29話 種族を超えた共闘
依芙姫は立ち上がり、海水で濡れたパーカーを脱いだ。水色の控えめなフリルがついたタンキニ水着と依芙姫のしなやかで鍛えられた肌が露出された。
依芙姫はきつくパーカーを絞り、再びパーカーを羽織った。パーカーの下に巻いていたウエストポーチを外し、中身を確認した。
「依芙姫ちゃん、何でパーカーを着るの? 」
「なんでって、水着姿を見られるのも、自分が水着姿でいるのも耐えられないから……」
露出が少ないとはいえ人様に水着姿を晒すのは、依芙姫は恥ずかしいからだ。パーカーを羽織ることで、気休めでも肌の露出を少なくしたかったのだ。
「隠すことないのに、可愛いし、似合っているよ」
依芙姫は頬を赤く染め俯きながら、「お世辞でもありがとう」と碧威にお礼を言った。
「お世辞じゃないよ。でも、依芙姫ちゃんの素肌は僕以外誰にも見せたくないかも……」と碧威は言った。
依芙姫は餌を待つ金魚のように、口をパクパクさせた。
「……そんなこと、恥ずかしげもなく、なんでスラスラ言えるの? 」
「なんで? 言っていることがよくわからない」
依芙姫は髪を掻き上げ、フウッとため息をついた。『犬は感情が正直に出る動物らしい……。つまり、狼も同じなんだろう。狼の神獣である碧威は美醜観も人間とは違い独特なんだろうな……』と依芙姫は自分に言い聞かせた。
「それはそうと、碧威君、さっきは私を引き寄せてくれてありがとう」
「どういたしまして。助けてくれたのは人魚だけど……」と碧威はにっこり微笑んだ。
『ま、眩しい。普段は寡黙で綺麗な男の子なのに、ペットの飼い犬のように可愛く振る舞いあざとい時もあれば、凛々しく意見を述べる時もある。獲物の自分を翻弄する狼の戦略的行動は恐ろしい』と依芙姫は思った。
「それはそうと、依芙姫ちゃん。いつの間に神氣で玉を作れるようになったの? 」
「夏休み前にイワナガヒメ様に『神氣を自由自在に扱えるように』と言われ、密かに練習していたんだ」
「へー、すごい」と碧威は感心した様子だ。
「まだ、丸い玉を作ることしかできないんだけどね」
「でも、進歩してるよ」
手で後頭部に触れながら、「そう言ってもらえると嬉しい。ありがとう」と依芙姫はお礼を言った。
ジャパーンと音がした。音がした方向を振り向くと潮音がいた。
「仲間を説得できたぞ」
依芙姫と碧威はお互いを見つめ、ハイタッチした。
「そうと決まれば、祓師のお父さんに連絡しますね」と依芙姫はウエストポーチからジップロックに包まれたスマホを取り出した。急いで康晴にメールで連絡した。
2人の男性の人魚が依芙姫と碧威を乗せた手漕ぎの小さな船を引っ張ってくれることになった。台風で漂流してきた船を取っておいたものらしい。
「私は依芙姫。彼は狼の神獣の碧威君。よろしくお願いします」と2人の人魚に自己紹介をした。
短い黒髪でのっぺりした顔の人魚は「海人」、黒髪を肩までの長さで揃え鋭い目をした人魚は「渚」と名乗った。
依芙姫は白く輝く神氣の丸い玉を作った。潮音を含む3人の人魚の胸元にそっと丸い玉を置いた。
すると、神氣の玉が人魚達の体に少しずつ吸収されていった。
「すごい! 」
「力が湧き上がってくる! 」
人魚達は興奮して飛び跳ねた。飛び跳ねる度に、ザパーンザパーンと海水が跳ね、依芙姫と碧威の体に水飛沫がかかった。
「あの、みなさん……」と依芙姫が人魚達に声をかけた。ハッとした人魚達は落ち着きを取り戻し、水面が静かになった。
「祓師とは連絡がついたか? 」と潮音が依芙姫に尋ねた。
「はい」
潮音は鼻から息を大きく吸い込んだ。
「手筈は整った! では、行くぞ!! 」と潮音は右手をあげ仲間に呼びかけた。
依芙姫の神氣を受け取った潮音を含む3人の人魚と依芙姫と碧威の船を引っ張る2人の人魚、その他に男女の若い人魚達10名がクラーケンがいる沖へと向かって泳いでいった。
クラーケンに近づけば近づくほど波が高く激しくなった。その度に、船は激しく揺れた。依芙姫達は振り落とされないよう、船の端に必死につかまった。
碧威は遠くを見渡した。「あ、おじさん達の船だ」
依芙姫の目にはハッキリ見えないが、康晴と佐藤を乗せた船がクラーケンのところへ向かっているようだ。
突然、海面が爆発したように割れた。濃紺の海面から、いくつもの黒い吸盤がついた長い無数の腕が空へと伸びた。
「クラーケンがこちらに気付いたぞ!! 」
潮音達人魚がクラーケンを囲みながら海中へ潜っていった。暫くすると、人魚の歌声が海中から響き上がってくるのを依芙姫は感じた。海中から聞こえる歌声は不思議な旋律だった。
言葉は聞き取れないが、旋律は高く澄んでいた。海面がかすかにふるえ、無数の泡が立ち上っていく。クラーケンの無数の腕の動きが鈍くなった。すると、クラーケンの上半身が海面から浮かび上がった。
「えっ……これがクラーケンなの!? 」と依芙姫は大きく目を見開いた。
クラーケンはドス黒いタコのような見た目で、 小さな島を思わせるほどの大きさだった。800メートルはありそうだった。クラーケンの瞳は赤黒く光っている。悪妖に堕ちてしまっているようだ。
碧威は鋭い爪でクラーケンの腕を一本切り割いた。そして、注意を引き付けるため、碧威は船板を蹴りクラーケンの頭上に飛び乗り、掌サイズの小さな火球をクラーケンの顔面に投げつけた。
「ぐもぉぉっ……」とクラーケンは叫んだ。
その間、康晴を乗せた船がクラーケンに近づいた。
銃を構えた康晴と佐藤は 2人で大祓詞を唱えた。
「かしこみかしこみ申す。瀬織津姫、速開都姫、氣吹戸主神、速佐須良姫、祓戸の大神、クラーケンを祓い給え清め給え」
すると、深い青色の神氣がそれぞれの銃を包み込んだ。
康晴と佐藤はクラーケンの上半身を目掛けて神氣に包まれた銃の引金を次々に引いた。連続した銃声が鳴り響いた。
深い青色の神氣に包まれた道返玉の銃弾が40発程クラーケンに命中した。クラーケンの体がところどころ黒い塵のように崩れかけた。
しかし、クラーケンが巨大すぎるあまりに祓いきれなかったようだ。道返玉の銃弾が切れたのか、銃声が止んだ。
「直接、八握剣で刺すしかない」と康晴が叫んだ。
「しかし、あいつの頭まで近付くのは至難の業ですよ」
一周の隙をついて、クラーケンは「ブオォォォーン」という奇声とともに、一帯に黒い墨を吹き飛ばした。
「チッ」と呟いた碧威は高く跳躍し、墨を被らずに済んだ。しかし、康晴、佐藤、人魚達は墨を被り顔が墨だらけになってしまった。
「……むっ、まずい」
「……見えない」
康晴と佐藤は狼狽えた。
視界が真っ暗になった人魚達は、顔についた墨を落とすために海中に潜った。クラーケンは康晴達に向かって、無数の腕を伸ばしかけた。
「お父さん!! 後ろ! 」と依芙姫は叫んだ。
碧威はクラーケンの頭部を蹴って、康晴の船に乗り移り、クラーケンの腕を切り裂いた。
「グオォォーン」
クラーケンは回転しながら、残った腕で海面を打ちつけた。高波が船を何度も打ちつけ、依芙姫や康晴が乗っている船が揺れた。
康晴達は腕で目の周りの墨を拭った。視界は回復したが、船が大きく揺れてクラーケンに攻撃どころか近づくことができない。
その時、バサバサと大きな鳥の羽ばたく音と見知った声の大祓詞が依芙姫と碧威の耳に聞こえてきた。そして、大天狗の風祭に抱えられた晴真が青白い小ぶりの長さの神氣でできた刀をクラーケンの額に突き刺した。
「グオォォーン」と痛みでクラーケンが絶叫し足をバタつかせた。その度に波が荒れ狂った。
晴真を抱えたまま風祭は荒れ狂う波とクラーケンの長い手を避けるように少し離れた。黒い扇子を一振りし八握剣めがけて真空波を放った。八握剣はクラーケンの額にさらにめり込んだ。
「ブオォォーン」とクラーケンは断末魔をあげた。致命傷を受けたクラーケンは動けなくなった。間髪入れずに、墨を拭った康晴がすでに突き刺さっている部分を目掛けて、大太刀ほどの長さの神氣の八握剣をクラーケンに投げつけた。再び、クラーケンは絶叫し、クラーケンの体全体が黒い塩粒のように崩れ、海に流れていった。
「やったぞー! 」
「クラーケンを倒した! 」と人魚達が飛び跳ねながら歓声を上げた。
風祭は、依芙姫のところに飛んできた。
「晴真、風祭先生来てくれたんですね。ありがとうございます」と依芙姫は2人にお礼を言った。
風祭はニカッと笑いながら、「間に合って良かった。まさか、巨大タコが現れるとは……」と言った。
「依芙姫」 と潮音が依芙姫の船のところまで来て、康晴の船まで引っ張っていった。
依芙姫は康晴の船に飛び移った。
「おお、依芙姫、無事で良かった」と墨で汚れた手を広げ依芙姫を出迎えた。
「うわっ、お父さん、真っ黒……」
依芙姫は振り返り、人魚達にお辞儀をした。
「皆さんの力のお陰でクラーケンを祓うことができました。ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうな。お陰で海の靈脈を守ることができた」
「私達もできる範囲で陸の靈脈を守っていこうと思います。人魚の皆さんも海を守ってください」
「おう」と言って、潮音は依芙姫に手を差し出した。依芙姫は潮音の手を握り、依芙姫の手の上に碧威が手を重ねた。
「僕も《森の守り人》として靈脈を守るよ」
「碧威君……」
碧威の手の甲の上に風祭が手を重ねた。
「よくわからんが、俺達天狗も守るぜ。おい福竹、お前も来い」と風祭は晴真を手招きし、晴真の手を取り、自分の手の甲に重ねさせた。
「おぉっ、芙姫を中心に種族を超えて団結している。これは調和の力! 」と康晴は呟いた。祓の力はなくても、種族を超えて団結して強大なクラーケンを祓うことを導いた娘の成長に康晴は思わず涙が溢れた。
西の空では太陽が大きく傾き、海の果てへと沈みかけていた。海面は橙から紅、そして深い紫色へと変化していった。一筋の風が吹き、バラバラだった波が少しずつ同じ方向へ流れ始めた。人間、妖、神獣が種族の垣根を超えて、言葉を発するまでもなく、日本の靈脈を守ることに心が一致した瞬間だった。
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