9 不思議な感情
街中を荒々しく歩く者が一人。
「クソッ。イライラする」
その者は時折髪を掻き乱し、ちらちらと横を通り過ぎる度に視線を向けて来る通行人に、文句でも有るのかとイラつきながら怒鳴り散らして居た。
その者の名は、このアルンド王国の国王、ソレイダ陛下の息子――ルデルト王子だ。怒りに任せて城から飛び出して来たルデルト王子は、当ても無く街中を歩き回って居る。
そんなルデルト王子の元に、空気を読んで居るのか居ないのか、娼婦の様な女達が擦り寄って来るのだが、現在腹の虫が治まらないルデルト王子にとって、そんな女達は新たな怒りを生むだけで、怒りに任せその擦り寄って来る女達を、暴力と言う名の力で捻じ伏せて居た。
何時もはどんなに苛立って居ても、女だからと体よくあしらうだけで済んで居たルデルト王子だが、今日はそんな女だからと言う優しさはルデルト王子には存在しない。
正に暴君の如きルデルト王子の言動に、其れを目撃してしまった街行く人々は、血相を変ええてルデルト王子に関わら無い様にと足早に逃げて行く。
そしてまた、ルデルト王子に擦り寄って来た女達も、殴られボロボロになった姿で泣きながらルデルト王子から逃げて行くので在った。
その逃げて行く女達や街行く人々にすら、今のルデルト王子には怒りを感じる程だ。殴り足り無いと言う様に、壁を殴ったり蹴ったりするルデルト王子は、そんな事をして居る自分にも苛立ったのか、舌打ちと共に路地裏から出て街中へと足を進めて行く。
「何をしてもイライラが治まらねぇ。あ"ー、糞が!!」
イライラして居る理由等、ルデルト王子には分かって居た。だが、その苛立ちの理由を受け入れたく無いのだ。
自分がまさかソレイダ陛下の言葉に少なからずショックを受けてしまった等と、一瞬でも思ってしまった自分自身を、ルデルト王子は認めたく無い。
そんな事無い。そんな訳無い。何度自分に言い聞かせても、其れでも此処まで苛立つ理由が、ルデルト王子には見当たらないのが現状だ。そんな自分に腹が立ち、ルデルト王子の頭の中は現在混乱の渦の中に居る。
どんなに他人や物に当たり散らしても、此の怒りや苛立ちはちっとも解消され無い。だが、他にどんな方法が有るのか、ルデルト王子には分からない。
だから、こうするしか無いのだ。
「ルデルト様ーっ」
街行く人々が関わりたく無いと遠巻きにして居るルデルト王子の元に、ルデルト王子の名前を叫びながら自ら向かって来る者が一人。
その者の声に、ルデルト王子は何だと言う様に眉を寄せ、今なら人一人位殺せるのでは無いかと言う程の鋭い睨みを利かせ振り返った。そして、その顔は驚きに変わる。
「ルデルト様、一体どちらにいらっしゃったのです? 私、随分と探し回ったのですよ?」
「お、まえ……なんで」
嬉しそうに笑みを浮かべ、手を振りながら駆け寄って来る人物に、ルデルト王子は信じられないと瞠目する。
その人物の名は、現在ルデルト王子を育成する為派遣されたメイド――エリッタで在った。
エリッタはルデルト王子の傍まで走って来ると、肩で息をしつつ安心したのか、額に汗を滲ませ微笑んだ。
「でも、ご無事で何より御座います。私、ルデルト様がもし何か事件にでも巻き込まれてしまって居たらととても気が気では有りませんでしたっ。ですが、何も無かった様で……って、其れは血で御座いますか!?」
「あ? ああ……」
胸に手をほっとしたと安堵の表情を浮かべて居たエリッタで在ったが、目に飛び込んで来たルデルト王子のワイシャツに付く血に、その表情は瞬時に驚愕に歪む。
焦った様にルデルト王子に詰め寄るエリッタに、ルデルト王子はエリッタに指摘されて初めて自分のワイシャツに血が付いて居た事に気付いたのか、詰め寄って来るエリッタに引き気味になりつつ、自分の服を見下ろした。
「い、一体何処にお怪我を!? 腕で御座いますか!? 其れ共お腹で御座いますか!? そ、其れ共其れ共っ、胸で御座いますか!?」
「なっ。お、落ち着け……!」
「此れが落ち着いて居られますか!!」
ぺたぺたとルデルト王子の体に触れて行くエリッタに、ルデルト王子はぎょっとし、自分の体からエリッタを引き離さそうとするが、エリッタは何時に無く凄まじい剣幕でルデルト王子に怒鳴った。
其れにはルデルト王子も驚き、引き離そうとして掴んで居たエリッタの両肩からゆっくりと手を話す。
心配そうにルデルト王子の体に怪我が無いかどうか調べて居るエリッタに、ルデルト王子はもう何も言わなかった。
只じっと、エリッタの気が済むまでルデルト王子は立ち尽くして居る。
わたわたと己の体を調べるエリッタに、ルデルト王子は其れを見下ろしながら不思議な感覚に陥る。
ルデルト王子の体の心配で頭の中がいっぱいなのか、エリッタは周りを見て居ない。
だが、エリッタに体を調べられて居るルデルト王子は、周りに目を向ける事が出来る。
その為、周りが今自分をどんな目で見て居るのか位、分かって居る。
遠巻きに、こそこそとルデルト王子を見て居る街の住民達は、ルデルト王子が只見ただけでビクリと体を震わせ、何処かへと隠れるか逃げて行く。
そして、ルデルト王子の体を遠慮なく触って居るエリッタには、何て馬鹿な真似をして居るんだと言いたげな視線を向けて居る。
ルデルト王子が、こんな無礼を働いて居るエリッタに、何かするとでも思って居るのだろう。
だが、ルデルト王子にそんな考え等一ミリも無い。
只、変な女だ、と其れだけは思って居た。服に血が付いて居ただけで、此処まで取り乱す物だろうか? 其れもどんなに調べた所で、怪我等して居ない事など直ぐに分かる物だ。
だがエリッタは、何時まで経っても其れに気付かない。ずっと、何処を怪我したんだと何度も何度も体中を確認して居る。
まるで此の心配性な所はデルドアの様だ、とルデルト王子は思って居た。だが、デルドアの時は面倒臭いやうざい等、呆れの感情の方が強かった。
しかしエリッタの場合は、其れとは少し違う様だ。
何だか胸の辺りがぽかぽかし、自分を心配して居るエリッタの姿を見て居ると嬉しくなる。だが、其れがどうもこそばゆくて仕方が無い。
「だああもう!! 俺は怪我なんてして無いんだよ! 此れは返り血だ!!」
何だかその謎のこそばゆさに負けたルデルト王子は、もう止めろと言う様に怒鳴った。
だがその顔には、怒りでは無く照れが含まれて居た。そしてそんなルデルト王子に、エリッタはきょとんとして見上げる。
「え…。返り血、で御座いますか?」
「だ、だからさっきからそう言ってるだろ!?」
小首を傾げ、目をぱちくりさせるエリッタに、ルデルト王子は頬を密かに赤らめさせながら、一歩後退りしエリッタと距離を取った。エリッタは何でも確認するかの様に、「返り血……」
と呟いて居たが、其れが何度か繰り返され、漸く事態を飲み込んだのか、掴んでままになって居たルデルト王子の腕からゆるりと手を離す。
「そう、で、御座いましたか……。申し訳有りません。如何やら、私は早とちりをしてしまって居た様ですね」
「い、いや。別に……」
急に変わったエリッタの様子に、ルデルト王子は逆に焦る。エリッタは暗い表情を浮かべ、二、三歩後退りルデルト王子と距離を取ってから、スッとお辞儀をした。
さっきまでの慌て様が嘘の様に静まり返ったエリッタに、ルデルト王子はエリッタが暗い顔をする原因なんて、自分は何時作ったのかと疑問になる。
自分は間違った事等言って居ない。怪我等して居ないから、して居ないと言ったし。服に付いて居る血は、自分の血では無く只の返り血だと言っただけだ。
ルデルト王子が怪我をしたんじゃ無いかと心配して居たエリッタなら、其れを聞いたらほっとする筈だ。
だがエリッタはほっとする所か、逆に沈んでしまって居る。此れにはルデルト王子も、エリッタは自分を心配して居たんじゃ無いのかと、不満げに眉を寄せる。
此のエリッタの沈み様は、まるでルデルト王子が怪我をして居た方が良かったと言って居る様な物だ。
さっきまでぽかぽかして居た胸の辺りは、今じゃ波が引いて行く様にサーッと冷めて行くのをルデルト王子自身も感じた。嬉しかった分、其れを裏切られた様な感覚になり、ルデルト王子は、お前も所詮そんなもんだったって事か、と冷めた目でエリッタを見下ろす。
「私ったら、ルデルト王子が誰かに襲われ怪我を負ってしまわれたのかと焦り、状況をしっかり把握する事が出来ませんでした」
「……は?」
唐突に、俯いた状態のままそう呟いたエリッタの言葉に、ルデルト王子は意表を突かれたのか、素っ頓狂な声を漏らした。
「此れは組織から派遣されて来た者としても、そしてメイドとしても、有るまじき事で御座います。ルデルト様にはご迷惑をお掛けしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。ですが、本当にお怪我が無い様で、私……ほっとしております」
俯いて居た顔を上げ、安心した様に笑みを溢したエリッタに、ルデルト王子は目を見開く。
「落ち込んで居たのは……そんな理由、か……?」
「そ、そんな理由等では有りません! かなり重大な理由で御座います!」
「俺が、怪我をして居なかったのが残念だったんじゃ、無いのか……?」
「その様な事誰が仰ったのですか!? 何処の! 誰です!?」
「なっ。ち、ちが…そういう意味じゃ…」
キリリと眉を吊り上げた後、ルデルト王子の言葉にぎょっとした様な顔をして、凄まじい剣幕でルデルト王子へと詰め寄る。そのエリッタに、ルデルト王子は又もや押され気味だ。
「ま、まさか! 私がルデルト様がお怪我を負って居ない事を、残念がって居ると、そう……お思いになっていらっしゃたのですか!?」
「……」
黙って何も言わないルデルト王子に、エリッタは信じられないと目を剥いた。
「その様な事、思う筈が御座いません! ルデルト様の身を案じるならまだしも、ルデルト様がお怪我をして居た方が良かった等と、例え天地が引っくり返っても、明日此の世界が終わってしまっても、有り得ない事で御座います!!」
「わ、分かった! だから興奮するな!!」
ルデルト王子に顔を近付け、眉をキリリと吊り上げて捲し立てるエリッタに、ルデルト王子はそのエリッタの顔の近さに頬を赤らめさせ体を反らす。
ルデルト王子のその必死さに、エリッタは渋々ながらもスッと身を引いた。エリッタが離れた事で、ルデルト王子はほっと息を吐く事が出来たのだった。
「ルデルト様」
「今度は何だ…」
疲れ切った様な表情で、髪を掻き上げて居るルデルト王子に、エリッタは背筋を伸ばしそんなルデルト王子を見上げ、
「お怪我も無く、ご無事で何よりでした」
そう言って微笑んだエリッタに、ルデルト王子は一瞬固まり、その後困った様に笑った。
「ほんと、大袈裟な奴だな……」
しかし、その顔には嬉しさの様な物が浮かんでいた。
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最近、毎日更新が難しくなってしまった為更新頻度は低いですが、頑張って更新して行きたいと思いますので、これからもよかったら読んでやってください。




