第十六章 謎の人物
「皆さん、一級募集会場へようこそ。今回の試験官を務める、エイヴン・クローンです」
重厚な声が会場に響き渡った。
ステージの中央に立っていたのは、細いフレームの眼鏡をかけた男だった。鮮やかな青いスーツを身にまとい、左手にはマイクを握っている。その表情は冷たく、厳格そのものだった。
先ほどまでざわついていた会場は、一瞬にして水を打ったように静まり返り、全員の視線がクローンに集中した。
「今回の募集試験は、今後ますます厳しくなるであろう状況に対応するため、特別に設けられたものです。皆さんの大半は、このところ身をもってそれを実感していることでしょう。だからこそ、今回の試験では、これまで培ってきた力を余すことなく発揮していただきたい。どうか一切の出し惜しみはしないでください」
「そこで学園側は、今回の募集試験の内容を変更することにしました。試験は全部で二段階あります。第一段階では皆さんの魔力総量を測定し、第二段階では実戦能力を試します」
クローンはそう言って、二本の指を立てた。
その言葉を聞いた途端、ステージの下から小さなどよめきが起こった。
クローンはそのざわめきを気にも留めず、ステージ中央の水晶玉へと向き直った。
「私の前にあるこの装置は、魔力測定器です。皆さんには、この水晶玉に手を置いていただくだけで結構です。水晶玉が自動的に魔力を吸収し、それを光へと変換します。最終的に放たれる光の強さを基準に、成績を判定します」
クローンは腕を動かしながら説明を続けた。
「なお、第二段階の実戦試験については、今のところ詳細を伏せさせていただきます」
「二つの試験のうち、どちらか一方に合格すれば、抗魔士の一員となることができます。抗魔士になれば、毎月一定の基本給が支給されるほか、仮宿舎も一室割り当てられます。今の皆さんにとって、これは非常に重要なことでしょう。ぜひ、この機会を逃さないでください」
「さらに、両方の試験に合格した方には、学園から追加の奨励金と初級魔兵器を一つ贈呈します。そして総合成績上位三名には、D級抗魔士への即時昇格を認め、物資の優先配給権も与えます」
その言葉が告げられた瞬間、それまで静まり返っていた会場が一気に沸き立った。
人々は歓声を上げ、中には興奮のあまり両手を合わせ、祈るような仕草をする者までいた。
「武くん! 頑張ってね!」
由美子は拳をぎゅっと握り、武に向かって応援する仕草を見せた。
「うん! 頑張るよ!」
武は両手を腰に当て、自信満々に答えた。
「それでは、これより募集試験の開始を宣言します!」
クローンが声高らかに宣言すると、興奮に包まれていた会場も次第に落ち着きを取り戻した。
「番号一番の方! ステージに上がって試験を受けてください」
ステージ下の司会者もすぐさま進行を始めた。
大勢の視線が集まる中、短髪の女性が小さな木の杖を手に、ややおびえた様子でステージへと上がっていった。
彼女は手にした木の杖を固く握り締め、ときおりステージ下にひしめく人々へと目を向けていた。
由美子の座る場所を確保した武も、改めてステージへと視線を戻した。
水晶玉が一体どのように作動するのか、この機会にじっくり見ておきたかったのだ。
短髪の女性が水晶玉に手を置くと、わずか数秒で水晶玉からまばゆい光が放たれた。
傍らに立つクローンは小さく頷き、手元の資料に素早く何かを書き込んでいく。
記録を終えると、クローンはもう一度頷いて告げた。
「おめでとうございます。合格です。下がって休んでいてください」
「ありがとうございます、試験官!」
短髪の女性はほっと胸をなで下ろし、試験官に何度も頭を下げて礼を言った。
そして足早にステージを下りていく。その顔には、嬉し涙があふれていた。
「この子も、ずいぶん苦労してきたんだろうな」
武の隣にいた中年の男が、小さくため息をつくように呟いた。
「ふん、ここにいる奴で苦労してない奴なんているのかよ」
別の男が、どこか見下すような口調で冷たく返した。
試験が進むにつれ、受験者たちが一人、また一人とステージへ上がっていった。
水晶玉にまばゆい光を放たせる者もいれば、かろうじて弱い光を灯すことしかできない者もいた。
肩を落としてステージを下りていく受験者たちを見ているうちに、武の気持ちも次第に重くなっていった。
そんなとき、ひときわ大きな人影がステージに現れた。
身長二メートルを超える大男だった。
頭には茶色い紙袋をすっぽりとかぶり、むき出しになった肌には大小さまざまな傷痕が刻まれている。盛り上がった筋肉は、まるで花崗岩のように硬そうだった。
男がゆっくりとステージへ上がっていくにつれ、武の目が次第に輝き始めた。
身長では、武の負け!
筋肉でも、武の負け!
体格のあらゆる面で自分を上回るこの男が、一体どんな成績を叩き出すのか。
武はそれが気になって仕方がなかった。それどころか、自分もステージへ上がって一度手合わせしてみたいという衝動さえ湧いてきた。
クローンは自分より頭いくつ分も背の高い大男を見上げたが、表情一つ変えず、淡々と告げた。
「始めてください」
大男の巨大な手のひらが、水晶玉をほとんど覆い隠した。
しかし、数秒が過ぎても、水晶玉はわずかな光を放つだけだった。
先ほどまでの強い光とは、比べものにならないほど弱かった。
大男は紙袋の上から頭をかいた。どうやら本人もかなり気まずいようだが、その表情は紙袋に隠れて見えなかった。
「はあ、もう慣れたよ。これが男の悲しさってやつだ」
「仕方ないさ。魔力の総量は、昔から俺たち男には越えられない壁なんだからな」
別の男が両手を広げ、諦めたように言った。
「こうなったら、次の試験に望みを託すしかないな……」
会場のあちこちから、男たちの沈んだ嘆き声が聞こえてきた。
その声を聞いているうちに、武まで少し不安になってきた。
まさか、俺もあんな感じになるんじゃないだろうな……。
それはまずいぞ……。
せめて魔力総量だけでも合格できるように祈るしかないか。
何が何でも、どちらか一つは突破しないと。
武は心の中でため息をついた。
数秒待ったところで、クローンはわずかに眉をひそめ、告げた。
「ひとまず下がってください。次の段階の試験までお待ちください」
紙袋をかぶった大男は、そのままステージを下りていった。
「次の方! 番号五十三番! ステージに上がって試験を受けてください!」
司会者がマイクを手に呼びかけた。
これほど長い時間待たされていると、さすがの武も少し退屈になり、何度かあくびを漏らしてしまった。
最初の数人こそ目を引く成績を残していたが、それ以降の受験者はどれも平均的で、特に目立つところがなかった。
とはいえ、今回の魔力測定を見ていて、武にも分かったことがいくつかあった。
女性の魔力の素質は、やはり男性よりもはるかに優れている。
今回試験を受けた男性の中で、水晶玉をまばゆく輝かせられた者はほとんどいなかった。
おそらく彼らにとっては、第二段階の実戦試験こそが本当の勝負なのだろう。
「繰り返します! 番号五十三番! ステージに上がって試験を受けてください!」
司会者が再びマイクに向かって大声で呼びかけた。
武も一体誰なのか見てみようとした、そのときだった。
黒いマントをまとった謎の人物が、武の目の前をゆっくりと通り過ぎていった。
すれ違いざま、今にも消え入りそうなか細い声が武の耳に届いた。
「久しぶり……」
武の体がびくりと強張った。
背筋を正体不明の寒気が駆け上がり、右手がほとんど反射的に腰のあたりへと伸びる。
本能的に大剣を召喚して身構えようとしたのだ。
だが、武は歯を食いしばり、その衝動を無理やり押し殺した。
ここで不用意に剣を抜けば、何が起こるか分からない。
武は緊張した面持ちで謎の人物を睨みつけた。
しかし相手は、その一言を残すと振り返りもせずにステージへと上がっていった。まるで何事もなかったかのように。
こいつ……誰だ?
武はマントの下に見える服装を注意深く観察し、何か手がかりを探そうとした。
だが、謎の人物の全身はまるで薄い霧に包まれているかのようで、どれほど目を凝らしてもはっきりと見ることができなかった。
武は頭の中の記憶を必死に探り、その姿に当てはまる人物を思い出そうとした。
しかし、いくら考えても手がかり一つ見つからない。
そもそも山で暮らしていた頃、武には友達と呼べるような相手が一人もいなかった。
町へ出たときも、ほかの人間と関わることはほとんどなかった。
どれほど頭をひねっても、あの人物に結びつく具体的な顔は思い浮かばなかった。
人違いか?
今のところ、それが武に思いつく最も合理的な説明だった。
だが、あの人物はたった一言で、武の内に眠る闘争心をいとも簡単に呼び覚ました。
それを考えると、どうしても警戒すべき相手として目を離すわけにはいかなかった。
「番号五十三番、始めてください」
クローンの合図とともに、謎の人物はマントの下から細く美しい手を伸ばし、そっと水晶玉に重ねた。
水晶玉は初め、ゆっくりと光り始めた。
だが次の瞬間、その光は急激に強まり、ついには真昼の太陽のように輝き、会場全体を白くまばゆい光で包み込んだ。
突然の強烈な光に、誰もが目を開けていられなくなった。
会場のあちこちから悲鳴や恐怖に満ちた叫び声が上がる。
武も慌てて体を反転させ、自分の体で由美子に降り注ぐ強い光を遮った。
謎の人物が手を離すと、目を開けられないほどの白い光はようやくゆっくりと薄れ、会場にも元の明るさが戻ってきた。
「これでいいかしら?」
マントの下から、冷ややかで気品のある女の声が響いた。
しばらくして、ようやくクローンが衝撃から我に返った。
彼は無意識に眼鏡を押し上げ、わずかに声を震わせながら答えた。
「あ……ええ。第一段階は合格です。いったん下がって、第二段階の実戦試験をお待ちください」
「いいえ。実戦試験への参加はお断りします」
「えっ? 何ですって?」
謎の人物の言葉が理解できなかったのか、クローンは困惑した表情で聞き返した。
「参加しません」
謎の人物は静かに繰り返した。その声には、一切の交渉を受け付けない響きがあった。
「あ、いえ、それは……」
予想外の事態に、クローンは一瞬言葉を失った。
そして二階の観察席へと視線を向けた。
数秒後、何らかの指示を受け取ったかのように、クローンは急に態度を改め、恭しく口を開いた。
「承知いたしました。お嬢さん。先ほどお示しいただいた魔力量であれば、今回の募集試験の合格基準を十分に満たしております。私ども……いえ、学園側から後ほど担当者を派遣し、ご案内させていただきますので、恐れ入りますが、まずは貴賓室へお移りいただき、お休みください」
その後、謎の人物は数人の係員に囲まれながら、騒然とした会場をゆっくりと後にした。
その姿が視界から消えていくのを見つめながら、武は眉を深くひそめた。
もうこの試験で驚くようなことは起こらないと思っていたのに、まさかあんな人物が現れるとは。
あの謎の人物が見せた魔力総量は、武の想像をはるかに超えていた。
しかも、あんな相手に目をつけられたとなると、果たして幸運なのか不運なのかも分からない。
武は無意識に由美子のほうへ顔を向けた。
なぜか、彼女の顔色が少し青白く見えた。
二人の視線が合った途端、由美子はそっと手で口元を覆い、驚いたような表情を浮かべた。
「あっ! さっきの女の人、すごかったね。あんなに強い光を出せるなんて」
「そうだね。まさか、ここにもあんな強い人がいるとは思わなかったよ」
武は感心したように答えた。
「武くん、もうすぐあなたの番よ! 自信はある?」
由美子は期待に満ちた声で尋ねた。
「もちろん!」
武は胸を張り、自信たっぷりに答えた。
とはいえ、実際のところ、武自身にも自信はなかった。
今の彼に残された唯一の希望は、何とか次の実戦試験に合格することだった。
目の前の魔力測定については、正直なところ、ほとんど自信がない。
何かもっといい方法はないだろうか。
武がそう考えていた、そのときだった。
「番号五十四番! ステージに上がって試験を受けてください!」
よく通る大きな声が響いた。
自分の番号が呼ばれたのを聞き、武は大きく息を吸い込んだ。
母からの声援を受けたあと、不安を胸に抱えながら、ステージへと歩き出した。




