第二十五章 破格生
ならず者たちの騒ぎを片づけた武と由美子は、ようやく緊急救護区域へと戻ってきた。
二人が探していた人物は、ちょうど入口で彼らを待っていた。
「さっき学院長から電話があったわ。まさかあなたが、私たち白魔法学院の破格生になるなんてね。正直、見直したわ」
金髪の教師は、湖のように澄んだ青い瞳に感心の色を浮かべ、武を見つめていた。
「はは……買いかぶりすぎですよ」
武は少し照れくさそうに頭をかき、謙遜して答えた。
「せっかく同じ学院の一員になったんだもの。改めて自己紹介しておかないとね」
「私は白魔法学院の精神系に所属する教授、ヤフィエル・クリュースよ。気軽にヤフィエルって呼んでちょうだい」
ヤフィエルは片手を上げ、自信に満ちた明るい笑顔で名乗った。
「そんなわけにはいきませんよ。先生は先生ですもの。せめてヤフィエル先生とお呼びしないと失礼ですわ」
由美子はそう言うと、武に向かって軽く目配せをした。
「ヤフィエル先生、これからよろしくお願いします」
母の意図を察した武は、すぐに頭を下げた。
「そんなにかしこまらなくていいのよ。白魔法学院のいいところの一つは、学びやすい雰囲気が整っていることなんだから。うちを選んで後悔はさせないわ」
ヤフィエルは笑いながら手を振った。
「ただし、今年の破格生になったからには、少し気をつけたほうがいいわね」
「え? 破格生って、試験の成績が特に優秀だった学生のことじゃないんですか?」
武は眉をひそめ、不思議そうに尋ねた。
「どうやら学院長、詳しい事情を話していなかったみたいね。まあ、忘れていただけだと思うけど。うちの破格生なんて、毎年早々に脱落しちゃうものだから」
ヤフィエルは両手を広げ、困ったように肩をすくめた。
「脱落? どういうことですか?」
「それを説明するには、まず破格生制度の成り立ちから話さないとね」
ヤフィエルは少し表情を改めた。
「破格生というのは、先代の総学院長が提案した特別な奨励制度なの。さまざまな分野で特別な才能を持つ人材を育成することが目的だったわ」
「ところがその後、先代の総学院長が賄賂を受け取り、特定の人物に破格生の枠を与えていたことが発覚したのよ」
「当然、学生たちは激怒したわ。大きな騒動に発展して、結局、総学院長は責任を取って辞任することになったの」
ヤフィエルは、制度の裏に隠された不祥事を淡々と語った。
「でも、破格生制度そのものが廃止されたわけじゃないの。新しく就任した総学院長は、制度の理念自体は悪くないと判断して、いくつかの規則を改めたうえで存続させたのよ」
そう前置きしてから、ヤフィエルは一つずつ説明を始めた。
「まず、第一条。各学院には毎年一名ずつ破格生の枠が与えられるわ。誰を選ぶかは各学院の判断に委ねられていて、その身分は原則として公表されない」
「第二条。破格生に選ばれた学生は、所属学院と個別の特別待遇契約を結ぶことができるの。支給される資源や報酬についても、各学院が独自に用意することになっているわ」
「第三条。学院、あるいは国家に重大な危機が生じた場合、破格生は総学院の指示に無条件で従い、危機の解決に協力しなければならない」
「第四条。規則に従って行われる公式な挑戦で破格生が敗北した場合、その資格は勝者に奪われる。そして、元の契約に残されていた権益も、勝者へと引き継がれるわ」
「第五条。破格生の資格を保持できる期間は、最長六年間。六年の期限を迎えた場合、資格は自動的に失効し、以後、再び破格生の資格を取得することはできない」
ヤフィエルはそこで一度言葉を区切り、さらに付け加えた。
「それから、契約の有効期間中は、学生側から一方的に契約を解除することも、総学院の規則に違反することも、所属する総学院から離脱することも認められないわ」
「契約に違反した場合は、賠償措置として、今後受け取るはずだった特別待遇の資源の支給がすべて打ち切られ、場合によっては抗魔学院の指名手配リストに載せられる可能性もあるの」
「以上が破格生制度の主な規則よ。細かい条項まで説明すると長くなるから省略するけど、入学後は総学院の掲示板でも確認できるわ」
一通りの説明を終えると、ヤフィエルは小さく息をついた。
一方、武はうつむき、考え込んでいた。
(……これって、俺は騙されたことになるのか?)
確かに、アイリーン学院長はこうした規則について一言も触れていなかった。
だが、今聞いた限りでは、どれも現在の自分の状況を直接妨げるものではなさそうだ。
(まあ、今すぐ気にする必要はないか)
武がそう結論づけかけたとき、由美子が一歩前に出た。
「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんよ」
「破格生の身分が公表されないのであれば、ほかの学生たちは、どうやって誰が破格生なのか知るのでしょう?」
「推測するのよ。たぶん、それが一番正確な答えね」
ヤフィエルは軽く手を振りながら説明を続けた。
「アストラ総学院では、学生たちの戦闘能力を高めるために、互いに挑戦したり、模擬戦を行ったりすることが認められているの」
「もちろん、挑戦には細かな規則が設けられているわ。実力差がありすぎる相手を一方的に叩きのめしたり、不公平な方法で勝利したりすることは許されない」
「それに、破格生の身分については、学院の教職員が外部へ漏らすこともできないの。契約魔術によって制限されているからね」
「ただ、身分が隠されているからこそ、学生たちは些細な手がかりから推測するのよ。たとえば募集試験の成績、学院側との関係、最近の実力の伸び方……そういうものを手がかりにね」
「もし、誰かが挑戦に成功したら、どうなるんですか?」
武が尋ねた。
「学院側は契約上の権利を勝者に移すわ。つまり、勝った学生が元の破格生に残されていた契約上の権益を引き継ぐことになるの」
ヤフィエルは落ち着いた口調で答えた。
「それだと、ある学院が用意した特別待遇の資源を、別の学院の学生に渡すことになる場合もありますよね?」
武は説明の続きを自分なりに考え、疑問を口にした。
「そのとおりよ」
ヤフィエルは感心したように武を見た。
「だから、そうした事態を避けるために、学院側は一年ごとの契約を好む傾向があるの」
「仮に破格生の資格をほかの学院の学生に奪われても、契約期間が短ければ、それだけ損失を抑えられるでしょう?」
そこまで聞いて、武はようやく思い出した。
(そういえば、俺……まだアイリーン学院長と正式な契約を結んでないんだよな)
これまで交わしたのは、あくまでも口約束だけだった。
「ですが、一年ごとの契約にするのであれば、更新の際に条件が変わることもあるのではありませんか?」
由美子が静かに問いかけた。
その口調は穏やかだったが、指摘は鋭かった。
ヤフィエルの表情がこわばる。
「え、ええと……それは、その……」
彼女は小さく咳払いをした。
「アストラ総学院に対して、継続的に実質的な貢献をしていれば、契約の更新はそれほど難しくないと思うわ」
どこか歯切れの悪い答えだった。
(さすが母さんだな。一発で問題の核心を突いてきた)
それにしても、こうして考えると、破格生という身分は想像していたほど都合のいいものではないらしい。
確かに、ほかの学生より多くの資源を受け取れる。
だが、その代償として周囲から絶えず探りを入れられ、特別待遇を狙われ、いつ挑戦を仕掛けられるかわからない。
(……なかなか面倒な制度だな)
「でも、そこまで心配しなくても大丈夫よ」
ヤフィエルは二人を安心させるように、力強くうなずいた。
「自分から身分を明かさない限り、あなたが破格生だと疑われるまでには、まだ時間がかかると思うわ」
「それなら……前の代の破格生たちは、今どうしているんですか?」
武は別の角度から探りを入れてみた。
「過去二期の破格生は、ほとんどが今も身分を隠しているわね。自分から公表したのは、一人か二人くらいかしら」
ヤフィエルは何気ない調子で答えた。
「じゃあ、それより前は?」
「それより前の代の破格生は……今では、たった一人しか残っていないわ」
ヤフィエルの青い瞳に、複雑な色がよぎった。
「……どういうことですか?」
武は思わず聞き返した。
(まさか……破格生って、そんなに死亡率が高いのか!?)
先ほど聞いた第三条が、頭をよぎる。
学院や国家に重大な危機が生じた際には、無条件で出動しなければならない。
(もしかして、一番危険なのはあの規則だったのか……?)
ヤフィエルは無意識に周囲を見回した。
近くに誰もいないことを確かめると、声をひそめて言った。
「そんなに物騒な話じゃないわ。過去の破格生たちが、たった一人の学生に次々と資格を奪われただけよ」
「誰なんですか? そんなにすごい人がいるんですか?」
武は身を乗り出した。
一人でそれほど多くの破格生を倒した人物がいるのなら、ぜひ知っておきたい。
「入学すればわかるわ。別に話してはいけないことでもないし、あなたに影響するような話でもないから」
ヤフィエルはそれ以上詳しく語ろうとしなかった。
「さて、もうこんな時間ね。そろそろ宿舎の場所を教えないと」
話題を切り替えた彼女は、スマートフォンを取り出した。
画面を操作し、必要な資料を次々と確認していく。
ところが、しばらくすると、その手が止まった。
ヤフィエルの表情が険しくなる。
唇を固く結び、青い瞳を画面に釘づけにしたまま、動かなくなった。
「……ごめんなさい。ちょっと電話をかけてくるわ」
それだけ告げると、彼女は足早に建物の隅へ向かった。
あまりにも急な態度の変化に、武と由美子は不安そうに顔を見合わせた。
(おいおい……こんな土壇場で、また何か問題が起きたなんて言わないでくれよ……)
「もしもし? すみません、学生の武・伊勢の宿舎の手配について確認したいんですが」
少し離れた場所から、ヤフィエルの声が聞こえてきた。
彼女は声を落として話しているつもりらしい。
だが、長年森で過ごしてきた武の聴覚には、その一言一句がはっきりと届いていた。
「ちょっと待ってください。この宿舎、本気で言ってるんですか? どうして最初に決まっていた宿舎が急に変更されたんです?」
声量こそ抑えていたが、その口調には隠しきれない苛立ちが混じっていた。
「仁棲宿舎ですって!? あそこは長生門が管理している場所でしょう! こっちはアストラ総学院なんですよ!」
「学院長からは詳しいことなんて聞いてませんよ! 宿舎を変更するってことしか言われていません!」
「はぁ……わかりました。あとで直接確認します……」
ヤフィエルは深いため息をつき、通話を切った。
しばらくその場で気持ちを落ち着かせると、ようやく二人のもとへ戻ってきた。
その顔には、申し訳なさと隠しきれない困惑が浮かんでいた。
「お二人とも、本当にごめんなさい。今は何かと混乱しているせいで、宿舎の手配が私の聞いていた内容と少し違っていたみたいなの」
「でも、約束していた住まいがなくなったわけじゃないわ。住環境も悪くないんだけど……ただ……」
ヤフィエルはそこで言葉を濁した。
気まずそうに視線を逸らす彼女を見て、武は続きを促した。
「ただ?」
「あそこはアストラ総学院の施設じゃないのよ。だから、私たちの管轄外なの」
「正直、どうしてあなたの宿舎があそこになったのか、私にもわからないわ。ただ、向こうの話では学院長が直接指示したらしいの」
ヤフィエルは武を見つめた。
「あなた、学院長に何か言った?」
「誰にも邪魔されない場所が欲しいって言っただけですよ」
武は肩をすくめ、簡潔に答えた。
「……そう。まあ、それならいいわ」
ヤフィエルはそれ以上追及しなかった。
「あ、そうそう! あとで必ず白魔法学院に出向いて、入学の手続きを済ませてちょうだいね」
「ちょうど私も勤務が終わったところだし、このまま二人を案内して――」
そのときだった。
軽快な着信音が、ヤフィエルのポケットから鳴り響いた。
「……もう、今度は何よ」
彼女は不機嫌そうに眉を寄せ、数歩離れたところで電話に出た。
「もしもし! 何か用ですか?」
「今から!? 冗談じゃないわ! こっちはもう勤務時間が終わってるんですけど!」
声を抑える余裕もなくなったのか、ヤフィエルの怒鳴り声が辺りに響いた。
「ちょっと、何が『そういうことだから』よ! もしもし!?」
どうやら相手は、一方的に電話を切ってしまったらしい。
ヤフィエルは青筋を立て、今にもスマートフォンを地面に叩きつけそうになった。
しかし、どうにか思いとどまったようだ。
怒りを抱えたまま振り返り、今度はすっかり肩を落として、武と由美子のもとへ戻ってきた。
「本当にごめんなさい! やっぱり、お二人を案内できなくなっちゃったわ!」
ヤフィエルは両手を胸の前で合わせ、申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいえ、ヤフィエル先生。お気になさらないでください」
由美子は一歩前に出た。
「今は非常時ですもの。予想外のことが次々と起こるのも仕方ありませんわ」
「先生にはもう十分助けていただきました。本当に感謝しています。あとは私たちだけで向かえますから」
そう言いながら、由美子はヤフィエルの両手をそっと包み込んだ。
その声には、心からの感謝が込められていた。
「あなたたち……」
ヤフィエルは目を丸くした。
そして、疲れ切ったように深いため息をついた。
「はぁ……上の人たちも、あなたたちみたいに現場のことを少しは考えてくれたらいいのに……」
その瞳には、理解してもらえたことへの小さな感動と、上層部に対するやりきれなさが入り混じっていた。
「そうだわ。お二人とも、スマートフォンは持っている?」
ヤフィエルは気持ちを切り替え、尋ねた。
「仁棲宿舎の場所を送るわ」
「はい、こちらに」
由美子はそっと手を離すと、胸元からピンク色のスマートフォンを取り出した。
武も自分のスマートフォンを見せるべきか少し迷った。
だが、その間にもヤフィエルは手際よく画面を操作し、宿舎までの地図や仮学生証などの電子書類を由美子の端末へ送信していた。
「まず、ここからまっすぐ進んでちょうだい。そうすると十字路があるから、その向かい側にあるバス停へ行くの」
「そこから出るバスに乗れば、市街地まで行けるわ。乗車するときは必ず仮学生証を提示してね。それがないと乗れないから」
ヤフィエルは画面を指しながら、順を追って説明した。
「住宅街の停留所で降りたら、あとは送った地図に従って五分ほど歩けば、仁棲宿舎が見えてくるはずよ」
「到着したら、そこの管理人に仮学生証を見せれば大丈夫」
「はい。ありがとうございます、ヤフィエル先生!」
由美子は柔らかく微笑み、上品に一礼した。
「ありがとうございました、ヤフィエル先生!」
武も慌てて母にならい、頭を下げた。
「それじゃ、私はまだ片づけなきゃいけない仕事があるから、これで失礼するわね。二人とも、気をつけて!」
ヤフィエルはそう言い残すと、くるりと身を翻し、緊急救護区域の建物へ向かって駆けていった。
由美子はスマートフォンをしまい、慌ただしく遠ざかっていくその背中を見送った。
「本当にいい先生ね」
ぽつりと、優しい声がこぼれた。
「武くんのこれからの先生も、あんな方だったらいいのに。そうしたら、お母さんも安心できるわ」
いつしか日が暮れ、遠くの街には無数の明かりが灯り始めていた。




