25話 命を繋ぐ息吹
依芙姫は「晴真!! 」と言って、晴真の傍に駆けとつけた。碧威はヨロヨロと依芙姫の後を追った。依芙姫は晴真の横に膝をついた。
晴真の両頬と2匹の雷獣達の背中が黒く変色していた。晴真の両頬は特にドス黒く、徐々に頬を起点にして、さざ波のように顔を黒く浸食し始めている。
「晴真、ゴウ君、ジン君、大丈夫? ……大丈夫じゃないよね」
「顔面と腹に邪気の攻撃を受けた。……祓うしかない。お義父さんか……他の祓師に……」と言って晴真は意識を失った。晴真の上着をめくってみると、下腹部を中心に黒く、下腹部を起点に腹部全体に黒く侵食している。
依芙姫は震える手でスマホを取り出し、まだ磐守神社にいるはずの康晴に連絡した。
「お父さん、晴真と雷獣達が邪気に侵されているの。福竹神社の近くの空き地に来て! 」と依芙姫は康晴に伝えた。
いつの間にか晴真の顔のほとんどが黒く変色していった。既に息もしていないようだ。
『どうしよう。お父さんが来るまでに間に合わないかもしれない』また、自分の大切な人がいなくなってしまう恐れから依芙姫の目から止めどめなく涙が溢れ、頬をつたった。
「……依芙姫ちゃん……」と碧威は呆然としながら依芙姫を見つめた。依芙姫のキュロットの右側が微かに光った気がした。
『そなたの神氣を送り込んで邪気を排出させるのじゃ』と依芙姫の頭の中に女性の声が響いた。
『どうやって? 頬とお腹を触ればいいのかな!? 』
『そうではない。 腹に手を当て、お主の息と共に神氣を送り込むのじゃ』
『人工呼吸をするということ!? つまり、……キス……』依芙姫は口付けを躊躇していた。
『早くしないと、そやつの命が失われるぞ』と女性の声が依芙姫を急かした。
依芙姫は意を決して自分の口で晴真の口を覆った。依芙姫は右手を晴真の腹に置き、晴真の体内に呼吸を通して神氣を送り込んだ。晴真の毛穴や鼻の穴から少しずつ黒い靄が出てきた。
5分ほど依芙姫は人工呼吸をし、晴真の頬や腹のドス黒い色は黒に近い灰色に変化していった。晴真の全身からは黒い靄が立ち上り続けている。
「依芙姫!! 」と康晴が空き地に駆けつけた。
依芙姫は康晴に気づき、晴真の唇から自分の唇を離した。
依芙姫と晴真周辺に濃い邪気が漂っていた。晴真の顔と腹部は灰色に変化していたが、まだ邪気が体内にくすぶっているようだった。
「これは急がないとならんな……」と言って康晴は鈴を取り出し、シャンシャンと鈴の音を鳴らしながら、「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑにさりへて のます あせえほれけ」とひふみ祓詞を唱えた。
空き地に漂っていた邪気は祓われ、晴真の顔と腹部の灰色が小麦色に、2匹の雷獣達の背中のドス黒さが金色になった。碧威の右手の痛みも引き、空気も一気に澄んだ。
「すごい……。これが特級の祓師の力なのか」と碧威は呟いた。
晴真から微かに呼吸の音が聞こえてきたので、依芙姫は晴真から離れ、ヨロヨロと立ち上がった。邪気が濃い空間で神氣を送り続けたのは流石に体に応えたようだ。碧威が後ろから依芙姫の両肩を支えた。
「ありがとうございます。晴真さんは大丈夫でしょうか? 」と横たわった状態でゴウが口を開いた。
「間一髪、大丈夫だ。しかし、強い力で殴られているから早く治癒した方が良さそうだ。ひとまず福竹家に行こう」と康晴はスマホを取り出し、誰かに電話をした。
康晴は碧威を見つめ、「碧威君、運ぶのを手伝ってくれるかい? 」
「はい」と碧威は頷いた。
康晴は晴真を背負い、 碧威はゴウとジンを肩に乗せ依芙姫を抱き抱えた。
「こっちだ」と言って、康晴は福竹家へ歩き出した。
「碧威君、歩けるから、降ろして……」と依芙姫は顔を赤く染めながら恥ずかしそうに言った。いくらフラフラの体とはいえ父親の前でお姫様抱っこされるのは、恥ずかしいからだ。
「無理はさせられないよ」と言って、碧威は依芙姫を抱き抱えたまま、康晴の後を追った。
3分ほど歩くと福竹家の玄関にたどり着いた。玄関には白い小袖の上に深い紫の袴、金色の紋が刺繍された羽織を着た40代半ばの男性が心配げに立っていた。
「晴真は大丈夫なのか? 」と晴真と同様に小麦色の肌の男が尋ねた。
「大丈夫だ。これからお務めなのに悪いな、恒一」
男の名前は福竹恒一と言い、晴真の父であり、康晴の大学時代の友人でもある。
「晴真君を寝かせて治癒させたいんだが……」
「案内する」と言って、恒一は広めの和室に案内した。床の間以外何もないこざっぱりした部屋だった。
康晴は黒いリュックから、死返玉と2枚の品々物之比礼を取り出した。品々物之比礼の布の上に晴真と雷獣のゴウとジンを横たわらせた。
そして、康晴は死返玉を晴真と雷獣達にゆらゆらとかざしながら、「ひふみよいむなやこと ふるべ ゆらゆらと ふるべ」と唱えた。
2匹の雷獣達はヨタヨタ歩きだが、歩けるほどに元氣を取り戻した。しかし、晴真はまだ意識が戻らなかった。
「神氣がまだ枯渇しているのかもしれぬ……」と康晴は言った。
《神氣の枯渇》と聞いて、咄嗟に依芙姫は晴真の手を握りしめた。
「依芙姫ちゃん、また神氣を流したら君の体も……」と顔を真っ青にした碧威が言った。
「ここには邪気がないから大丈夫」とニコッと依芙姫は笑った。
一同が見守る中、数分経って顔の血の気が戻り、晴真は目を開けた。依芙姫は晴真の意識が戻ったのでそっと手を離し座ったまま後ずさった。
「ここは……? 俺の家……? 」と晴真は朦朧としながら言った。
「おおっ、晴真、意識を取り戻したか! 良かった! 」と恒一は涙ぐみながら晴真に抱きついた。
「父さん……」
「晴真君、大丈夫か? 」と心配げに声をかける康晴。
「お義父さんが祓ってくれたんですね。ありがとうございます」と晴真は康晴に感謝を伝えた。
ゴウとジンが晴真に駆け寄り、頭を擦り付けた。
「晴真さん、良かったです」
「お前達も無事で良かった」と晴真は雷獣達の頭を撫でた。
躊躇いがちに、康晴が「晴真君、何があった? 」と晴真に尋ねた。
「俺には襲われる心当たりがないので、わかりません。ただ、男は神楽市の10代の祓師の少年を消す。今後、我々の邪魔をしたら殺すと言っていました」
「10代の祓師は晴真君しかいない」
「はい。邪気をまとった拳で殴られる前に、男は札を使って悪妖に堕ちたカラス天狗を召喚しました」
腕を組みながら、康晴が「……呪術師か」と呟いた。
「呪術師って? 」と首を傾げながら依芙姫が尋ねる。
「呪術師は悪妖や悪霊を使役したり、邪気や穢れを用いて攻撃する輩のことだ」
「悪い陰陽師みたいだね」
晴真は頭を押さえながら、「大蛇や魃のことも話していたので、もしかしたらそいつが封印を解除したのに関係があるかもしれません。それと、大蛇、魃、カラス天狗を祓った10代の祓師の少年を消すのが目的のようです」
「なるほど。最終的に祓ったのは晴真君だが……。なぜ、呪術師は10代の祓師の少年と言ったのか……」
「わかりません」
康晴は労わるように晴真を見つめながら、
「とにかく、晴真君、君は一度、命を狙われている。しばらく祓師の仕事は休んだ方がいい」
「そんな……体は明日には回復します。大丈夫です」
「君のお父さんは今回の件でものすごく心配している。依芙姫のことが気になるなら、碧威君に送り迎えを任せるから大丈夫だよ」
「晴真、依芙姫ちゃんは僕に任せて」
晴真は暗闇の中に突き落とされた気持ちになり、唇を強く噛みしめた。
「晴真、今はゆっくり身も心も休んで。そして元気になって」と心配そうに依芙姫は言った。
「晴真、とりあえず、今はゆっくり自分の部屋で寝なさい」と恒一は晴真を諭した。
依芙姫、碧威、康晴は福竹家を出た。
康晴はこれから祓師の仕事で、木畑市へ車で向かうという。碧威に「巨石群に依芙姫を連れて行ってほしい。依芙姫の神氣を補ってやってくれ」とお願いをした。そして、康晴は福竹神社のお客様用の駐車場に向い、依芙姫達と別れた。
依芙姫は徹夜明けのように、目の下にうっすらと黒い影ができ、いつもはツヤツヤしている肌は土気色をしていた。晴真に神氣を流しすぎたのだ。
碧威は依芙姫を抱きかかえ、物凄い速さで走った。磐守神社の裏山の頂上に着くと、碧威は大きな丸岩に依芙姫を座らせた。
「碧威君、ありがとう」と依芙姫はお礼を言った。
碧威は身を屈んで、依芙姫の唇に自分の唇を重ねた。
「碧威君。駄目……」と依芙姫は碧威の肩を押し引き剥がそうとした。しかし、神氣が枯渇しているからなのか、力が入らなかった。
「巨石群の神氣と一緒に僕の神氣も吸収して。神氣を送れたのだから吸えるはず……」と碧威。巨石群や木々の神氣と共に、碧威の爽やかな神氣が依芙姫の体に流れ込んできた。同時に、甘い味がすると依芙姫は感じた。
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