27話 海を荒らすクラーケン
夏の日差しが神楽市を温かく包み込んでいた。青い空に白い入道雲がにょきにょき生えていた。午後の太陽の光が教室の窓から差し込み、窓際の生徒達や黒板を照らしていた。
中年男性の担任が黒板の前に立ち、生徒を見渡して軽く咳払いをした。
「さて明日から夏休みだ」という一言に、「わっ」と生徒達は小さな歓声をあげた。
担任は苦笑しながら「お前達、浮かれるのはいいが課題はちゃんとやれよ。あと、事故や怪我にはくれぐれも気をつけるように」と言った。生徒達はしぶしぶ「はーい」と返事をした。
依芙姫は右斜め後ろに座る晴真をちらっと見た。晴真は真顔だったため、他の生徒達と同様に夏休みを楽しく過ごすのか、その表情から読み取れなかった。
『晴真はあの襲撃から祓師の仕事はお休みしているみたいだけど、夏休みは何して過ごすのかな? 勉強や福竹神社の手伝いかな? 』
依芙姫は右拳を強く握り、『私は神氣のコントロールをできるよう練習をしなきゃ……』と心の中で呟いた。
日直の「起立」という掛け声が聞こえ、依芙姫は慌てて立ち上がり、「礼」という掛け声とともに担任にお辞儀をした。
カバンに教科書や筆記用具をしまい、依芙姫は晴真に声をかけようと彼の方に手を伸ばしかけたが、晴真は副担任、(実は大天狗でもある)風祭と話をしていた。依芙姫は晴真が男からの襲撃後、風祭と話をしているのを度々見かけていた。
『最初、晴真は風祭先生のことを気に入らない感じだったけど、いつの間に仲良くなったんだろう……』と依芙姫は首をかしげた。『まぁ、喧嘩腰よりはいいか』と依芙姫は考え直した。
2人の邪魔をしないように、「風祭先生、さようなら。晴真もじゃあね」と手短に挨拶をし、依芙姫は教室を出た。
風祭はガッチリした丸太のような腕を組みながら、「いいのか? 」と晴真に尋ねた。
「はい。今日もよろしくお願いします」と晴真は風祭にお辞儀をした。
真夏の太陽が屋根と地面をジリジリと焼いていた。蝉が「ミーンミーン」とけたたましく鳴き、磐守神社の敷地の石畳からは陽炎がユラユラと立ち上っていた。
磐守家の居間では、依芙姫、碧威、里子、芽生、康晴が昼食を食べていた。
テレビのアナウンサーが「速報です! 強風や台風が発生してないのに、波が荒れています。今からお伝えする市にお住まいの方は、海岸には出ないようにしてください」というアナウンスし、テロップが流れていた。
「風が吹いていないのに、波が荒れることがあるのかしら? 」と里子は手を頬に当てながら言った。
「ひょっとして、悪妖の仕業かな……? 」と依芙姫は神妙な顔をして呟いた。
「えー。まさかぁ」と芽生は口にした。
すると、康晴のスマホの着信音が鳴った。
「俺だ。悪い」と言い、康晴は立ち上がった。廊下に行き、電話に出た。
「なんですと! 」と廊下から康晴の大きな声が聞こえた。怪訝な顔をした康晴が居間に戻ってくるまで、居間には沈黙が流れた。
「お父さん、どうしたの? 」と芽生が恐る恐る康晴に尋ねた。
「太平洋沖にクラーケンが出現したらしい」
「クラーケンって、何? 妖のこと? 」と碧威が聞いた。
「ノルウェーの伝承の海の妖だ」と康晴が答えた。
「テレビの波が荒れているというニュースと関係あるのかな? 」
「おそらく、あるかもしれん。これから神楽海岸に行くよう要請があった。依芙姫、お前も来てほしい」
「役に立てるかわからないけど、とりあえず行くよ」
「僕も行きます」と立ち上がる碧威。
依芙姫、里子、芽生が一斉に碧威を見た。
「オオカ……、碧威君は泳げるの? 」と里子は心配そうに聞いた。
「泳げます。犬掻きとかなら……」
「……」
綺麗な顔をした碧威が犬掻きで泳いでいる様子を想像して、依芙姫、里子、芽生は思わず笑いそうになった。
「碧威君、海に行ったことがあるの? 碧威君が守りたい森とは直接関係ないと思うけど、それでも行くの? 」と依芙姫は碧威に尋ねた。
「海には行ったことないけど、僕の聴覚や視覚が役に立つかもしれないし……」
「ならば、碧威君も行こう。依芙姫を守ってくれ」と康晴は碧威に頼んだ。
「はい」と碧威は大きく頷いた。
神楽海岸まで磐守家のシルバーの乗用車で向かった。依芙姫達は砂浜に降り立った。「危険ですので、海から出て下さい」という防災無線からのアナウンスが繰り返し流れていた。
依芙姫は水着の上にフード付きのパーカーを羽織り、左耳にイヤホンをつけている。康晴は左耳にイヤホンをつけ、黒の水着にTシャツを着ている。碧威は長い銀髪を後ろで縛り、康晴の紺色の水着を借りて着用している。サーフィンを諦め、帰宅しようとする女性達が碧威に熱い視線を送っていた。
「あの銀髪の男の子、カッコいい! 」
「黒髪の男の子もカッコよくない? 」
「顔より体をよく見て! あの子は女の子よ」
依芙姫はいたたまれない気持ちになった。
風が吹いていないのに砂浜には激しく波が打ちつけられていた。碧威が遠くを見つめ、「向こうで何かが動いています。無数の足をバタつかせている巨大な何かが……あれがクラーケン? 」と言った。
康晴はカバンから望遠鏡を取り出し、沖の海を凝視した。
「あぁ。あれが恐らくクラーケンだ。もう、こんなところまで移動していたか」
「でも、あそこから動いていないようですね」
「そうか……」
「船で向かうしかないか……。だが、クラーケンのところまでたどり着けるだろうか? 」と康晴は頭をかきむしった。
すると、「康晴さん! 」と短髪の30代前半くらいの青年がやって来た。
「佐藤君、どうした? 」
「小型の船を2隻借りられました。漁師の方が操縦してくれます」
「そうか。ありがとう」
「お父さん、この方は? 」と依芙姫が康晴に尋ねた。
「この青年は上級の祓師だ。佐藤君、娘の依芙姫、この少年は娘の友達の碧威君だ」と康晴はそれぞれ自己紹介をした。
「よろしくお願いします」
「よろしくね」
お互いに簡単に挨拶をした後、作戦を話し合った。
「私と佐藤君、碧威君と依芙姫の2チームに分ける。碧威君、クラーケンの注意を引きつけてくれんかね? 」
康晴は申し訳なさそうに、碧威を見た。
「はい、やってみます」と碧威は応じた。
祓師の佐藤はギョッとし、
「康晴さん、こんな少年に任せて大丈夫ですか? 」と言った。
「大丈夫だ。戦闘力で言ったら、碧威君が4人の中で一番強い」
「そうなんですか」と言いながらも、綺麗な顔立ちをした少年が一番強いとは外見からは見えないので、佐藤は信じられないと言った表情で碧威を見た。
「碧威君が翻弄してくれている間に、隙を見て我らがクラーケンを祓う。ただし、荒波が発生して危険を感じたら距離を取るか、あるいは迷わず撤退してくれ」
「了解」
「では、行こう」
依芙姫と碧威は小型の船に乗り込んだ。40代半ばの漁師が依芙姫の小舟を操縦してくれることになった。「俺は涼だ。よろしく」と漁師が言った。
「こんな荒波で船を出すなんて、どういうつもりなんだ? 」と聞いてきた。
涼にはクラーケンの姿は見えず、ただ波が荒れているようにしか見えないようだ。涼は神氣が低いか、妖の存在を全く信じていないから、クラーケンの存在が認識できないのだろう。
碧威が耳を左右に動かし、「海からかすかに歌声が聞こえる」と言った。
「こんなに波が荒れているのに!? 」
「あれ? 人間みたいなのが海の中に何人かいる? 」
依芙姫は左耳のイヤホンに向かって、「お父さん、海の中に人間に似た存在がいるって! 」と康晴に伝えた。
「妖か!? 」
「詳しくはわからないみたいだけど……」
依芙姫と康晴が連絡を取り合っている間に、クラーケンの巨大な無数の足がバタバタと海面を何度も叩きつけた。波が白い壁のように立ち上がり小さな船を容赦なく打ち据えた。
「波が高すぎてクラーケンに近づけない。引き返すぞ」
「うん、わかった」
康晴の応答を終えた依芙姫は「涼さん、一旦引き返してください」と涼に伝えた。「おう」と言って、涼は船のハンドルを回した。
しかし、横殴りの波が小舟に襲いかかり、小舟が激しく揺れ、依芙姫の視界が一瞬白く塗りつぶされた。海水が依芙姫の全身を叩きつけた。足場が大きく揺れ、足腰の踏ん張りが効かず、依芙姫の体は宙に浮き、そのまま海水と共に船の外へと投げ出された。
そして、依芙姫は荒れ狂う海に落ちた。海水の圧力が全身を包み込み、依芙姫は激しい海流に飲み込まれようとしていた。「依芙姫ちゃん!! 」と言って、碧威は海の中へ飛び込んだ。
「おい、大丈夫か! 」と涼が叫んだ。
碧威は必死に犬掻きをしながら依芙姫を横抱きした。しかし、あまりにも激しい海流に容赦なく体が引きずられていった。波にのまれ、上下の感覚がわからない。海水が四方から押し寄せ、碧威は息が吸えず意識が遠のきかけた。その時、依芙姫達を引っ張る柔らかい感触を感じたような気がしたが、碧威は意識が途切れてしまった。
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