↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/29

第八章 俺たちは合わない

 武は最初から、ディゼルの頼みを何一つ聞き入れるつもりはなかった。たとえ本当に何かを与えに来ただけだったとしても、それは同じだ。


 ディゼルが家に現れたその瞬間から、二人の間に交渉の余地など存在していなかった。


 素性も分からない強大な存在が突然目の前に現れ、無条件で夢を叶え、覇業を成し遂げる手助けをしてやると言ってくる。


 そんな話を信じられるか?


 頼むから、子供じゃないんだ。騙すにしても、もう少しましな嘘を考えてほしい。


 考えるまでもなく、何らかの代償があることくらい分かる。しかも、そういう代償に限って、最初から詳しく教えてくれることはない。


 相手はただ、どんな利点があるのか、何を手に入れられるのか、そればかりを延々と語り続ける。


 そしていつか、十分に太らされた頃になって初めて、これまで積み上げてきた借りをきっちり取り立てに来るのだ。


 その頃には、長い時間をかけて積み重なったその代償は、とうに自分では支払いきれないほどのものになっている。


 何の代償も払わずに手に入るチートなんて、物語や空想の中にしか存在しない。


 それに、武が昔から望んでいることは至って単純だった。


 母さんと一緒に、この深い山の中で穏やかに暮らす。


 その思いは、今まで一度も変わったことがない。


 武は、自分の両手で勝ち取った幸せな生活こそが素晴らしいものだと信じている。


 だからこそ、今の生活を壊そうとする外的要因が現れれば、武は容赦なくその邪魔者を叩き潰す。


 今この瞬間、武の頭にある目的はただ一つ。


 ディゼルを殺す方法、あるいはその背後にいる黒幕を引きずり出す方法を見つけることだ。


 武は、これまでディゼルが口にした言葉を一つずつ分析し始めた。


 仮に、目の前にいるこの炎の言葉がすべて本当だとしよう。


 そうなると、現在この「神器」の意識はすでに俺の身体に宿っている。


 そこを基準に考えれば、解決方法は大きく二つに分けられる。


 一つ目は当然、こいつ自身の意思で俺の身体から出ていかせること。


 ディゼルは姿を現してから、すでに何度も「契約を結ぶ」ことを強調している。


 これほど繰り返し強調するということは、俺たちは今、何らかの未完成な状態にあるはずだ。


 だからこそ、こいつはそれを完成させようと焦っている。


 ならば、はっきり拒絶するか、あるいは時間を引き延ばすのは有効な手段かもしれない。


 同時に、それは現時点ではこいつが俺に何かを強制できないことの裏返しでもある。


 俺の意思は、今も俺自身が握っている。


 これは俺にとっての優位点の一つだ。


 二つ目は、俺が何らかの方法でこいつを身体から追い出すこと。


 先ほど、ディゼルの態度には明らかな変化があった。


 何かを恐れているようだった。


 おそらく俺が無意識のうちに何かをして、それがこいつに危機感を抱かせたのだろう。


 それが何なのかさえ突き止めれば、ディゼルを追い出す方法を掴めるかもしれない。


 では、もしこいつの言っていることがすべて嘘だったら?


 それならもっと簡単だ。


 話の論理的な穴を見つけ、そこを突いて背後にある真相を聞き出せばいい。


 こいつが質問に答え続ける限り、嘘が増えれば増えるほど、残される綻びも増えていく。


 それに、ここは俺の庭も同然だ。


 本当に黒幕がいるのなら、俺の追跡から逃げ切れるとは思えない。


 追跡に関して、武には絶対的な自信があった。


 何しろ、それは昔からの得意分野だ。


 深い山の中には何がなくとも、獲物だけはいくらでもいる。


 武に拒絶されたディゼルは、しばらく呆然としていた。


 目の前にいる男の考えが理解できなかった。


 男なら夢にまで見るようなものを、これでもかというほど目の前に並べてやったというのに、どうして断られる?


 説明が足りなかったのか?


 それとも、この小僧は生まれつき名誉や利益に執着せず、権力にも興味がないのか?


 いや、待て。


 本当に無欲なら、どうやって我が「パンドラの箱」を開けたのだ?


 いかん、いかん。


 まずは落ち着け。


 我は神器なのだぞ!


 聖魔大戦で縦横無尽に活躍し、魔王とさえ渡り合える神器なのだ!


 こんなところで失敗するなど、あってはならん!


 きっと目の前の男は、我の能力がどれほど強大なのか理解していないだけだ。


 ならば我の力を見せてやればいい。


 そうすれば、必ず考えを改め、我と契約を結ぶはずだ。


「ゴホン……若き友よ。何しろ我らは初対面だ。素性の知れぬものを警戒するのも当然だろう。こうしよう。少し力を抜いて、我に能力を使わせてみろ。我は絶対にお前を害さぬと約束しよう」


 その言葉を聞き終えた武は、目を細め、眉間に深く皺を寄せた。


 表情が一気に険しくなり、ようやく和らいでいた空気が、再び張り詰める。


 ディゼルは、自分が動ける範囲がさらに狭まったように感じた。


 先ほどまで勢いよく燃えていた紫色の炎まで一回り小さくなる。


 このままでは、炎の姿すら維持できなくなるかもしれない。


「待て待て待て! 若き友よ、汝には参った! ならば条件を言ってみろ。どうすれば我と契約を結んでくれる?」


「お前と契約を結ぶつもりはない。ただ、さっさと俺の身体から出ていってほしいだけだ」


 武は、自分が何か重要なことに気づき始めているのを感じた。


 ディゼルの変化はすべて見ていた。


 先ほど起きたことは、やはり錯覚ではなかった。


 自分の精神に何らかの変化が生じると、それがディゼルにも影響を与える。


「これは……本当に、交渉の余地はないのか?」


 ディゼルの炎が、さらに少し小さくなった。


「ない」


 武はきっぱりと言った。


 その答えを聞き、ディゼルは肩を落とすように炎を揺らした。


 欲の神器たる我が、どうしてこんな無欲な宿主に当たってしまったのだ。


 本来なら、検査を通過した宿主だけがパンドラの箱を開けられるはず。


 目の前の男はいったいどうやって検査を通過した?


 大志もなければ、過剰な欲望もない。


 まさか、パンドラの箱が壊れたのか?


 ディゼルは武の記憶を探りたかった。


 いや、正確には、以前からずっと武の記憶についてもっと知ろうとしていた。


 だが探ろうとするたび、まるで目に見えない高い壁にぶつかるかのように、何らかの力によって無理やり外へ弾き返されてしまう。


 だからこそディゼルは、中身のない甘い話を並べて武を契約へ誘導することしかできなかった。


 武についての情報をまったく持っていない以上、当然、どこを突破口にすればいいのかも分からない。


 これまでの宿主は、誰もが何を好むのかがはっきりしていた。


 その好みに合わせて話をしてやるだけで、簡単に契約を結ぶことができた。


 その宿主が最後にどうなろうと、それはディゼルが考えるべきことではない。


 武の態度があまりにも頑ななのを見て、ディゼルも、自分にはもう彼を説得するための有効な手段が何一つ残されていないことを悟った。


 自分は所詮、神器にすぎない。


 契約を結ぶかどうかの主導権は宿主側にある。


 ましてや宿主は、まるで泥棒でも警戒するかのように自分を疑っている。


 契約については、ここで諦めるしかなかった。


 二人はそのまま数十秒ほど睨み合うように沈黙した。


 ディゼルがすっかり絶望しかけていた、その時。


「ただ……次の宿主を探すのなら、手伝ってやってもいい……」


 先に沈黙を破ったのは武だった。


「ただし、おとなしく俺の身体から出て、あの箱に戻ることが条件だ。来週、俺は一度山を下りる。その時に箱ごと、もう少し大きな町へ置いていってやる。そうすれば、もっと多くの人間と出会えるし、お前に合った宿主も見つけやすくなるだろ」


「それなら……まあ、よかろう。汝の厚意に感謝する」


 ディゼルの心に、わずかな温かさが広がった。


 目の前の男も、そこまで冷酷非情というわけではないらしい。


「よし。話がまとまったところで、いくつか質問に答えてくれるか?」


 武は少し楽な座り方に変え、穏やかな口調で尋ねた。


「我が知ることなら、何でも答えよう」


 ディゼルは、自分を縛りつけていた精神的な拘束がいくらか弱まったのを感じた。


 弱々しくなっていた炎も、いつの間にか再び勢いを取り戻し始める。


「お前はどうやってここへ来た?」


「知らぬ。我はパンドラの箱の中にいる間は眠りについている。ゆえに、箱がどのような状態にあるのかは一切感知できぬ。誰かに持ち運ばれていようと、魔物に咥えられていようとな」


「我は一定時間なら箱を離れることができる。だが、その間に宿主を見つけられなければ、再び箱に呼び戻される。ゆえに、ほとんどの時間を眠ったまま過ごしているのだ」


「じゃあ、さっきまでの俺の異常な状態は何だったんだ? あれもお前の仕業か?」


 武は、自分が最も気になっていたことを尋ねた。


「うむ……そうとも言えるし、そうでないとも言える」


「分かるように話せ」


「我がお前に宿ったあと、お前の欲望が恐ろしく少ないことに気づいてな。まるで魚が突然浜辺に打ち上げられたような息苦しさを覚えたのだ。さすがに少々耐え難かった。そこで箱から欲望の力を少しだけ引き出し、これからの住環境を少しばかり改善すると同時に、お前の欲望を刺激できぬか試してみたのだ」


「やっぱりお前の仕業じゃないか」


「我が欲望の力を使ったのは、必要な時にほんのわずかだけだぞ……それに、お前が何をするかまで我に操れるわけではない!」


 ディゼルは慌てて弁明した。


 最後の覗きについては、自分は何もしていない。


 その一言だけは、殺されても口にするつもりはなかった。


「つまり、お前の言い分だと俺が悪いってことか?」


 武の表情が引き締まった瞬間、ディゼルは再び縄で締め上げられるような拘束感に襲われた。


「滅相もない! 我が悪い、我が悪かった……」


 紫色の炎が、たちまち小さく縮こまった。


 武にとっては、身体に起きていた異常の原因さえ突き止められれば、それで十分だった。


 解決方法はひとまず置いておくとして、何より重要なのは、この件の責任を背負わせる相手が必要だったことだ。


 そうすれば、母さんとの関係が壊れることもない。


「ふん。今は見逃してやる。次の質問だ」


 武は視線を戻した。


「ずっとお前と契約しなかったら、どうなる?」


「三日を過ぎても契約が結ばれなければ、我は宿主から自動的に引き剥がされ、パンドラの箱へと回収される」


 なるほど。


 これはかなり有用な情報だ。


 こいつが嘘をついていないという前提ではあるが。


「お前は他の神器とは違うって言ってたな。何が違う?」


「通常、神器は宿主が常に身につけておく必要がある。神器が宿主の身にある時だけ、宿主はその能力を発動できるのだ。だが我は違う。正式に契約さえ結べば、我はパンドラの箱から離れ、今のようなエネルギー体の姿で宿主に付き従うことができる」


「他の神器を見たことは?」


「無論ある。だが、いずれも遥か昔のことだ。聖魔大戦のあと、大半の神器は姿を消してしまった」


「他の神器はどんな見た目なんだ?」


「神器の形は様々だ。剣、槍、盾、本、腕輪……そういったものが神器であることもある。もっとも、我は少々特殊でな。霊体のような姿で活動できる」


「じゃあ、どうしてお前だけ他の神器と違うんだ?」


「それは……」


 ディゼルは、これほど機密性の高いことまで武に話していいものかと考えた。


 何しろ、彼はもう我が宿主となる人間ではない。


 だが、武が目を細めた瞬間、ディゼルは再びあの拘束感に襲われた。


 紫色の炎が、たちまち少し弱くなる。


「言う! 言うから!」


「三神主が我を創造した際、我には特別な命令が一つ追加で与えられた。それは、人間が魔力を使用したあとに生じる『穢れ』を浄化することだ」


「穢れ? どういう意味だ?」


「実際には、人間の欲望から生じる産物のことだ。人間が魔力を使って魔法を放つ時、すべての魔力が術式によって完全に使い切られるわけではない。一部の魔力は人間の感情によって歪められ、『穢れ』へと変化する」


「穢れが増えすぎれば、世界全体に悪影響を及ぼす。そこで三神主は、我にそれらの穢れを浄化し、元の魔力へ戻すよう命じたのだ」


「だが、穢れはどこにでも発生し得る。ゆえに三神主は、我に自由に活動する権利を特別に与えた。一定時間だけ箱を離れ、各地に散らばる穢れを浄化できるようにな」


「先ほども言っただろう? 我は欲望の力を操ることができると。実を言えば、それこそがあの穢れのことだ。ただ、歴代の宿主の多くが『穢れの力』では聞こえが悪いと言うので、『欲望の力』という呼び方を使うようになった」


「見かけによらず、プロの浄水器だったんだな」


「それは……まあ、そう言われてしまえば、我も認めるしかあるまい」


 一連の問答を終えた頃には、武も目の前に浮かぶこの炎が本当に神器なのだと、八割方信じていた。


 先ほど武はわざと力を抜き、いくつもの隙を見せるような動きを取っていた。


 それでもディゼルは余計な動きを一切見せなかった。


 どうやら、本当に自分へ危害を加えるつもりはないらしい。


 それに、もう一つ気になる点があった。


 ディゼルは先ほどから、術のことを一貫して「魔法」と呼んでいる。


 しかし今の時代では、基本的に誰もが「魔術」という呼び方を使うことに慣れている。


 この古めかしい言葉遣いは、長い年月にわたって眠り続けていたというディゼルの主張とも一致していた。


 とはいえ、念には念を入れる必要がある。


 この炎だけは、絶対に自分の視界から逃がしてはならない。


 何しろ、隣は母さんの部屋なのだから。


「今、箱の中に戻れるか?」


「戻れる。ただし、今の我はお前に縛られているため、あまり遠くへは行けぬ。だからお前がパンドラの箱を持っていれば、我は箱とお前の間を行き来することしかできなくなる」


 しばらくして、武の部屋には、金色の縁取りが施された美しい紫色の箱が置かれていた。


 武は箱で炎を覆うと、すぐに収納の指輪から縛るための太い縄を大量に取り出した。


 そして箱を厳重に縛り上げ、ベッド脇の最も目につく場所へ置いた。


 箱がほんの少しでも動けば、目を開けた瞬間にすぐ気づける。


 そこまで済ませて、武はようやく安心してベッドへ入った。


 もっとも、武は最初から本当に眠ったわけではなかった。


 最初の二、三時間は寝たふりをしていただけだ。


 誰かが卑怯にも寝込みを襲ってくるかもしれないと警戒していたからだ。


 夜も後半に入り、本当に何も起こらないと確信してから、武はようやく深い眠りへと落ちていった。


 何しろ、あまりにも長い間、神経を張り詰め続けていたのだから……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。