第33話 黎明 前
時間は少し戻り、九度の鐘が鳴った頃のこと。
空気中の魔力が重苦しくなり、空に出現した黒い太陽の影響で学校中が薄暗くなった。
第九の災いが訪れたのだ。
アンナは仲間を信じ、礼拝堂へと急いだ。
礼拝堂は結界で守られていないどころか、鍵もかかっていなかった。
最奥の祭壇前にホルスの魔法陣が敷かれている。
その近くの長椅子にはヨシュアが腰掛けていた。
「やはり、アンナさんでしたか」
男は立ち上がり、アンナと相対した。その顔は変わらず生徒を見る優しい教師のものだ。
「魔法陣を壊しに来ました」
「それではダメです。災いを止めたければ、僕を殺さなければならない。わかっていますね、倒すではなく、殺すです。アンナさん」
博物館での授業を思い出す。相手は命をかけて、この復讐を成し遂げようとしていた。
「私は魔法で人を殺すつもりはありません」
「魔法は人を殺すための武器ですよ。先程、お教えしましたよね。僕の家族は魔法使いに殺され、僕は魔法で魔法使いを殺しました」
「魔法は困っている人を助けるためのものです」
返答としては弱い、ただのアンナの意見だ。彼の意思を変えられるとは思っていない。
「だから、友達を守るため、先生を止めるために、私は魔法を使います」
佩する草薙剣を鞘から抜いて構える。
「ここは狭い。場所を変えましょう」
ヨシュアは細く小さい杖を取り出すと背後に掲げた。
「魂源界放───出埃及記」
一瞬にして、風景が変わる。
礼拝堂は視界から消えてなくなり、アンナとヨシュアはいつの間にか夜の砂漠に立ち尽くしていた。
どこまでも広がる砂原の向こうに、僅かに海が見える。
ヨシュアはこの空間内では自由自在に転移でき、結界の性能も向上する。
「すみません、こんなつまらないところで」
男は己の精神世界を笑ったが、アンナは綺麗な場所だと思った。
「できればアンナさんを傷つけたくありません」
いつのまにかアンナは半透明の立方体の中に閉じ込められていた。展開があまりに素早く、感知できなかった。
「『十戒』。相手を箱の中に閉じこめる封印結界です。とても頑丈ですよ、出られますか?」
草薙剣で斬りつけるが嘘のようにビクともしない。完全に閉じこめられた。
「全てが終わるまでこの中でじっとしていてください」
アンナにそのつもりはない。草薙剣は対策されているため、戦法を変えることにした。
刀を鞘に収め、再び手を合わせる。
目は瞑らない。祈ることもない。
己の底から呼び起こすように力強く唱えた。
「憑依、祇園大明神」
瞬間、白色の魔力がアンナを纏い、周囲の空間を威圧する。封印結界『十戒』が、まるで痛がるように、小刻みに震え出した。
何か、得体の知れないものが少女の内側に降りた。ヨシュアは目の前の生徒から恐怖を感じた。
『祇園大明神』。またの名を『素戔嗚尊』。
ヤマト帝国及び、アンナの前世の日本の神だ。八岐大蛇を倒した英雄神であると同時に、災害や疫病を司る荒々しい守護神でもある。
少女の手に白い拵の刀が出現する。鞘から抜くのと同時に封印結界を斬りつけた。
「天羽々斬!」
十戒はいとも容易く砕け散る。
ヨシュアは即座に再びアンナを封印結界で囲うが、それも刀の一撫で砕け散る。
神器『天羽々斬』はスサノオが八岐大蛇を倒す際に用いた神剣であり、万物を強度や大きさに関係なく切ることができる能力を持つ。
さらに祇園大明神の憑依状態のアンナは伊吹大明神をも越える膂力を得ている。
一瞬でヨシュアの目の前まで距離を詰めると彼の纏う防御結界を破壊するため刀を振り下ろした。
しかし防御結界は砕けない。天羽々斬はその魔力をヨシュアに奪われて、能力を発揮できないでいた。
「わざわざ僕に戦いを挑むということは、魔力吸収への対策はあるのですよね?」
楽しそうに挑発してくる。相手の動揺を誘発させるためではない。彼は未だに教師であり、生徒の成長を見たいのだ。
当然アンナは魔力吸収の対策を考えている。
一旦後退して距離を取ると、アンナは懐から巻物を出して地面に広げ、両手を合わせた。
巻物に記される無数の名前たちが光る。
「召喚、英霊兵団」
変化は無い。普段なら召喚魔法を使うと即座に目の前に使い魔が呼び出されるのだが、今回呼び出した存在は目の前には現れない。
───キィィィィィィン
彼方の上空から隊列を組んだ複数の飛翔体が音速で接近してくる。
熱を吹かしながら飛ぶ鉄の鳥の名は『戦闘機』。
魔法技術が用いられていない、科学技術の産物だ。
魔法世紀でも飛行機は開発されているが、それは魔法技術を用いたものに過ぎない。
今、アンナが呼び出したものは正真正銘、科学技術で作られた飛行機だ。
そして操縦しているのはアンナが召喚した兵士の霊たちだった。
アンナは前世の世界で死んだ戦士たちと契約しており、彼らを生前の状態で召喚できる。その際、武装も実体化する。
彼らは歴史に名を残すような一騎当千の英雄ではないが、その一人一人が、家族や友人、祖国を守るために戦った誇り高い戦士だ。アンナは彼らを尊敬していた。
そして彼らもまた、己の命を犠牲に猫を助けた少女を勇者として認め尊敬していた。
友達のために戦うことを決めた若き勇者の覚悟に応えるため、彼らは国境、時間、世界を越えてここに集まった。それが『英霊兵団』だ。
アンナの魔力吸収対策とは、魔法ではなく兵器による攻撃だった。
ヨシュアは呆気を取られ、空を見上げたまま固まった。
戦闘機の形状や性能は違えど、故郷を攻撃した敵軍の飛行機を思い出していた。
戦闘機からミサイルが放たれ、ヨシュアに命中する。
凄まじい爆発が起こり、砂漠の真ん中に大きな穴が空いた。
その光景をアンナは離れた安全な場所で見ていた。
煙が晴れる。爆心地の中央には無傷のヨシュアが立っていた。
「青銅の蛇」
彼の用いた結界は対火属性防御結界『青銅の蛇』だ。
炎と毒に対して有効な性質を持ち、対銃火器にも用いられる。これを極めた者は兵器の超火力すら易々と防ぐ。
しかしその堅牢な対兵器結界は、一瞬にして距離を詰めたアンナの天羽々斬によって破壊される。
ヨシュアは魔力吸収で天羽々斬の追撃を阻むが、続け様に上空から機銃による援護が行われて防戦一方になる。
「突撃!」
さらに、アンナの指示に応じて、ヨシュアの周囲に召喚魔法陣が展開、自動小銃を装備した兵士の隊列が召喚され、ヨシュアに向かって、発砲しながら突撃を開始した。
魔力吸収には兵器、結界には天羽々斬を当てることでアンナが有利に戦いを進める。
「多彩な使い魔を使った予想外な戦術ですね。悪くありませんよ」
それでも彼の余裕は崩れない。結界、魔力吸収、転移を状況に合わせて使い、アンナの猛攻を凌ぐ。そして、杖を空に向けた。
「炎の蛇」
杖から炎で形成された蛇這い出で、上空の戦闘機と地上の部隊に向かって放たれた。
炎の蛇は音速の戦闘機に追いつくとあっという間に燃やして撃墜していく。
ものの十数秒で戦闘機部隊は全滅。さらに、地上の兵隊も壊滅した。
アンナもヨシュアを傷つけたくないため、万が一やり過ぎてしまったら、即座に防御魔法で彼を保護しようと集中していたのだが、杞憂だった。
ヨシュアはマリアに匹敵するほど強い。
彼が手加減して、攻撃して来ないから、アンナは負けていないだけだ。
魔力吸収をどうにかしないことにはアンナに勝ち目はない。透かさず次の手を打つ。
「名解───天蠅斫剣」
天羽々斬の帯びる魔力の色がより純白に変化する。
『名解』とは神や神器の別名義の力を引き出す術だ。天羽々斬や草薙剣には複数の別名があり、それぞれの能力も違う。
『天蠅斫剣』の能力は退魔。悪鬼羅刹に対して有効な性質を持つ。
「ハエキリ? これは随分と誂え向きな名前ですね」
防御結界を展開して身構えるヨシュアに向かって、アンナが斬りかかる。
「しかし退魔の神器と言えど、魔力を吸収してしまえばただの剣」
天蠅斫剣は魔力を吸収され、攻撃は結界に阻まれてしまう。
その時、ヨシュアに異変が起きた。体内に異物が入り込んだような嫌悪感と苦痛に襲われ、膝をつく。
「これは不味い。毒入りというわけですか」
天蠅斫剣の魔力は悪魔に対して友好な性質を持つため、それを吸収したヨシュアはベエルゼブルとの契約で得た魔力吸収の能力を使えなくなったのだ。
「相手の能力を逆手に取る戦法ですか。一本取られましたね」
苦しそうにお腹を抑えながら、ヨシュアはなんとか立ち上がる。
「ヨシュア先生、もう降参してください」
「そういうわけにもいきません。そもそも、僕は戦いに勝つ必要はない。最後の災いが起動するまで逃げ切れればそれでいい。そのために、このどこまでも続く空虚な砂漠を用意したんです。狡い先生で申し訳ない」
そう言い残して、ヨシュアは転移魔法で姿を消した。
砂漠の隅にある浜辺に転移したヨシュアは波打ち際に座り込んだ。
「やれやれ、子供の成長は早い。まさかここまで強くなるとは」
疲弊しながらも生徒の成長を喜ぶ。
隠蔽結界を張りつつ、魔力感知を行う。アンナは近くにはいない。
しかし、僅かにアンナの魔力が自身に付着していることにヨシュアは気がつく。
確認すると、背中に式札が貼り付けられていた。
式札には小さな召喚魔法陣が刻まれている。
「そういうことか」
式札を破壊しようとするが遅い。
ヨシュアの眼前には既にアンナがいて、天羽々斬を横薙ぎに振っている。
防御結界は破壊され、無防備になった胴体をアンナの左手が掠めた。
ヨシュアは咄嗟に転移魔法で十メートルほど移動して難を逃れる。
「なるほど、召喚魔法を応用した転移ですね」
アンナが用いたのはオリジナルの転移魔法『建速の陣』。
召喚魔法の原理を応用し、自分自身を魔法陣で召喚することで、擬似的な転移を行う魔法だ。
予め、転移したい場所に魔法陣を設置しなければならないが、アンナは式神に召喚魔法陣を刻むことで、利便性を格段に向上させている。
今回は隠蔽魔法で姿を隠した式神をヨシュアに貼り付けることで彼の転移先にアンナも転移できたという訳だ。
「先生、もう逃げられませんよ」
ヨシュアの胸部に剣を象った召喚魔法陣が浮かび上がる。
先程アンナはヨシュアに触れた際に、魔法陣を貼り付けたのだ。彼の体内の天蠅斫剣の魔力と紐づけたためしばらくは消えない。
これでヨシュアは転移魔法を使っても、即座にアンナの追撃を受けることになる。実質的に転移は封じられた。
「参ったな」
口惜しそうにヨシュアは天を仰ぎ、顔を手で抑え、そして俯きがちに頷いた。
「仕方ありません。攻撃魔法を解禁しましょう」
男から発せられる魔力の圧が極端に重くなる。
「炎の蛇」
小さく細い、指揮棒のような杖から巨大な爆炎が吹き出る。蛇の形状に変化した炎が空気を歪ませながら、少女に迫る。
「向火!」
アンナの影からイブが召喚され、草薙剣を炎の蛇に向かって振るう。
炎の壁が出現し、炎の蛇の攻撃を阻んだ。
草薙剣は火や水といった属性を操る能力と、頑丈な守りの性質を持つ。
祇園大明神を憑依したアンナが天羽々斬で攻撃を行い、イブが草薙剣で防御する。それが二人の最強戦術だった。
「やりますね。では、これならどうですか?」
杖が素早く振り下ろされる。
「出埃及」
凄まじい衝撃波が発生し、砂を掻き分け、後方の海を二つに割った。
向火の陣は消滅、咄嗟にイブが防御魔法を張るがそれも間も無く砕ける。
『出埃及』はヨシュアの『解放』の魔法特性を攻撃に用いる魔法だ。
現象としては単純な衝撃波だが、あらゆる防御を突破する性質を持つ。
吹き飛ばされて波打ち際を転がりながらも、体勢を立て直したアンナは印相を組んで式神『八神御前』を呼び出す。
「天八重垣!」
八体の式神が花弁のように円陣を組み、八層の盾が展開される。天八重垣は今尚続く衝撃波を遮るが、一枚、また一枚と徐々に盾が砕けていく。
その間にアンナは新たな防御結界を発動した。
「その血が印となり、災いを過ぎ越すだろう」
羊を象った魔法陣が展開され、アンナの周囲をドーム状に包む。
天八重垣が突破されるが、過越の結界により衝撃波は打ち消された。
アンナが使用した過越の結界は赤羊荘の結界を模倣したものだ。
赤羊荘の過越の結界はヨシュアの魔法に対して有利な性質を持っていた。
これはヨシュアがユニコーン寮生を災いから守るために組み込んだ性質だ。
椿姫が赤羊荘の結界を対災防御結界にアレンジして使っていたように、アンナも対ヨシュア用に過越の結界をアップデートしていた。
ヨシュアは生徒の成長に感銘を受けて一瞬固まった。
「建速の陣!」
その隙にイブがヨシュアの目の前に擬似転移で出現した。
「草薙之火叢舞!」
炎を纏った連続剣撃により、ヨシュアを囲う防御結界が破壊される。
「九血縄」
魔力で編まれた赤黒い九体の蛇がヨシュアを拘束するためにその首を伸ばす。
しかし、蛇たちは霧散して消滅する。
ヨシュアの周囲を半透明の魔力の箱が覆っていた。
「『聖櫃』。悪魔の力を使わずに、僕が編み出した、魔力を吸収する最強の防御結界です」
聖櫃は九血縄の魔力を吸収し、さらにその強度を上げている。
悪魔の力が関与していないため、天蠅斫剣の影響を受けずに使えるようだ。
英霊兵団を使おうにも、青銅の蛇と炎の蛇で対抗されるだろう。
攻撃の威力が魔力吸収量のキャパを越えれば突破できるだろうと考え、一か八か、アンナは最大出力の攻撃をぶつけることにした。
天羽々斬を納刀し、目を瞑って集中する。魔力を刀剣へと集約させる。
アンナが大技を撃つことを察知したヨシュアはそれを阻止するため、防御を保ったまま攻撃魔法を行使した。
「出埃及」
再び、あらゆる不自由を貫く衝撃波が放たれ、無防備なアンナに迫る。
建速の陣でイブがアンナの前に瞬間移動して立ち塞がり、草薙剣を掲げた。
「草薙楯!」
八頭の蛇の紋様が刻まれた防御魔法がアンナを守るように展開される。
草薙剣の『絶対に破損しない』という性質を利用した防御魔法で、防御を打ち崩す性質の出埃及でもその守りを突破できない。
かつてヤマト帝国の神話において、山のように巨大な八岐大蛇の八頭八尾を切った天羽々斬でさえ、草薙剣を切ることはできなかった。天羽々斬が最強の矛なら、草薙剣は最強の盾だ。
その間に鞘に収められていた天羽々斬に魔力が満ちた。
鯉口を切る。
覗く刃から白い靄のような魔力が外界に溢れ出る。
漂う魔力は空間を歪ませ、景色をぶれさせる。
閃光のように素早く鋭く、神剣が抜かれた。
「──天∞×∞切」
ただ刀を抜き、斬り払うだけの抜刀術の動作。二十メートルほど離れたヨシュアを囲う『聖櫃』が粉々に砕け散った。
無防備になったヨシュアは忽ちイブの九血縄で拘束され膝をつく。
理解不能な現象にヨシュアは目を見開いたまま唖然としつつも、自分の敗北を確信した。
『天∞×∞切』はスサノオが八岐大蛇を倒した神話を再現した魔剣術の奥義だ。
現代に伝わる神話では八頭八尾とされる八岐大蛇だが、実際にはその頭尾は無限にあった。
スサノオはその無限の頭尾を天羽々斬を以て断ち切り、八岐大蛇を倒したのだ。
故に、その神話を再現する『天∞×∞切』は一撃で無限回の攻撃を行う奥義である。
無限の斬撃を受けた聖櫃は一瞬で魔力吸収の限界をオーバーして破裂。目に見えない極小の粒子になった現在も、無限の斬撃を受けて破壊され続けている。




