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第24話 昏き黎明 前


 魔法世紀97年 カナンエル国


 三つの信仰の聖地が集う荒野の国『カナンエル』。その国の古い遺跡が残る城壁に囲まれた街に、一人の少年が暮らしていた。


 少年の名前は『ヨシュア・リベロード』。両親と十五歳の兄と共に狭く古い家で暮らしている十二歳の眼鏡の少年だ。


 ヨシュアは学校が終わると家の裏にある小さな広場で分厚い本を開き、指揮棒のような細長い杖を取り出した。


 庶民にしては珍しく、ヨシュアには優れた魔法の才能があった。兄の『カレブ』から魔導書と杖を貰い、毎日魔法の練習をしていた。


「門よ開け」


 ヨシュアが短い呪文を唱えながら杖を振ると目の前の空中に小さな黒い渦巻きが出現した。


 渦の中心にはここではない別の場所の光景が見えていた。ここからいくつもの家の向こうにある市場の光景だ。


 ヨシュアには『転移魔法』の才能があった。


「くそ、またダメだ」


 しかし、時空の門はこれ以上大きくはならない。まだヨシュアには別の場所の光景を見ることくらいしかできなかった。


「やってるなヨシュア」


 後ろから陽気な声がした。振り向くとヨシュアによく似た青年が立っていた。兄のカレブだ。


「お疲れ、兄さん」


 嬉しそうにヨシュアが駆け寄るとカレブは頭を撫でてくれた。


 そんな優しい兄はまだ十五歳だというのに、学校に行かずに既に働いている。


 現在、カナンエル国では武装組織との内戦が勃発しており、人々は貧しい生活を送っていた。


 一家の生活も貧しく、それを助けるためにカレブは学校をやめて働いていた。


 カレブが働いてくれるおかげでリベロード一家に幾ばくかの余裕ができ、ヨシュアは学校に通えていた。


 魔法の才能を持つヨシュアが十五歳になった時に魔法学校に入れるように、家族はお金を貯めている。


 カレブは自分にも魔法の才能があるのに、ヨシュアのために自分の将来を諦めて働いていた。


「まだ転移魔法はできないか?」


「うん。行きたい場所は見えるんだけど、門を開くことができなくて」


「焦らなくても大丈夫さ。おまえには才能があるから、毎日やってればコツがわかって、ある日ひょっこりできたりするはずだ」


 そう言ってカレブは少し申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなヨシュア。俺がもっと魔法に詳しかったら転移魔法のことも教えてあげられたんだけどな。俺にはおまえほどの才能はないし、独学だからちゃんとした先生にもなれない。だけど、安心しろ。絶対にお金を貯めて魔法学校に行かせてやる」


 カレブは自身を卑下するが、彼は優れた魔法の才能を持っており、特に結界魔法に秀でていた。


 悪人が近寄らないように玄関に『過越の結界』を張ってくれたり、町を守る結界の調整も任されている。


 カレブが魔法を教えてくれたからヨシュアは魔法が使えるようになった。兄はヨシュアにとって魔法の先生だ。ヨシュアはカレブに魔法の勉強を続けて欲しかった。


「おまえの魔法は自由の魔法だ。使いこなせるようになったら、何にも縛られずにどこへだって行ける。この信仰と戦争に縛られた国の外を自由に

冒険できるんだ」


 嬉しそうに羨ましそうにカレブは弟の未来を語った。


 カナンエル国は元々『フルシオン』と呼ばれる地域で、住んでいたフルシオン人を追い出して作られた国だ。


 故郷を取り戻すためにフルシオン人の武装組織が度々カナンエル国を攻撃している。中には街中で自分に爆弾を括り付けて自爆する人もいた。


 カナンエル人もフルシオン人も戦争をしてまでこの地に住みたがっているけど、信仰や民族や土地に固執する大人の気持ちがわからないヨシュアにとって、ここは不自由で貧乏で、ずっと戦争の続く危険な場所だった。


 ヨシュアには国の外への憧れがあった。平和で暮らしやすい国々や、緑の大地や、青く広い海は本の中の言葉と写真でしか知らない。


 もし、転移魔法を使えるようになったら、外の世界を見ることが夢だった。


 しかし、同時にヨシュアは本当に自分がこの国の外で自由に勉強や冒険をしてもいいのか、疑問を抱いていた。


 やっとの思いでこの土地に住むことができた人々がいる。


 この地を追い出されて、戻りたい人たちもたくさんいる。


 それなのに、自分だけど身勝手ではないかと、重い鎖が少年の心をこの地に縛っていた。


 こんな不自由な精神状態では、自由を司る転移魔法は使いこなせないとヨシュア本人にもわかっていた。


 今日は他の魔法を練習することにした。


「兄さん。また結界を教えてよ」


「よし、ちょうど次の仕事まで時間があるし、教えてやるか。結界なら得意だからな」


 得意げになるカレブ。転移魔法が上手くいかないため、最近は息抜きも兼ねて結界魔法を教わっていた。


 カレブはチョークで魔法陣を石畳に描くと、背丈ほどもある大きな蛇の装飾の杖を取り出し、穂先で魔法陣を突いた。


 すると魔法陣が鈍く光り、周囲の空気に少しだけ違和感が生じた。


 悪人や災いを遠ざける過越の結界だ。


 過越の結界は基礎の結界魔法であり、同時に究極の結界魔法でもある。使い手によって、おまじないにも、奇跡にもなり得る。


「結界は大事なものを守るための魔法だ。使う時は守りたい大事なものを思い浮かべると魔力が強くなる」


 笑顔のカレブが思い浮かべているものは家族に他ならない。ヨシュアもまた家族のことを思い浮かべて結界魔法の練習に励んだ。


 しばらくするとカレブが時間を気にし始めた。


「もう次の仕事の時間だ。そうだヨシュア。もし、転移魔法が使えるようになっても、勝手に街の壁の外には出るなよ。壁の外は治安が悪くて危険だし、武装組織の連中も潜んでいるかもしれない」


 弟に忠告し、兄は再び仕事に行ってしまった。


 その後、ヨシュアが黙々と転移魔法の練習を続けた。


 ふと、コツコツと石畳の上を歩く足音が近づいてくることに気がついた。


 木漏れ日の濯ぐ昼下がりの小さな広場に、西洋人の男が現れた。


 この街に不釣り合いな清潔な洋装とシルクハットを身につけた男で、年齢は四十代半ばほど。


 柄に金の装飾が施された高級な杖を突いているが、体格も姿勢も良く、足が悪いというわけではなさそうだ。つまりあれは、魔法の杖。


 自信に満ち溢れた輝く瞳の男は優しい笑顔で会釈をしてきた。


「こんにちは少年。私はアレイスター・クロウリー。道に迷ってしまってね。この街の結界は複雑だ。異邦人の私を警戒しているのか、中々行きたいところに辿り着けない」


 アレイスターと名乗る男は困ったように帽子をとって頭を掻いた。


「少年、カルワリオ教会がどこか知っていたら、教えてくれないか?」


 カルワリオ教会はこの街のエクレシア教徒街区にあるエクレシア教の最大の聖地だ。


 世界中のエクレシア教徒が巡礼のためにやってくるが、今は戦時中で、観光客や巡礼者も警戒されている。


 異邦人が街の路地に入り込むと結界の作用で方向がわからなくなることもあった。


 ヨシュアは聖地を訪れた巡礼者を無碍にできないため、怪しみつつも、教会の場所を教えた。


 この街の中にいる時点で入国の審査は通っている。悪い人ではないはずだと。


「ありがとう。……ん?」


 丁寧に会釈しながら、男は興味深そうにヨシュアの手に持つ杖と魔導書、足下の魔法陣を眺めた。


「君は魔法を使えるのかい?」


「はい、少しだけ」


「そうか、実は私もなんだ」


 アレイスターは石畳にチョークで描かれた転移の魔法陣を面白そうに観察する。


「これは君が?」


「いえ、兄に手伝ってもらったんです。でも、まだ転移はできなくて」


 男の魔法に対する純粋な言葉と態度に、ついヨシュアも言葉を引き出される。


「ふむ、そうか。私も転移魔法は使えないから、偉そうなことは言えないが、道案内をしてくれたお礼に、知り合いから教わった転移魔法のコツを君にも教えよう」


 アレイスターはしゃがみ込むとヨシュアに目線を合わせた。

 

「自分が行ってみたい場所を想像してみるといい。想像力は魔法の源の一つだ。行き慣れた近所の市場をイメージするよりも、遠くの世界をイメージする方が想像力の恩恵を受けられる」


 そう言い残すと、満足そうにアレイスターは立ち去っていった。


 ヨシュアは半信半疑でその方法を試してみることにした。頭の中に、彼方の海や草原、異国の風景を思い浮かべる。


 しかし、それでも転移魔法の門が開くことはなかった。


 ◇


 次の日のこと。

 リベロード一家四人が夕食を食べていると玄関の扉をノックする音が聞こえた。


「こんな時間になにかしら」


 母が怪しむ。カレブの結界は訪問者を無害と判断していた。父が玄関の扉を開けると、外には洋装の男性が立っていた。


「どなたですか?」


 父が尋ねると男は帽子を取って丁寧に会釈をした。


「夜分に申し訳ありません。私はアレイスター・クロウリー。魔法教育機関セレマの魔法使いでございます」


 その名を聞き、ヨシュアが居間から玄関を覗くと、確かに昨日見たアレイスターの姿があった。


 ヨシュアに気がついたアレイスターは柔らかく笑った。


「昨日、道に迷った際にヨシュア君に助けてもらいまして、そのお礼に参りました」


 何故か、教えていないのに彼はヨシュアの名前を知っていた。


 アレイスターは包に入った高級な葡萄酒を父に渡した。


 アレイスターはすぐに帰ろうとしたが、見かねた父が彼を夕食に誘った。この街の人々は巡礼者を無碍にはしない。


 父と葡萄酒で乾杯したアレイスターは心底楽しそうにカナンエルの郷土料理を口にした。


 その様子に怪しんでいた母もすぐに打ち解けた。カレブだけは彼を訝しみ、その表情を硬くしたままだった。


「ところでヨシュア君とお兄さんは魔法の才能があるとお聞きしました」


「そうなんです。兄のカレブは結界に長けていて、弟のヨシュアは転移魔法の才能を持っています」


 いつもは堅物な父が誇らしそうに二人の息子のことを語った。


「ヨシュアを魔法学校に行かせてやるために、今は金を貯めているんです」


「おや、お兄さんは魔法学校に行かれないのですか?」


「行かせてやりたいのですが、私の稼ぎでは一人だけしか魔法学校には行かせてやれんのです」


 父はやるせない表情になり、アレイスターは申し訳なさそうに俯く。それから何かを考えるように顎に手を当て、すぐに頷いた。


「実は私はセレマ魔法学校の校長をしているんです。もしも、ヨシュア君とお兄さんさえ良ければ、お二人をセレマ魔法学校にスカウトしたい。もちろん、学費は免除します」


 突然の申し出にリベロード一家は唖然とする。父も驚き喜ぶが、すぐに真剣な顔になってアレイスターに質問した。


「ありがたい申し出ですが、我々は初対面です。上手い話に飛び付きたくても、そうはいかない。何故、二人にそこまでしてくださるのですか」


 戦争と対立し合う信仰に囲まれた地で暮らす父にとって、幸運も奇跡も、躊躇いなく手を出せるものではない。自分たちに取って都合のいい幸運こそ罠かもしれないと勘繰ってしまう。


「我々セレマ機関は魔法の普及に力を入れており、学費や生活苦を理由に魔法を学べない子どもたちを支援しています。


 ヨシュア君とお兄さんは類い稀なる才能をお持ちです。しかしその片方しか魔法を学べないというのは残念でならない。魔法世界における大きな損失だ。私は一魔法使いとして、それを見過ごせない。何よりも、二人に魔法を学んでほしい」


 熱心なアレイスターの言葉に父は悩ましそうに考え込む。


「今すぐにお決めになる必要はありません。私はしばらくこの街に滞在しますから、またお会いした時に答えを聞かせてください」


 アレイスターは会釈をすると帰っていった。それからすぐにカレブが口を開いた。


「俺は魔法学校に行かなくていい。これまで通りお金を貯めて、ヨシュアをサンミシェル魔法学校に入れてやればいい。学費は高いがサンミシェルは世界で一番の魔法学校だ。何より、あの男は信用できない」


 カレブの強い意志に、家族は納得した。


 ◇


 二日後。

 なんでもない、いつもと変わらない、普通の昼下がり。学校が休みのヨシュアは家の手伝いで市場で買い物をしていた。


───ドゴォーン!!


 突然、街の西側から強烈な爆発音が聞こえた。ヨシュアはびくりと身体を震わせて反射的に頭を守るようにしゃがみ込んだ。


 音のした方角を見ると煙が上がっているし、人々の悲鳴と銃声が聞こえてくる。


 武装組織の襲撃だ。ここからそう遠くない。家からはもっと近い。


 心配が恐怖を上回り、ヨシュアは家に向かって走り出した。危険だとわかっていても、家族の安否を確認したかった。今日は休日で父と母は家にいる。


 家に近づくにつれ、銃声は大きく、火薬と血の匂いが強くなる。


 ヨシュアは街の部外者を迷わせる性質のある路地裏を通り、家まで辿り着いた。


 家は爆撃の被害を免れたようで無事だが、玄関の扉に記された過越の結界の魔法陣には亀裂が入っている。嫌な予感がした。


 ヨシュアは素早く静かに家の中に入る。

 

「父さん、母さ───」


 家族を呼ぶ声が詰まる。家に入ってすぐの居間には父と母だったものが落ちていた。


 床一面に血液が溢れ出ている。ヨシュアを育ててくれた大切な両親は冷たく硬くなっており、もう二度と動くことはない。


 嘔吐と慟哭がそこまで迫り、ヨシュアは咄嗟に口を押さえた。


 両親の死の絶望は計り知れないし、初めて見る人の死体は目を逸らしても頭から離れてくれない。


 それでも、生きるために、ヨシュアは息を殺した。泣き叫び、嘔吐けば武装組織に見つかって殺されるかもしれない。


「なんだ、ガキもいたのか」


 後ろから男の声がした。振り向くと武装組織の兵士が二人立っていた。家の中を物色していたらしい。ヨシュアの顔面に自動小銃型の魔銃を突きつけてくる。


「カナンエル人は子供も皆殺しだ」


 耳元で鳴り響くけたたましい連続した銃声。


 しかし銃弾はヨシュアに命中することはなく、空中で停止している。

 

 ヨシュアはその現象をすぐに理解した。


 これはカレブの使う防御結界『青銅の蛇(ネフシュタン)』だ。


 熱と毒に対して特別有効な防御能力を発揮する性質を持ち、銃や爆弾への対策として用いられる。


「ヨシュア!」

 

 家の外からカレブの声が聞こえる。兵士は走ってくるカレブに向けて発砲するが同様に銃弾は空中で停止する。


契約反転(リバーステスタメント)第六戒罰(シックス)!」


 カレブの短い魔法詠唱が終わると兵士二人は途端に動かなくなり、糸が切れた人形のように倒れた。


 ヨシュアは兵士が死んだことがわかった。それはあまりに静謐で穏やかな殺人だった。

 

 両親を殺した奴らにはもっと酷い目にあって死んで欲しいという憎悪と、兄が人を殺めてしまった悲しみでヨシュアは静かに泣いた。


「ヨシュア、もう大丈夫だ」


 優しい声をかけて、兄はそっと弟を抱きしめた。


 父母の亡骸を一瞥するが、彼の目が揺らぐことはない。すぐに両親の死を受け入れ、カレブは自身の全てをヨシュアを守るために費やす覚悟を決めた。


 足が震えて走れないヨシュアを背負うと、カレブはカルワリオ教会へと向かった。


 教会の礼拝堂では慟哭と嗚咽が蔓延していた。


 教会には大勢の人々が避難している。中には怪我をしているもいたり、家族を亡くした悲しみで泣いている人もいた。

 

 教会の奥ではアレイスター・クロウリーが魔法で怪我人の治療をしていた。治療が一段落したようで、ヨシュアとカレブのもとにアレイスターが駆け寄ってきた。


「よかった、無事だったんだね。ご両親は──」


 問いにカレブは虚しく首を横に振った。アレイスターは申し訳なさそうに頭を下げた後、今の状況を二人に説明し始めた。


「現在この街は武装組織から襲撃を受けている。街の壁の外でカナンエル軍が応戦しているが、既に中に侵入している武装組織の対処は追いついていない。敵はかなりの大部隊で街の南部は既に占領されてしまったようだ」


 ヨシュアたちの住むエクレシア教徒街区は街の西部に位置し、占領された南部の地区はかなり近い。


 その時、教会の鐘が鳴り響いた。


「敵襲だ! この教会に向かって武装組織の一団が接近している!」


 鐘塔で外を見張っていた男性が大声を上げる。


 教会に避難していた人々は困惑と恐怖でざわめき出した。その中でアレイスターとカレブがすくと立ち上がった。


「カレブ君、教会の結界はどの程度保つだろうか」


「敵の武装を考えると物理障壁は十分が限界です」


「わたしが外に出て応戦する。それなら敵の集中砲火を免れて結界の耐久時間も延びるだろう。カナンエル軍の援軍が来るまで結界が保てば我々の勝ちだ」


「何故そこまでするんですか。あなたはカナンエル人ではないのに」


 旅行者だというのに命を張るアレイスターが気味悪くて、ついカレブは聞いてしまった。


「ここは私の信仰の聖地だ。という理由では些か説得力に欠けるか。君には私が偽善者に見えているようだからね。それは間違いではない。私はただ、優れた魔法の才能を持つ君たちを死なすのが惜しいだけなのだよ」


 本心なのか、カレブを納得させるための方便なのかは定かではなかった。


 アレイスターは礼拝堂の入り口の扉の前に立つと杖を掲げて人々の視線を集めた。


「私はアレイスター・クロウリー。巡礼に訪れた魔法使いだ。私は今から、この聖地を守るために武装組織と戦う。共に戦ってくれる勇者たちを募りたい」


 数名の聖職者が手を挙げて彼に続いた。教会に奉仕する人の中には魔法を使える人がおり、ある程度の戦力にはなるだろう。


 手を組み合わせて祈ることなど今は何の役にも立たない。例え、神の教えに反して人を殺めることになったとしても、武器を取らなければならない時が人間にはある。


 降伏などという選択肢はない。負ければ殺され、絶やされる。これは国家、血族、文化、信仰の絶滅をかけた生存戦争だ。


「感謝する」


 アレイスターは呼びかけに応えた勇者たちに敬意を表した。


「カレブ君、君は結界維持に全力を尽くしてくれ」


「わかりました」


 アレイスターと数名の聖職者たちは結界と教会の外に出ていく。カレブが祭壇の前に座し、魔法陣を敷く。教会を結界の物理障壁が覆った。


 すぐに外から銃声が聞こえ始める。


 この時になって、漸くヨシュアは自分が戦争の只中にいることを自覚した。


 しかし、ただの子供である彼ができることなんてない。迫る死を待つことしかできない。


 物理障壁に爆弾が命中し、教会が揺れる。


 カレブは手を組み、精一杯の魔力を結界に込めて、なんとか持ち堪えている。その姿を見ていることしかできない自分が情けなくて、ヨシュアは歯を食いしばった。


 十分が経過した頃だった。


 硝子が割れるような音と共に、物理障壁が砕けた。魔力を大量に使用した反動でカレブは吐血し倒れてしまう。


 外から聞こえる銃声と爆発音がより鮮明になる。


 武装組織の兵士たちが教会の中へゾロゾロと入って来た。人々は家族や隣人たちと身を寄せ合って最期の時を覚悟した。


「カナンエル人は皆殺しだ!」


 隊の指揮官が兵士たちに避難者を殺すように指示。自動小銃の一斉掃射が民間人へと襲いかかる。


 そこに、頭から流血したアレイスターが割って入り、防御魔法をドーム状に展開した。


「聖守護天使アイワスよ、人々を守る力を与えたまえ!」


 しかしアレイスターの防御魔法は無数の鉛玉を浴び、すぐに亀裂が入る。


 カレブが起き上がり、更に上から防御結界を展開するが、それも長くは保たないだろう。


 もうそこまで死が迫っている。死ぬのは自分だけじゃない。兄も、隣人たちも死ぬ。恐怖に怯えている余裕すらない。何か自分にできることはないか、ヨシュアは果てのない砂漠を掘るように、己に問答する。


 海を見た。


 死が間近に迫る危機的状況故か、ヨシュアは時間の経過がゆっくりに感じられるほどの集中力で己と問答した結果、自分の心の奥底にある心象風景を見た。


 そこは大海原を望む、静かな砂浜だった。


 杖を持った右手を前に掲げる。イメージするのは、あらゆる不自由から解放された静寂の海辺。


「門よ、開け」


 ヨシュアの紡ぐ言葉に呼応して、周囲の魔力が杖の穂先に集まり、そして破裂した。


 強い衝撃波に武装組織の兵士たちは蹌踉めき、転倒する。


 教会の奥の祭壇の手前に、空間の歪みが出現していた。その楕円形の歪みの中には青い海と静かな砂浜が見える。


「転移魔法だ、皆さん、あの中に走ってください!」


 アレイスターの指示で避難者たちは一斉に転移魔法門へと駆け込む。


 ヨシュアとアレイスターはカレブを支えて、なんとか門を通り抜けた。


 武装組織の兵士が転移門に向かって走ってくるが、


「門よ、閉じろ」


 ヨシュアが杖を振ると転移門は消滅した。


 もう銃声は聞こえず、灰炎で燻んだ空もない。あるのは静かな海と砂浜。温かい晴れ空だけだ。


「ここは隣国の海岸か。どうやら、助かったらしい」


 異国に詳しいアレイスターは転移先にも覚えがあるらしく、聞いた人々は安堵する。


 気が抜けたのか、ヨシュアは砂浜に仰向けで倒れた。


 恐怖の名残で身体が僅かに震えている。冷静になると、安心と悲しみが渦を巻いて湧き上がって来た。教会にいたみんなを助けられたが、両親と大勢の人々が死んだ。


 太陽が眩しい。初めて聞くはずの波の音は、ずっと昔から知っていたみたいに懐かしく思えた。


「ヨシュア!」


 カレブがヨシュアを抱きしめた。互いの心音がわかる。


「おまえのおかげで俺たちは生きている。ありがとう」


 それは感謝であると同時に、慰めだった。両親を失ったヨシュアを繋ぎ止めてくれるのは、兄と、みんなを助けたという事実だけだった。


 それがないと今にも心が溶けて消えてしまいそうだった。


 静かな砂浜に、人々の温かな「ありがとう」がささやかに響く。


 ふと、アレイスターは手を耳に当てて頷き始めた。通信魔法で遠方の人と会話しているようだ。彼の表情に少し安堵が見られた。


「皆さん、どうやら街にカナンエル軍の援軍が到着したようです。じきに武装組織を制圧できるとのことです」


 故郷に戻れると、避難者たちは大きく安堵した。しかしヨシュアには、あの戦火絶えない地獄に戻りたがる人々の気持ちがよくわからなかった。


 アレイスターはこの隣国に知人がいるらしく、その知人の協力により、避難者たちは無事にカナンエル国へと戻ることができた。


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