3話 十種神宝
休日の早朝、依芙姫は神社の裏山の頂上の巨石群に行くことにしている。裏山への石畳の階段を登ると、頭上には新緑のトンネルの中に白が混じっているのが見えた。ウワズミザクラが細やかな花を流れるように咲いている。少し先にはズミの花が見えた。丸みを帯びた白い花弁が緑の中で白い灯のように浮かんでいる。
頂上に辿り着き、3つの丸びを帯びた巨石が太陽の光を浴びてキラキラ光っていた。依芙姫は碧威からもらった石をポケットから出し、空に掲げた。石はいつもより、一層輝いて見えた。依芙姫は今日は良いことが起こりそうな気がした。
普段なら朝の早い時間帯は依芙姫以外に人はいないのだが、この日は珍しいことに長い銀髪の少年が頂上に上ってきた。石の光が銀髪の少年に反射した。慌てて、依芙姫は石をポケットにしまった。 銀髪の少年は水色の着物を着ていた。依芙姫は『着物で登りにくくないのかな』と不思議に思った。巨石群を間近に見たいのか銀髪の少年は依芙姫の方に向かってきた。
切れ長の琥珀色の瞳、長いまつげ、整った鼻筋といった銀髪の少年の美しい顔立ちに依芙姫は思はず息をのんだ。
しかし、銀髪の少年が依芙姫に近づくにつれて、銀髪の少年の耳が人間から柴犬やハスキー犬を思わせる銀色の耳に変化し、銀色の尻尾が生え、爪が鋭く伸び始めた。
「君の命もらい受ける」と、突然、銀髪の少年は鋭い爪で依芙姫に切りかかってきた。
依芙姫はとっさに後ろに跳躍したことで、何とか銀髪の少年の鋭い一撃を避けることができた。
『妖!? 魔を寄せ付けない結界が張られているのに、どうやって侵入したんだろう? 』と依芙姫は思いながら、晴真からもらった鉾先舞鈴をシャンシャンと鳴らしたが、銀髪の少年は何ともないようだった。
「僕は悪妖でないから、効かないよ」と銀髪の少年は依芙姫に近づく。
「君には悪いけど、母なる大地、山、森のため、君の命をいただく」と鋭い爪で依芙姫の首めがけて切りかかってきた。
依芙姫は銀髪の少年の素早い攻撃をかろうじて左斜め後ろに下がったことで致命傷を追わずに済んだが、長い髪が切られ頬に鋭い4本の深いひっかき傷を負ってしまった。血がどくどくと頬をつたい、洋服の首元が血で染まっていく。
銀髪の少年は依芙姫の血がついた爪をなめた。「わずかな血でも神氣がすごい、力が湧いてくる」と呟いたが、急に「うっ」と頭を押さえて、銀髪の少年は山の頂上から飛び降り依芙姫の前から去っていった。
依芙姫の命を狙ったにも関わらず、急に去っていた銀髪の少年の行動を理解できなかったが、頬の引っかき傷がズキズキと痛むため、依芙姫は急ぎ下山した。
父・康晴は依芙姫の頬の傷と散切りになった髪を見て、青い顔で「どうしたのだ」と聞いてきた。依芙姫は康晴に先程、銀髪の少年に襲われたことを説明しながら、2人は磐守神社の本殿の一室に移動した。
康晴は布を広げ、依芙姫に布を指し示しながら、「ひとまず頬の傷の治療をしよう。この布の上に横になりなさい」と言った。
依芙姫は布の上に横になると、康晴は丸い玉を依芙姫にゆらゆらとかざしながら、「ひふみよいむなやこと ふるべ ゆらゆらと ふるべ」と唱えた。
暫くすると、依芙姫の頬の傷の血が止まり、痛みが引いた。依芙姫が「なにこれ!? 」とびっくりした。
「依芙姫は、これらを見るのは初めてだな。依芙姫の下にある布は十種神宝の品々物之比礼、この玉は死返玉の複製神具で、怪我人をこの布の上に敷いて寝かせてこの玉を揺らして、布留の言を唱えることにより、怪我が癒えるのだ」
康晴は品々物之比礼と死返玉を指し示しながら説明した。
「そんなすごいものがウチにあるんだね」
「これまで大きなケガをすることが無かったから使わなかったが……。祓師の神具の一つだ」
「へー。複製っていうことは本物はもっとすごいの? 」
「天照大神が天孫降臨の際に、邇邇芸命に授けたのが十種神宝なのだ。本物は死者すらも生き返らせる靈力を持つらしい」
「本物はどこにあるの? 」
「日本最古の神社に有るらしいが、真実はわからん。昔の祓師が神話で伝えられる神具を人間でも扱える神具として十種神宝を複製した。その複製した神具を我々祓師は今でも使っているのだ」
康晴は品々物之比礼をたたみながら、
「傷は、明日には完全に塞がるが、切られた髪は戻らない。女の子なのに、なんということだ」と嘆いた。
「おばさんのところに行って、髪の毛を整えてくる。ついでに、髪の毛が早く伸びる方法についても教えてもらうから気にしないで」
「うむ。父さんが姉さんの美容院まで送ろう。すまんが午後には祓師の仕事があるから、迎えには行けない。終わったら、晴真君に迎えに来てもらいなさい」と康晴は言った。
「わかった」
父をこれ以上心配させまいと気丈に振舞った依芙姫だったが、唯一女性らしいと言われている髪の毛が切られたのはショックだった。
初恋の少年・碧威から、「依芙姫ちゃんの髪の毛は艶やかでサラサラできれいだね。伸ばしなよ! 」と褒められたことを依芙姫は思い出す。これでまた思い出の証が一つ消えてしまったことに依芙姫は胸がひどく締め付けられたのだった。
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