第二十三章 学院選び
四通の招待状を読み終えた武は、その内容の大半が自分にとって何の意味もないことに気づいた。
今の彼に必要なのは、目の前の問題を解決できる答えだった。
「この三通目、あなたが書いたんですよね?」
武は四通の中から一通を抜き出し、尋ねた。
「ええ、そうですよ。どうかしましたか?」
アイリーンは微笑みながら答えた。
「ここに書いてある『全面的な後方支援』って、具体的には何をしてもらえるんですか?」
「それはですね……うーん……」
アイリーンは言葉に詰まった。
実のところ、招待状には聞こえのいい言葉を並べただけで、そこまで深く考えていなかったのだ。
そもそも、戦力の低い白魔法学院を武が選ぶとは思ってもいなかった。
「例えば……毎月の食費補助とか? 水道光熱費の補助とか? あっ……武器の修理費補助とか?」
アイリーンは考え込みながら、その場で思いついた待遇を次々と挙げていった。
「えっ? それ以外には何もないんですか?」
武は眉をひそめて尋ねた。
それだけなら、彼が想像していた全面的な後方支援とは、どうも違う気がする。
「何か希望があるなら、言ってみてください。私たち白魔法学院は顔が広いんですから! 何だってできますよ!」
アイリーンは視線をそらし、胸の前で両手の人差し指をちょんちょんと突き合わせた。
「家が一軒欲しいです。周囲に見知らぬ男性が現れず、二十四時間体制の監視システムが完備されていて、治安がよく、生活にも不便がない場所です」
武は単刀直入に告げた。
今の武に一番足りないものは何か。
それは、安心して身を寄せられる場所だった。
たとえ期限付きでも構わない。まずは母さんの安全を確保しなければならない。
「武くん、その条件はちょっと……」
由美子は、さすがに難しいのではないかと感じた。
「えっ?」
アイリーンも、そんな答えが返ってくるとは思っていなかったようだ。
そこでようやく、アイリーンは思い出した。
今回の受験者の大半は、故郷を追われて避難してきた人々なのだ。
何の被害も受けていない自分たちとは違い、彼らが何よりも切実に求めているのは、安心して暮らせる生活環境だった。
もしかすると、ほかの学院長たちもその点を見落としていたのかもしれない。
彼らを、ただ募集試験を受けに来た受験者としてしか見ていなかったのだ。
「むぅ……」
アイリーンは真剣な顔でうつむき、条件に合いそうな場所を頭の中で一つずつ探し始めた。
やがて、何かを思いついたように嬉しそうに顔を上げた。
「一戸建ての家はないんですけど、条件に合う寮の部屋なら一つあります! 今のところ入居者は全員女性です。ただし、ほかの学生と同じように家賃は払ってもらわないといけませんよ? じゃないと私が怒られちゃいますから!」
「本当ですか?」
武は目を見開いた。
「本当の本当です!」
アイリーンは自信満々に胸を叩いた。
「それならよかった。白魔法学院にします」
「あははっ、それなら大正解ですよ!」
アイリーンは誇らしげに胸を張った。
「……えっ?」
そこでようやく、自分がとんでもないことをしてしまったのではないかと気づいた。
「ちょ、ちょっと待って! 本当に!?」
アイリーンは武の両肩をがしっとつかんだ。
「どうしたんですか? 条件のいい住まいがあるって言いましたよね?」
「本当に、本当にうちの学院に入ってくれるんですか!?」
アイリーンは何度も念を押した。
「住まいの条件が、さっき言ったとおりなら」
「まずいまずい……絶対に恨まれちゃう……」
アイリーンは両手で頭を抱え、脳裏には二人の学院長の恐ろしい姿が浮かんでいた。
「何の話ですか?」
武は首をかしげた。
「こほん……何でもありません! それで、本当に私たち『白魔法学院』に入学するということで、よろしいですね?」
「正直、どの学院に入っても別に構わないんです。たまたまあなたのところが、俺の希望を叶えてくれそうだっただけで」
武は肩をすくめた。
「そうですか……そうですよね……白魔法学院って、昔からあまり注目されてませんし……」
アイリーンはしょんぼりとうつむいた。
「えっと……学院長? 大丈夫ですか?」
アイリーンの急な落ち込みように武は面食らい、戸惑いがちに声をかけた。
「大丈夫です! 入学を決めてくださった以上、私もできる限りご希望にお応えしますから!」
アイリーンはすぐに気持ちを切り替え、スマートフォンを取り出した。
「お二人とも、数分だけお待ちくださいね。先に寮の件を確認してきます!」
アイリーンは二人に微笑んで頷くと、足早に来賓用の休憩室を出ていった。
室内には再び静けさが戻った。
「お疲れさま、武くん。でも、本当に白魔法学院でいいの? お母さんのために、あまり自分を犠牲にしてほしくないの」
由美子は複雑そうな表情で武を見つめた。
「大丈夫だよ、母さん。俺がそうしたいんだ。それに、白魔法学院だってそんなに悪くないよ」
実のところ、武が白魔法学院を選んだ理由はもう一つあった。
招待状に書かれていた、授業の履修を免除される特別な権利だ。
これなら、退屈な授業に出る必要もなく、できる限り母さんと一緒にいられる。
高額な手当や修練資源には、さほど興味がなかった。
どのみち、お金は全部母さんに預けることになるのだから。
「そうだ、武くん。これ、渡しておくね」
由美子は白いスマートフォンを取り出した。
「何それ?」
「スマートフォンだよ」
由美子は白いスマートフォンを武の前に差し出した。
「忘れちゃった? 前はいつも、自分には必要ないって言って、お母さんに預けっぱなしだったでしょ?」
「うーん……そういえば、そんなこともあったような……」
武は見覚えがあるような、ないような白い端末を眺めながら、記憶をたどった。
「大きな街に来たんだし、これからは先生と連絡を取ったり、学院からのお知らせを受け取ったりするのにも必要になるから、持ち歩いたほうがいいと思うよ」
「うん……確かにそうだね」
母さんの言うことももっともだと思い、武はスマートフォンを受け取った。
だが、いざ操作してみると、指の動きはどうにもぎこちない。
結局、母さんにもう一度使い方を教えてもらうことになった。
由美子の丁寧な説明のおかげで、武はすぐに基本的な操作を覚えることができた。
二人がまだスマートフォンをいじっていると、来賓用の休憩室の扉が再び開いた。
「お待たせしました!」
アイリーンが楽しげな笑顔で入ってきた。
「寮の件、無事に了承をもらえましたよ! 詳しい資料をまとめるにはもう少し時間がかかりますけど、今夜から入居できるのは間違いありません!」
「本当ですか? よかった……」
武はほっとした笑みを浮かべ、ようやく肩の荷が下りた気がした。
「アイリーン学院長、本当にありがとうございます」
由美子はアイリーンの手を握り、何度も礼を述べた。
「それじゃあ、俺たちは白鳩収容特区に戻って、あの金髪の先生に会ったほうがいいんですか?」
武は少し迷いながら尋ねた。
「ん? どなたですか?」
アイリーンは不思議そうに眉を上げた。
「目つきが悪くて、タバコを吸ってる人です」
武は少し考えてから、率直に答えた。
「あっ! ヤフィエル教授ですね!」
アイリーンは思い当たったように声を上げた。
「偶然ですね! 彼女も白魔法学院の教授なんですよ。それなら話がずっと簡単になります!」
「あとで私から連絡して、収容特区を離れるための手続きも手伝ってもらいますね。新しい寮の詳しい資料が届いたら、それも彼女に転送しておきます! ほかに気をつけることがあれば、彼女から説明してもらいましょう」
「そうだ、電話番号を教えてもらえますか? 先に連絡先を交換しておきましょう!」
アイリーンはピンク色のケースをつけたスマートフォンを軽く振りながら、武に声をかけた。
「あ、はい」
まさか、こんなに早くスマートフォンが役に立つとは思わなかった。
通知音が鳴り、二人は無事に連絡先を交換した。
「あっ、そうそう! アストラ総学園の公式アプリ『群星ネット』も忘れずにダウンロードしてくださいね! 学院の最新情報がいろいろわかるので、とっても便利なんですよ!」
アイリーンは自分のスマートフォンに表示されたアイコンを指さした。
武も言われたとおりにアプリをダウンロードし、開いてみた。
画面が切り替わると、にぎやかな学園掲示板が目に飛び込んできた。
そのとき、トップページの最上部に並んでいた人気の話題は――
「衝撃!今回の追加募集試験で新たな『破格生』が選ばれる!? また血で血を洗う争いが始まるのか!?」
「独占公開!最新の破格生候補者リストを大予想! 見逃し厳禁!」
「裏情報!募集試験の裏側で何が起きていた? 知っておくべき黒い噂の数々……」
どれも噂話ばかりで、見出しもやたらと大げさだった。
武は思わず口元をひくつかせ、困ったように苦笑した。
「今はゲストとして利用しているので、表向きの情報しか見られないんです。正式に入学手続きを済ませれば、伊勢さん専用の学院カードが発行されますよ! そこに掲示板のアカウントとパスワードが記載されていて、もっと高い権限が必要な掲示板にも入れるようになるんです」
アイリーンは画面左上のゲストアイコンを指さしながら説明した。
「ああ……わかりました」
武は頷いた。
「オーケー! 破格生としてのほかの特典は、次の入学手続きのときにまとめてお渡ししますね。それで大丈夫ですか?」
「はい。そっちは急いでないので」
「うんうん! それじゃあ、これからやってもらうことを、もう一度簡単に説明しますね!」
アイリーンは今後の引き継ぎや入学手続きについて、要点を絞って説明した。
話が終わると、武と由美子は改めて心から礼を述べ、募集会場を後にした。
夕日がゆっくりと地平線へ沈み、空に浮かぶ雲が残照を受けて鮮やかな黄金色に染まっていた。
武と由美子は、緊急救護区域へ戻る道を歩いていた。
今夜泊まる寮の詳しい場所を、一刻も早く確認しなければならない。
今の二人にとって、安定した住まいを確保することは何よりも大切だった。
ただ、アイリーンの約束が本当にこんなに早く実現するのか、武には少し不安もあった。
道中、物資を満載した輸送車や、疲れ切った顔で慌ただしく行き来する職員たちが何度も目に入った。
道路の周囲には臨時のテントがいくつも建てられており、その傍らでは、避難民たちがさらに新しいテントを設営していた。
少し離れた後方には、こっそりと二人のあとをつけてくる避難民が数人いた。
何が目的なのかはわからない。
ただ、一定の距離を保っているため、武はひとまず手を出さず、密かにその動きを警戒していた。
そんな光景を目にするたびに、武の胸の内では不安がますます膨らんでいった。
彼の見立てでは、白鳩収容特区全体が、すでに極めて厳しい状況に置かれているはずだった。
避難民は次々と流入し、必要な物資も人手も増え続けている。
限界を超えつつある人の流れをどこかへ分散させなければ、当局による白鳩収容特区の管理はますます行き届かなくなるだろう。
このまま時間が経てば、いずれ大きな問題が起きるに違いない。
混乱が犯罪の温床になることを、武はよく知っていた。
だからこそ、母さんが巻き込まれるのを避けるため、何としても安全な住まいを確保しようとしていたのだ。
問題は、関係者たちに本当にそこまで対応する余裕があるかどうかだった。
そんな武の心配をよそに、隣を歩く由美子は終始穏やかな笑みを浮かべていた。
不安を感じている様子など、少しも見えない。
さすが母さんだ。
こんな状況でも、あんなに落ち着いていられるなんて。
武がこれからのことを考えていると、前方から三つの人影が近づいてきた。




