第七節
「見学していいですか?」
修理の段取りになって福寿さんが見学の許可を求めてきた。
「気が散るようなことをされないのであれば……、大丈夫、だと思います」
はっきりしない返事になったのは、ことさら人目にさらされながら作業をした経験がほとんどないので、私としてもどうなるかは不明だからだ。よいとも駄目とも言いきれない。
学校の演習授業では、何度か人前で腕前を披露はしたけれども、それはあくまで人前での演習を前提としたもので勝手が違う。
また学外でこれと同じように仕事で修理をしたこともあるものの、それとて先方が気をきかせて一人にしてくれたり、あるいは存在を意識されないでいたりして、このように見られるという状況はなかった。
緊張するようならばしっかりお断りしよう。福寿さんからそこはかとなく感じ取れる優しさに、断っても嫌な顔はされないだろうという、甘えと打算がなかったとは言いきれない。
「珍しいからって一人で騒いだりはしませんよ」
福寿さんはおかしそうに言う。相変わらず見透かしているのか、口調そのままに面白おかしく言っているのかは判別がつかない。
「わかりました。ところで故障というのは、どの段階で気づいたのですか? 故障前に機械の調子が悪かったり、おかしなことがあったりはしませんでしたか?」
まずは故障箇所を発見しなければならない。探り方は色々あるが、まず日常的な使用者に質問するのが妥当なところだ。真砂先輩がしていたように、普段の使用者である福寿さんに簡単な質問を投げかける。
機械に不審な点がなかったか。普段と違って具合が悪くなかったか。無茶な使い方をしなかったか。どういう時に止まったのか、あるいはいつ止まったのか。
しかし先に言っておけば、これで目途がつく例は多くない。修理を依頼する人は機械に詳しくない。不審な点や普段と異なる点を見抜けないから、故障を招いて修理を頼むのだし、機械にとって無茶かそうでないかの線引きも、よほど乱暴に扱った心当たりがなければそれとわからないものだ。調子の悪い機械に苛々して八つ当たりする福寿さんの姿は想像できない。
聞いても無駄とばかりに、いきなり特定から始める人もいるぐらいだ。
福寿さんが、もっといえば〇鉢屋の人々が機械に疎いのはわかっている。にもかかわらず、なぜ私は彼女に質問するのか。
それをはっきり言い表すのは難しい。取りかかるにあたってあらかじめ問診して、そこから手順や方法を洞察していく。理由としてはそうなるのだろうが、目途がつく確率が低いのでは合理的とはいえない。
問いはむしろ感情的な側面が強い。
各家庭にあるような広く世間一般の人々が扱う機械は、機械に明るくない人々による日常的な使用に堪えられるように設計されている。人々に馴染めるように作られているともいえる。鋼索通信は一般家庭にはない特殊な装置であるが、それとて日常の使用者は福寿さんのような人たちで、設計の主眼は同じだろう。そうした機械がおかしくなってしまうというのは、機械と人の関係がずれてしまったからではないか……。もっと言えば、そうした機械と人との間に生じたずれを埋めていくのが、機関調律師の役割ではないか。そんなふうにさえ考えているのだ。
誇大である。身の丈に合っているとはとうてい言えまい。もっともそれとて、そうはっきり考えているわけではないのだ。豊富とは言いきれないこれまでの経験の中で、漠然とそのように捉えているだけである。頭に『現時点における考えとして』と断りをつけなければならない。これから考えが変わる可能性も十分にある。その修正を期待して臨時の雇いを請けているのかもしれない。
いずれにせよ、まだ誰にも打ち明けない秘めた考えだ。
他の機関調律師がどう考えて修理を行っているのかは知らない、と付け加えておこう。
「故障なんですが、動くには動くのです。台座は上がるのですが、搬器が向こうに送られなくなったのです。台座が降りてきても、ずっとこちら側に残ったままでして」
「台座は上まで動くのに、搬器がこちらから送り出せなくなったんですか?」
私の確認に福寿さんが首を縦に振る。
「わかりました。とりあえず見てみましょう」
台座を見てすぐに原因らしきものがわかった。いや、機関調律をかじっていなくても目途はついただろう。畳紙を納めた乱れ箱が搬器からはみ出してしまっていて、すり上げ式の蓋が閉まりきっていないのだから。
「福寿さん、これではさすがに」
「はい?」
「搬器の蓋が閉まりきっていません」
「だめ、でしたか?」
「はい、だめですね」
乱れ箱を取りだすと、支えを失った蓋がすとんと落ちた。
「蓋が開いていると上から送り出す時に、蓋が出口に引っかかって搬器が出て行かないんですよ」
「蓋が開いたまま送り出さない仕組みになっているんですね」
「そうです。てっぺんまで行って台座を傾けた際に、中に入れたものが開いた蓋からずり落ちて、表の通りや台座の上に中身を散乱させないためです」
「安全のためなんですね。確かに中身がこぼれて、通りを行く人にぶつかったら事ですね」
蓋が閉まらないで動かないのならば、蓋が閉まった状態でも動作しないのか試してみればよいではないか。それで動けば原因は推測できるだろうから、店のほうでも私を呼ばず、給金を支払わなくても済んだであろうに。それを試しもしないとあって、いまや彼女と〇鉢屋の面々がどれだけ機械に疎いのかがよくわかった。
先輩直伝の修理メモを見ていても、機械の故障というよりも、こうした人為的な失敗のほうが多いようだ。店の人が故障といっているのは、大半が機械への無理解と、ややこしいものという先入観から来るものだ。見当がつかないから機械に原因を求めてしまう。これでは病気になった人を、妖に悪さをされたとか、誰かに呪われたなどと言っているのに等しい。
一方で機械は難しいという先入観ゆえ、修理に従事する先輩や私に全幅の信頼を置いてくれてもいるようだ。しかしそうした態度にあぐらをかいているのでは、無知につけこんで金をせびる悪徳業者のようで決まりが悪い。先輩はそうではなかったようだが。
「もうすっかり動くのでしょうか?」
「おそらくは。ですが本当に蓋だけが原因であったのかはわかりません」
「他にも何か不味いことをしでかしていたでしょうか?」
「それを見るのが点検ですよ」
もしかしたら別の箇所にも不具合、あるいはその兆候が発生しているかもしれない。手抜かりがあっては私としても面白くないし、それで店にいたずらな出金を強いるのも心苦しい。やはり店の者に簡単な点検や保守の方法を教えるのが、結果的に安くあがるのではないかとも思う。
吉永さんに提案してみるのも悪くはないだろう。店の人たちにはもう少し機械に対する理解があってもよいだろう。
点検通路まで見たが異常な点はなく、結果的に蓋が原因であったと特定できた。竃に火を入れてもらい、時間に相当の余裕があったので店で鋼索通信の稼働を見ていくことにした。
福寿さんが文机の横の操作レバーを下ろす。くぼみの向こうから重い駆動音が聞こえてくる。台座がゆっくりとせりあがっていく。窪みからうっすらと湯気が漏れてきた。点検通路内の蒸気が冷えたものだろう。部屋が少し蒸れた心地がする。
駆動音が止む。台座が上に達したのだ。ほどなくして、一筆を納めた搬器が中空を滑っていく。シャァァ、というかすかな擦過音をたてながら、搬器は向かいの店へと消えた。福寿さんの部屋からその様子を見ていた私は、またくぼみに目を向ける。やがてゆっくりと、音もなく台座が下がってきた。
「向かいのお店もよく故障するのでしょうか」
「そういう話は聞かないですね。もし故障していれば、あの子がそれを書かないわけがありませんから」
福寿さんも降りてきた台座を熱心に見ている。眇められた右目ばかりではなく、左目も細めて何事か考えこんでいる様子だ。
「どうかされましたか?」
「昔の事故は与太だったのかもしれない、と思ったのです」
「事故?」
思わず問い返していた。鋼索通信絡みの事故だろうか。だとすれば初耳だ。
「鋼索通信の箱がありますよね? ときどきその箱の中に女が入って、それが原因で何度も事故が起こったって話があるんです」
「いったいどうして搬器の中なんかに?」
「愛い人に会うため、となっています。鋼索通信でつながった相手に口裏を合わす約束を取り付けて、箱に忍んでこっそり店から抜け出すそうです。だけど空中に浮いている間に中で均衡を崩してしまって、箱から落ちて真っ逆さま……、そうまでならなくても、中に人が入っていれば、その重みで勢いよく滑って向かいの店に衝突して大けがをするのだとか」
「福寿さんはなぜそれを与太話だと考えたのですか?」
「蓋が閉まらないぐらいで動かない機械を見ましたから。それぐらいで動かなくなってしまうのなら、中に人が入っても動きはしないのでは、と思えたのですよ」
「小柄な女性ならば、やってできないことはないかもしれませんよ」
口にして、福寿さんの背丈ならば中に入っても蓋は閉まるだろうな、とそんな考えがよぎった。
「とても試す気にはなれませんね。それに機械をごまかせても店はごまかせません。向かいの店を経由するといっても、その向かいが見逃してくれるほど甘いわけがありませんからね。もし足抜けや逢引きを後押しするような店があれば、除け者にされて商売あがったりです。このお話はおかしいところだらけ」
「ええ、それに先ほど言われたけがの可能性もぬぐえません。実際に事故があったのを目撃した人はいないのですか?」
「どれも噂の形でしか流れてきません。ここの女たちはいつだって人伝の噂という形で話すんです。仮に本当にあったとしても、楼主や番頭連が結託すればなかったことになりますし」
「警察を呼ばないと?」
「表沙汰にならなければ、事故にはならないんですよ。ここは警察の介入を嫌いますから。でも花街に限らず、そんなのは帝都のあちこちで起こっていることでしょう?」
あなたもご存知でしょう。そんな口調であった。私はうなずけない。帝都は法治国家である。警察も機能している。なにより私はそんな話を聞いたことがない。少なからず表沙汰にできない事件はあるのだろうが、頻繁に起こっているかのような彼女の口ぶりには賛同しかねる。
「店を抜けようとした女は過去に大勢いたのでしょうね。そうしたどこの花街にでもある話に鋼索通信を絡めて、訓話として伝えられているのだと思います」
店を抜けようとするな。そんな馬鹿な真似をすればきっと悲惨な目に遭うぞという戒めだ。
「それにしても、蓋が閉まらないぐらい動かないなんて、機械は割合に融通が利かないのですね」
「それが良さでもあります」
言いつつ、苦笑せざるを得なかった。機械に疎く、科学的な知識もあまりないと思われる彼女だが、割合にその本質らしきものを突いていたからだ。
「悪さでもあるでしょう」
福寿さんはずばりと言う。機械は冗長性に欠ける、というのはかねて専門家からも指摘されているところであるが、むろん専門外の彼女がそれを知っていようはずもない。ただ目先の経験でものを言っているのだ。
「機械は悪さをしない、とも言えるのかもしれませんが」
「使用者次第ですよ」
「故障するかどうかも使用者次第ですよね?」
福寿さんは唇の端をにやりと釣り上げた。欠けた犬歯の箇所に舌を押し込んでいるのがちらりと見える。妙な艶めかしさを覚えて、私は思わず目を逸らす。福寿さんが続ける。
「どこでも付いて回る人間の問題ですね。当の機械は融通がきかないんですから、そんなのに頼って店を出ようとするぐらいなら、二階番か遣手にいくらか握らせるか、向こうから会いに来てもらう方がずっと安全ですよね」
そう言って福寿さんは、こちらに背を向けて硯箱を開く。
「店を出たいだの、愛しい人に会いたいだの、機械は融通が利かないだの、鉢の花が不平を言ったところでどうにもなりゃしないね。五年いても根を張れない鉢の花はさ……」
福寿さんは独り言のようにつぶやく。鉢の花、という言葉がひどく引っ掛かった。以前の籠の鳥と似たような、ここでの独特な言い回しなのだろうか。知らない言葉が出てきて面食らうというよりも、彼女がどう思って口にしたのかが気になってしまう。さりとて背を向けたつぶやきは、聞かせようとしたものではないのだろう。
彼女はちょっとだけ墨をすって立ち上がった。
「長々と話してごめんなさい。お見送りします」
今日は終わりと告げるように。
鋼索通信は再び動いて、私には居座る理由がなかった。
帰り際に吉永さんに点検のことを伝えようとしたが、当人は寄合に出かけていて不在との由である。たいがいお昼は店を開けているそうだ。そういえば以前も見送りは福寿さんがしたのであった。点検について話があると福寿さんに用件だけ伝えて、私は町を後にした。
〇鉢屋からの帰りの足で講義を受けて、自室へ戻る前に真砂先輩の部屋へ立ち寄った。
先輩は分厚い本を開き、その前で腕を組んで、ただうんうんと唸っている。
「何をしているんですか」
「見てわかろう。法科の勉強じゃ」
「本を見て唸るのがですか。それにまたなんで畑違いの法科を」
「いま頭の中に教科書の内容を書きこんでいる最中だ。用がないなら戻れ。こんなやり取りを記憶したくない」
「今日〇鉢屋の修理に行ってきました」
「どうであった?」
先輩が唸るのを止してこちらに顔を向けた。
「拍子抜けしました」
蓋が閉まらなかったのが原因である旨を説明して、こういうことはよくあるのかと聞いてみた。先輩自身が口にしていた簡単な修理とは、こんなものまで含んでいるのかと。
「その通りだ。似たようなことは前にもあった。楽な仕事であろう」
「似たような?」
聞き返す私の顔はきっとしかめ面になっていただろう。
「福寿さんがそういった原因で以前にも簡単な故障を引き起こしていたというのですか?」
「蓋が閉まらないというのは前にもあったよ」
私はますます顔をしかめる。一体どう考えればいいのか。さっぱり意味がわからない。
「あとは自分で考えい」
先輩はまた教科書に顔を向けて、うんうん唸りだす。こうした態度に出た先輩には、何を聞いても無視される。
自室に戻って先輩のメモを読み返す。そこに『フタ閉じワスレ』と書き殴られている文字のようなものを、辛うじて読み取る。いや、以前も捉えていたはずだが、いまそれが初めて意味を持って伝わってきたのだ。しかし総合的にそれが何なのかが見えてこない。
先輩は何かを知っているのか。福寿さんはなぜ同じようなことをしているのか。
締め切った窓が風に叩かれて揺れた。




