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言伝は時計にのせて  作者: 蒸奇都市倶楽部
第二話「鉄の箱は花に厭われ」
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第六節

 一か月半ほどのち、再び〇鉢屋から修理の依頼が届いた。

 寮の管理人に渡された電文には日時と、もしその日が不都合なときには、翌日以降の同じ時間で差し支えない旨が字数内で記されており、(ばつ)にヨシナガとあった。

 細長い紙片を読み終わったあと、先方に連絡先を教えていなかったのに気づいた。にもかかわらず届いたのは、先輩と寮が同じだからだろう。吉永さん個人の署名になっているのは、妓楼からの連絡で私が体裁の悪い思いをしないようにとの配慮だろうか。住みこみの老管理人が南部市の妓楼を知っているとは思われないが、私の胸裏からいまだぬぐいきれない花街への苦手意識に照らせば、ありがたい心遣いであった。客として行っているのではないとはいえ、花街に出入りしているのが露見したら外聞が悪い、と私は感じている。

 そんな私でも二度目で少しは慣れたらしい。

 前回は抵抗を覚えて踏みとどまっていたあげく、先輩に引っ張られるように入った河骨町であるが、今回はさしたる抵抗を覚えずに踏みこんでいた。通りを渡る前に、顔を知っている者が近くにいないかどうか、一度あたりを見回しただけで済んだ。

 指定された時刻は前と同じで、したがって町の場景もさほど変わりない。変化といえば人々の服装が少し薄手になったぐらいか。

 妓楼は正午以降の営業しか認められていないので、行き交う人々はただ通過点として街を行き交う。この時間帯、町に目的がある者がいるとすれば、店を相手に商売をしている者だけだ。ところどころの店に出入りしているのは、屋号入りの半纏をまとった御用聞きや荷車を()く行商人、背負子(しょいこ)を負った羅宇(らお)屋ばかりだ。

 通りの矢来を春先の風が透いて、退屈そうに午前をもてあそんでいた。そこにふっと煙草(タバコ)の臭いが混ざる。吉永さんが店先の縁台に腰かけて煙管(キセル)をふかしていた。

「やあこんにちは。さっそく来てくれたんですね」

「ええ、折よく夕方まで空いている日でしたから」

「夕方からは授業ですか」

「四時すぎから(ふた)コマ取っていまして、もしその一時間半前までに直せなかった場合には申し訳ないのですが」とみなまで言う前に吉永さんが引き取って、

「ええ、どのみち一時半までに直らないようなら、修理の続きは後回しにして構いません。あなたも本分を大事にしてください。もっともそんなに大した故障じゃないでしょうから、すぐに直せると思いますがね」

 すぐに直せるだろうか。機械に詳しい先輩の口から出るのと、鋼索通信の仕組みさえ知らないという吉永さんの口から出るのとでは驚きの度合いが違う。

「故障箇所のめどがついているんですか?」

「いや失敬、素人が偉そうな口を叩いてしまいました。これまでの経験からそうじゃないかと思っているだけです。こいつは軽い風邪はよくひきますが大病を患いはしないんですよ」

 吉永さんが、店の屋根から一段高く突き出た、鋼索通信の塔を見上げる。その根本から伸びる緩めに張られた架線が、薄曇りの空に黒い線を描いていた。ここ十年ほどで空の色は灰から青に近づいたという。かつては濃い煤煙が広がる空の下に、無数の黒線が引かれていたのだ。

「昔はもっとたくさんの鋼索通信があったと、真砂先輩がそう言っていました」

「十五、六年前のまだ鋼索通信が多かった時代は覚えています。その頃でも長く突き出た部分を《時計塔》に見立てて客寄せにしていましたよ。もうそんな時代でもなくなっていたんですがね。店の女だって十五年もありゃ全員が入れ替わっちまいます。それより長く居続ける鋼索通信なんて、もう誰からも注目されませんよ。維持費もかさむ。廓商売ってのは(もう)かる生業(なりわい)ですが、それでも無駄金を流したい楼主はいません。晴れて鋼索通信も年季明け。それからどんどん消えていきました」

「〇鉢屋に残っているのはなにか理由があるんですか?」

「周りの鋼索通信が減っていって、今じゃかえって希少になっています。それでまたちっとばかし物珍しさが勝ったわけで、楼主としてはかえって残しておくのも悪くないという判断なんでしょう。科学だか産業だかの遺産だとかで、年に数回は研究者が見学していきますよ。こっちにゃ遺産じゃなくて負債ですが、そうありがたがってくれるんなら悪い気もしません。周りが脱落して希少になったってのはなかなか皮肉な話ですがね」

 通りの少し先にも、別の店同士を結ぶ鋼索通信の塔が何本かまばらに突き出ているのが見える。鋼索通信が高く目立っているのは、河骨町の建物が軒並み二、三階建てと低いからだ。帝都のもっと繁華な場所でならば、これぐらいの高さでは目につきもしない。

「時間もあるのに長々と話してしまいましたね」

 吉永さんは(タバコ)盆を手に立ち上がり、私を店に招じ入れる。

「二階に上がっておいてください。飯は福寿の部屋に運ばせます」


「おはようございます。本日もお世話になります」

 書き物をしていた福寿さんが振り向いて、三つ指をついて出迎える。利用客でもないのにむずむずする。客なのはむしろ修理を頼む店のほうだ。

 狭い部屋に二人きり。こうした状況で何を話したものか、あるいは話さないでもよいのか。考えあぐねている間に福寿さんが立ち上がり、羽織っていた打ち掛けを搬器と反対の側に置いてある衣桁(いこう)にかけた。

「冷める前にいただきましょう」

「そうですね」

 食事が始まってしまえば、話のために口を開かなくてもよくなる。まさか食べながら話せる口もあるまい。食べ終えたらすぐ仕事にとりかかればよい。

 漆塗りの箸に手を取っていただきますと唱和して、汁物から口につけた。前にあった梅干しはなく、代わりに小魚の佃煮がついている。やはりご飯には甘辛いものがあう。酸っぱいのはいけない。

 会話がないとなれば、また別の問題が生じる。膳を挟んで福寿さんと正対しているので、目のやり場に困ってしまうのだ。用もなしに人を見るのも見られるのも苦手だ。それに無言でいれば目線が強調される気がする。彼女をあまり捉えないよう、飯を口に運んで、目を鋼索通信の方へ向ける。

 搬器を納める窪みの上部は絞りがついていて、花頭窓状になっている。鋼索通信の搬器を通す十分な大きささえ取っていればいいので、形状は意匠上のものにすぎない。当時の施行者が内装にあうようにしたのだろう。

 目を反対に向けると福寿さんが先ほど脱いだ打ち掛けがかかっている。

 白地の衣装にはところどころに黄色い花が刺繍されている。それが福寿草だと気づくのに時間はかからなかった。おそらくは、彼女の名前の由来。福寿草はまだ雪が解けないうちから深い黄色の花を咲かせる。雪を割って咲くのか雪の薄いところに咲くのか。打ち掛けには花の他に、ぽつぽつと黒い小さな斑点も刺繍されていた。小動物の足跡を意図したものだろう。白地を雪に見立てているのだ。

 ぼんやりと見ていたものだから、箸が止まっていた。

「お口にあいませんでしたか?」

「いえ少し考え事を」

 福寿さんに問われ、私は慌てて飯をかきこむ。

「手が止まるほどの考え事、学校のことですか、それとも――()い人のことだったり?」

 かきこんだ飯で(むせ)そうになり、温い茶をぐいっと一気にあおった。

「あらごめんなさい、そんなに驚くなんて思いもよりませんでした」

 口元に手を当ててうつむく福寿さんはどこか子供じみていた。いいようにからかわれているのかもしれない。私は矛先を逸らすべく、文机に所狭しと載った紙の束を指さす。部屋に入った時、福寿さんは机に向かってなにかを熱心に書きつけていた。

「それは鋼索通信で送るものですか?」

「これは……、まあそんなところかもしれません」

 なんだか曖昧(あいまい)な言い方だ。話題にしたくないものだったかもしれない。適当に切りだしたとはいえ、そのまま続けていいものか迷っていると、先に福寿さんが口を開いた。

「向かいの子も古い機械のためにわたしに付き合わされて、大変なものです」

「あまり乗り気ではないんですか?」

「愚痴が書かれていた試しはありません。律儀に毎回なにかしらを(つづ)って送ってきますよ」

「顔を合わせても何も言い合わない?」

 すると福寿さんは少し目を丸くした。

「顔を合わせたことはないですよ。鋼索通信を介した仲ですから」

 今度は私が目を丸くする番だった。顔を知らないとは、文通相手のようなものだろうか。

「わたし達は易々と外へ出られない身なんですよ。出られる時があるすれば、年季が明けたときか落籍(ひか)れたときか、年に数度の紋日のときぐらいです」

 私は迂闊な質問をしてしまったようだ。福寿さんは少し熱のこもった調子で、店の女が置かれた立場を口にする。

「鋼索通信を使えば店にいながら連絡ができるわけですね」

「搬器というのでしたか、箱ごとに送り先は固定されていますけれどね」

「しかしいまはその鋼索通信がなくなりつつあるそうですが……」

「いまは町内であれば、文使いを()って自由にやり取りができます。ただそれは鋼索通信よりも前の時代と同じやり方に戻っただけみたいですよ。機械から人手になったので、見た目には後退と映るかもしれません」

 人から機械へ。科学的にも文明的にもそれを指して発展と呼べるのであろうが、まれに機械から人へと後戻りしてしまう事例もある。簡単な話、機械の維持費より人件費のほうが安く上がるからという理由だ。鋼索通信もその例なのだろう。現に吉永さんが同じ指摘をしていた。

「もっとも、鋼索通信があって、楼主がそれにまだ見世物としての価値を見いだしている店では、わたしたちが腹の中でどう思っていても、実際に毎日使って見世物として動かさないといけないのです」

「少なくなったから、かえって珍しくなったと吉永さんも言っていました」

「あの男は番頭だから店の肩を持つでしょう。使わされる側の立場なんて二の次ですよ。修理屋のあなたはどう思いますか? こんな古くて故障しやすい機械に付き合わされて」

「僕はまだ二度目ですからなんとも。しかも前回は先輩がいましたから、今回が実質的な初めてですよ」

 明確な回答を避ける。それが彼女の期待に()う返事ではないのはわかっている。しかしこちらも仕事を請ける身だ。発注元の事情にとても口出しはできない。

「そうですよね」

 福寿さんも、こちらのはっきりしない返答を予期していたように言う。

「向かいのお相手の心中はわからないような言い方をされましたが、福寿さんご自身はあまり望んでいないのですか?」

「やり取りしたい気分の時や相手、そうじゃない時や相手、いろいろあるでしょう。しんどいって思う時も少なくありません。早いところなくなりゃ楽になれるのに、と思ったことだって何度もありますよ」

 自分で聞いておきながら、私は気の利いた言葉を返せなかった。

 そもそも彼女がどう望んでいるかを聞いたのが失錯。私は機関調律師で、この店には鋼索通信を修理するために来ているのだ。言ってしまえば彼女の望みを拒絶するために働いているようなものである。

 〇鉢屋の仕事を請けているからには、その方針に反する彼女の望みには賛意を示しづらい。鋼索通信がなくなればいいと思っているかどうか、という修理の如何(いかん)を超えた立場での考えの表明など僭越もいいところである。

 かといって個人的な立場でものを言えるほど、花街の事情に通じているわけでもなし、福寿さんと特別に親しくなったと感じているわけでもなし。いまのように返答に窮してしまうのが関の山だ。

「あなたが正直だというのはわかりました」

「そんなことは……、気が利かないだけです」

「その場限りで耳障りのいいお追従(ついしょう)を言うよりかは好ましいですよ。修理する身のあなたに向かって、鋼索通信がなくなりゃいいなんていっても仕方がありませんものね。不平を聞かせてすいませんでした」

 こちらの心中をお見通しの福寿さん。この人は相当に聡い。

「あなたはあの子に、わたしとやり取りをしている向かいの店の子に似ています。あの子だって、バカ正直に文を送らなくてもいいのに……」

「どういうことですか?」

 鋼索通信を動かすため、半ば強いられる形でやり取りしないといけないのではなかったか。そこには正直も偽りもないはずだ。

「空箱のまま送り出してやればいいんですよ。番頭もいちいち箱の中身まで(あらた)めはしません。それをいつも律儀に中身を入れて返すのですから、やっぱりバカ正直なんですよ」

 あっけらかんと言われて、そういう方法もあるのだと私は感心した。外から見て箱が動いてさえいれば、中身の有無は関係ないのだ。

 なるほどそれに気づかない私は福寿さんからすれば正直、それもバカがつく類なのだろう。

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