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第25話 昏き黎明 後


 武装組織の襲撃により、大きな被害を受けたカナンエル国だったが、アレイスター・クロウリーが代表を務める魔法研究機関セレマの支援によって、復興しつつあった。


 両親を失ったリベロード兄弟は二人で協力しながらなんとか生活していたが、ヨシュアが魔法学校に行く余裕はもうなかった。


 兄弟がカルワリオ教会の修復工事の手伝いをしていると、工事現場にアレイスター・クロウリーが姿を現した。


「皆さん、お疲れ様。お昼ご飯の差し入れです」


 セレマ機関からの支援物資を持って来たアレイスターの元に人々が集まる。いつのまにか、アレイスターは街の人々から尊敬されていた。


 武装組織の襲撃時に命を懸けて戦い、その後も復興に尽力する彼が人気になるのは当然だ。


 リベロード兄弟もお昼ご飯の配給を受け取る。すると珍しくカレブからアレイスターに声をかけた。


「アレイスターさん。ヨシュアをセレマ魔法学校に入れてやってくれませんか。俺じゃヨシュアを魔法学校に入れてやることができない」


 諦めたように、カレブは懇願した。


「もちろん大歓迎だ。しかし、お兄さんはいいのかい? 是非、君にも入学してほしいのだが」


 カレブは自分が報われることが許せないようだった。街が壊れ、両親が死に、隣人が死んだ。だから、自分が幸せになることが後ろめたかった。


「僕は兄さんと一緒に魔法学校に行きたい」


 ヨシュアは兄と離れたくなかった。もう家族は二人だけなんだから。


 強い思いが通じたのか、カレブは頷いた。


「わかった、俺も魔法学校に行くよ」


「よかった、ありがとう兄さん!」


 兄弟はささやかに喜び合う。その光景を心底嬉しそうな笑顔でアレイスターは見ていた。


 兄弟は自分たちの選択を後悔することになるだろう。


 ◇


 カナンエル国に別れを告げたヨシュアとカレブはアレイスター・クロウリーに連れられて、セレマ魔法学校のあるヴェスピア合衆国を訪れた。


 初めての飛行船の旅を終えた二人は空港で高級そうな黒い自動車に迎えられた。


「さあ、乗りたまえ。二人を魔法の世界にご案内しよう」


 アレイスターに促され、柔らかい車のシートに腰掛ける。こんな座り心地のいい椅子をヨシュアは知らない。


 車窓から見えるのは建ち並ぶ鉄の塔(ビルディング)と車の群れ、そして色々な人種の人々。故郷カナンエルではお目にかかれない本物の現代世界だった。


 しばらくすると兄弟とアレイスターを乗せた車は荒野の中の一本道を走り出した。カナンエルを思い出させる寂しい砂と岩の世界だった。


「せっかくヴェスピア合衆国に来たのにすまないね。霊脈の関係でこんな場所にあるんだ。社会情勢上の体裁だったり、古い魔法使いへの忖度だったり、立地に関しては他にも色々と理由があるが、まったくつまらないことだよ」


 アレイスターは笑いながら呆れた。魔法能力に優れた者とそうではない者の間には隔たりと争いがある。


 魔法使い同士でも、対立や位置関係がある。


 カナンエルの外でも、人間たちは衝突し合っていた。魔法があるのに、なんて不自由なんだろう。


 しばらくすると荒野の中に白い壁が見えてきた。壁の高さは十メートルほどあり、広大な敷地を囲んでいる。


 壁のせいで魔法学校の施設は何も見えない。出入りできるのは前方にある巨大な門からだけのようだ。


 車は一度門の前で停止した。アレイスターが窓を開けて合図すると警備の兵士が敬礼して、門を開けた。


 その時、ヨシュアの頭の中で、フルシオンの武装組織に銃を突きつけられた時の光景がフラッシュバックした。


 警備の兵士が持つ銃は武装組織の使っていた銃とよく似ているように見えたせいだ。


 車が門を潜る。兄弟は魔力的な違和感を覚えた。


 この施設の結界だとすぐにわかった。そして不快な悪寒に襲われた。戦争の時と同じ、死の気配だ。


「聡い子たちだ。その通り、フルシオンの武装組織が使っている魔銃はセレマ機関が開発したものだ。そしてここは学校ではない。研究所だ。セレマ魔法学校など、最初からないのだよ」


 アレイスターが自白する。


 カレブは素早くヨシュアを抱えると車の外に飛び出した。


 入って来た門は閉まろうとしている。カレブが結界破りの魔法を門に向けて放つ。


「約束の都の門は開かれる」


 しかし、門も結界もびくともしない。


「君の結界魔法については対策済みだ。逃げられては困るからな」


 アレイスターがゆっくりと車から降りる。


 魔銃を持った兵士たちがゾロゾロと現れ、ヨシュアとカレブを取り囲んだ。


「これから君たちには、セレマ機関で魔法の被験体になってもらう」


 魔法使いは普段と変わらない紳士的な口調と穏やかな表情で言った。


「おまえが父さんと母さんを殺したのか!?」


 カレブが激怒し、武装組織を殺した即死魔法を放つ。


 しかしアレイスターは軽く杖を動かすだけで、それを容易く無効化した。カナンエルの戦闘では本来の力を隠していたようだ。


「そうだ。あの長引くカナンエルとフルシオンの戦争は私が操っている。先日、君たちの両親が亡くなられたのも、私が街と家の結界を破壊したからに他ならない」


 その声と態度は悲しみに満ちていた。同時に男の顔は輝くほどの笑みだった。


「聖守護天使アイワス」


 アレイスター・クロウリーの背後に白く輝く影が出現する。


 人の胴と天使によく似た白い翼を背に持つが、顔は隼で、大きな瞳を有し、その腕は全部で六本あった。


 周囲を漂う白く朧げな魔力は、見た者感じた者に強烈な恐怖と嘔吐感を与える。


 聖典にアイワスという天使の名は無い。アレイスターが創った新しい魔法体系『セレマ魔術』における奥義こそが聖守護天使であり、アイワスとは彼の作り上げた虚構の天使だ。


 アイワスは何をするでもなく男の背後にいるだけ。あれはアレイスターの魔法能力が具現化したものなのだ。


 男が杖を一振りすると衝撃波が発生し、兄弟を襲う。


 カレブの防御結界もあえなく砕け散り、二人は壁に向かって強く叩きつけられた。


 朦朧とする意識の中、ヨシュアは何故アレイスターがそんなことをするのか理解できずにいた。


 どうして戦争を起こすのか、どうして自分の両親が死ななくてはいけなかったのか。


 その答えをアレイスターは惜しげもなく自白した。


「カナンエルは実験場なのだ。かつてあの地に現れた偉大な王や預言者、救世主。私はその再来を望んでいる。だから、彼らのいた時代のように過酷な戦争と迫害の世界をあの地に再現した。そして、ついにまた望んだ者が現れた」


 男は兄弟を指し示した。


「私は人類が更に優れた魔法能力を身につけて神の領域に至ることが真の救済であり、到達点だと考えている。


 つまり、魔法を得た人類の更なる進化を望んでいるのだ。


 そして、その進化の最初の一人目となる新しい救世主の器を求めていた。最悪の土壌で育まれた最高の被験体をね」


 男は大勢の人間の命を魔法研究のためのコストとしか考えていなかった。自分の目的を果たすためなら、民族を、国家をモルモットにすることも厭わない。


「人間の命を冒涜するな!」


 思わずヨシュアは声を上げていた。自己中心的な思想の男に対しての怒りが爆発した。杖を男に向けて、魔力を込める。


 するとアレイスターを囲っている防御魔法がひび割れ、鱗のように剥がれ始めた。


 ヨシュアの魔法特性は『解放』。あらゆる不自由に縛られない性質を持ち、その魔力は防御や呪縛を打ち破る。転移魔法が使えるのもこの特性故だ。


「はは、人間?」


 男は杖を傾けるだけでヨシュアの防御破りを無効化する。そして、当然の事実のような口振りでヨシュアに言い聞かせた。


「あれは人間ではないよ。人間とは魔法能力に優れた私たちのような者のことだ。


 あれは人間に進化できなかった猿だ。魔法弱者の命に価値はない。


 君たちのような優れた才能を有する子供が、あのまま猿の元で飼い殺しになっていることが、私は我慢ならなかったのだ」


 男は己の思想に何の疑いも持っていなかった。ヨシュアはすぐに彼とわかりあうことが永遠にできないことを確信した。

 

 同時に、戦いで彼に勝つことも不可能だと悟った。ヨシュアは転移魔法を試みる。


「門よ、開け!」


 しかし空間の歪みが現れることはない。


「無駄だ。君の転移魔法の対策もしている。君たちがこの施設から出ることはできない」


 あまりの絶望に膝をつく。


 白い壁に囲われたこの敷地の奥に、白い大きな箱のような建物が見えた。


 病院や教会のように清廉で潔癖、しかし同時に悲鳴と慟哭じみた黒い想念が漏れ出ていた。


 あれは慈善事業を騙って世界中から集めた子供たちを魔法研究のために殺している屠殺場だ。


「安心したまえ、君たちは待ち望んだ大事な被験体だ。猿のように使い捨てにはしない」


 ヨシュアが助けを求めてカレブの方を見る。


「ごめん、ヨシュア。俺たちは間違えたんだ」


 兄は俯いて謝罪した。ヨシュアは諦めて、絶望を受け入れることにしていた。


 こんなことになるなら、自由を求めなければよかった。あの時、覚悟を決めて転移魔法を使わずに死んでおけばよかった。


 少年の首を黒い絶望の鎖が締め付けた。


 ◇


「あああああああああ!!!」


 真っ白な研究室の中央に磔にされたカレブが痛みで絶叫していた。


 それをヨシュアは硝子一枚隔たれた隣の部屋から涙を流しながら眺めていた。


「素晴らしい適合率だ。これなら魔神ベエルゼブルの器となり得るだろう」


 ヨシュアの隣に現れたアレイスターが満足気に語る。彼は人の心を理解するつもりがない。彼はそれが生命にとって不要だと結論づけていた。


 現在アレイスターが最も力を入れている研究は『悪魔憑依』。


 強大な力を持つ魔神ベエルゼブルを人間の身体に受肉させるつもりだった。


 アレイスターは人間が魔神を制御できるようになれば、神の領域へと到達できると考えていた。


 つまり、魔神を超克したものこそが、最初の進化者たる救世主なのだ。


 エクレシア教の聖典にも、時代の移り変わりの際には預言者、救世主と呼ばれる先駆者が現れたと記されている。


 彼らは悪魔を退け、その時代において際立つ優れた魔法の力を持っていた。救世主は人類の進化の兆しだった。


 しかし、普通の人間の肉体と精神では魔神の憑依には耐えられない。


 巨大で強力な悪魔の魔力によって肉体も精神も崩壊するだろう。


 だから、それに耐えうる優秀な素体を、手の込んだ自作自演をしてまで欲していたのだ。


 その優秀な器であるカレブでさえも、あまりの苦痛にのたうち回り、絶叫を続けた。


 魔神の憑依は何度も実験を繰り返す必要があった。


「とてもいいお兄さんを持ったな。彼が死ぬまで君は悪魔憑依の被験体にはならずに済む。もし、彼が悪魔憑依の実験に成功した暁には、君は自由の身だ。しかし彼が死ねば次は君に被験体になってもらう。そういう契約なんだ」


 カレブはアレイスターと契約して、ヨシュアを苦しめないようにしてくれた。


 それでも、悪魔憑依実験に向けて魔法薬物を投与されたり、命を落とさない程度の実験に使われたり、こうして兄の苦しむ姿を見せられたりしていた。それは救いから最も遠い地獄だった。


 実験が終わると草臥れた兄と共にヨシュアは被験体収容室に帰った。


 被験体収容室は病室のように白く清潔だが、どちらかといえば刑務所の雑居房だ。


 二人の他にも十数人の被験体の子供たちがこの部屋で暮らしており、年長者のカレブは子供たちの世話をしたり、励ましたりしていた。


 ヨシュアも彼を手伝っていたが、次の日にはいなくなるかもしれない子供たちに本心から接することはできなかった。


 この日、悪魔憑依実験で大きく消耗したカレブはなんとか立ち上がり、子供たちを集めた。


 彼は密かに展開した隠蔽結界で部屋の監視カメラを欺くと子供たちに提案した。


「みんな聞いてくれ。最近悪魔憑依実験に慣れてきた。多分だが、悪魔を憑依させられれば、自在にその力を操れるかもしれない。そうしたらこの研究所を破壊してみんなで逃げ出そう。だからそれまで諦めないでほしい。希望を捨てないでほしい」


 暗い顔だった子供たちも新たな希望によってその目に光を戻した。ヨシュアもまた生きるための希望を取り戻していた。


 ◇


 ヨシュアとカレブがセレマ機関に連れてこられてから一年が経過したある日。


 いつもの時間になってもカレブは被験体収容室に戻ってこなかった。


 待ちぼうけしているとアレイスター・クロウリーが被験体収容室に現れた。


「ヨシュア君、一緒に来てくれたまえ」


 実験室へと連れて行かれる。床には悪魔召喚の魔法陣が敷かれており、部屋の中央にはベッドがあった。


 カレブはそこに横たわっていて、虚な目のまま、ぶつぶつと小さな独り言が口から溢していた。


「非常に残念だ。悪魔の憑依に耐えられずカレブ君の精神は壊れてしまった」


 悲しそうに語る男だが、その悲しみの理由は人の精神が壊れたからではなく、優秀な被験体が使い物にならなくなったからだ。


 悪魔は人の負の感情を自分の魔力に変える。精神が壊れて何も感じなくなった依代では万全な憑依はできない。


 ヨシュアはカレブに駆け寄り声をかける。


「兄さん、僕だよ。ヨシュアだよ、わかる?」


 カレブはヨシュアのことには目もくれず、天井を見たまま譫言を垂れ流す。


「あ、あい、あ、べぇ、るぇ、うす」


 空っぽになってしまった。もうこの無様な肉塊に、兄の心は残っていないことをヨシュアは理解した。


 精神の破壊、喪失は人間の死であると、目の前の光景を以て、少年は定義した。あの優しく頼もしい大好きな兄は死んだのだ。


 だったら、もう自分も死んでしまいたい。心なら、とっくに壊れてもいいはずだ。


 しかし少年の心は未だに形を保っていた。何か得体の知れないものが、ヨシュアの心を動かしていた。


 動力源はなんだ。


 両親を殺され、望んだ未来も得られず、苦痛と絶望の日々を繰り返し、最後の希望である兄も喪った。もう少年には何もないはずだ。


 ヨシュアは己に問答する。


 心には一つ。炎が灯っていた。燃料は底のない怒りだった。


 アレイスター・クロウリーがヨシュア・リベロードの肩に手を置く。


「では契約通り、君には悪魔憑依実験の被験体になってもらおうか。安心したまえ、お兄さんの肉体は魔法で生かし続ける。君たちはずっと一緒にいられるよ」


 人間の心を知らない男の発言に、少年の最後の堰が壊れる。


 表面張力も虚しく、ヨシュアの怒りは限界を超えて、外界に魔力となって漏れ出た。


 実験室の床に敷かれた悪魔召喚の魔法陣がヨシュアの魔力に反応して起動する。


「おお! 凄まじい負の感情だ。最高の舞台(じごく)を用意した甲斐があった!」


 アレイスターが歓喜の感嘆を漏らす。


 カレブの精神を殺してヨシュアの負の感情を煽るのもアレイスターの策略の内だった。


 カナンエルだけではなく、この研究施設も、ヨシュアという次の救世主を創り出すための、地獄なのだ。


 陣から黒い魔力の靄が発生する。同時にヨシュアの耳にだけ、地響きのように重く、墓場のように冷たい、蠅の羽音じみた残酷な声が聞こえた。


「我が名は『ベエルゼブル』。七大罪『暴食』を司る魔王だ」


 視界と意識が現実から解離する。ヨシュアはいつのまにか腐敗した人間の死骸の山に埋まっていた。


 恐怖はない。悪魔の精神干渉すらも跳ね返すほどの怒りが少年を酔わせていた。


 ヨシュアは死骸をかき分けて山を登る。頂上には黒い玉座に座った巨大な蠅がいた。


「望みを言うがいい少年。絶望と恐怖を踏破した褒美に願いを一つ叶えてやろう。そなたの煮えたぎる憎悪ならば、愛する家族を生き返らせることも、永遠の命を得ることもできるだろう」


 悪魔の誘惑だ。契約をすれば望みは叶うが、代償として死後の魂の権利を悪魔に奪われ、その魂は地獄に落ちる。


 だからどうした。もう、現世(ここは)とっくに地獄だ。この世界は、魂が永遠の苦痛に悶えることすら、救いに思えるほどの地獄だった。


 もう望みは決まっていた。

 

「魔法使いを殺す力をくれ」


「承諾した」


 蠅の口が大きく開き、魔神は嗤った。オーボエに似たくぐもる声が木霊する中、次に瞬きをした後、少年の意識は現実に戻っていた。


 実験室では研究員が慌ただしく実験の準備をしている。


 意識を失っている間にヨシュアの身体は金具で拘束されており、身動きは取れない。


 アレイスターはモニターに映し出される実験の結果に興奮していた。


「素晴らしい、悪魔に憑依されているのにも関わらず、精神も肉体も健在だ。魔力の制御もできているぞ」


 両手を上げて歓喜を爆発させる魔法使いの姿に、少年は苛立ちを覚える。


 手足を拘束していた金具がベエルゼブルとの契約で得た強力な魔力の影響で腐食し、溶けたように柔らかくなり、子供の膂力で容易く外れた。


「は?」


 研究員たちとアレイスターが一斉に少年の方を見て硬直する。


 ぺたりと素足のまま床に足を付き、アレイスターへに向かって歩む。


 接近を阻止すべく研究員たちが拘束魔法を放つ。魔力で構築された鎖がヨシュアに巻き付くが、一瞬で霧散する。散った魔力たちはヨシュアへと集まり吸収されていく。


 もうヨシュアに魔法は通用しない。少年はベエルゼブルとの契約で『魔法使いを殺す』魔法を手に入れていた。


 暴食の大罪ベエルゼブルの権能は『吸収』。あらゆる魔力を喰らい、自分のものにすることができる。


 手を真横に掲げる。セレマ機関に押収されていたヨシュアの杖が空間を超えて手元に出現した。


 魔力が増えたことで転移魔法のスペックも向上していた。


 暴走した被験体を拘束するため、武装した兵士たちが麻痺作用のある魔弾を掃射する。


 それも無駄。


 魔力を帯びた銃弾はヨシュアにとっては養分でしかない。魔力を吸い取られて抜け殻になった軽い鉛玉が床に散らばる。


 そこでアレイスターの表情が変わる。ヨシュアの新しい能力に気がついたようだ。


「全員、攻撃を止めろ! 魔力を吸収されるぞ!」


 アレイスターの指示で射撃が止まるが、復讐者は既に充分な魔力を得ていた。

 

 ヨシュアは杖を一振りする。


 衝撃波が発生し、周囲を取り囲んでいた兵士と研究職員が一斉に吹き飛んだ。


 余りの威力に彼らの身体はペシャンコに潰れてしまい、かろうじて生き残った者たちからは悲惨な絶叫と呻き声が上がる。


 少年が自分の行為に疑問を持つことはなかった。この残酷な世界では、人殺しは当然のことだ。


 唐突に拍手が聞こえた。血まみれの研究室に立ち尽くしたアレイスター・クロウリーからだった。


「……美しい。人を超越し、魔神を超克し、ついに神の領域へと至ったか。次世代の人類を導く救世主の誕生だ!」


 アレイスター・クロウリーの目からは止めどなく涙が溢れ出ていた。


 悲しみや恐怖の涙ではない。この殺戮を目の当たりにして、感動しているのだ。


 号泣のまま笑みを浮かべ、両手を広げて身体全身で感動に打ちひしがれていた。


 ヨシュアはこの男をどうやって苦しめて殺してやろうかと考えていたが、意味のないことだと呆れた。実験成功の絶頂に浸っているアレイスター・クロウリーに死への恐怖などない。


「おめでとう、ヨシュア君。君は進化したのだ。だが、進化は更なる段階への中継地点に過ぎない。この力を以って何を為すかが肝要なのだ」


 男の目がまるで夢を語る少年のようにキラキラと輝く。


「悪魔憑依技術を汎用化し、頒布すれば、今を生きる人類は神の領域へと至り、救済されるだろう。しかし、それで救われるのは生きている人間だけだ。私はこれまで懸命に生きて、死んでいった過去の人々が救われないことがどうにも許せない」


 男の救済対象には当然ながら魔法能力の低い人は数えられていない。


 加速するように徐々に早口になるアレイスター・クロウリーの目と口が一段と大きく開かれる。


「次の研究テーマは『死者の復活』だ! 死者を生き返らせ、救おうではないか。


 新たな救世主の力があれば、そんな奇跡すらも可能だろう。


 そうだ、まずは悪魔の契約による願いの成就から試してみよう。


 ヨシュア君、手始めに亡くなった君のご家族を生き返らせてもらうように悪魔に願うのはどうだろうか。


 魂が必要なら、使い捨ての被験体が大勢いるから、自由に使って構わない」


 悪魔は確かに何でも願いが叶うと言っていた。ヨシュアだってできるのなら死んだ家族を生き返らせてくれと悪魔に願いたかった。


 しかし、悪魔がそんなに都合のいい解釈をしてくれないことはわかっていた。


 聖典には悪魔の所業が記されているし、死者の復活は人間の魂程度の安い代償では罷り通らない最大の奇跡だ。


 何より、アレイスターに騙されたことでヨシュアは学んでいた。都合のいい話を向こうから持ってくる奴は信用できない。


「死者を生き返らせるつもりはない。それは死んだ人への侮辱だ」


 少年はアレイスターを見据えてはっきりと拒み、否定する。そして、


「僕がおまえたちを進化させてやるつもりもない。進化以前におまえたちはまだ人間にすらなれていない。人間に一番大切な部品が欠けた紛い物の欠陥品だ。おまえたちは未来にはいらない」


 湧き上がる憎悪と哀れみを言葉として魔法使いにぶつけた。


 しかし、男は意味が理解できずにキョトンと立ち尽くすだけだ。


 男は自分が完璧で優れた人間だと自負していた。


 幼い頃から他の人間と自分の差異には気がついていたが、それは自分が優秀すぎて、他が劣っているからだと、疑うことすらなかった。


 少年は男がこの世に存在してはいけないものだと悟った。あれを殺すことが己に与えられた使命の一つだと感じられた。


 憎悪、憤怒、哀れみ、嫌悪感。アレイスター・クロウリーを殺さないでおく選択肢も意味も、ヨシュア・リベロードにはなかった。

 

 杖を向ける。


「私を殺すのか、少年」


 男の背後に聖守護天使アイワスが出現するが、その魔力すらもヨシュアに吸収され、天使の影は崩壊する。


 アレイスターは戦いで勝てないことを悟り、杖を手放した。


「人類の進化と魔法の行末をこの目で見届けられないのは非常に残念だ。しかし、私の研究成果は今こうして目の前にあり、世界中に同胞たちがいる。きっと人類は神の領域へと至れるだろう」


 男は自分の命すらもこの世界の糧でしかないと考えていた。


 この男を殺しても、世の中を支配する魔法使いはまだまだ大勢存在する。


 セレマ機関は多くの権力者や国家と秘密裏に繋がり、支援を受ける代わりに、魔法技術を提供していた。セレマ機関は氷山の一角に過ぎない。


「だったらそいつらも全員殺す」


 家族を殺すことに加担した者たち全員を殺すまで、この炎は消えない。


 復讐者になることを少年は決意した。


 魔法能力で人を差別し、世の中を裏から操る魔法至上主義者たちを根絶やしにすると死んだ兄に誓った。


 ヨシュアの杖に指揮されて、空中に黒い魔力が集まり、煮えたぎるヘドロのような巨大な球体が構築される。


 人間を丸々飲み込むほどの大きさのそれはアレイスター・クロウリーに向かって、凄まじい威力で放たれた。男は一瞬にして跡形もなく消滅した。


 歓喜に満ちていた男も、その最後の瞬間は真顔だった。それが小気味良くて、ヨシュアは反射的に嗤っていた。


 しかし怒りが収まることはない。何せ、復讐の相手はまだ世界中にいるのだから。


 アレイスターを始末した後、ヨシュアは別の研究室に移されていたカレブだったもの(・・・・・)の元を訪れた。


 哀れな肉塊は絶えず譫言を口から垂れ流している。このまま無理やり生かし続けるのはカレブに対する侮辱だ。


 ヨシュアは自分の手で兄を殺してやることにした。


 これはもう兄ではないと己に言い聞かせながら、生命維持装置の魔力を切った。部屋の中に心停止を知らせる機械音が鳴り響く。


 兄の遺体の胸に手を当てる。


「兄さん、力を貸してくれ」


 遺体から魔力がヨシュアへと吸い上げられていく。


 ヨシュアは『吸収』の力により、相性の良い相手からなら魔法能力を奪うことができるようになっていた。


 カレブの持つ『守護』の性質がヨシュアへと譲渡された。


 これにより、ヨシュアは兄のような優れた結界魔法を扱えるようになるだろう。


 身体の底から、覚えのある温かい魔力が漲るのを感じた。兄が己の中で生きている、そう思えた。


「兄さん、僕は行くよ」


 緊急事態を告げるけたたましい警告音の鳴り響く施設の中をヨシュアは堂々と闊歩する。


 暴走した被験体を止めるため、職員と警備兵が立ちはだかるが、あっという間に施設の白い廊下は真っ赤に染まる。


 ヨシュアは他の子供達が閉じ込められている被験体収容室へと戻る。子供達は不安そうに部屋の中で震えていた。


「みんな、ここから逃げよう。僕たちは自由だ」


 子供達を引き連れ、研究施設の外に出る。


 施設の敷地を囲う白い壁にある唯一の門の前には兵士と魔法使いが大勢待ち構えていた。


「止まれ被験体。おまえたちの体内にはいつでも殺せるように毒魔法が仕込まれている」


 その毒魔法は既に解除していた。こういう時が来た時のために、カレブが解呪手段を考えていたのだ。


 ヨシュアは兄から受け継いだ蛇の装飾の杖を天に向かって大きく掲げた。


「門よ、開け」


 少年から門に向かって衝撃波が発生する。


 それは魔法使いと兵士を粉微塵にしながら頑強な結界ごと門を貫通した。


 もう、子供達の自由を阻害する壁も鎖も何一つない。


 子供たちの列は昏き夜の荒野を歩き始める。


 まだ昇らない太陽を目指して。


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