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第22話 第六の災い 後


 マリアがエクソダスの結界を破壊して助けに来た。


「みんな、よく頑張ったわね。もう大丈夫よ」


 優しく穏やかな声と表情に、少女たちは安堵する。


 イブは嬉しそうに文句を言った。


「マリア、遅いよ」


 テロを警戒して各国が転移を規制しているせいで、一瞬で目的地まで行けるマリアも国境などで度々止めらてしまい、毎度エクソダスに逃げられていたが、今回は間に合った。


 マリアは倒れたアリスと怯える少女たちを申し訳なさそうに見る。


 まだ校長が殺されていないのも、マリアがエクソダスと相対することができたのも、アリスたちが戦うことを選んで時間を稼いだおかげだった。


「アリスは自分の傷も治せるから大丈夫」


 マリアがアリスの無事を伝える。


 アンナは良かったと安心して、それでも彼女が感じた痛みは無くならないんだと気がつき、自分を責める心の言葉が止まらなくなった。


「イブ、みんなをお願いね」


 マリアに頼まれて、イブはこくんと頷いた。


 本来ならばマリアと互角の力を有する女神のイブだが、今は訳あって弱体化しており、巫女であるアンナも精神的に追い込まれているため、できることに限りがあった。


 歯痒いが、マリアに頼まれた通り、今ある全力でアンナの友達たちを守ることにした。


 聖女はカツカツと靴音を立ててアロンへと迫る。


「おお、聖女よ、何故我らの大願を阻もうとする」


「未来を担う子供たちを傷つけてまで叶えたい望みが大願とは烏滸がましいわね。暴力からは平等も平和も生まれない」


 マリアはエクソダスの思想を一刀両断ぶった斬って、白銀の剣を右手に出現させた。


「海凪ぎ、星光る。星海天使(ガブリエル)


 聖句に応じて白銀の剣が聖なる光の魔力を帯びる。


星海天使(ガブリエル)』。それは聖典に記された、無限と神託を主る大天使だ。


 マリアはガブリエルの力を魔法として使うことができる。


「後ろの子供を狙え」


 アロンの命令で兵士たちが少女たちに再び銃口を向ける。


 次の瞬間、この空間にあった全ての銃火器が粉々に砕け散り、エクソダス兵全員が気絶して倒れた。同時に、アロンを守る結界が砕け散る。


 マリア・フルルドリスはいつのまにかアロンの目の前にいた。

 

 時が一秒を刻むよりも早く、この出来事が起きた。


 誰もマリア・フルルドリスの動きを追えない。


 大天使ガブリエルの権能『転移』と身体強化魔法で極限まで高められた身体能力により、マリアは超高速の戦闘が可能だった。

 

 マリアの銀剣が蠅の仮面に突き立てられる。


 突き刺される寸前でアロンの身体が一瞬にして消えた。


 かと思えばマリアの背後にアロンが姿を現し、杖を彼女の後頭部に突きつける。


 アロンもまた転移魔法を使える。エクソダスが世界各地に突然現れるのはこの転移魔法のおかげだった。


 杖をマリアに突きつけたアロンは間も無く魔力砲を放った。


 マリアが傷つくことはない。


 彼女は防御力においても最強無敵だ。常に身体を纏う透明で薄く、どこまで分厚い防御魔法があらゆる攻撃を防ぐ。


 マリアの魔法は『人を守るための魔法』だ。殺人に特化した魔法に対して逆に強い効力を発揮する。


 ノールックで左手をアロンに向ける。今度はマリアが魔力砲を放った。アロンだけを焼却するコントロールされた完璧な攻撃。


「無駄だ。私に魔法は効かない。私は魔法世界を平等に導く者だ」


 マリアの攻撃魔法を吸収し、己の魔力としたアロンは、その矛先をアリスを介抱しているイヴたちに向け、魔力砲を放った。


 その攻撃も遠隔で展開されたマリアの防御魔法によって容易く阻まれる。


「他人のものを奪って自分のものにするあなたが平等を語らないで」


「持つものから奪い、持たざるものへと分配することが平等を成す方法の一つだ」


「それが平等ではないと言っている」


 対立する者同士の問答。そこに着地点はない。


 イブたちはここから逃げようにも、アロンが度々攻撃してくるため、無闇に動けずにいた。


 アロンはマリアの隙を作るための餌としてイブたちを利用している。


 アロンが転移を使える以上、一番安全なのはマリアの目の届く近くにいることだが、足手纏いになっていることが、少女たちに焦燥感を与える。


 目の前で行われる最高峰の魔法戦闘に加われるくらい強くなりたいと、キリエ、ルーナ、椿姫は強く思った。


 マリアは強化した剣で攻撃するだけのシンプルな戦法に専念し始める。


 外部に出力する魔力を最低限にすることで、奪われる魔力は減り、相手の消費の方が大きくなる。


 ただの剣撃でも、その洗練された攻撃は堅牢なアロンの結界に傷をつける。


 一撃で破壊することはできないが、転移を組み合わせた高速戦闘により、あっという間に結界を破っていく。


 その度にアロンは即座に結界を張り直して防御するが、防戦一方になる。


 アロンは後退し、床に手をついた。床面にエネアドの四柱の神々が刻まれた魔法陣が展開される。


 魔法陣に刻まれているのは、『医術を司るイムホテプ神』、『伝染病を司るセクメト神』、『知恵を司るトート神』、『平和を司るイシス神』だ。


 さらにアロンは床に転がった校長を転移魔法で手元に引き寄せると手荒に魔法陣の上に投げ捨てた。


「うぐ、何をする!?」


 アロンは瞬時に周囲に結界を展開し、詠唱を始めた。


「穢れた生贄をここに捧げる。異教の神々よ、冒涜の血に侵されたまえ」


 マリアが斬りつけ、結界の膜にヒビが入るが、剣のみではすぐに破壊できそうにない。

 

「第六の災いよ、来ませい!」


 詠唱が唱え終わると同時に校長の体に異変が起きた。身体中に腫れ物ができては潰れて膿が吹き出し、苦しそうに悶え始める。


「うぎゃぁぁっ!? いやだ、死にたくない〜!!」


 アロンは魔法至上主義者の処刑を無理やり果たそうとしていた。このままではマリアが結界を破る頃には校長は死んでいるだろう。


 その時、突然アロンの結界が不自然に割れ、校長を別の結界が囲い、保護した。


 新たな結界には子羊の紋章が刻まれている。過越の結界だ。


 すかさず、無防備になったアロンをマリアが斬りつける。


 白い外套が裂けるが何故か血は出ない。それでもアロンは怯み、動きが鈍ったため、その隙にマリアは校長を救出し、後方に転移して、即座に治癒魔法で腫れ物を取り除く。


 廊下の角からヨシュアが姿を現す。


 アロンの結界を破り校長を処刑から守ったのは彼だった。


 ヨシュアは手に持つアーモンドの木できた小さく細い杖をアロンへと向ける。


 彼の姿を見て、白い外套の指導者は唸る。


「サンミシェルの結界師か」

 

 アロンは校長を諦め、後ろに下がる。右手を振るとその場所に黒い魔力の歪みが出来上がった。


 長距離転移魔法の(ゲート)だ。あの中に入られたら遠くに逃げられる。

 

 マリアとヨシュアが逃走を阻止しようと動く。


 突然、廊下中に気絶して倒れているエクソダス兵から強烈な魔力が込み上がる。


 ヨシュアもマリアも、この現象が昨日グーフ・ポーカーの処刑に用いた『爆発魔法』の前兆だと気がついた。


 エクソダス兵は自爆用の術式を肉体に埋め込んでいるのだ。


「さらばだ、救聖女マリア」


 生徒を守るために防御魔法と結界魔法を展開する二人がアロンを気にかける余裕はない。


 アロンが長距離転移によって姿を消した後、総勢十二名のエクソダス兵の身体が破裂し、ホテルの二階部分を包み込むほどの爆発が発生した。


 凄まじい衝撃と音、光、炎、熱。しかし、少女たちと校長に影響はない。


 ヨシュアとマリアの守りによって無傷だ。


 煙が晴れる頃、現場には黒焦げになり飛び散ったエクソダス兵の肉片だけが残った。情報、痕跡を消すための自爆でもあるのだろう。


「ああ〜助かった〜!! ありがとう、マリア先生、ヨシュア先生!!」


 ボロボロの校長がヨシュアの足に縋りついて感謝する。身体中血だらけだが意外にも元気だ。


 少女たちは緊張の糸が切れて脱力して、座り込んだ。


「うへぇ、ルーナたち生きてるっぽいね」


「あはは、まだ震えが止まりません」


 珍しくキリエは無口で、悔しそうに俯いていた。彼女は自分の無力感に打ちひしがれている。アロンの攻撃を防げず、アリスを守れなかったことが悔しかった。


「アンナちゃん、返すね」


 イブが憑依を解除し、アンナの意識が表面に出る。何もできなかった自分が情けなくて、穴があったら入りたかった。

 

 倒れていたアリスが目を覚ます。いつのまにか胸の傷は治癒している。それどころか、服に空いた穴すらも元通りになっていた。


「……アリスちゃん、よかった」


 アンナは泣きながら、できるだけそっと、アリスの胸に触れた。心臓の鼓動を感じる。生きている。


 アリスはゆっくり体を起こすと申し訳なさそうに目を閉じた。


「皆さん、ごめんなさい。私は選択を誤りました」


 不甲斐ないと歯を食いしばる。後悔するアリスにヨシュアが声をかけた。


「その通りです。あなたたちは間違った」


 普段は温厚な彼から想像もできないほどの、厳しく鋭い声だった。


「誰も死ななかったからよかったですが、僕の結界の中にいれば、怪我をすることもなかったんです」


 感情的にアリスを叱責して、途中でヨシュアは苦い顔をして声を止めた。


「僕が頼りなくて、信じられないというのも要因の一つですから、ここまでにしておきます。すみません、こんな時に声を荒げてしまって。とにかく、皆さん生きていて良かった」


 自身も反省し、ヨシュアは生徒たちの無事に安堵した。


 そこに校長が言葉を挟む。


「その通りだヨシュア先生。私も生徒もこうして生きている。結果論だが、彼女たちが勇敢に戦ったおかげで、マリア先生が来る時間を稼げて、私は助かったのだ。事が始まった時には誰も先はわからんのだから、仕方あるまい。今は生徒が全員無事なことを喜ぼう」


 校長は喜びとは程遠い、物悲しい目で、廊下の先に転がる警備員たちの死体を見ていた。


 魔法至上主義者としてエクソダスに恨まれる彼だが、生徒の無事に安堵し、人の死を悼む、真っ当な心は持っていた。


 ◇


 エクソダスの襲撃を乗り切った一行は食堂に避難していた他の生徒と先生たちと共に、別のホテルへと移動した。


 ユニコーン寮一年生五人組は一ヶ所に集まったものの、そこには重たい空気が漂っていた。


 アリスが口を開く。

 

「皆さん、改めて、ごめんなさい。私のせいで、皆さんの命を危険に晒しました」


 強かで、いつも微笑んでいるアリスがこんなに悲しい顔をするのは初めてだ。


 彼女の謝罪に椿姫が応えた。


「アリスさん、戦うことを選んだのは私たちです。ですから、ご自分一人で抱え込むのはやめてください」


 普段のおどおどしている時とも、好きな本を語る時とも違う、堂々と力強い言葉だった。


「私たちはアリスさんの考えが正しいと思ったんです。怖い思いをすると、死ぬかもしれないと、分かった上で戦ったんです。あの時の正解がわからない状況なら、あれが最善だったと思います」


 言い切って、椿姫は自分がいつもの違うことに気がついて、頬を赤く染めて恥ずかしそうにした。


「……しゅみません、でひゃばりました。あっ、かみまじだ」


 いつもの椿姫に戻ってしまうが、その様子についアリスは小さく吹き出し、ルーナもキリエも笑い出した。


 椿姫は一層顔を赤くし、アリスは口を手で隠しながら笑い悶えた。


「ありがとうございます、椿姫ちゃん」


 落ち着いたアリスがお礼を言う。みんなの重苦しい雰囲気も晴れた。


 その中で今度はキリエが開口した。


「私、弱かった。みんなのこと守れなかった。だから強くなりたい。強くなる!」


 その熱い決意が伝播して、椿姫が手を挙げた。


「わ、私も強くなりたいです!」


 やれやれとルーナも参加する。


「マリア様がかっこよくて憧れちゃった。だからルーナもマリア様みたいに強くなりたいな」


 ルーナはいつのまにかマリアのことを様付けて呼んで崇拝し始めていた。


 あの場面で命を救われたのだから無理もない。アンナもより一層マリアのことを尊敬した。


 そのマリアだが、あの後すぐに逃げたアロンとエクソダスを探しに行ってしまった。お礼を言ったり、悩みを話したりすることもできていない。

 

 ちょいちょいと、ルーナがアンナの腕をつついた。


「アンナちゃん、大丈夫?」


 一人だけ暗いままのアンナのことを心配していた。


「う、うん。大丈夫、ちょっと疲れただけ」


 空気を悪くしないために無理やり前向きな表情と声を作った。


 本当は大丈夫じゃない。


 アンナの心はまだ立ち止まったままだった。


 他のみんなはエクソダスの指導者アロンに遭遇して動けなくなったが、アリスを守るために恐怖に打ち克って彼女を守ろうとした。


 そして、今度は強くなろうとしている。


 しかしアンナはまだ恐怖に打ち克つことができていなかった。だから、強くなりたいとか、そういうことが言える段階ではなかった。


 みんなは今回のエクソダス襲撃の恐怖を乗り越え、次の段階への成長の足がかりにしているのに、アンナは止まったままだ。


 将来のことも未定で、ヨシュアに向いていると言ってもらった魔法騎士にも、絶対になれないような臆病者だとわかってしまった。


 置いていかれているような劣等感と焦燥感に苛まれる。


 その日の夜はみんなでこれから魔法を頑張って練習して強くなろうと決意して、それぞれベッドで眠りについた。


 アンナだけは眠れなかった。


 瞼の裏には初めて見た死体の残像がこびりついたままで、目を閉じることができなかった。


 頭を無にしようとしても、死の恐怖は消えてくれない。


 アリスに頼んで魔法で眠らせてもらおうと考えたが、立ち直った彼女に再び責任を感じさせたくなくて、言い出せなかった。


 一人、ベランダに出て、月を眺める。

 いつのまにか、イブが隣にいた。


「アンナちゃん、その恐怖を乗り越える必要はないよ」


 優しく、悲しそうに微笑んだ。


「アンナちゃんは優しいから、戦いには向いてない。だから、怖いものは怖いでいいんだよ。もう戦わなければいいの」


 全てはアンナのためだ。アンナが安全に生きることをイブは望んでいる。


 彼女の言う通り、苦手で向いていないことなのに、頑張る必要などない。でも、何故だが、アンナは戦えなかったことが悔しくて堪らなかった。


「でも、また、戦わないといけない時が来るかもしれない。その時、わたしはきっと戦えない」


「大丈夫、その時はまた私が戦うし、マリアがすぐに来てくれる。でしょ?」


 月明かりに照らされるベランダに、気配も音も無く、マリア・フルルドリスが現れた。


「安心して、エクソダスならもうアヴァロン王国にはいないわ。もしまた現れても今は私がアルビオンにいるから大丈夫」


 マリアはアンナを抱き寄せて背中を優しくさすってくれる。


 イブは気に入らなさそうに、同時に安堵しながらアンナの影の中に入って姿を消した。


「マリア、わたし、怖くて戦えなかった」


「うん」


「勇気なんて、なかった」


「うん」


「友達が傷ついているのに、何もできなかった」


 抱きしめられたまま、静かにアンナは泣き出した。


 マリアの抱擁は優しくて暖かい。でも、彼女は答えをくれない。

 

「戦わなくていい」とか「勇気を出して戦え」とか、アンナが欲しがっている言葉をくれない。未来を指し示して、誘導してくれない。


 マリアに言われたことなら、アンナは信じてその通りにする。そうすれば、安心できるのに、マリアは導いてくれない。


 冷たいとか厳しいとかではない。マリアはアンナは自分で答えを見つけられると信じてくれているのだ。


 でも、その信頼に応えられるほど自分が強い人ではないことを、アンナは知っているから、申し訳なくて、涙の量は増してしまう。


 マリアは一つだけ、言葉をくれた。


「大丈夫、アンナの中に、答えはあるよ」


 普段のマリアは見せない、少女のような言葉使いだった。


 マリアがまたどこかに行ってしまうんだろうと思うと寂しくて、修道服の袖を掴んでしまった。


「今夜はもうどこにも行かないわよ。久々に一緒に寝ましょうか」


 魔法学校に入学する前はマリアと一緒に一つのベッドで寝ていた日もあった。


 最近は聖典の授業もお休みで、全然会えていなかったからとても嬉しい。


 手を引かれて、マリアの取った部屋に連れていかれる。


 温かみのあるオレンジ色の小さな照明だけが光源の薄暗い部屋のベッドでアンナはマリアに抱きしめられながら目を瞑った。


 今日、見て、感じたあらゆる闇と痛みと恐怖が浄化されていく。心臓の鼓動がようやく落ち着いてくれる。


 彼女に抱かれているこの瞬間をもっと長く感じていたいのに、意識は朧げになっていく。


 少女はこの世界に生まれた時と同じように、聖女に抱かれて眠りに落ちた。


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