不眠
「よく分かりません。一体何があったのか、どうしてこうなったのか」
ナシは頭を抱える。そして、首を横に振る。
「何も覚えてないんです…何も」
「いや、いいよ。ナシ、無理に思い出そうとしなくても。きっと、ゆっくり思い出すだろ。それより、もう寝ようぜ。今日も遅くまで残業させれちまってよ」
ナシは小さく笑った。
「Dさんですね?」
烏丸はナシの表情を見てから、わざと少し険しい表情になって言った。
「ああ、そうだよ。またDさんにこき使われた。今度はこっちがこき使ってやろうぜ、ナシ」
「Dさんは恩人です。そんなことはできません」
「マジで言ってんのか? いいんだぞこんな時にまで真面目キャラを突き通さなくっても」
「僕は本当のことを言っただけです」
ニッとナシは笑みを作る。
烏丸は話している間にパジャマに着替えていた。
「そろそろ寝ようぜ。もう夜も遅いし、明日も早いしよ」
烏丸は布団に入った。そして、言った。
「ナシもスーツのまま寝るのはまずいから、パジャマ俺の着ろよ。ここ置いておくから」
「ありがとうございます」
「俺はもう寝るから」
「はい、おやすみなさい」
ナシは暗闇の中、モゾモゾとスーツからパジャマに着替えた。そして、以前もらった薬と今日もらった薬を隠すようにスーツのジャケットを上に被せて隠した。
部屋には二人分の布団が敷いてある。壁には烏丸のスーツがかけられているのと壁際には小さな洋服箪笥がある以外は何もない殺風景な部屋だった。部屋は二人分の布団を敷いたら他には足の踏み場がないようなくらい、狭い空間だった。
烏丸はすでに寝息を立てている。そして、烏丸は眠っている時でさえもマスクを着用していた。
ナシも烏丸に習って布団に入る。目を瞑ってみる。何分か経過してナシはすぐに目を覚ます。また目を閉じる。寝ているふりをしてみる。眠っているふりをしてみる。また数分経って目が覚める。
ナシは布団から出た。そして、ベランダへ通じるドアを開けて、ベランダへ出る。後ろを振り向いて窓を閉めた。
ナシは暗闇に染まる街を見下ろした。それから視線を上げて空を見る。しばらく、じっと空を見上げていた。ほうと一息ついた。
ナシはベランダから部屋に戻る。また布団の中に入り朝まで布団の中で過ごすのであった。
次の日、昼。
「みんなやぷー! 元気ー?」
腰をフリフリしながらノリノリでいつも通り事務所にDが入って来た。いつものようにアフロスタイルに黄色いワイシャツの襟は顎のあたりまであり、ボタンは当然第二ボタンまで外している。赤紫色のスーツのジャケットでズボンはラッパズボン。
「昼すぎてますけどね」
烏丸は少し嫌味っぽくボソリとそう言った。
「で、依頼はなんか来てた?」
「今日は午前中に引っ越しの手伝いとお年寄りの家の草むしりとかでしたよ。結構、軽めの依頼でした。ナシと二人でささっと片付けて来ましたよ。あー、あと天音さんからの依頼料もナシが確認して来ました」
Dは真顔でそして、親指を立てて烏丸に向ける。
「うん、グッドジョブだ」
そして、Dは依頼のあった契約書などの書類を烏丸から受け取った。Dはその書類を小指を立ててつまむような掴み方をして眺める。
「うーむ、僕がいない間によくこなしてるといえよう。合格点だ」
「Dさんも何か仕事してくださいよ」
烏丸は佐藤さんの事務作業の手伝いのためファイルに書類をまとめるなどの作業を行っていた。
烏丸の作業を横目にDはどっかりとソファに座って足を組んだ、背もたれには預けれるだけ背を預けた。まるでのけぞるような姿勢になる。正面のソファにはナシと烏丸が座る。
「僕はね…」
Dはそう言うとサングラスを下に外して真剣な眼差しで烏丸を見た。
「この会社の運用はこのままで間違えてないと思ってる」
「は? 一人何もしてない社員が余ってますよ」
烏丸は手元の書類を指で突きながら前のめりになってDにそう言った。
Dはサングラスを装着して、手を大きく広げる。そして、Dの分厚い唇が上下に動いて言葉を紡ぐ。
「僕は信頼してる。君たちを、家族のように愛してるんだよ」
「でぃ、Dさん」
烏丸の事務作業の手が止まる。心が揺れ動いていた。そして、ハッとし表情になる。一瞬意識がどこかに行ったようで、戻ってきた様子だった。
「あ、危ねぇ。会社に魂売るところだった。このブラック企業は社員も食うからな。気をつけろよナシ」
「はい。でも、僕はDさんのためにこの会社のために全力で働くだけです」
Dは無言で拍手を始める。そして、ナシを指差した。
「誰か彼に祝福を与えたまえ」
Dは顔の前で手を合わせて、視線は天井を向いてどこかに祈りを捧げている。
「……」
佐藤さんは三人のやりとりがまるで聞こえていないかのように熱心にキーボードを打ち込み続け業務に無言で没頭している。
「もうだめだこの会社。マトモなのが、俺しかいない」
烏丸は両手を広げて呆れたようにして肩をすくめた。
「君もマトモじゃないだろ?」
Dはサングラスを少し外し、上目使いをするように烏丸に視線を向けた。
「???」
烏丸は当然、頭の上に疑問符が浮かぶ。
「どんな時でもどんなことがあってもマスクを取らない変人を採用しているんだぞ我が社は! そう考えたら僕の方が常人だと思わないかね?」
「そんなこと言ったらナシはどうなるんですか!? 不老不死とかマジでチート級に変人じゃないですか」
「言えてるよ翼君、そう考えたら一番の常人はこの僕かもしれない」
「あの…」
「いいや! それは絶対にありません」
「あのう…」
「ほう言ったね? どっちの言い分が正しいか佐藤さんにジャッジメントしてもらおうじゃないかネ」
「あのう!!!」
「あ、はいはいはい」
事務所の入り口には一人の女性が立っていた。Dは急に我に返ってその女性に返事をする。
女性は家事用のエプロンをしていて年齢は四十歳くらい。何か不安げな面持ちで立っていた。
「ここが悩み事ならなんでも解決してくれるっていう何でも屋さん?」




