36話 鬼神魔王・大嶽丸、目覚める
夏休みが終わりに近づいた8月下旬。
関東の山あいの谷には、夏の終わりの熱気が漂っていた。
谷の奥には古くから「決して触れるべからず」と伝えられる巨大な岩がある。苔むしたその巨大な岩は、ひび一つないまま禍々しい気を放ち、人も妖も近づくこうとはしなかった。
しかし、ある日、無遠慮なエンジン音が静寂を引き裂いた。
屈強な男達が谷へ乗り入れ、廃材や金属片、得体の知れない廃棄物を次々と谷底にある岩へ捨てていった。
「ゴミを捨てるだけで、大金が入る。こんなに美味しい仕事はねえ」
「場所を教えてくれたサングラスの男に感謝だな」
男達は高笑いをした、その時−−。
ピシッ。岩に亀裂が走った。
「なんだ? 」
次の瞬間、轟音とともに、廃棄物が空中で舞い上がり、谷から重苦しい風が吹き荒れた。
岩は真っ二つに割れ、どす黒い靄が溢れ出した。靄は次第に人影を形作っていった。
「やべぇ」
「逃げろ! 」
「サングラスの男、やばい場所を教えやがった」
男達はトラックに飛び乗り、一目散に逃げ出した。
そして、数時間後。
ミンミン蝉からヒグラシの鳴き声に変わる夕方、磐守神社の社務所で電話が鳴った。依芙姫が読んでいた本を置き、受話器を取った。
「はい、磐守神社でございます」
受話器の向こうからまたしても切迫した声が聞こえてきた。
「……はい。場所は鬼谷村ですか」
短い沈黙の後、悪妖の名前が告げられた。
「大嶽丸ですか? 」
依芙姫は知らない妖だったが、何となくヤマタノオロチに匹敵するくらいの危険な妖であることは感じられた。
「……わかりました。父が帰宅しましたら、伝えます」と告げ、依芙姫は受話器を置いた。
薄汚れたボロボロの浴衣を着た頭部に2本の角と口から牙が生えた大柄な男が鬼谷村の集落を歩いていた。
集落を歩いているのは、年配の男性と女性、柴犬くらいしか見かけない。
「おいおい、この集落にはジジイとババアしかいねぇのかよ」
大柄な男の傍を通った年配の男性の肩を掴んだ。
「おい、ジジイ。若い女子はどこだ? 」
「ん? 肩が重たい気がするが、何じゃろう? 」
年配の男性には、大柄な男が見えないらしい。
「ちっ」と言いながら、大柄な男は右腕を振り回し、右手から邪気を放出した。年配の男性が吹っ飛び、木にぶつかった。衝撃で木が倒れた。
「神氣も少ねえな。腹も減ったし、どうすっかな? 」と言って、目にした建物に入っていた。
1時間後、康晴が祓師の仕事を終えて、磐守家の居間に入ってきた。里子が作った夕食をテーブルの上に、依芙姫と碧威が配膳していた。
「あっ、お父さん。お帰りなさい」
「ただいま」
「お父さん、関東祓師教会から悪妖を祓う依頼があったよ」
「何の悪妖だ? 」
「大嶽丸だって」
途端に、康晴の顔が険しくなった。
「大嶽丸は人がおいそれと行けない鬼谷渓谷に封印されているはずだが……」
「誰かが渓谷に廃棄物を捨てて巨岩がわれて封印が解かれたんだって」
康晴は手をワナワナさせながら、
「バカな……。入口には《危険! 立ち入り禁止》の看板があるはずだ。一体、誰がそんなことを……」
「鬼谷村がある県って、山林に不法投棄されると話題になってたよね。撤去費用に3億3000万円かかるとか」とSNSのBを見ながら、芽生が言った。
依芙姫は碧威をチラリと見た。碧威は目つきが鋭くなり、拳を強く握りしめていた。山林を汚す人間に怒りを感じているのだろうと依芙姫は思った。
「ところで、大嶽丸ってそんなに危険な悪妖なの? 」と依芙姫は康晴に尋ねた。
「ああ、日本三大悪妖の一角に数えられる日本最強の鬼の悪妖だ。異名を鬼神魔王とも呼ばれておる」
「ヤマタノオロチより強いの? 」
「単純に比較することはできぬが、大きさから言ってヤマタノオロチの方が強いと思う」
「ヤマタノオロチを倒したように、工夫して大嶽丸を倒すことはできないの? 」
「危険だが、方法はなくもない」
「どんな方法なの? 」
康晴は言いにくそうに言った。
「ハニトラだ」
「ハニトラって何? 」
「色仕掛けで相手を騙す手口だ」
一連の話を聞いていた里子が身を乗り出し、
「まぁ、あなた、依芙姫を色仕掛けさせる気なの? 駄目よ」
「いや、依芙姫と決まったわけではない。大嶽丸を誘い出して、強い睡眠薬を飲ませるか注入して欲しいのだ」
「どうやって? 」
「大嶽丸は美女を好むことで有名だ。『田村草子』にも、鈴鹿御前に惚れ、童子や公家に姿を変えて夜な夜な館へ通ったというぞ」
「それ、本当の話なの? 」
「可能性はある。大嶽丸は1000年以上も封印されているので、腹も空かせているし、妖力も完全に復活してはいまい」
「本来の妖力を取り戻さないうちに、大嶽丸を倒すということ? 」
「そうだ。今が好機だ。幸いにも、あの村は過疎化が進み、高齢者ばかり。大嶽丸も神氣が少ない年寄りや男は」
「そうだといいけど」
康晴は碧威の方を向き、両手を合わせた。
「碧威君、再度のお願いで申し訳ないが、美しい女性の格好をしてもらえないだろうか? 」
「えっ!? またですか。僕、男なんですけど……」と碧威は心底嫌そうな表情をした。
「君はそのままでも美しいが、女性の格好をするとさらに絶世の美少女になるから大丈夫だ」
「嬉しくないです……」
「私が行くよ」
康晴は一瞬、思考が停止したように固まった。
「大嶽丸がお腹空かせているなら、美女じゃなくても、神氣が多い私でもいいかもしれないし」
「そうだが……。しかし、大嶽丸は火の雨を操るだけでなく、山を黒雲で覆い、雷鳴を轟かせるなどの神通力を操れる。危険だぞ」
「ダメよ。依芙姫。あなたは女の子なのよ。色んな意味で危ないわ」と青い顔をして里子が言った。
「お母さん、大丈夫だよ。私は頑丈だから……」と依芙姫は両手で握り拳を作った。
「それに、大嶽丸を放っておいて、妖力を取り戻させる方が危険だから」
「わかった。依芙姫がそこまで決心しているなら止めないわ」
「僕も行きます」
「碧威君、君がいると心強いよ。そうなれば、晴真君にも女装のお願いをしよう」と言って、康晴はスマホを取り出し、廊下で晴真に連絡をした。
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