最終話「わたしもこれからの人たちに繋いでいける。」
カーツォの本部で門前払いを喰らったあとノイレンは街外れにある、滅多に人の来ない静かな場所へ向かった。
木立を抜けた先の少し開けた場所。周りにある葉陰から木漏れ日が降り注ぐ居心地のいい場所。そこに小さな墓標がある。
ノイレンは墓標の近くまで行くと馬から降り、馬さんの首を撫でた。すると馬さんはノイレンの言わんとすることが分かっているかのようにこくんと一回頷いた。
ソードベルトごと武具屋に預けてきて丸腰のノイレンは墓標の前に跪き、まず自らのその体たらくを詫びた。
「ただいま、師匠。今日は師匠に謝らなくちゃならないことがあるんだ。師匠からもらった大切な剣を折ってしまった。ごめんなさい。」
じっと見つめる墓標から『ノイレンがうかうかしてるからそうなるんだぞ』というお叱りが返ってくることを内心期待して反応を待った。けれども何も返ってこない。
「さっきおやっさんのところへ預けてきた。十日くらいかかるって言われたよ。直ったら一番に見せに来るね。それまで丸腰なんだけど、なんかいつも提げてるのがないのって変な気分がするね。師匠がわたしにあれをくれたあとってこんな感じだったのかな?」
ノイレンにネオソードを譲ったあとしばらくの間丸腰だったトレランスの姿を思い浮かべて感慨にふけった。そよ風に木々の葉が静かに揺れる。葉擦れの音が耳に心地よい。
「実はさ、」
ノイレンは二人の掃除屋と戦った時のことを話して聞かせた。自分を守ろうとしたサフィアが逆に人質になって怖い目に遭わされたこと。かつてポルターが向けたのと同じ目をサフィアに向けられて心が折れたこと。でもサフィアは自分を嫌いにならずにまた受け入れてくれたこと。
揺れる木漏れ日の柔らかい日差しが墓標の上で踊っている。その様子はまるでトレランスがノイレンの話を聞いて笑っているようだ。
ノイレンの心は今とても落ち着いている。波一つ立たない水面が鏡のように凛と佇んでいるように静かなゆったりとした心持で墓標を見つめた。師匠が笑顔で自分を見ていてくれる、そう思うと彼女は悠久とも思える安心感に包まれた。
ノイレンの心の中でこれまでのことが走馬灯のように流れていった。
病床のお母さんを看病したこと。小さい頭で懸命に考え、祈り、実行した事が全て無意味と化しお母さんが死んだこと。父親によって知らない町に捨てられたこと。人を信じられなくなって散々悪いことばかりを繰り返し、大人たちを敵視していたこと。トレランスとの出会いを通して剣とダンスに巡り合ったこと。それから今の自分につながる生活が始まったこと。様々なことが浮かんでは消えていった。
ノイレンはとても長い時間をここで過ごしているような感覚を覚えた。ふと辺りを見回して馬さんを探すと、馬さんは二人の邪魔にならないよう少し離れたところで草を食んでいる。
ノイレンは墓標に向き直り、ある願いを打ち明けた。
「師匠、わたし自分の人生を精一杯生きる。師匠が言った”その時”が来るまで悔いなく生きるよ。約束する。だからさ、将来わたしがそっちに行ったときはまた”ぐるぐる”して。初めてやられたときはすげー嫌だったけど、実はだんだん嬉しくなってたんだよね、師匠の”ぐるぐる”。」
トレランスがその大きな手をノイレンの頭にぽんと乗せて彼女の頭をぐるぐる回す、それを思い出してノイレンは微笑んだ。
「そうだ、師匠虹の橋って知ってる? そこにわたしの友達のわんこが二匹いるからさ、仲良くしてやって。頼んだよ。」
ノイレンは立ち上がると膝についた埃を払った。
「それじゃ十日後にまた来るから。」
ノイレンは馬さんのところへ行き首を撫でた。
「お待たせ。」
「ぶひひん?」
「うん、話は終わった。また十日後だ。」
ノイレンはひょいと跨った。
「さてどうすっかな。家に行くか、それともカバレに行くか。アニン帰ってきてるかな。」
ノイレンがこの後のことを迷っていると馬さんは何も指示されていないのに勝手に歩き出した。
「どこ行くの?」
「ぶひっ。」
「けち、教えてくれよ。」
内緒だよと言う馬さんにノイレンはぷうと頬をリスのように膨らませた。
行き先は馬さんに任せてそのまま背に揺られながらノイレンは空を見上げていた。
白い小さな雲がいくつも連なるようにしてゆったりと流れている。
「う〜ん、十日も何して過ごすかな。カバレはもちろんだけど、それ以外ヒマなんだよな。剣がありゃアニンと稽古できんだけどないしな。」
ノイレンは滞在中の予定を考えて頭を悩ませた。アデナでも行ってくっかな。シュバイレンさんたちにも久しぶりに会いたいな。でもなあアニンの手前行きずらいんだよなあ。」
エゴイストエロジジイこと老公爵の妾話を拒絶してシェヒルに逃げてきたアニンは、彼が放った追手によって死んだことになっているから、帰りたくてもアデナには帰れない。その彼女の心境を慮ると物見遊山でアデナには行きずらい。
「ここからタンブルってどのくらいかかんだろ。」
ノイレンは自分の生まれた街タンブルに行ってみようかと思った。彼女は今までタンブルのことは思い出しもしなかった。いや、思い出したくなかった。だって、楽しかった思い出も全てお母さんの死によって悲しみしかない場所になっていたから。
「どのくらいで行けるのかアニンに訊いてみるか。」
そんなことを考えている間にトレランスの家に着いた。今やノイレンの実家的な家でもある。
馬さんは真っ直ぐに厩まで行った。
「ぶひんっ!」
厩の前で大きく嘶いた。しかし何も返ってこない。
「ひん?」
馬さんは首を傾げた。その馬さんの横顔をノイレンは半目になって眺めた。
「残念だったな馬さん。まだ帰ってきてないみたいだぜ。」
「ぶひぃ。」
「しかたないじゃん。アニンは左手が不自由な分馬さんに頼ってんだから。」
「ぶふぅ。」
ノイレンの馬さんはがっくりと首を垂れた。どうやらトレランスの馬さんにただいまの挨拶がしたかったらしい。
「ほら誰もいないんだからカバレに行ってみよ。」
ノイレンは手綱を引っ張って向きを変えさせようとしたが馬さんは頑として動かない。
「なんだよ、ここで待つってか。」
「ぶふんっ!」
しかたなく待つことにした。馬さんは自ら厩の陰に隠れた。どうやらサプライズしようと考えているようだ。ノイレンは馬さんから降りると家の周りを一回りした。
ノイレンが使っていた部屋の窓の下にニワトリが三羽いてエサをついばんでいる。
「お前らも元気そうだな。久しぶりに”目覚まし”聞かせてよ。」
「コケ?」
「そうじゃなくてさ。」
さすがにニワトリ相手ではノイレンもそれ以上意思疎通できなかった。
「馬さん、わたし出掛けてくっからな。」
ノイレンは厩の陰に隠れている馬さんに声をかけるとそのあたりを散歩しに出掛けた。
その日の夜。シャルキーズカバレに顔を出したノイレンは常連たちの度肝を抜いた。
「ノイレン、今日のダンス、キレっキレっだったな、震えたぜ。」
「俺なんかアレが縮み上がっちまった。」
「すごいな嬢ちゃん、いつの間にあんな風に踊れるようになったんだ?」
「ノイちゃん女神様というよりまるでダンスの魔女みたいだっただに。この世のものじゃなかっただによ。」
ヤシャダムが漆黒の魔女と形容したノイレンのダンスをみた常連たちは口々に褒め囃した。
「あは、ありがと。」
「チップはずんでくんないともっと縮み上がるかもよ?」
「ダンスて楽しくてさ。なんか体が勝手に動くんだよね。」
「この世のものじゃないって、じいちゃん、わたし生きてるし、魔女はやめてよ。」
ノイレンは客席周りをしながら満面の笑みを振りまいた。それをカウンターのところでシャルキーと一緒に見ていたラクスは感心したように呟いた。
「ノイレンちゃん、ダンス上手くなったわね。なんか私刺激されちゃった。」
「あっはは、そりゃいいね。でもあんたとノイレンは真逆だから安心しな。」
「そう?」
「チーフもそう思うだろ。」
「そうですね。お二人とも女神みたいなのは同じですが、ノイレンはどちらかというと魔女っぽい危うさを孕んだ女神で、ラクスは妖精のような儚さのある女神といったところでしょうか。」
「さすがチーフ。よく見てるじゃないか。ちなみにあたしはどう見えてるんだい?」
「それは内緒です。私の心にしまっておきます。」
チーフは解説の代わりにウィンクした。
「えー、教えてよチーフ。なんでママのだけ内緒なの?」
ラクスはぷくっと頬を膨らませた。
「”華”にあれこれと説明は無用です。」
人差し指を口に当てて微笑むチーフにシャルキーはその切れ長の目を細めて笑みを浮かべた。彼女はまた心の中でノイレンが一流のダンサーに成長してきていることに誇らしさを感じた。
客席周りを終えたノイレンは、トレランスの定位置だったところでビールをちびちび飲んでいるアニンのところへやって来た。
「相変わらずそこで飲んでんだね、おばさん。」
「私がどこで飲もうと私の勝手ですわ。」
喧嘩を売るようなセリフだがアニンの口調は優しい。その彼女の腰にはノイレンが持っていてほしいと渡したサーベルが提げられている。柄にスターサファイアの付いたサーベル。ノイレンはそれをちらと見て嬉しくなった。
「あはは、今はおばさんがこの店の用心棒だね。」
「トレランスには遠く及びませんけどね。」
「ところでさ、知ってたら教えてもらいたいんだけど、こっからタンブルまでどのくらいかかる?」
「タンブル? そうね、ここからだと四、五日くらいかしら。どうしたの?」
「実はさ、」
ノイレンはネオソードを折られてしまったこと、直してもらうのに十日ほどかかることと、その間ヒマなことを話した。
「それでタンブルに行ってみようってわけね。私も行ったことないからよくわかりませんわ。」
「そっか、そんだけかかると往復するだけで十日経っちまうな。」
ノイレンは諦めることにした。今なら心穏やかにタンブルの街を眺められるかもしれないとも思うが、心のどこかでやはり恐れている自分がいる。
『いつか、もっと吹っ切れてから行くことにしよ。』
そう決めた。
二、三日はそうして手持ち無沙汰に過ごした。昼間は家のことをやり、庭で木剣を振るった。夜になるとカバレへ行き給仕の手伝いとダンスで店を盛り上げた。
その翌日、ノイレンは馬さんと一緒にコージャの家のあるほうに遠出した。トレランスの家からおよそ二時間。そこそこの距離がある。ノイレンはコージャの家にはあまり近づかないように注意してあたりを散策した。たいていは馬さんの進みたいように進ませ、近づきすぎると手綱を引いて向きを変えさせながら。ここらの地区の人がよく利用している商店街にさしかかると通りの向こうをよく見知った三人が歩いていた。コージャ、アニー、レイトワだ。アニーを挟んでコージャとレイトワが左右にいる。アニーは二人を交互に見上げて何やら楽しそうだ。どこからどうみても仲の良い家族になったことをノイレンは嬉しく思った。
「良かった。」
ノイレンは馬さんの背の上からそれを眺めて呟いた。その瞳に羨望の色が浮かんでいたのを馬さんは視野の広いその目に留めていたかもしれない。
三人の姿を遠目にみてやり過ごしたあと家に戻る途中でノイレンは懐かしい道場に差し掛かった。ノイレンが他流試合をしたいとトレランスにお願いして最初に連れてきてもらった場所。キリオスの道場だ。
「懐かしいな、あん時十五だったから、四年くらい前になんのか」
キリオスにこてんぱんにされたことや、レクレスというノイレン張りの勝気な女の子と勝負したこと、トレランスが自ら立ち合うことで相手の動きや癖をノイレンに分からせようとしたことなどが次々と思い出されて、懐かしさとともにトレランスがいない寂しさがノイレンの心に影を差した。
「お姉さん?」
不意に声をかけられた。十歳くらいの勝気そうな女の子だ。その顔に見覚えがある。
「えっと、もしかしてレクレス?」
「はい! レクレスです。お久しぶりです。」
初めて会ったときは六歳くらいの小さい女の子だったのが、あの頃よりも背が伸び、顔が少し変わっていた。
「久しぶりだね、元気だった?」
「もちろんです。お姉さんは?」
「もちろんさ。今も道場に通ってんの?」
「はい。お姉さんとトレランスさんに勝つまではやめません。」
レクレスは挑戦的な笑みを浮かべてノイレンの目を見上げた。その勝気な目を見ていたらノイレンはふつふつと嬉しさが湧いてきた。
「よかったら一本、立ち合わないか?」
「ぜひっ!」
レクレスは元気よく返事をすると道場の中へ飛んでいった。
年季が入って古びた道場。しかし手入れが行き届いていてきれい。道場の中は少しひんやりしていて薄暗い。
ノイレンは借りたロングソード型の木剣を右手だけで握り、いつものように右前に構えた。左肘を軽く曲げ、左手の指をぐーぱーさせてレクレスを挑発する。対するレクレスはシュランクフート。剣先を真横に向け十字鍔をノイレンに向けて下段に構える。
「さすがレクレス、相手のことをよく見ているな。」
立ち合いを許した師範のキリオスはレクレスの構えを見て感心した。
「先生、どういうことですか?」
そばにいた門弟の一人が訊いた。彼は四年前にはいなかった者だ。
「うちで使っている木剣は本来両手で握るタイプのものだ。それをノイレンは片手で、しかもサーベルのように構えている。あれでは打撃が弱くなる。もっともノイレンならばそれも承知の上でのことだろうが。」
「そうするとシュランクフートが有利なんですか?」
「一概にそうとは言えないが、ノイレンよりも体格や腕力に劣るレクレスでも下からの斬り上げならば十分に対抗できる。しかもあの構えはクロスガードを相手に向ける。あれならば斬り上げが上手くいかなくてもクロスで相手の剣を防ぐことができる。レクレスは二重の策を講じているんだ。」
「相手の構えを一目見ただけで、彼女そこまで考えているんですか。」
新人の彼にしてみれば、多少経験は上でも、同い年で、しかも女の子のレクレスがそこまで考えていることに驚嘆した。
「ニュウフェ、相手の年齢や性別で偏見を持つのはいかん。常にその実力を見るように心掛けなさい。実戦でものを言うのは経験値と実力だ。」
「はい、すみません。」
「では始め!」
キリオスが合図した。
「どこからでもかかってきな、お姉さん。」
レクレスは自信たっぷりに口角を上げてノイレンを挑発した。
「上等じゃん、いくぜっ!」
ノイレンはレクレスの出方を見るためにそのまま上から斬り下ろした。レクレスは襲い来るノイレンの剣をまずクロスガード付近で受け止めてそのまま下へ流した。二人の剣がこすれる音が響く。ノイレンの剣を流し切るとレクレスは腰を回して剣を上に振り抜いた。ノイレンは仰け反るようにしてそれを躱し、くるんと一回転。その勢いを乗せた剣をレクレスの横っ腹に叩き込んだ。ところがレクレスはさっと横っ飛びに跳ねて躱し、ぐるんとでんぐり返し。起き上がるときに体をひねって正面をノイレンに向けると、膝のばねを利用して頭突きをするように一直線に飛んできた。両手で剣を握り、剣先をノイレンの胴に定めている。
ノイレンは両手で剣を握り、レクレスの剣を叩き落そうとした。それで彼女の剣は躱せたが、レクレスの頭突きが半分脇腹をかすった。
「くっ、」
十歳の子供とはいえ、全体重を乗せた頭突きはそれなりの重さがある。それを脇腹に喰らったノイレンは両足の踵を地につけて踏ん張り、すり抜けていくレクレスの背中を掴んで払うように後方へ押し投げた。そのせいで勢いの付きすぎたレクレスはバランスを崩してずべべっと道場の板間に顔面からダイブしてしまった。
「ぶえっ、ぺっぺっ、」
ノイレンはその間に構え直してレクレスが起き上がるのを待った。
「どうした、さっさと立ちやがれ。」
レクレスはさっと立ち上がると仁王立ちになってノイレンを睨んだ。
「やってくれたな、お姉さんもずべべってしてやる!」
「へっ、やれるもんならやってみろ。」
「やってやるわよ!」
レクレスはジグザグに突進してきた。まだ子供で体が軽い上に小柄だからというのもあるのだろう、とても素早い。左右に動く切り返しも軽やかで全く鈍重さを感じさせない。
「やるじゃん。」
ノイレンはなおさらに面白くなってきた。
「たあっ!」
レクレスが切り返しの際片足にぐっと力を込めた。
『来る!』
ノイレンはそれを見逃さなかった。レクレスが今度こそはとノイレンの胴を薙ごうとかかってきた瞬間、彼女の視界からノイレンは消えた。
「えっ?」
ノイレンはレクレスのはるか頭上をひらりと飛び越えて彼女の背後に回り込み、先ほどのレクレスと同じように膝のバネを使ってぐんっとその背後に迫った。ノイレンの左手がレクレスの背に当てられた。
『またやられる!』
それを躱す術を思いつかないレクレスは臍を噛んだ。しかしノイレンはレクレスを押し倒すことはせず、背を掴んだまま右手に握る剣を彼女の首に押し当てた。
「残念だったな。でも前より動きが良くなってる。さすがだぜ。」
ニカっと笑うノイレンにレクレスは悔しさで顔がゆがんだ。
「うっ、うっ、ぐやじいぃ・・・」
レクレスは唇をかんで涙を堪えた。
「そこまでっ!」
キリオスは静かに二人のもとへ来るとまずノイレンに目を向けた。
「さすがトレランスの弟子だ。前にここに来た時よりも動きが研ぎ澄まされている。何度も修羅場をくぐったな?」
ノイレンはぺこりと頭を下げてからキリオスの目を見つめた。
「はい、ここで勉強したことを生かしてたくさん経験しました。ありがとうございました。」
キリオスはにっこりと微笑んで頷いた。そして次にレクレスに目を向けた。
「レクレス。最初の構え、そのあとの切り返しは良かったが、床に転がされて熱くなったのが敗因だ。あれで君は冷静にノイレンに対応できなくなった。分かるか?」
レクレスは涙を浮かべたまま大きく頷いた。
「しょ、精進します・・・」
キリオスはまたにっこりと微笑んで頷いた。するとノイレンがその薬指の長い手をレクレスの頭にぽんと乗せて彼女の頭をぐるぐるした。
「あんたは強くなる。またやろうぜ。」
「ぐるぐるしないでっ!」
レクレスはノイレンの手を振りほどくと顔を上げ、潤んだ瞳で彼女を見据えた。ノイレンはその真剣なまなざしを受け止めてニカっと笑った。
「ノイレン、私もそのうち墓参りさせてもらう。かまわないだろう。」
「もちろんです。師匠も喜びます。」
ノイレンは最後にもう一度道場全体へ向けて会釈しそこを去った。
六日後ノイレンはおやっさんのもとへ、新生ネオソードを受け取りに行った。
「すげー、剣身が見違えた。」
ノイレンはオヤジが鍛えた新しい剣身を裏表じっくりと眺めて感嘆した。鈍色の剣身はその冴えが以前よりも増していた。
「どうじゃ、気に入ったろ。」
「ああ、ありがとうおやっさん。こいつはすげーや。」
「ついでにその柄も手入れして磨いておいたぞ。これでまた百年は持つ。」
オヤジは満足げな笑みを浮かべて、自ら鍛えた剣身を誇らしく思った。
ノイレンは新しくなった剣身にトレランスを思い浮かべた。そして彼のうしろに続く代々の使い手たちの思いをそこに感じた。
「お前さんの願いを聞いてこれ以上ない逸品に仕上げるのは骨が折れたぞ。」
「すまない、でもどうしても今までの剣身も使ってほしくて。」
ノイレンは折れた剣身を溶かして新しく打つ剣身の素材として使ってほしいとお願いしていた。
「鉄は溶かせばまた利用できる。しかしな、新品と同じ強度を保つのは難しいんじゃ。精製するのに手間がかかる。でもそれを惜しんではクズ鉄にしかならん。おかげで時間がかかってしまった。」
「ありがとうおやっさん。代金は言い値で払うよ。」
「ほう、そんなこと言って大丈夫なのか? 高いぞ。」
ノイレンはにっこり微笑んだ。
「ああ、この新しい剣身には師匠やそのまた師匠たちの思いもこもってるからね。いくらでも払うよ。蓄えで足りなきゃ何年かけてでも払う。」
「あっはは、そこまで取るつもりはないわい。」
ノイレンは新生ネオソードを腰に提げた。ズシリと感じる存在感が今までと寸分違わない。
「さすがおやっさんだ。ありがとう。」
ノイレンは柄のオレンジ色の石を手のひらで包み込むようにしてネオソードを優しく撫で、心の中で呟いた。
『師匠、師匠たちが受け継いできたものをなくさないで済んだよ。そしてわたしもこれからの人たちに繋いでいける。見ててね師匠。』
その日のシャルキーズカバレ。
「なあシャルキー。ノイちゃんはもう行っちまっただにか?」
「ああ、剣が直ったからってそのまま行っちまったよ。」
常連は寂しそうにジョッキのビールを見た。老けて、もとい大人びてはいるがまだ少し幼さの残るノイレンがここに来たばかりの頃を思い出していた。ぎこちなかった笑顔も充実した日々の中でしだいに柔和になっていった。最初は辿々しかった挨拶もいつのまにか堂に入った。
『お待ち遠さま。』
ふと空耳が聞こえた。
「なんだいなんだい、しけてんね。もう帰ってこないわけじゃないんだから、今度はいつ来るかって楽しみにしてりゃ張り合いが出るってもんさ。あんたにとっちゃ孫みたいなもんだろ。」
「それもそうだにな。今回もちゃんとここに顔を出してくれたし、またただいまって帰ってくるだにな。」
「そうだよ、ここはノイレンの家みたいなもんなんだから。あんたらみんな家族と言っても過言じゃないだろ。この店に集まったみんなのおかげでノイレンは人を信じることもできるようになったんだ。さらに一回り大きく成長して帰ってくるあの子を楽しみに待ってな。」
「そうするだに。」
「だからあんたは長生きしなきゃね。それでたんまりとあたしを儲けさせておくれ。」
「なはは、シャルキーには敵わないだに。」
シャルキーはその切れ長の目を細めて微笑んだ。
――七年後
キニロサの市場をノイレンは忙しなく歩き回っていた。
野盗の大群に襲われてアデナの街が壊滅したという知らせを、カーツォ商会のシェヒル本部経由で受けたサフィアの指示で救援物資の買い出しをしていた。準備が整い次第アデナ支部の人々の安否を確かめに行くことになっていた。
「ノイレン、本当にアデナに行くのかい?」
買い物をした店の主人が心配そうに尋ねた。
「街は見る影もなく荒れ果てているって言うじゃないか。そんなとこに行って大丈夫なのかい? ノイレンにまで何かあったらと思うと心配だよ。」
「ありがと。でも生き延びた人たちがいるかも知れないんだ。念のために助けに行かないと。」
「十分に気をつけていきなよ。まあ、ノイレンなら大丈夫だろうけど。」
「ありがとう。」
必要なものを買い漁り、両手いっぱいに荷物を抱えて歩いていたら少年とぶつかった。
「痛ってえな、どこ見て歩いてんだ!」
抱えてた荷物を落としてしまったノイレンは少年を睨みながら拾い集めた。
「す、すみま・・・せん・・・」
少年は顔も服も煤けて薄汚れボロボロな様子だった。それに目が死んでいる。生気のない虚ろな視線をちらとだけノイレンに向けて歩き去ろうとした。その背中に立派な剣を背負っているのがノイレンの目に飛び込んできた。柄に紅い石のついたロングソードだ。ノイレンは心の奥で何かが引っかかるのを感じた。
「待ちな、あんたまさか、アデナから来たのか?」
少年は足を止め、口をつぐんだまま小さく頷いた。
ノイレンが二十六歳になって間もない暑い日だった。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。これにて『ノイレン〜黒の純真』は一旦完結します。
ジャンティと出会うまでの間に七年の空白がありますが、それは物語が冗長的にならないようにするためです。そしてその七年間の物語を特別編として書きます。正直なところ何話まで続けられるかわかりません。今作も当初の想定では半年で完結できると思っていましたが、ノイレンたちが勝手に物語を進めてしまうので、結局一年半も続きました。特別編もどうなることやらと私自身期待と不安が入り混じっています。
もしよろしければそちらもぜひお付き合いいただければ幸いです。
ありがとうございました。では次回予告です。
次回予告
新しく生まれ変わった剣にこれまでとこれからの思いを馳せたノイレン。十九歳の夏を迎えたノイレンは再び東方への旅に出るため準備をしていた。そこに東方から戻ってきた二番隊よりとんでもない知らせがもたらされ、カーツォ姉妹は愕然とした。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回特別編第一話「出来はいかがでした?」




