第21話 第六の災い 前
その日の校外学習は終了し、生徒たちはホテルへと向かった。
アルビオンの歴史ある洋館を改装したホテルで、校長が出資しているらしい。
夕食を終えたユニコーン寮生五名は談話室でトランプのババ抜きに興じていた。
「ぬあっー!? また負けた!」
キリエが手札をぶちまけてひっくり返る。今のところキリエは五連敗中だ。
「ねぇ、アリスちゃん、読心使ってないよね? 椿姫ちゃんは千里眼使ってないよね?」
怪しむキリエ。使ってないと否定するが、アリスも椿姫も魔法を使っていた。
それに、アンナも天井に式神を貼り付けて手札を除いていたし、ルーナは隣の席のアリスに賄賂を渡して絶対に負けないようにしていた。
「ほい、じゃあキリエちゃん、アイス奢りね」
ルーナが生意気な顔でキリエを煽る。
「ぐぞ〜! ぐやじい〜!」
──とんとん
ふと、談話室の扉がノックされる。アリスが応答すると、ヨシュアが入ってきた。
「皆さん、あまり夜更かしはしないで、早めに寝てくださいね。明日もアルビオンを回りますので」
「ほーい。そんじゃボチボチ寝ますか」
ルーナが眠そうに欠伸しながら答えた、その時、空気が微かに二度震えた。
ホテル内の空気が重苦しくなる。ヨシュアの表情が真剣になった。
「結界が、破られた」
アンナにも何が起きたのかわかった。ホテルを守っていた結界が壊されたのだ。
「それだけではありません、結界を張られました。何者かがこのホテルに侵入し、さらに中の人を外に出られないようにしたんです」
ヨシュアが床に手をつくと瞬時に赤い光で構築された子羊の紋章の魔法陣が展開される。
「その血が印となり、災いを過ぎ越すだろう」
透明な魔力の膜が談話室を囲んだ。
『過越の結界』だ。
赤羊荘にもかけられている、防御、隠蔽、両方の効力を持つ基礎的な結界で、一年生も授業で既に習っている。
基礎的な魔法だが、今行使されたそれはあまりにも練度と完成度が高く、感動すら覚えるほどの仕上がりだ。
「皆さんはここにいてください。そうすれば絶対に安全です。僕は他の寮生と先生の様子を見に行きます。いいですね」
先生の聞いたことのないほどの強く真剣な語気に、生徒たちは今この状況がただ事ではないことを知る。
ヨシュアは扉を開けて談話室しから出ていってしまう。
残された五人は呆然とするが、すぐにアリスが発言する。
「おそらく、このホテルは悪の魔法使いに襲撃されました」
「どうする、アリスちゃん」
いつもは剽軽なキリエが真剣な表情をする。この状況に怯むことなく冷静だ。
「椿姫ちゃんは千里眼で部屋の外を見てください。アンナちゃんは式神を飛ばしてみてください」
「了解」
指示を受けた二人が行動に移る。
椿姫は魔眼を使用し、壁越しに透視を試みた。
アンナは扉の隙間から式神を八体飛ばす。しかし、
「ダメです。張り替えられたホテルの結界の影響でこの部屋の外は観測できません」
「こっちもダメ。式神は結界に阻害されて視覚共有も念話もできない。だけど、戻って来たら口頭で状況を聞くことはできるよ」
──ドンッ! ドンッ!
その時、部屋の外から銃撃と爆発の音が聞こえた。
心臓が強く鼓動するのを実感する。五人は身構えるが、すぐに音は聞こえなくなった。
それからすぐに扉からスルスルと式神たちが帰還した。
「無事でよかった。軍曹さん、部屋の外はどうでしたか?」
『ホテル内に銃火器で武装した覆面の集団が侵入しています。ホテルの警備員と戦闘があったようです』
それから式神は得た情報を伝えてくれた。
この談話室は覆面の集団には見つかってはいない。
覆面の集団は校長の部屋を占拠している。
警備員は全員戦闘不能。
ホテル内を覆面の兵士が巡回している。
他の生徒と先生は見当たらないが、食堂がヨシュアの結界で守られているため、そこにいると思われる。
その食堂の結界を壊そうと、部屋の外に覆面の兵士が集まっている。
以上が現在の状況だ。
聞いて、苦い顔でアリスが口を開いた。
「皆さん、エクソダスをご存知ですね」
頷く。当然全員知っている。魔法至上主義者を狙うテロリストだ。その名前をアリスが口にしたことで更に緊張感が高まる。
「エクソダスは世界中のあらゆる場所に突然現れ、結界を破り、逆に結界に閉じ込めます。
この状況からして、ホテルを襲ったのはエクソダスである可能性が高いです。
そしてエクソダスだとするならば、その活動方針から考えて、魔法学校の生徒を殺してもおかしくない。
更に、校長の部屋を占拠しているのは校長を粛清───処刑するためでしょう」
式神の情報とアリスの推測は信じたくない現実を告げていた。
アンナたちはこれから殺されるかもしれないのだ。どくんとアンナの心臓が大きく鼓動した。
アリスは苦しい表情で焦り、悩んでいる。が、数秒で決心したように力強く目を開き発言した。
「結界破りに長けるエクソダスならこの部屋の結界も破られるかもしれません。
ホテルを覆った結界の性能はヨシュア先生のものと互角かそれ以上だと、皆さんも察しているはずです。
このままここでじっとしているだけだと、私たちも、校長も他の生徒や先生たちも殺されます」
アリスが息を吸う。彼女がこれから言う言葉がアンナにはわかった。
「戦いましょう」
それしかないのは全員わかっていた。まずキリエが手を挙げた。
「私はやる。魔法騎士志望だし、やらないとみんな死ぬ」
「私もやります」
震えながら、椿姫も手を挙げる。
「しゃーない、私もやるよ」
余裕なふりをしてルーナも恐怖していることがわかった。それでも決心した彼女をアンナは尊敬する。
「アンナちゃん、戦ってください。あなたがこの中で一番強いです」
決心がつかず口が開かないアンナに、アリスは容赦なく命令する。
おそらくアンナは戦闘においてならば、このホテルにいるどの生徒、先生よりも強い。
「……うん、やるよ」
アリスは自分の意見で友達をこれから生き死にの場所に立たせることになる。
それがどれだけ怖くて辛いことだろうか。アンナは彼女の覚悟に報いて、立ち上がった。
イヴは何も言ってこない。戦わなければアンナ自身が危ないとわかっているのだ。
五人全員が戦うことを決めた。アリスは早速作戦を伝えた。
まずは式神で索敵をしつつ、前衛後衛の陣形を組んで食堂を目指す。
食堂で状況確認、情報の共有、戦力の増強を行い、その後校長の救出に向かうというものだ。
エクソダスは処刑の前にテレビ放送とそれに伴った演出を行うため校長の処刑まではある程度猶予がある。
陣形だが、寮対抗戦と同じく、イブ、アンナ、キリエが前衛。アリス、椿姫、ルーナが後衛となった。
「イブ、出て来て」
アンナの影からずずずと彼岸花模様の着物を着た黒髪の少女が姿を現す。その右手には黒い刀が握られている。
「安心して、アンナちゃんは絶対に守るから」
「ありがとう、イブ。でも、他のみんなのことも守ってね」
「アンナちゃんの望みなら」
イブは頷いた。これほどまでに彼女のことが頼もしく見えたのは初めてだ。
それは、戦いの強さだけがものを言う世界にこれから足を踏み入れるからに他ならない。
「それでは行きます」
アリスの合図で談話室を出る。
予め、式神を飛ばして周囲に敵がいないことは確認済みだ。視覚共有と念話はできないが、素早く飛行できるため、敵の接近を逸早く知ることはできる。
五人と一柱は陣形を組み、素早く静かに廊下を移動し、食堂へと向かう。
その途中のこと。嗅ぎ慣れない、鋭く鈍い、鉄じみた匂いが鼻をくすぐった。
曲がり角の先は血の海だった。
「ひっ」
椿姫は悲鳴を上げそうになるが手で口を塞いで必死に堪えた。
廊下一面に血が散らばり、血液と火薬の匂いが漂っていた。
倒れて動かない警備員たちの身体は穴だらけで、腕や足、あるいは頭がもげて、そこら中に散らかってしまっている。
その惨劇を目の当たりにして、少女たちは地獄が何かを知り、恐怖し、震えた。
言葉を失い、身体も動かなくなる。見たくないのに目の前の光景から目を離せなくなった。
それでもアリスは血の海へと足を踏み出した。
倒れた警備員の生死を確かめるため、一つずつ亡骸に触れて行く。医師を目指しているからといって、死体に慣れているわけではない。
すぐに確認は終わった。全て、死体だ。
アリスは目を瞑り、首を横に振ってそのことをみんなに伝える。
「行きましょう」
アリスの号令に、硬直していた身体が反応して、アンナはなんとか足を前に踏み出した。
靴が赤く染まる。血の轍を辿って地獄を進んでいく。
一体の式神がアリスの耳元に飛来する。
『次の角を曲がった先に見張りの兵が二人います。気づかれてはいませんが、こちらに向かって来ます』
食堂への進路的に交戦は避けられそうにない。
目配せして戦闘準備をする。
ああ、ついに始まる。
イブとキリエが駆け出し、アリスとルーナが杖を構え、椿姫が弓に魔力の矢を番えた。
しかしアンナの身体は震えて動かなかった。
不気味な髑髏の覆面を被り、蠅のエンブレムの描かれた黒いチョッキと自動小銃で武装した兵士が二人、廊下の角から姿を現す。
間違いない。ニュースで見たエクソダスだ。
少女たちに気がつき、銃を構え、次の瞬間には発砲していた。
「ちょっと、あんた、何やってんの!?」
動けないアンナの前にルーナが立ち塞がり、防御魔法を展開する。
けたたましい金切り声に似た連続する射撃音。
魔力の壁は容易く貫かれ、凶弾がルーナの柔い腹部に真っ赤な穴を開けた。
エクソダスの扱う武器は『魔銃』。
魔法を扱えない者でも引き金を引くだけで強力な攻撃が行える魔法道具だ。
魔法能力に秀でないエクソダスの兵士たちは魔法使いに対抗するために魔銃を装備していた。
兵器は時代によって最適な形に変化し続ける。
現在の魔銃は魔法防御に対して特攻を持ち、単純な防壁では防御できない。
「熾天、迸れ。熾炎天使!」
エクソダス兵に突っ込むキリエの右手に炎剣が出現、自動小銃を真っ二つに切断して破壊し、そのまま胴体へと切り込む。
しかし、兵士の着込むチョッキに阻まれる。エクソダス兵の装備は魔法で防御力が上がっていた。
兵士は即座にナイフを取り出してキリエに切り掛かる。
ナイフにも銃同様に防御魔法に対する特攻が備わっている。
更に兵士たちは身体能力を上昇させる違法な魔法薬で肉体を強化しており、近接戦が得意なキリエに対して格闘を仕掛けてくる。
椿姫の眼が光る。
放たれた矢が装備で守られていない兵士の掌を穿ち、ナイフ諸共壁に突き刺さる。
その隙にキリエが炎剣を打ち込み、胴体のチョッキを破壊、後方から麻酔と魔力弾を組み合わせたアリスの気絶魔法弾が命中し、兵士はダウンした。
その隣では既にイブがもう一人の兵士を斬り殺していた。
魔法に対して強い装備でも関係なく、胴体を縦に真っ二つだ。躊躇いなど微塵もない。手慣れている。
そもそも、殺し合いなのに、殺さないようにするアリスたちがおかしい。戦う覚悟は決めても、殺す覚悟は決めていなかった。
それをイブは咎めなかった。
式神とイブに周囲を警戒させつつ、アリスは負傷したルーナの治療を開始する。
ルーナは苦しそうに絶え絶えと吐血混じりの呼吸を繰り返し、時折痛みから短い悲鳴で泣いた。
その度に血が腹から溢れ出る。命が減っていく。
アンナは自分のせいで血塗れになったルーナを見ていることしかできない。
震えは増して、声も出なければ、さっきから一歩も動けない。
無様で、惨めで、哀れ。目の前で大事な友達が、自分のせいで死へと落ちて行く。
アンナは死んだことはあるが、他人の死を見るのは初めてだった。
だから警備員の死体を見て、どうしようもなく怖くなって、心が使えなくなって、体が動かなくなった。
死した人々の霊を用いる魔法を使っているくせに、死が怖かった。
アリスはルーナの腹部に優しく手を当てた。暖かい、緑の光が灯る。祈るように聖典の一節が紡がれる。
「私が触れたものから痛みは消える。私が触れたものから死は立ち去る。光よ、傷ついたものたちに安らぎをお与えください」
時が巻き戻るように、失われた血が戻り、鉄の凶器に空けられた穴が塞がった。それはまるで聖典に記された救世主の奇跡だ。
苦痛に身を捩って悶えていたルーナは落ち着き、すぐに身体を起こした。
「マジかよ、マジで神童じゃんか」
もうなんともないようで、引き気味にアリスの治癒魔法の技術を褒める。
「まだまだコキ使いますから、絶対に死なないでくださいね」
邪悪な笑みを浮かべるアリス。
しかしその笑顔が無理をして作っているものだと全員がわかっていた。友人の命は全てアリスに委ねられている。のしかかる重たいプレッシャーに彼女は耐えていた。
「この鬼畜売女。ま、拾われた命だし、やることはやるよ。それよかアリスちゃん、そっちの木偶の坊も治療した方がいいんじゃない?」
ルーナがいつもの調子でアンナを挑発する。それに乗っかれるほどアンナに余裕はなかった。
「ごめん、ルーナちゃん」
やっと動いた口から、それだけが出た。
「あとで土下座すればそれでいいから、気にすんな」
ルーナの強さに、アンナは弱い自分が許せなくなる。だけど、次も戦えるかはわからなかった。
イブが近づいてくる。
「アンナちゃん、身体使わせて。今のアンナちゃんは戦えないと思う」
安堵してしまった。最低だ。情けないのに、震えが止まった。
イブの身体が霊体化し、アンナに抱きつくようにして一体化する。
アンナの意識が薄らぎ、身体の主導権を女神が得た。その証として両目が赤色に光る。
霊が主導権を握るタイプの憑依魔法だ。
器のアンナ自身の能力が加算されないため、巫女主体の憑依に比べると出力は落ちるが、霊の実体化よりも出力は上、何より戦えない足手纏いを抱えずに済む。
再び伝令の式神がアリスの元に飛来する。
『食堂方面から敵兵が六人接近中。先程の見張り二人が倒されたことに気がついたようです』
前衛が一人減り、五人となったアリス隊に対して敵は六人。それでもやるしかない。互いに目配せで合図をする。
近づく軍靴の足音。
隠蔽魔法で角待ちしていたアンナinイブが飛び出し、抜刀の一撃で敵一人の首を刎ね、返しの一振りで二人目を縦割りにした。
アンナは自分の身体が人を殺していくのをただ眺めることしかできない。
「魔法使いのガキだ、殺せ!」
銃口を向け、覆面に籠った声でエクソダス兵が吠えた。その声には『魔法使い』への憎悪がこびりついている。
全ての人が魔法の力が与えられてから百年以上経つこの世界で、まだ『魔法使い』という言葉が使われているのは、魔法教育が行き届いておらず、魔法を使いこなせる人が限りなく少ないからに他ならない。
イブの裏から炎剣と硝子の剣の二刀を持つキリエが現れ、隊列二列目の兵士に飛び掛かる。炎で銃を焼き切り、硝子の剣で装備を撫で切る。
「そっちだって、魔法頼りじゃんか!」
魔法に頼った武装である限り、キリエの魔法無効は効力を発揮する。
後列のエクソダス兵が発砲する。
前衛二人に迫る鉛玉。
キリエに命中する寸前で銃弾は勢いがなくなり、落下する。
魔銃も魔法の力で銃弾を強化しているに過ぎないため、魔法無効には歯が立たない。
魔銃はイブにも通用しない。
イブは魔銃の持つ魔法防御特攻に対して有利な術式の防御魔法を即座に組み上げて身体に纏っていた。
後方から椿姫とルーナの狙撃で敵兵の武装を破壊し、無防備となった兵士をアリスの気絶魔法で次々にダウンさせていく。
アリスの作戦通り、敵の無力化に成功した。
「甘いね、あまあまだよ。こんな思想強めの奴ら、生かしておいてもまた誰かを傷つけるよ」
エクソダス兵を九血縄で拘束しながらイブがボヤいた。嫌そうな顔はしていない。むしろ気に入っている。子供たちが手を汚す必要はないと思っていた。
「───やばいのが来たね」
苦しそうにイブが呟いた。
少し遅れて、アリスたちも接近する禍々しい魔力を感知した。
それはまるで黒い砂嵐。けたたましい魔力のノイズが感知者の精神を恐怖で蝕む。
邪悪な魔力のプレッシャーの影響でイブ以外の少女たちは身動きが取れなくなった。
蠅の羽音に似た呼吸音を溢して、少女たちの前にそれが姿を現した。
聖典の聖者を模したような白い外套に身を包み、その顔面は黒い蠅の仮面で覆われている。手には穂先に蛇の装飾のついた杖を握っていた。
エクソダスの指導者『アロン』だ。
アロンの背後には十名以上の兵が隊列を組んでおり、その中の一人が、縄で縛られた小太りの男性を手荒に引き摺っていた。
ナイル校長だ。顔面を殴られてあざができているが、生きてはいるようで、アリスたちに気がつく。
「お前たち、逃げろ! こいつには敵わん!」
必死に校長が声を上げる。すぐに兵士に顔面を蹴られて黙らせられた。
逃げようにも、戦おうにも、アリスたちはアロンの魔力に当てられて動けない。
「これから粛清を行おうというのに邪魔が入ったか」
歪に変声された言葉が空気を震わせる。アロンが喋るだけで、少女たちの恐怖は増す。
「我々エクソダスの今回の目的はナイル・ファラオの粛清である。武器を捨てて投降するならば、君たちの命は助けよう」
アロンの周囲を常に結界が守っており、アリスにもその心は読めないし、アンナの霊視でも性質はわからない。
わかるのは自分たちではアロンに勝てないということだけだ。
アンナが万全ならイヴの憑依で戦えたかもしれないが、それでも勝てるかわからない。相手は神と同等か、それ以上に強い。
アリスは再び選択を迫られる。
考えて、答えは出た。
エクソダス兵は自分たち魔法使いの子供に憎悪を抱いていて、殺そうとしてきたし、他の生徒たちがいる部屋の結界を破ろうとしている。
信用できない。従えば武器を取り上げられた上で殺されるだけだ。
アリスは震える唇で答えた。
「私たちは戦います」
「では、仕方あるまい」
蛇の杖が持ち上げられる。イブがアロンに向かって一気に距離を詰め、刀を抜く。
「灯れ、草薙剣!」
刀身が真紅の爆炎を纏う。草薙剣の持つ火属性の性質を解放したのだ。
アロンの結界を破るべく、振り下ろされる炎刀。しかし───
「喰らえ、暴食の王」
指導者アロンの魔力が一段と黒く染まり、結界にぶつかる刀の炎が徐々に小さくなっていく。
更に、周囲の魔力の粒子がアロンの杖に集まり出す。
千里眼はその現象を理解していた。必死の思いで椿姫が声を出す。
「……魔力が吸収されています!」
咄嗟にイブは後退して、アロンから距離を取る。
「無駄だ、異教の女神よ。私に魔法は通じない」
仰々しい仕草で杖を掲げるエクソダスの首魁。
その穂先には、先程イブや周囲から吸収した魔力が集まり、魔力弾となって浮かんでいた。
「七大罪、暴食の王ベエルゼブルの力か」
イブは知っていた。『七大罪』それは地獄に住まう罪深く強大な力を持つ七柱の魔神。
その一柱が『ベエルゼブル』。暴食を司る魔王であり、エクレシア教の聖典においても人々の心を惑わす悪の化身として記されている。
暴食の王の性質は『吸収』。周囲の魔力を吸収して自分のものとする悪食の権化だ。魔法攻撃も吸収されてしまい、その分だけ使用者は強くなる。
アロンはベエルゼブルと契約しており、その能力を使うことができるようだ。
「平等と平和の礎となれ」
アロンの操る黒い魔力弾が針のように細長く変形し、発射される。狙いはイブではなくアリスだった。
恐怖で震える身体を無理やり叩き起こし、少女たち全員でアリスを守ろうと防御魔法を展開する。
しかし、まるで薄衣に針を通すかのように、魔力の壁は容易く抜かれ、キリエの魔法無効の防壁も大きすぎる魔力を無効化仕切れず突破される。
頼みの綱のイブの防御魔法すらもあえなく破壊された。
アロンの攻撃魔法は人殺しに特化していた。
少女たちがこれまで学校の決闘で体験してきたどんな魔法よりも威力の高いそれが、人間を殺す武器としての最適な形状に凝縮されていた。
更に魔銃同様に防御魔法を破壊する性質を持つ。正に『人を殺すための魔法』だった。
戦闘魔法は戦争の生き証人だ。
組み込まれた術式が、いかにして人を殺してきたかを物語る。
少女たちは魔法が人を殺せるものだと、今更ながら実感する。
黒針はいつのまにかアリスの胸を貫通し、背後の壁に突き刺さっていた。
「え」
口と胸から血を溢しながら、金髪の少女が膝から崩れ落ち、動かなくなった。その目に光はもう無い。
司令塔で治癒魔法の使い手となれば、最初に殺されることになるだろう。
この光景をイブの意識の裏からアンナは見ていることしかできなかった。
全部嘘であってほしい、幻であってほしいと願うが、現実は何も変わらない。
冷酷にアロンは鋭い針のような魔力弾を新たに四つ作り出し、残る四人に照準を定めた。
もうどうでもいい。イブの意識の中のアンナは諦めた。友達を守ることができずに、死なせてしまった。それならもう死んでもいいと思ってしまった。
その時。
ぴくり。ほんの少しアリスの身体が動いた気がした。
霊視で視ると、その魂はまだ肉体から離れずに、命の灯火を微かに燃やしている。生きている。途端に、アンナは死にたくなくなった。
殺戮の魔法が容赦なく少女たちに放たれる。死にたくない。迫り来る死に身構える。
しかし何も起きない。
少女たちは無傷だった。攻撃は全て命中する前に消滅していた。
見上げると、少女たちの前に黒いベールの修道女がいた。
「救聖女マリア・フルルドリス」
恐れ慄くように、畏敬の念を込めるように、アロンが手を広げて聖女の到来を歓迎した。




