレランスは嬉しそうにあれこれ献立を考え始めた。
久々に3人で囲む食卓。少々気まずい。アニンは黙りこくったまま静かにスープをすすっている。ノイレンはトレランスの顔色をうかがいながらパンをスープに浸す。そのトレランスは身体が弱っているそぶりも見せず美味そうにスープに浸したパンを口いっぱいに頬張っている。
「今日のスープは一段と美味いなあ。これはどっちが作ったんだ?」
トレランスはわざと陽気に振る舞いにこやかに訊いた。しかしノイレンとアニンは二人とも答えない。しんとした空気が流れる。
「なんだよぅ、教えてくれてもいいじゃないか。せっかく美味いって褒めてるのに。」
トレランスは二人の顔を順に覗き込むように見て口を尖らせた。
「わたしだよ。」
ようやくノイレンが口を開いて答えた。
「そうか、ノイレンが作ったのか。どうりで野菜の切り方がでかいわけだ。あはは。」
トレランスのそのにこやかさが二人にはわざとらしくて、ノイレンとアニンは痛々しさしか感じない。
「じゃ、じゃあ明日の朝は私が作りますわね。野菜は食べやすいよう小さく切りますわ。ついでにパンも焼きましょうか。それでなにかサンドでも、」
アニンはかつて作っては無理やり食べさせていたサンドをまた作ろうかと言いかけた。
「それはいい! あの時食べたサバサンド美味かったなあ。」
トレランスは嬉しそうに話すが、二人には彼が無理に明るく振る舞っているのが分かってしまうから心から喜べない。
ノイレンとアニンにとっては味のしない夕食になった。
数日が経ったある日。ロンチャウのくだらない依頼をこなしたノイレンはその足でシャルキーズカバレへ向かっていた。
ノイレンの頭の中ではトレランスから聞いた言葉が何度も浮かんできてはその心をざわつかせていた。
「『魔』が蘇る。これが聖剣。いつその日が来るかわからないから人生を楽しめ。」
何度考えてみてもノイレンにはそれが代々受け継がれてきた真実とは思い難かった。それこそ師匠が自分にネオソードを大切にさせるための口から出まかせのように思えた。だって今まで師匠は一度もそんなことを口にしたことはなかった。師匠がそんな宿命を背負っていたのなら一度くらいそれを聞いてたって不思議じゃない。それが病を得、死に瀕したときになって言うなんて、病人の世迷言に思えても仕方ない。
「なんだかんだ言っても、つまりはこの剣を大事にしろ、そんでわたしの人生をしっかり生きろって言いたいんでしょ。」
ノイレンはそう解釈した。
ノイレンは馬の背で漠然と考えている。日が傾いて色が変わってきている空を眺めた。
「わたしの人生って、何?」
ノイレンはあれから己の人生というものを生まれて初めて考えるようになっていた。
「わたしってこれからどう生きていくの。どう生きていけばいいの。」
ノイレンは馬さんの背に揺られながら自問自答した。
「師匠の右目となって、師匠の分も働くことが自分のやることだと思ってた。でももし師匠が・・・だら、わたしどうすれば・・・」
そんなことは考えたくもないが、目を逸らすわけにはいかない。最後まで見届けると師匠と約束した。
「そしたら、わたしはカバレでダンサーして、シャルキーの相棒みたいにしていくの? 師匠の代わりに用心棒する? それもいいかも。」
ノイレンにとってはトレランスをはじめカバレに集う人たちがいない世界を想像することができなくなっていた。そこを離れてまた独りになって生きていくことなんてあり得ないとさえ思える。
「師匠やシャルキーってどうやってここに辿り着いたの? アニンはどうやって騎士団に入ったの?」
彼らの生きてきた道を想像した。そして今までに立ち合った剣士たちのことを思い返した。
「あの人たちはどういう生き方をしてきたの。今はどうして生きているのかな。」
ふとセイベルのことが頭をもたげた。
「彼女はどうしているだろう。私に右目を斬られて、それでもまだ掃除屋を続けているのかな。それとも・・・」
そこまで考えると6歳で死に別れたお母さんに思いを馳せた。ついでに憎たらしいボラチョンも思い出した。
「お母さんの人生ってどんなだったんだろう。あいつは?」
ノイレンは悲しくなって項垂れた。馬さんのたてがみに顔をうずめるようにして目を閉じる。
「ひひん?」
馬さんはその視界の広い目でノイレンの様子を受け止めながらぽくぽくと歩を進めていく。
「ね、馬さん。わたしこれから、どうすればいいのかな。」
項垂れたまま馬さんに問いかけた。
「ぶるんっ。」
馬さんは鼻で息を吐くと大きく頭を上下に一度振ってぽくぽくと歩き続けた。ノイレンは頭を上げると手綱を握りながら馬の耳をうしろからじっと見た。
『前を向け』
そう言われた気がした。馬さんの耳はずっと前を向いている。ノイレンが話しかけた時ちらりとうしろに向くがそのあとはすぐに前に向き直る。
「前を向いてたら、なんかわかる? 馬さん。」
馬さんの耳がぷるんと揺れた。
カバレに着くと考えている暇などないほどに忙しかった。
「おう、ノイレンおかわりくれ!」
「嬢ちゃん、腸詰てんこ盛りな。」
「今持ってくから待ってろ!」
「ノイちゃん、今日のおすすめはなんだにか?」
「今日も全部おすすめだよっ。」
ノイレンは懸命に働いた。
次回予告
想像もしていなかった現実を突きつけられたノイレン。ネオソードにまつわる言葉をノイレンが受け継いでからわずか2週間。ロンチャウから再び泊まり込みでの護衛の仕事を依頼される。ノイレンは悲しみの淵に沈み込みながらも自身を奮い立たせて旅立つことを決心する。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第八十二話「献杯!!」




