第十八章 スケルトンナイト
どれほど時間が経っただろうか。
武はゆっくりと目を開けた。
目の前に広がっていたのは、先ほどまでの広々とした明るい募集会場ではなく、薄暗い石造りの通路だった。
「ここは……?」
武は周囲を見回した。
通路の両側には、粗く積み上げられた石の壁が続いている。その表面には大小さまざまな亀裂が走り、石の隙間には苔まで生えていた。
空気には湿ったカビの臭いが漂い、足元の石畳からは冷たく硬い感触が伝わってくる。
武はその場にしゃがみ込み、手のひらで地面に触れてみた。
「感触まで現実とまったく同じなのか……」
今度は傍らの石壁にも手を伸ばした。
指先にはざらざらとした摩擦が伝わり、石の隙間に入り込んだ細かな砂粒まで感じ取れた。
「ディゼル、いるか?」
「いるぞ」
聞き慣れた声が、武の頭の中に響いた。
「なんだ、本当にいたのか。てっきりお前から解放されたと思ったのに」
武は気にも留めず、肩をすくめた。
「何という言い草だ! 誰がお前を死の淵から救い出してやったと思っておる!」
突如、武の目の前に紫色の炎が浮かび上がった。
「忘れるでないぞ。我らは契約を結んだ仲なのだ。お前が世界の果てまで逃げようとも、吾はどこまでもついていけるのだからな!」
紫色の炎が勢いよく武の顔の前まで迫ってきた。
認めたくはなかったが、武自身も、目の前の紫色の炎との間に、言葉では言い表せない奇妙なつながりが生まれていることを感じていた。
「そういえば、お前が閉じ込められていた箱は、元の家に置いてきたはずだけど。影響はないのか?」
武はあの箱を元の場所へ戻したことを、はっきりと覚えていた。
「ほう? パンドラの箱のことか? それなら今、お前の収納指輪の中にあるぞ」
紫色の炎がゆらりと揺れ、ディゼルのいたずらっぽい笑い声が聞こえてきた。
「そんな馬鹿な!」
武はすぐさま意識を収納指輪へと向け、中身を確かめた。
すると、ディゼルの言ったとおり、あの箱が確かに収められていた。
「欲望の力に、不可能などないのだ~」
ディゼルは得意げに宙で一回転した。
軽やかな声に合わせて紫色の炎が上下に跳ね、武を驚かせたことを心から楽しんでいるようだった。
「ちっ……」
武は悔しそうに舌打ちした。
「それはそうと、この場所は実に奇妙だな……」
紫色の炎が左右にふわふわと漂い、周囲を観察し始めた。
「どういう意味だ?」
「この空間は実在しておる。ただし、何者かの手によって意図的に改造されておる。ダンジョンに少し似ておるが、構造はかなり単純だな」
ディゼルは石壁のそばまで漂うと、その表面をなぞるように一回りした。
「実在するってことは、現実でもここを見つけられるのか?」
「それは難しいだろうな。ここは収納指輪の内部空間と少し似ておる。宇宙に散らばる細かな空間の一つなのだ。そもそも、どこに入口があるのかも分からぬ」
「そうなのか。でも、ダンジョンには宝箱があるって聞いたことがあるけど、本当なのか?」
「自然に生まれた迷宮なら、当然宝箱も存在する。だが、ここは模擬幻境だ。たとえ宝物があったとしても、外へ持ち出すことはできぬぞ」
「それもそうか」
武がそう答えた直後、通路の奥からかすかな物音が聞こえてきた。
カラ、カラ……。
乾いた骨がぶつかり合うような音が、次第に近づいてくる。
やがて、暗闇の中から、いくつもの不格好な人影が姿を現した。
最初に現れたのは、錆びついた長剣を手にした一体のスケルトン兵だった。
全身は灰白色の骨だけで構成され、骨の表面にはあちこちに亀裂が走っている。体には、ぼろぼろになった革鎧の切れ端がいくつかぶら下がっていた。
空洞の眼窩には、二つの青白い炎が静かに揺らめいている。
【レベル18】【スケルトン兵】
続いて、同じ姿をしたスケルトン兵がさらに二体、暗闇から歩み出てきた。
その後方には、長弓を構えた二体のスケルトンアーチャーが続いている。
スケルトンアーチャーは破れた濃い灰色のマントをまとい、干からびた指の骨を弓弦にかけていた。矢の先端には、冷たい金属の光が宿っている。
【レベル20】【スケルトンアーチャー】
「おおっ! 本当に出てきた! でも、ちょっとレベルが低いな」
武は興味津々で魔物たちを眺めると、銀白色の長剣を召喚し、その刀身を肩に担いだ。
まるで武の挑発が聞こえたかのように、先頭のスケルトン兵が突然顎を大きく開き、耳障りな叫び声を上げた。
次の瞬間、三体のスケルトン兵が一斉に襲いかかってきた!
そのうちの一体が長剣を高々と振り上げ、武の頭上めがけて勢いよく振り下ろす。
武はわずかに体を傾け、難なくその一撃をかわした。
錆びついた長剣が石畳に激突し、小さな火花が散る。
「遅い!」
武は一歩踏み込み、銀白色の長剣をそのまま横薙ぎに振るった。
鋭い刃がスケルトン兵の肋骨を一気に断ち切り、骨の体は胸のあたりから真っ二つになった。
砕けた骨が四方へ飛び散り、その勢いで後ろにいた別のスケルトン兵まで巻き込んで倒れる。
武はすかさず足を踏み出し、倒れたスケルトン兵の頭蓋骨を踏み砕いた。
だが、その間に三体目のスケルトン兵が武の側面へ回り込み、腰めがけて長剣を振り下ろしてきた。
しかし、武の動きのほうが速かった。
左手を伸ばしてスケルトン兵の肋骨を一本つかむと、そのまま力任せに石壁へ叩きつけた。
続けざまに右足を持ち上げ、強烈な横蹴りを放つ。
骨盤が粉々に砕け、乾いた破砕音とともに骨の体がその場に崩れ落ちた。
そのとき、通路の奥から鋭い風切り音が響いた。
武は素早く顔を傾けた。
一本の矢が頬をかすめ、背後の石壁へ深々と突き刺さる。
顔を上げると、後方にいた二体のスケルトンアーチャーが、すでに次の矢をつがえていた。
二本の矢が立て続けに放たれる。
武は勢いよく前方へ駆け出した。
一本目の矢は肩のすぐ横を通り過ぎ、二本目は伸ばした手で直接つかみ取った。
「ははっ! 返してやるよ!」
武は手にした矢を、そのまま一体のスケルトンアーチャーめがけて力いっぱい投げ返した。
矢は残像を残すほどの速さで飛び、スケルトンアーチャーの頭蓋骨を一瞬で貫いた。
もう一体が再び弓を引こうとしたときには、武はすでに目の前まで迫っていた。
武はただの正拳突きで、スケルトンアーチャーの胸骨を一撃で粉砕した。
砕けた骨が四方へ飛び散る。
あっという間に、五体の骸骨の魔物はすべて倒された。
やがて、その体は細かな光の粒へと変わり、空気中に溶けるように消えていった。
「つまんないな」
戦いを終えた武は、両手を軽く払った。
「む……魔物の頭の上にある、あれは何だ?」
ディゼルが突然、妙なことを尋ねてきた。
「何言ってるんだ? 何のこと?」
「レベルと魔物の名前が書かれているものだ」
「はあ? レベルと名前だろ?」
「いや、吾が聞いているのは、なぜお前にあれが見えるのかということだ」
「何言ってるんだよ。あれって誰にでも見えるものじゃないのか?」
「……」
「……」
二人は同時に黙り込んだ。
ディゼルは、普通の人間には魔物のレベルや名前など見えないと確信していた。
少なくとも、ディゼルの知る限り、そのようなことは一度もなかった。
「お前はいつから、魔物のレベルと名前が見えるようになったのだ?」
「どういう意味だ? ずっと見えてたけど」
「ずっと、だと?」
「ああ。小さい頃からそうだったよ」
「それを一度もおかしいと思わなかったのか?」
ディゼルの紫色の炎が、かすかに揺れた。
「何がおかしいんだ?」
武は逆に不思議そうな顔をした。
「では、先ほどのスケルトン兵という魔物に、以前出会ったことはあるか?」
「ないけど。それがどうした?」
「ならば、なぜその名前を知っておる?」
「なぜって……名前が書いてあるじゃないか」
武は訳が分からないといった顔をした。
「……」
ディゼルは返す言葉を失った。
「お前には、すべての魔物の名前とレベルが見えるのか?」
「いや、見えない奴もいるよ。でも、一度倒せば見えるようになるんだ」
ディゼルは再び沈黙した。
どうやら、この宿主は自分が思っていた以上に奇妙な存在らしい。
一体、何なのだ、この能力は?
あらゆる魔物の強さを、レベルという数値で表せるというのか?
この能力を利用して魔物図鑑を作れば、人類全体の役に立つのではないか?
いや、これは一度、隙を見てこの小僧の意識の奥深くに忍び込む必要があるな。
いったいどんな秘密を隠しているのか、確かめてやらねば。
「何か言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」
いつまでも黙り込んでいるディゼルに、武はしびれを切らして尋ねた。
「いや、何でもない。それより、地面に赤い破片が落ちておるぞ。気づかなかったのか?」
「ん?」
武はディゼルが示した方向へ目を向けた。
すると、一体のスケルトン兵が消えた場所に、手のひらほどの大きさの赤い破片が残されていた。
武はそれを拾い上げ、表と裏をじっくりと確かめた。
赤い破片の表面は滑らかで、形はいびつだった。内部には、かすかな赤い光が流れているように見える。
「これ、何なんだ? 知ってるか?」
武は破片を目の高さまで持ち上げ、何か分からないかと観察した。
「おそらく幻境を攻略するために必要な道具だろう。ひとまず持っておけ」
「分かった」
それからしばらく進むと、武は広々とした石窟へたどり着いた。
石窟の奥には、巨大な石の扉がそびえ立っていた。
扉は数メートルもの高さがあり、分厚い灰黒色の岩で作られている。
その表面には複雑な紋様がびっしりと刻まれ、中央には巨大な円形の図案が彫り込まれていた。
武は扉に近づき、じっくりと調べ始めた。
すると、扉の左右に、それぞれ奇妙なくぼみがあることに気づいた。
左側のくぼみはいびつな多角形をしており、右側にはそれと対称的な形のくぼみが設けられていた。
「この形……」
武は先ほどスケルトン兵から手に入れた赤い破片を取り出し、左側のくぼみに合わせてみた。
「おっ! ぴったりだ!」
武は赤い破片をそっとくぼみにはめ込んだ。
カチリ、と小気味よい音が響く。
破片は石の扉にぴったりとはまった。
すると、それまで暗かった扉の左半分に刻まれた赤い紋様が、一斉に輝き始めた。
赤い光が扉の表面をゆっくりと流れ、やがて中央の円形の図案へと集まっていく。
しかし、石の扉が開く気配はなかった。
「どうやら、もう一つ破片が必要みたいだな」
武が周囲を見回すと、石窟の右側に、目立たない細い通路がもう一本続いているのを見つけた。
武は迷わずその通路へ駆け込んだ。
通路を抜けると、目の前が一気に開けた。
そこは地下に造られた石室だった。
両側には太い石柱が何本も立ち並び、壁には火のついた松明が等間隔に並んでいる。
松明の淡い光が、まだら模様の石畳を照らしていた。
石室の最奥には、変わった形の木製の宝箱が一つ置かれていた。
宝箱の周囲には、赤い封印が輪を描くように張り巡らされている。
「おっ? 本当に宝箱があるじゃないか!」
武の目がぱっと輝いた。
テレビでは、冒険家たちが宝箱を開ける場面を何度も見たことがある。
武も以前から、一度でいいから宝箱を開けるという体験をしてみたかったのだ。
さっそく宝箱へ近づこうとした武だったが、そこでようやく、その脇に大きな黒い人影が立っていることに気づいた。
全身を漆黒の鎧で覆った、骸骨の騎士だった。
分厚い肩当てと胸当てには無数の刀傷が刻まれ、壊れかけた金属製の兜が顔の大半を覆い隠している。
その奥の眼窩では、二つの青白い炎が燃えていた。
右手に幅広の両刃の長剣を握り、左手で亀裂だらけの金属製の盾を構えている。
先ほどのようにあちこちを歩き回るスケルトン兵とは異なり、その騎士は宝箱の前に立ったまま、まったく動こうとしなかった。
【レベル30】【スケルトンナイト】
「レベル三十か……。残念だけど、まだ物足りないな」
武は目の前のスケルトンナイトを観察した。
「まあ、準備運動にはちょうどいいか」
武は軽く肩を回し、ゆっくりと歩み寄った。
侵入者の存在に気づいたスケルトンナイトが、勢いよく顔を上げた。
眼窩に燃える青白い炎が、一気に大きくなる。
スケルトンナイトは長剣を振り上げ、武めがけて突進してきた!
「いいぞ、来い!」
武は銀白色の長剣を握り締め、正面から迎え撃った。
ガキィン!
二本の長剣が空中で激しくぶつかり合い、まばゆい火花が散った。
スケルトンナイトの巨体がわずかに揺らぎ、足元の石畳からも鈍い音が響く。
しかし、スケルトンナイトは攻撃の手を緩めなかった。
すぐさま左手の盾を突き出し、武に向かって勢いよく叩きつけようとした。
武は半歩後ろへ下がり、盾の一撃をかわす。
だが次の瞬間、スケルトンナイトの長剣が横から薙ぎ払われた!
武は素早く身をかがめた。
刃が頭上すれすれを通り過ぎ、その風圧で髪が大きく揺れた。
「おっ! さすがレベル三十。ようやく森で戦ってた頃の感覚が戻ってきたな」
スケルトンナイトは武に息つく暇も与えず、再び距離を詰めて剣を振るった。
しかし、今度の武は避けようとしなかった。
逆に、下から上へと勢いよく剣を振り上げた!
甲高い金属音が響き渡り、スケルトンナイトの長剣が大きく弾かれる。
相手が構え直すより早く、武は一歩踏み込んだ。
そして、強烈な拳をスケルトンナイトの胸当てへ叩き込んだ!
分厚い金属の鎧が一気にへこみ、骨の体が何歩も後ろへよろめいた。
スケルトンナイトがようやく体勢を立て直そうとした、そのときだった。
武は高く跳び上がり、相手の胸当てめがけて長剣を振り下ろした。
スケルトンナイトも盾を構えようとしたが、武の剣のほうが速かった。
銀白色の剣光が薄暗い石室を切り裂く。
すでにへこんでいた胸当てが砕け散り、その下に隠されていた骨格もろとも崩壊した。
スケルトンナイトの巨体は二度ほど揺れ、轟音とともに地面へ倒れ込んだ。
「まあまあだな。結構頑丈だったし」
武は長剣を収め、倒れたスケルトンナイトを見下ろした。
しばらくすると、その体は細かな光の粒へと変わり、空気中に消えていった。
それと同時に、宝箱を取り囲んでいた赤い封印も消滅した。
「宝箱だ、宝箱!」
武はわくわくしながら両手をこすり合わせ、足早に宝箱へ向かった。
箱の中央に取りつけられた鉄の錠前に、そっと手を触れる。
かすかな摩擦音とともに、閉ざされていた蓋がひとりでに開いた。
中には、赤い破片が一つ、ぽつんと収められていた。
「えっ? これだけ?」
武は赤い破片を手に取った。
それは先ほどスケルトン兵から手に入れたものと、非常によく似ていた。
武はすぐに、その使い道に思い当たった。
「はあ、つまんないな。戻って扉を開けるか」




