第十五章 学院長
係員に案内され、武と由美子は人目につきにくい会場へとやってきた。
広さこそ先ほどの広場には及ばないものの、百人以上を収容するには十分な空間があった。
「こちらが一級募集会場でございます。お二人とも、まずは受付で手続きをしていただきますので、私についてきてください」
先頭を歩いていた係員が振り返り、手で進む方向を示した。
武と由美子は頷き、係員の後について歩き出した。その間、武は会場の様子を見渡していた。
会場の中央には大きなステージが設けられていた。その中心には滑らかな白い円柱が立っており、上には透明な水晶玉が置かれている。
ステージの下にいる人の数はそれほど多くなく、それぞれが少しずつ距離を取っていた。
ただ、外にいた人々と比べると、ここにいる者たちは皆、顔色がよく、身なりもずっと整っていた。とても災害に遭ったばかりの人間には見えない。
そして何より、広場ではほとんど女性しか見かけなかったのに対し、ここでは男性の姿が明らかに増えていた。
そのことに気づいた瞬間、武の表情がわずかに引き締まり、周囲への警戒も強まった。
さらに、人混みの中には、ローブをまとって顔を隠している者が数人いることにも気づいた。
武はそうした不安要素を、ひとつひとつ心の中に留めておいた。
「大丈夫?」
武の様子がいつもと違うことに気づいたのか、由美子が心配そうな顔でそっと身を寄せてきた。
「何でもないよ。ただ、さっきよりずいぶん涼しいなと思って」
武は軽く微笑み、小声で答えた。
「おお! お客様、よくお気づきになりましたね。実はこちらには、皆様のために小型のポータブル冷房機を設置しているんですよ」
係員が笑顔で振り返った。
「これは長生門が新たに開発した魔導具でして、自動的に冷たい空気を外へ送り出してくれるんです。この発明のおかげで、もう家に大量の氷を蓄えておく必要もなくなりました」
「へえ、便利そうだね」
武は、以前の猛暑の中、井戸の水を浴びて暑さをしのぐしかなかった頃のことを思い出した。
「ええ、本当に便利なんですよ。以前は氷屋で氷を買わなければなりませんでしたし、保存するにも工夫が必要でしたからね。保管方法を間違えれば、せっかく買った氷も全部無駄になってしまいます」
「氷なら、氷属性の魔術師にもっと作ってもらえばいいんじゃない?」
武は思ったことをそのまま口にした。
「その氷屋の店主が、氷属性の魔術師なんですよ。あっ、受付に着きました! こちらで募集試験の入場券を提出し、必要事項を登録していただければ、申し込みは完了です!」
「分かりました。わざわざご案内いただき、ありがとうございます」
由美子は係員に向かって軽く頭を下げた。
「いえいえ、とんでもございません。それでは、私はこれで失礼いたします」
そう言うと、係員は二人に向かって九十度近く深々と頭を下げ、その場を離れていった。
受付の女性に手続きを手伝ってもらい、武は『54』と記された黒い番号札を受け取った。
「こちらがお客様の番号札です。あとはステージ上の試験官がお客様の番号をお呼びするまでお待ちください。呼ばれましたら、ステージに上がって試験を受けていただきます」
受付の女性は営業用の笑みを浮かべ、丁寧に説明した。
「ありがとうございます。ちなみに、募集試験はいつ頃始まるのでしょうか?」
由美子が隣から尋ねた。
「間もなく開始いたしますので、もう少々お待ちください」
「分かりました。ありがとうございます」
由美子は受付の女性に礼を言うと、武とともに会場の隅へ移動し、空いている場所を見つけて少し休むことにした。
武が退屈しのぎに周囲を眺めていると、近くにいた数人の受験者の会話がふと耳に入ってきた。
「おい、お前ら聞いたか? 今回の一級募集試験には、学園の院長たちが直々に来るらしいぞ!」
「マジで? ただの募集試験だろ?」
「いやいや、分かってないなあ!」
一人の男が意味ありげに人差し指を振った。
「そもそも、一級募集試験なんて今までなかったんだよ! 今回になって急に新設されたんだ!」
「えっ? なんで?」
「そんなの決まってるだろ。応募者が多すぎるから、ここで将来有望な優等生を先に選び出すんだよ。外で並んでる連中を見なかったのか?」
男は会場の外へ向かって顎をしゃくった。
「うおっ! じゃあ、お前の話が本当なら、俺ももう優等生候補ってことじゃねえか!」
「ははっ、喜ぶのはまだ早いぜ。俺が仕入れた情報によると、院長たちの本当の目的は『破格生』を選ぶことらしいんだ」
男は声を潜めて言った。
「破格生? なんだそりゃ?」
「それも知らないのか? 特殊な体質や特異魔術を持っている連中のことだよ! 学園に才能を認められれば、特別待遇を受けられるだけじゃなく、普通の学園生とは比べものにならないほどの育成資源まで与えられるらしいぜ!」
「うおお、兄弟! そんなことまで知ってんのかよ!」
「ははっ、ただの噂話だよ。他の奴には言うなよ?」
男は何でもないことのように手を振ったが、口元のにやけた笑みはどうしても隠しきれていなかった。
そのとき、会場の中央で突然ざわめきが起こった。
「おい、二階を見ろ! 院長たちが来たぞ!」
「うそっ! あれ、アタル院長じゃないか!」
一人の男が思わず声を張り上げた。
「アタル院長? 誰だよ、それ?」
「お前、アタル院長も知らないのか!?」
男は勢いよく振り返り、信じられないという顔をした。
「あの人は闘気学院の院長だぞ! 若い頃、たった一人で万妖国の奥深くまで乗り込み、拳一つでいくつもの魔物部族の長を屈服させたって話だ!」
「万妖国? マジかよ? あそこって魔物が支配してる国だろ?」
その会話を耳にした武も、思わず顔を上げ、周囲の人々の視線を追って二階を見た。
会場の二階には広々とした観察席が設けられており、その奥では数人の人影が次々と姿を現していた。
観察席の大部分は影に覆われていたため、今の武には、最前列に立つ一人の老人だけがはっきりと見えた。
小柄で、頭はつるつるに禿げ上がっている。顎には長い白髭を蓄え、手には木製の杖を握っていた。
この爺さんが、一人で万妖国に乗り込んだっていう人なのか?
見た目は普通だな。
「待って! アタル院長の隣にいるのって、もしかしてアイリーン院長じゃない?」
一人の女性が、老人の隣にいる人影を指さした。
「白魔法学院のアイリーン院長?」
「そう! あの方の治癒魔術と祝福魔術は、もう神業の域に達しているらしいの! 治療不可能と診断された重傷者を、何人も死の淵から救い出したことがあるんだって!」
女性は何度も頷きながら、尊敬に満ちた声で語った。
「マジで? それじゃ万神殿の巫女と同じじゃないか!」
「しっ! 声を小さくして! そんなこと、万神殿の人たちに聞かれたら大変よ!」
女性は慌てて人差し指を唇に当てた。
武も人々の視線を追った。
確かに、白髭の老人の隣には、容姿の整ったピンク髪の女性が現れていた。
女性は純白のワンピースに身を包み、顔には優しい笑みを浮かべている。
今はほかの院長たちと何やら話しているようで、その立ち居振る舞いからは、優雅で落ち着いた雰囲気が漂っていた。
「ちょっと待って! あそこを見て! 元素学院のグラシア院長よ!」
一人の女性が突然、観察席の反対側を指さした。
「グラシア院長!?」
別の女性が興奮を抑えきれない様子で声を潜めた。
グラシアは濃い紫色のハイネックの長衣をまとい、右肩には深緑色の片肩マントを羽織っていた。
深緑色の口紅と、結い上げられた紫色の髪が鮮やかな対比をなしている。
「あの人、四つの元素を同時に操れるらしいわよ! 本当なのかしら?」
「本当よ。私の従姉が元素学院にいるんだけど、性格がかなり変わってるらしいの! あまり気軽に近づかないほうがいいって」
「しっ! 命が惜しくないの!? こんなところであの人の悪口を言うなんて!」
それまで興味津々で話していた女性たちは、思わず首をすくめた。
「あれは次元学院のモグ院長だ!」
「何だって!? 次元学院まで来てるのか!?」
人々は一斉に別の方向へ視線を向けた。
そこには、灰色の長い髪をした女性が、ゆっくりと観察席へ入ってくる姿があった。
モグ院長は体にぴったりと合った黒いスーツを着こなし、黒い洋風のアンティークなステッキを手にしていた。
その表情は厳格で落ち着いており、何も言わずとも周囲を圧倒するような威厳を漂わせていた。
「次元学院って、アストラ総学園の中でも一番戦闘力が高い学院なんだろ?」
「マジかよ? 闘気学院や元素学院よりも強いのか?」
「そこまでは知らねえよ! でも、次元学院の院長になれるくらいなんだから、相当な実力者に決まってるだろ!」
「いやあ、今回は一体どうなってるんだ? こんなに大勢の院長が来るなんてな」
「闘気学院、白魔法学院、元素学院……それに次元学院まで……」
「待って! あそこにも誰かいない? 一番隅に座ってる、黒いローブの人よ」
一人の女性が突然、ほかの者たちの話を遮った。
「うおっ、本当だ! いつの間にいたんだ? 全然気づかなかったぞ」
人々が彼女の指さす先を見ると、観察席の隅に、いつの間にか黒いローブをまとった人影が増えていた。
その人物は全身のほとんどを影の中に隠し、ほかの院長たちの会話にも加わらず、人目を引くような動きも一切していなかった。
「四大学院がそろってるってことは、残るあの人は……黒魔法学院の南宮院長のはずだ」
「南宮院長?」
「南宮院長は普段、ほとんど誰とも関わらないらしい。学院の教授たちでさえ、会う機会があるとは限らないんだって」
「それに、昔、身の程知らずの連中が南宮院長にちょっかいを出したことがあったらしいんだけど……次の日には、そいつら全員が姿を消したんだ! 死体すら残さずにな!」
「うわっ、そんなに不気味なのかよ?」
「さあな。俺も人から聞いただけだし」
「これで五大学院の院長が全員そろったぞ! 今回の募集試験、絶対にただ事じゃない!」
一人の男が大声で叫んだ。
たちまち会場中がざわめきに包まれた。
五大学院の院長が同時に姿を現した。
それだけでも、会場にいる誰もが驚くには十分な出来事だった。
武は二階の観察席にいる五人の姿を見つめながら、考え込むように顎をさすった。
あの人たちが、それぞれの学院で一番強い人間なのか?
俺でも勝てるのかな。
武がそんなことを考えていると、ステージの上から、よく通る大きな男の声が響いてきた。




