1「出来はいかがでした?」
腰にズシリとくる、生まれ変わった剣の存在感が嬉しい。馬さんの背に揺られながらノイレンはうきうきと心が弾んだまま五日の道のりを戻ってきた。
ナディアとサフィアの執務室の前。扉を開ける前に緩んだ頬を掌でパンパンと叩いて引き締めた。
「ただいま。」
元気よく中へ入るとサフィアが笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさいノイレン。」
「剣を直してもらうのに時間がかかって遅くなっちまった、すまない。」
部屋の中央にある応接卓のソファに腰を下ろして、ニカっと姉妹にあいさつしたノイレンにナディアは単刀直入に訊いてきた。
「それで黒髪、会長はどうだった?」
「さあ。」
ノイレンのそっけない返事にナディアはムっとした。
「さあとはなんだ、さあとは。手紙と髪をちゃんと会長に渡したんだろうな。」
「渡ったと思うぜ。」
「思う? どういうことだ。」
「わたしが生きて現れたもんだから慌てたんじゃねえか。門前払い喰らったよ。」
ナディアは舌打ちした。
「使えないやつだな。せっかく私が名案をしたためさせたというのに。」
「あれな、いいんじゃねえか。隊商を抱える事業を担ってあんたはわたしと一緒に独立。そんで支部は今まで通りに戻って、サフィアが支部長として切り盛りするとなりゃ親父さんも安心するだろう。そうすりゃわたしを狙う理由もなくなるしな。」
「だから、どうなったかきちんと結果が知りたかったんだ。それを、」
ナディアは机に手をついて立ち上がり、ソファに体を預けているノイレンの横顔に棘のある視線を投げつけた。
「まあまあいいじゃないの姉さん。私の髪を見れば姉さんのアイデアが嘘だとは思わないでしょ。これで父さんを誤魔化せるのは間違いないわ。」
応接卓を挟んで向かいに座っているサフィアが右手首をパタパタさせて、憤る姉をなだめた。ノイレンが出かける前より元気が出てきている。
「目下の急務はなんとしてもこの事業を軌道に乗せて支部を大きくすることよ。それまでは父さんたちに真実を気付かれないようにしないとね。」
サフィアは父母に対する考えを少し変えたようだ。彼女の目つきが変わっていた。ノイレンはソファから執務机越しに彼女を見上げるように見つめてこっそり口角を上げた。
戻ってくるのに時間がかかったこともありすでに月が替わっていた。ノイレンの十九歳の誕生日も近くなっていた六月の少し蒸している日だった。
月が替わって七月半ば。
暑さで空気が膨らむせいだろうか、秋に比べて空が低く感じる。
相変わらずノイレンは自分の誕生日をスルーしていた。誰かに訊かれても適当にはぐらかして教えようとしない。そうして十九歳になっていた。
もうすぐ二番隊が戻ってくる。そうしたらアミラン隊の出発だ。ノイレンは旅の準備を済ませた。
「ノイレン、あなたまたダンス衣装しか持っていかない気ね。」
サフィアは呆れ顔で嫌味を言った。
「うるさいな、わたしの勝手だろ。」
何度も同じことを言われて辟易しているノイレンは鬱陶しそうに答えた。それをサフィアはジト〜と横目に眺めて口を尖らせる。ところが自ら髪を切ったせいでベリーショートになっている彼女はどうにも見慣れない。それがそんな目で見つめてくると、別の誰かに蔑視されているようでノイレンは余計に腹が立った。
「なんだよ、わたしの荷物のことなんかほっといてくれよ。隊商の仕事に障ることなんかないじゃん。」
「あなた、そんなんだから浮いた話が何もないのよ。」
「それがどうした、サフィアだって周りがそういう心配すると『余計なお世話』って言ってんじゃねえか。」
「うっ、」
痛いところを突かれて言い返せなかった。それを見ていたナディアがサフィアにツッコんだ。
「サフィアお前、(余計なお世話を)焼かれたくないくせに、なぜ焼きたがる。」
サフィアは口を尖らせたまま首をぐるっと回してナディアにその目を向けた。
「二十六にもなって男の影もない姉さんに言われたくないわ。」
「なっ、お前、言うに事欠いてそういう返しをするか? 私がどうしようと私の勝手だろう。それに私はいちいちそういうのをひけらかすようなことはしないだけだ。」
ナディアはうろたえて、苦し紛れに嘯いた。
「えっ!? 姉さん彼氏いたの? 誰? 全くそんな素振り見せないじゃない。いるなら紹介してよ。」
サフィアの瞳が輝いている。興味津々な色を浮かべて根掘り葉掘り聞き出そうと寄ってきた。
「そ、そのうちな。」
ナディアはサフィアと目を合わせないように逸らしてそう答えた。かく言うナディアも全く男っ気はない。彼女の場合、シャリーへの復讐のために支部の乗っ取りしか考えていなかったし、剣術でも道場で負け無しの彼女にとっては恋心を抱くような男子に縁がなかった。
「誰だろう。姉さん剣術やるから、やっぱり同じ道場にいた人かな?」
サフィアは勝手に妄想を膨らませて胸を躍らせている。
「くだらねー。」
ノイレンはそんなサフィアを半目で眺めた。
数日後二番隊がキニロサに戻ってきた。しかしその報告に来たのは隊長ではなく、その片腕のラントだった。
サフィアはラントを執務室に通すとソファに座らせ、その向かいに腰を下ろした。隣にはナディアもいる。
「長旅お疲れさまでした。さっそくですが商売の出来はいかがでした?」
サフィアは色よい返事が返ってくると期待してにこやかな笑顔を浮かべた。ところが、彼の口から発せられたのはよくない知らせだった。
「帰ってくる途中盗賊に襲われました。我々はなんとか撃退しましたが、三分の一が死にました。その中には隊長も含まれています。それに依頼されてた積荷も三割ほどですが奪われてしまいました。申し訳ありません。」
ラントはそこまで言うと俯いてしまった。
「そんな、」
サフィアは予想外すぎる答えに驚きを隠せなかった。そのサフィアの代わりにナディアが確かめた。
「とりあえず三分の二の、人員と積荷は無事なんだな?」
ラントは俯いたまま頷いた。
「それは不幸中の幸いだ。それだけ残ってくれたなら良しとするべきだ。お前が悔やむことはない。よくやってくれた。」
ナディアはラントを労うと、隣で呆けているサフィアの肩を揺すって正気に戻した。
「二番隊が持ち帰ってくれた品の買取価格を少し上げるぞ。生き残った者たちへの労いとしてな。」
「え、ええ、そうね。二番隊には大変だけど、三ヵ月後にはまた出発してもらわないとならないし。」
「ありがとうございます。この次は誰も、何も欠けることのないよう万全を尽くします。つきましては商会の伝手で腕のいい護衛を何人か回していただけませんか。もちろんこちらでも探しますが。」
ラントは上目遣いにナディアの顔色を窺った。
「わかった。その件は商会に任せてもらおう。ギルドにも掛け合ってみる。お前はゆっくりしていろ。」
ナディアは何もためらうことなく、ラントの目をまっすぐに見つめている。その横顔が凛々しい。
『こういうときの姉さんてまるで父さんみたいに決断が速いなあ。』
隣にいるサフィアはなぜ姉が彼氏を作らないのかなんとなくわかったような気がした。
「ありがとうございます。それで、あの、」
そしてラントは最後にもう一つ何かを伝えようとしたが、言いよどんだ。
「なんだ?」
ナディアはラントの目をじっと見つめて聞き返した。
「あの、間違いだったら申し訳ないのですが・・・、我々が襲われた近くで、その、全滅している隊商を、見ました。」
ラントはそこで口をつぐんだ。よからぬ気配を感じたナディアが詰め寄った。
「まさか三番隊だと言うのか?」
「そう、みたいです。ただ我々が見つけた時には腐敗が激しくて誰が誰やら・・・」
ラントは気まずさから二人の顔をまともに見られず、うつむいたまま上目遣いにちらちらと様子を窺った。そしてサフィアではなくナディアに視線を向けて続けた。
「場所が場所ですし、たぶん我々を襲った盗賊の仕業ではないかと。その隊商は積荷だけでなくラバも、根こそぎ奪われてました。」
「・・・」
これにはナディアも絶句した。二番隊の被害だけでも痛いというのに、三番隊はカンタラに着くまでもなく全滅したとなれば計画自体に大きな狂いが生じる。ナディアは膝の上で手を組んでどう対処すべきか考え込んだ。するとそれまで呆けていたサフィアがしっかりした口調で話し出した。
「起きてしまったトラブルは仕方ないわ。どんな商売でも想定外のことは起きるものよ。むしろ二番隊が見つけてくれてよかったわ。でなければ十一月になっても帰ってこない三番隊に待ちぼうけしていたところよ。」
どうやらサフィアは開き直ったらしい。こうなると彼女も強い。
「計画を修正しましょう、姉さん。」
「なにか妙案が浮かんだか?」
サフィアは鼻を膨らませて姉とラントを見た。
「幸いアミラン隊の出発はこれからよ、三番隊の帰着が望めないならアミラン隊の人員を増やして、前回よりも多く仕入れてきてもらうのよ。そして二番隊も人員を今の倍に増やすの。そのための援助は商会がする。まさに損して得取れだわ。当初の計画より多少損失が増えるけど、必ず挽回してみせる。」
いつもの彼女らしく、多少無謀でも前向きに考え始めていた。
「なるほどな。それならば当初の計画より多少時期が遅れるが、なんとかお膳立てができそうだ。」
「でしょ。そうと決まれば姉さん、アミランに早速話して頂戴。」
「任せろ。」
ナディアはハンガーにかけてあった剣とマントを手に取ると部屋を出ていった。サフィアはラントに目を向けるといたわるように言葉をかけた。
「とりあえず二、三日ゆっくりしてください。二番隊の出発まで時間がありますから、その間に準備を万端にしましょう。」
「はい。」
俄然闘志が湧いてきたサフィアだった。
アミランがキニロサの拠点にしている隊商宿。
ナディアは馬を飛ばしてやってくると早速アミランに事の次第を話して聞かせた。
「本当か。それは残念なことになったな。わしらも時折襲われるから、他人事ではないな。」
「ああ、だからといって立ち止まってなどいられん。何としてもこの計画は軌道に乗せる。名目だけとはいえナディア商会が取り仕切る形にした以上コケるわけにはいかん。それではシャリーの鼻を明かせんからな。」
「それはわしらも同じだ。乗った船から今更降りるつもりはないでな。それにしてもお前さんが何かというと目の敵にしている『ヤツ』とはいったい誰のことなのだ?」
「すまん、それは込み入った話になるんでな、すべてが落ち着いたら話す。」
「そうか。ま、よかろう。お前さんとも長い付き合いだ。先代の支部長の周りをちょろちょろしていたころから知っておるからな。」
「ちょろちょろは酷いな。私なりにきちんと先代の手伝いをしていたんだが。それはともかく、ありがとう、恩に着る。」
「あはは、恩に着るか。ではしっかり着込んでもらって、その分手厚く援助してもらうとするか。」
「任せてくれ。人はもちろんだが、ラバ車はどの程度増やせそうだ?」
「ラバ車は金さえ出せば何台でも手に入る。御者は今いる人員でなんとかできなくもないが、できれば三人欲しいな。それで六台は増やせる。」
「わかった。人集めやラバ車の手配は任せてもいいか?」
「もちろんだ。一緒に長旅をする以上、わしの目でしっかりと選ばせてもらうぞ。」
「頼む。」
三番隊全滅の話はさほど間を置かずしてノイレンにも伝わった。
「マジかよ。全滅って酷いな。」
執務室のソファで東方のお茶をすすっていたノイレンは、軽口を叩いてライラに怒られたいつぞやのことを思い出した。
『わたしらが無傷で戻ってこられたのって本当に運が良かったんだな。』
「そこで黒髪、お前には二番隊の護衛に回ってもらうぞ。アミランには了解を得ている。」
ノイレンは自分たちの幸運さを噛み締めつつ、湯呑に口をつけたところでナディアから飛んできた指示にお茶を吹き出しそうになった。
「ぶふっ、ええ?! なんだよ、もう出発の準備も済ませたってのに。」
ノイレンは腕で口を拭い、不満を漏らすとナディアは涼しい顔で続けた。
「二番隊にいた護衛は隊を守って皆討ち死にした。これから新しく探すが、それだけでは心配だ。ライラと引けを取らないお前なら安心して任せられるからな。お前が護衛隊長を務めろ。」
珍しくナディアがノイレンを褒めて持ち上げてきた。そうされるとさすがにノイレンも悪い気がしない。
「しかたねえな、またライラと旅ができると思ってたのに。」
「それがいいわね、そうして頂戴ノイレン。頼むわ。」
サフィアも納得した。
「ってことはさ、わたしの出発は三ヵ月伸びたってことだよな? その間どうすんだ。」
ノイレンはナディアを見た。
「もちろんやることは山積みだ。遊んでいられると思うな。新しく雇う護衛がお前やライラと同じくらいの実力を持てるよう鍛えること。まずはそれを最優先でやってくれ。私も隙を見て稽古をつけよう。」
「へっ、わかったぞ、その稽古中にあんたはわたしを狙おうって魂胆だな?」
ノイレンはナディアを挑発するように口角を上げた。ナディアも自信ありげな目つきになって答えた。
「それもあるかもな。」
二人が互いの目を見つめて含み笑いをしているとサフィアが口を尖らせた。
「ちょっと、まじめな事業の話をしてるんだから、そういうのはやめてよね、剣術バカコンビ!」
「誰がコンビだ!」「コンビじゃねえ!」
二人は声を揃えた。
数日後、キニロサ支部の中庭。ノイレンはギルドから紹介された二番隊の新しい護衛候補の面接らしきことをしていた。ラントも同席している。
紹介された候補は三人。いずれも二十代半ばの力の有り余っている青年だ。二番隊の新しい隊長を務めることとなったラントが一人ひとり名を呼んで、その人となり、護衛としての経験を確かめた。それをノイレンは彼の隣で、黙ったままじっと見つめているだけ。
ノイレンの目から見て合格となれば何も言わず黙っている。不合格であればぎこちない咳払いをしてラントに知らせることになっていた。この日ノイレンが咳払いをしたのは一回だけだった。
面接が終わると三人を中庭で待機させ、ラントとノイレンの二人はロビーへ行って合否の確認をした。
「何も訊かずに、相手を見ただけでどんな人なのか分かってしまうなんて、すごいですねノイレン。」
「師匠から人を見る目を磨けってうるさく言われたからね。おかげで多少は分かるようになってきたよ。」
ノイレンは人差し指で鼻をさすった。
「それにしても、あの二番目の人、なぜダメなんですか? 護衛としての経験も豊富でしたし。」
ラントはあくまでも質問攻めにすることで相手のことを確かめていたから、経験豊富イコール剣の腕も確かと思っているようだ。
「エスコーだっけ? あいつね、確かに経験は豊富なんだろうさ。剣の腕も侮れねえ。でも目つきが良くないんだよ。」
「護衛なんて危ない仕事をずっとしてきたわけですから、自然と目つきも険しくなるのでは?」
「いや、あいつの場合依頼人を守るんじゃなくて、単に襲ってきた相手を殺りたいだけだよ。護衛なら堂々と相手を斬れるからな。」
「そ、そんな危ない人でしたか・・・」
「そういうやつがいると、間違いなく余計な問題を起こしやがる。」
「そうですか、ではエスコーはお断りしましょう。それであとの二人、コンボイとエグライは合格でいいですか?」
「ああ、あとの二人は、剣のほうはまずまずって感じだが、護衛としてはいいんじゃないか。さっそく腕を見させてもらうとしよう。」
ラントとノイレンは中庭に戻り三人に合否を伝えた。受かった二人はラントと握手を交わした。
「ではエグライさんとコンボイさん、お二人にはさっそくで申し訳ありませんが、これからノイレンと立ち合っていただきたい。あなたがたの腕がどの程度か実際に見せてください。」
ラントが二人にそう伝えると、唯一不合格となった、目つきの悪いエスコーがラントを突き飛ばし、鉢植えの花を眺めていたノイレンの背中に向かって怒鳴った。
「オレのどこが不満なんだ! どう見たってあいつらよりオレのほうが強い。それともてめえ、そんなことも分からねえほど節穴なのか。」
ノイレンは夏の日差しにも負けずに咲き誇る花びらに指を滑らせてからそいつに顔を向けた。
「あんたの腕には不満はねえ。(不満が)あるのはあんたが護衛をやってる理由だよ。」
「理由だ? そんなものおめえにも、あの男にも訊かれちゃいねえぞ。いい加減なことを言ってんじゃねえよ!」
「訊かなくてもわかるから訊かなかったんだ。」
「てめえ、何様のつもりだ。抜け!」
エスコーは納得がいかず、腰に吊るしていたアーミングソードを抜いた。片手タイプの剣身の細い十字剣。主に馬上で用いるものだ。護衛の場合馬に乗っていることもあるため片手で扱えるほうが何かと便利で、こいつはそれを使っていた。しかもクロスガード(鍔)の両端が剣身のほうへ九十度折れ曲がっている。これは相手の剣を受けた時、そこに引っ掛けて動きを封じるためにある。
「オレの腕を見りゃ嫌でも雇う気になるさ。」
ノイレンは右手を腰に当てて半目になった。
「だから、腕に不満はねえって言ってんじゃねえか。」
「女のくせにいい気になってんじゃねえぞ!」
エスコーは横から薙ぐように剣を振ってきた。ノイレンは剣を抜きざまにそれを滑らせて躱し、手首をひねって彼の首へ刃を走らせた。
「しゃらくせえ。」
エスコーは首をカバーするように右腕を回し、剣身の根本付近でノイレンの刃を受けた。アーミングソードの剣身を滑った刃はそのクロスガードの端にある鉤にぶつかって止まった。
「ふん、こういう使い方もできるんだぜ。」
エスコーは自慢げに笑むと、腕を大きく回転させてノイレンの剣を振り飛ばそうとした。クロスガードの鉤に捕まったネオソードは相手の動きに引きずられていく。まるで二人で剣舞を踊っているようだ。
「だからどうしたってんだ。」
三ヵ月前にソードブレイカーと組み合った経験のあるノイレンは冷静に、相手の動きに合わせて腕を振り、動きが同調したところで剣を鉤から引き抜いた。相手の剣を振り飛ばす前に引き抜かれてエスコーは動揺した。
「今のはまぐれだ!」
エスコーはそのまま腕を大きく振り回して刃に勢いを乗せて、斜め上から斬りつけてきた。ノイレンはつま先立ちの軽やかなステップでひらりとそれを躱し、刃のない峰部分でエスコーの背骨をしたたかに打ち付けた。
「ぐぁ、」
エスコーは一瞬動きが鈍くなった。二、三歩よろめき、体勢を立て直そうとした時ノイレンの刃がスっと彼の首筋にあてがわれた。
「ちゃんと話を聞けよ。理由が知りたいならそう言えばいいじゃん。」
ノイレンはめんどくさそうに眉をひそめた。
「不当な選別をしておいて何を言ってやがる。」
冷たく鋭い刃に首を動かすことができないエスコーは負け惜しみを吐いた。するとノイレンは剣を納めて改めて述べた。
「わたしらが求めているのは、隊の安全を守るために戦う護衛だ。敵を斬りたいやつじゃないんだよ。」
「は? 襲ってきた敵を斬って何が悪い? てめえ、寝ぼけてやがんのか?」
エスコーはノイレンに振り向いてすごんできた。
「目はばっちり覚めてるさ。だからあんたは要らないって言ったんだ。」
「このっ、」
エスコーは握ったままぶら下げていた剣を上に向かって振り上げた。彼の頭の中ではノイレンの腹から胸を斬り裂くイメージが浮かんでいる。ところがアーミングソードの剣先は空しくノイレンのいたところを素通りしていった。得意のバク宙だ。ノイレンは着地すると大きく曲げた膝をバネにエスコーの腹に向かって頭突きを喰らわした。
「げぶっ、」
彼は体をくの字に曲げてうしろに吹っ飛び、鉢植えに頭から突っ込んだ。鉢が割れ綺麗に咲いていた花がそいつの顔の周りを彩った。
「あああ~、花さん、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。」
ノイレンは花に謝った。一部始終を見ていたラントは呆気に取られて口をぽかんと開けている。
「すごい、あんなすごい使い手初めて見た。」
コンボイはノイレンの華麗な身体と剣の捌きに感動している。それに対してエグライは少し冷めた目でそれを見ていた。
それからは毎日、新しく雇った護衛の二人、エグライとコンボイの腕を向上させるべく、ノイレンは中庭で稽古につきあっていた。そこに案の定ナディアがひょこっと顔を出しに来た。
「どうだ黒髪。あいつらはどんなもんだ?」
「二人とも護衛を仕事にしようってくらいだから自分の腕に自信もあるし、それに見合うだけの技術もある。ただなあ、」
ノイレンはもったいぶったように語尾を濁した。
「どうした?」
「エグライは今まで運が良かったのか、敵と剣を交えたのは二回しかないんだと。しかも二回とも一対一だって。コンボイにいたっては(実戦経験)ゼロだってよ。」
ノイレンは両手を腰に当てて組み手の稽古をしている二人を見た。
「実戦経験が圧倒的に不足しているというわけか。」
二人と同じく実戦経験のないナディアは少し面はゆい思いで二人に視線を送った。
「そうなんだよ。こればっかりは、いくら稽古を積んでも無理だからな。」
「あいつら真剣で組み合ってるが、あれでもダメなのか?」
「あくまでも稽古だからな、殺られるかもしれないという緊張感と恐怖感が足りない。初めて返り血を浴びた時ってすげえ怖いんだぜ。」
「そう、なのか。」
ナディアはノイレンが涼しい顔をして言っているのを見てぞっとした。
「出発までに一回でも経験させたいんだけどな。どうすっかな。」
「お前じゃあるまいし、そうそう命を狙われることもないだろう。」
「どういう意味だよ?」
「ふふん。」
ぷうと頬をリスのように膨らませたノイレンにナディアは涼しい笑顔を向けた。
「出発前に経験を積ませるのはいいが、それであいつらが怪我をしたり、殺られたりしたら元も子もない。とりあえず稽古を徹底させるしかないだろう。」
「そうは言ってもいきなり大勢の盗賊とやり合うんじゃ、勝ち目はないぜ。」
ノイレンは肩をすくめた。
次回予告
予想外の事態に振り回されるノイレン。二番隊の旅を無事に終えさせるためにコンボイとエグライを鍛えるノイレンは、かつてトレランスがやってみせたことをエグライ相手に披露した。ノイレンに反目しつつも勝てないエグライは彼女を見返したい一心で腕を磨く。一方酒場で踊るノイレンを目の当たりにしたコンボイは仕事とは無関係の感情を彼女に抱き始めていた。そんな中護衛隊長として旅に出たノイレンたち二番隊は道中例の盗賊たちに襲われた。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回特別編第二話「好きにはさせない。」




