第十四章 行列トラブル
入口を抜けると、武の目に真っ先に飛び込んできたのは、いくつも連なる長い行列だった。
人々は皆、静かに順番を待っていた。その目には期待や緊張、あるいはわずかな不安が浮かんでいる。
よく見ると、列に並んでいるのはほとんどが女性で、武のような成人男性はごくわずかしかいなかった。
二人は適当な列を選んで並んだ。武は自分の背の高さを生かし、列の先頭まで見渡した。
先頭には屋根だけを設けた開放型のテントがいくつも並んでおり、それぞれの下では、紺色のベストを着た係員が申込者の情報を登録していた。その傍らでは、数人の係員が忙しそうに荷物を運んでいる。
待ち時間はかなり長かった。
会場には受付窓口がいくつも設けられていたが、申込者の数があまりにも多く、列はなかなか前に進まなかった。
それでも武は特に焦ることなく、ときおり肩を回しながら、周囲の様子を眺めていた。
そのとき、武の後方で突然騒ぎが起こった。
「ちょっと! 何してるのよ!」
列に並んでいた若い女性が、不満げに声を上げた。
見ると、華やかな服装をした金髪の青年が、二人の従者を引き連れ、何食わぬ顔で列に割り込んでいた。
「ねえ! みんな並んでるのが見えないの!?」
「お前に関係あるか? お前の前に割り込んだわけじゃないだろ。失せろ」
「いい加減にしなさいよ! みんなずっと待ってるんだから!」
「だから、お前の前には並んでないだろ。俺が割り込んだのは、こいつの前だ」
そう言うと、金髪の青年はそばにいた華奢な少女の肩を乱暴につかんだ。
「俺がここに並ぶことに、何か文句あるか?」
華奢な少女は慌てて首を横に振った。
「聞いたか? 本人が何も言ってないんだ。部外者のお前が口を挟むなよ」
金髪の青年は横柄な態度で言い放った。
「あんたが誰だろうと関係ない! 割り込みは駄目なものは駄目よ!」
「ほう?」
金髪の青年は振り返り、若い女性を見下ろすように眺めた。
「どうやら、まだ自分の立場が分かってないようだな」
青年の顔から、次第に笑みが消えていった。
それを見た二人の従者は、すぐさま若い女性の前へ進み出ると、険しい目つきで彼女をにらみつけた。
「な、何よ! 何するつもり!?」
若い女性は数歩後ずさった。
周囲ではひそひそと囁き合う声が広がったが、進んで止めに入ろうとする者はほとんどいなかった。
武もその様子を黙って見ているだけで、特に動こうとはしなかった。
しかし、金髪の青年はそこで足を止めることなく、さらに列の前方へと進み、やがて武のそばまでやってきた。
「ん? なんだ、この辺りはやけにいい匂いがするな。あの難民どもの臭いとは全然違うぞ」
「おおっ、すげえ美人じゃねえか!」
由美子の顔を見た途端、金髪の青年はすぐさま彼女に近づこうとした。
だが、武のほうが一歩早かった。
武は前に出ると、由美子を自分の背後にかばった。
それを見た金髪の青年は、たちまち不機嫌そうな顔になった。
「お前、何者だ? この俺様に道を譲れ!」
武は動かなかった。
主人の言葉を聞いた従者の一人が、すぐさま手を伸ばし、武を脇へ押しのけようとした。
従者は武の肩を力いっぱい押した。
しかし、武はびくともしなかった。
従者は一瞬呆然としたが、すぐに力を強めた。
それでも、結果は変わらない。
「お、お前……」
従者の表情がみるみる険しくなった。
納得がいかないのか、今度は体重までかけて押し始めた。
しかし、どれだけ力を込めても、目の前の黒髪の青年は微動だにしなかった。
それどころか、従者のほうが顔を真っ赤にし、額には青筋まで浮かんでいた。
「何か用? さっきから人の肩ばっかり触って、気持ち悪いんだけど」
武はたまらず口を開いた。
「き、貴様……!」
従者は逆上し、勢いよく腕を引くと、拳を握り締めて武の顔めがけて殴りかかった。
「やめなさい! ここで何をしているんですか!」
その声に、周囲の人々が一斉に振り向いた。
紺色のベストを着た中年男性が、二人の係員を連れて足早に近づいてきていた。
「よかった! やっと係員が来た!」
「こいつらです! 列に割り込んだうえに、人を突き飛ばそうとしたんです!」
周囲の人々が次々と非難の声を上げた。
中年男性は眉をひそめ、現場を見回した。
そして、その視線が金髪の青年に止まった瞬間、厳しかった表情が一変した。
「あ、あなたは……」
それを見た金髪の青年の口元に、得意げな笑みが浮かんだ。
「なんだ? この俺様が誰だか分かったか?」
「これはこれは! ノーグス様ではありませんか!」
中年男性は慌てて駆け寄り、態度を一転させて恭しく頭を下げた。
「大変失礼いたしました。まさか本日、直々に募集試験へお越しになるとは思いませんでした」
「ふん! ちょうどいいところに来たな! このガキは俺様の邪魔をしたうえ、俺の従者にまで手を出したんだ。どうしてくれる?」
ノーグスは鼻を鳴らし、武を指さした。
中年男性はすぐに武へと顔を向け、眉間に深いしわを寄せた。
「そこのあなた。ここはアストラ総学園の募集会場です。いかなる理由があろうと、暴力行為は禁止されています! 悪質な場合は、受験資格を取り消すこともありますよ」
「先に手を出したのは……」
由美子が説明しようとしたが、
「どちらが先に手を出したかなど、関係ありません!」
中年男性はその言葉を遮った。
「揉め事を起こした以上、今すぐノーグス様に謝罪してください!」
「ん?」
武は目を細め、中年男性を見た。
まさか、こんな展開になるとは思っていなかった。
「ちょっと! そんなのおかしいでしょ! 先に割り込んできたのはあいつらだし、殴りかかろうとしたのもあいつらじゃない!」
先ほど割り込みに抗議していた若い女性が、たまらず声を上げた。
「そうだよ! みんな見てたんだから!」
周囲からも次々と同意の声が上がった。
しかし、中年男性は冷たい目で人々を見回しただけだった。
「静かに! ここは募集会場です! あなた方が言い争う場所ではありません!」
そして、再び武へと向き直った。
「もう一度だけ言います。今すぐ謝罪してください。さもなければ、会場から退場していただきます!」
「はははっ! 聞いたか? さっさと俺様に謝れよ!」
ノーグスは勝ち誇った顔で武を見た。
うーん……どうしたものかな。
ちょっと痛い目を見せてやるか?
それとも、いっそのこと……。
武が何か行動を起こそうとした、そのときだった。
隣にいた由美子が、そっと武の袖を引いた。
「あの、少しお待ちいただけますか? 先にこちらの券を確認していただきたいのですが」
由美子は懐から、先ほど先生にもらった白い券を取り出した。
「券?」
中年男性は眉をひそめた。
募集の申し込みに券が必要だなど、聞いた覚えがない。
しかし、その視線が券に落ちた瞬間、言葉が途切れた。
「こ、これは……!」
中年男性は目を大きく見開くと、慌てて両手を差し出した。
そして、券を壊れ物でも扱うかのように慎重に受け取り、そこに記された文字と印を念入りに確認した。
たちまち顔色が変わった。
中年男性は勢いよく顔を上げ、由美子を見つめた。
「し、失礼ですが……この券は、どちらでお受け取りになったのでしょうか?」
「金髪の先生からいただいたんです」
由美子は微笑みながら答えた。
「この券を持ってくれば、募集試験を受けられると伺いました」
中年男性の喉が、ごくりと鳴った。
彼はもう一度、券へと視線を落とした。
間違いない。
これは確かに、アストラ総学園が内部で発行している優先募集券だ!
こんなもの、普通の人間に気軽に配られるはずがない!
俺が聞いた内部情報によれば、この券の所持者は、基本的にすでに学園から内定を受けている。
しかも、学園が重点的に育成する対象である可能性も高い。
つまり、目の前の青年には計り知れない将来性があるということだ。
いずれは学園の精鋭となり、誰もが見上げるような高位の抗魔士にまで上り詰めるかもしれない。
もし今日ここで相手の恨みを買えば、将来、自分がどうやって死んだのかさえ分からないことになりかねない!
片や、小さな家柄の坊ちゃん。
片や、アストラ総学園が目をかけている天才。
どちらを優先すべきかなんて、考えるまでもないだろう!
この青年の何が特別なのかは分からない。
だが、こんな券を手にできる人物は、少なくとも自分が気軽に難癖をつけていい相手ではない!
そう考えた途端、中年男性の額に冷や汗がにじんだ。
「し、失礼いたしました!」
中年男性は突然背筋を伸ばすと、武と由美子に向かって深々と頭を下げた。
「先ほどは事情をよく確認もせず、大変失礼なことを申し上げました! どうかお許しください!」
「えっ?」
武はぽかんとした。
なんだこれ?
都会の人間って、みんなこんなに態度がころころ変わるものなのか?
「おい! 何をやってるんだ! そいつに俺様へ謝らせるんじゃなかったのか!?」
ノーグスが不満げに怒鳴った。
しかし、今度の中年男性はすぐには同調しなかった。
軽く咳払いをすると、いかにも真面目な顔で告げた。
「確認の結果、先に手を出したのはあなたの従者であると判断いたしました。お二人に謝罪したうえで、列の最後尾へ戻って並び直してください!」
「はあ?」
ノーグスは自分の耳を疑った。
「この俺様に、こいつらへ謝れって言うのか?」
「そのとおりです」
中年男性は厳しい表情を崩さず、先ほどとはまるで別人のような口調で答えた。
「ここはアストラ総学園の募集会場です。どなたであろうと、規則には従っていただきます」
「き、貴様……!」
ノーグスは怒りで顔を青ざめさせた。
中年男性の態度がなぜ百八十度も変わったのか、どうしても理解できなかった。
まさか、あの白い券は、俺様の身分よりも特別なものなのか?
ノーグスは拳を握り締めた。
今すぐ従者に命じて、あいつらを徹底的に痛めつけてやりたい。
だが、その視線が中年男性の胸元にある学園の徽章を捉えた瞬間、どうにか怒りを飲み込んだ。
いくら傲慢なノーグスでも、アストラ総学園の権威に正面から逆らう度胸まではなかった。
結局、ノーグスは顔を青ざめさせたまま、歯ぎしりしながら武をにらみつけることしかできなかった。
「い、いいだろう……! この俺様、お前の顔は覚えたからな! 行くぞ!」
そう言い捨てると、ノーグスは二人の従者を連れ、すごすごとその場を去っていった。
ノーグスが立ち去ると、中年男性は腰を低くし、申し訳なさそうな顔で口を開いた。
「先ほどは誠に申し訳ございませんでした。どうかお気になさらないでください」
「大丈夫ですよ。無事に解決したのなら、それで十分です」
由美子は丁寧に答えた。
その言葉を聞き、中年男性は内心でそっと安堵の息をついた。
「ご理解いただき、誠にありがとうございます。お二人には、別の場所へご案内させていただきます。そちらでは専任の係員が対応いたしますので、どうぞお越しください」
中年男性はそう言うと、背後にいた係員に手招きした。
一人の係員が慌てて駆け寄ってきた。
「早く! こちらのお二人を一級募集会場へご案内しなさい!」
「はい! お二人とも、こちらへどうぞ」
係員は二人に向かって、恭しく声をかけた。
「それでは、よろしくお願いします」
由美子は小さく頷いた。
武はまだ何が何だかよく分かっていなかったが、母さんがすでに了承しているのを見て、自分もひとまず頷くことにした。
こうして二人は係員に連れられ、騒がしい受付エリアを離れ、人目につきにくい別の会場へと向かった。




