第71話:新しき証と、風のぬくもり
夕靄に包まれ始めた王都の街道を、僕とウィネットのふたりで並んで歩いていた。
西の空は深い茜色から紫紺へと緩やかにグラデーションを描き、街道沿いに並ぶ魔導街灯がポツポツと暖色系の淡い光を灯し始めている。
僕の胸元には、先ほどギルド長から直接手渡されたばかりの、鈍い銀の光沢を放つ重厚な金属プレートが収まっていた。
『Aランク冒険者・橘蓮』
プレートに刻まれたその文字を指先でなぞると、冷たい金属の感触とともに、ここまでに辿ってきた道のりの重みがじんわりと胸に押し寄せてくる。
「ねえ、蓮さん……ちょっと見せてよ、それ」
隣を歩くウィネットが、少し弾んだ声で顔を覗き込んできた。
「うん、いいよ。ウィネットのも見せて」
「えへへ、じゃあ交換ね!」
僕たちは歩みを緩め、お互いの胸元から外したAランクプレートを交換した。
ウィネットのプレートは、彼女の纏う風のように磨き抜かれていて、夕闇の街灯を綺麗に反射している。
僕の武骨なプレートと並べると、どこか誇らしげに輝いて見えた。
「うわぁ……やっぱり本物のAランクプレートだぁ。あたしたち、ホントにAランクになっちゃったんだね……」
ウィネットは手のひらの上で銀のプレートをまじまじと見つめ、感慨深そうに息を漏らした。
シルフはギルドの薬草保管庫で必要な調合素材の受け取りと、今後の遠征書類の確認があるとのことで、まだギルド本部に残っている。
だから今、この帰り道を歩いているのは僕とウィネットのふたりだけだった。
「シルフの手続きが終わるまで、酒場で待ってても良かったんだけどなぁ」
僕が言うと、ウィネットはプレートを僕に返しつつ、照れくさそうにえへへ、と笑った。
「ううん、いいの。風が気持ちよかったし、なんだか落ち着かなくてさ。……それに、蓮さんとふたりでゆっくり歩きたかったし」
「え……?」
「あ、いやっ! 別に変な意味じゃないよ!? ただ、ほら! 最近ずっとバタバタしてたでしょ!?」
ウィネットは急に慌てたように両手をバタバタと振って、顔を真っ赤にした。
その素直すぎる反応がなんだか微笑ましくて、僕は思わず口元を緩めてしまう。
ふたりで再び歩き出し、角を曲がると、人通りの少ない静かな小路へと入った。
石畳の路地に、僕たちの靴音が規則正しく響く。
しばらくの静寂の後、ウィネットがふと足を止め、自分の爪先を見つめた。
「……蓮さん」
「ん? どうした?」
僕も足を止め、彼女の方を振り返る。
ウィネットは風に揺れる金髪を耳にかけ、少し迷うような仕草を見せた後、静かに視線を上げて僕の目を真っ直ぐに見つめてきた。
その瞳には、いつもの元気いっぱいな輝きとは少し違う、繊細な感情が宿っていた。
「あたしね……佐藤との戦いの時、ずっと考えてたんだ」
「佐藤との……戦いの時?」
「うん。あいつ、恐ろしい魔力で空間を削り取ったり、山みたいな衝撃波を飛ばしてきたりしたじゃん。あたし、肩を擦り剥いただけで『痛い』とか思っちゃって……シルフも絶対氷壁を削られて、正直『もうダメかも』って一瞬足がすくんだんだ」
ウィネットはぎゅっと自分の胸元で服の布地を握り締めた。
「だけど……蓮さんは違った。あたしたちの前に立って、あの化け物みたいな攻撃を真っ向から受け止めてさ。低スキルだからって、自分を誇ることも諦めることも老害みたいに愚痴ることもなく……ただ黙々と、あたしたちを守るために一番危険な場所で弓を引き続けてくれた」
「ウィネット……」
「凄すぎるよ、蓮さん。あたし、蓮さんの背中を見てて……ホントに格好いいなって思った。それと同時にね、少しだけ……不安になっちゃったんだ」
ウィネットは少し照れくさそうに、けれど真剣な眼差しで言葉を紡ぐ。
「あたし、ちゃんと蓮さんの隣に立ててるのかなって。蓮さんはどんどん凄くなって、和弓の理とかボム・プチの工夫で、あたしたちの想像もつかない高みへ行っちゃうでしょ? あたしの風は……ちゃんと蓮さんの力になれてるのかなって、ちょっとだけ……考えちゃったんだ」
茜色の夕闇の中で、ウィネットの声音は少しだけ震えていた。
普段は明るくて、弱音なんてめったに吐かない彼女が、僕に対して見せたほんの少しの破綻と素顔。
その言葉と想いが、僕の胸を強く打った。
僕は弓を担ぎ直し、ゆっくりとウィネットとの距離を半歩詰めた。
「ウィネット」
「……なに? 蓮さん」
「勘違いだよ、それは」
「え……?」
ウィネットが目を丸くする。
僕は彼女の目をじっと見つめ、誤魔化しの一切ない、素直な気持ちを言葉にして伝えた。
「佐藤の防壁を破れたのは、僕が凄かったからじゃない。……ウィネットがいてくれたからだ」
「あ、あたしが……?」
「そうだ。佐藤の密度の壁を解明できたって、ウィネットの『無風バレル』が無かったら、僕の矢は佐藤の元に届く前に周囲の乱反射で逸らされてた。あの土壇場で、僕の矢の軌道を信じて完璧な風の道を開いてくれたのは、誰でもないウィネットだ」
僕はゆっくりと首を振る。
「僕ひとりの力なんて、ただの小さな竹矢と微小な爆縮でしかない。僕が迷わずに弓を引き絞っていられるのは、横を見ればウィネットが風を纏って笑ってくれていて、僕を信じて背中を任せてくれているからなんだ。……ウィネットが隣にいてくれないと、僕はあの一射を放てなかった」
「蓮……さん……」
「だから、隣に立ててるかどうかなんて悩む必要ないよ。」
はっきりと、心からの言葉として口に出した瞬間。
ウィネットの顔が、夕焼けの赤よりも濃い朱色へと一瞬で染まった。
「あ……う……あ……っ!?」
彼女は大きな目を限界まで見開いて、口を金魚のように開閉させた。
「な、なに言ってるのさ蓮さんっ!? そ、そんな直球でずるいこと……っ! 無自覚にそういう恥ずかしいこと言わないでよぉっ!!」
「えっ、恥ずかしいかな……? 本当のことなんだけど……」
「本当のことだから恥ずかしいんじゃんかぁぁっ!!」
ウィネットは耳まで真っ赤にしてパニックになり、両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
けれど、顔を隠す指の隙間から覗く目は、泣き出しそうなほどの歓喜と甘い照れでいっぱいに揺れていた。
やがて、ウィネットはそっと立ち上がると、視線を泳がせながら、小さな手で僕の右手の袖口をキュッと強く握りしめてきた。
「……もう。蓮さんってば、ホントにずるいんだから」
「ウィネット……?」
「あたし、離れないからね。蓮さんがどれだけ遠くへ行こうとしても、あたしの風で絶対に追いついて、ずっと一番近くで横を走ってやるんだから……!」
弱々しさの消えた、いつもの強がりで意地っぱりな、だけどとびきり愛おしい笑顔。
握られた袖口から伝わってくる指先の小さなぬくもりに、僕の胸の奥もなんだか気恥ずかしく、温かいもので満たされていくのを感じていた。
「ふふ、ふたりとも……なんだか、とっても雰囲気が良いですね?」
「「ひゃいっ!?」」
不意に横から聴こえてきた鈴を転がすような声に、僕とウィネットは揃って跳ね上がった。
振り返ると、大きな薬草の革袋を抱えたシルフが、クスクスと嬉しそうに口元を隠しながら立っていた。
「シ、シルフ……!? いつからそこに……!?」
ウィネットが弾かれたように僕の袖から手を放し、真っ赤になって後退する。
「『最初から隣に立ててるかどうかなんて悩む必要ない』……あたりからでしょうか?」
「全部聞いてたぁぁぁぁっ!?」
頭を抱えて叫ぶウィネットを見て、シルフは柔らかく目を細めた。
「でも、蓮さんの言う通りですよ、ウィネットさん。私も、ウィネットさんの風がなかったらここまで来られませんでした。私たち三人で『チーム』なんですから」
「シルフ……っ。うん……そうだね!」
ウィネットは照れくさそうに照れ笑いを浮かべ、シルフの手を握り返した。
三人で肩を並べ、再び歩き出そうとした——その時だった。
『疾……ッ!!』
上空から鋭い羽音が響き、一枚の黒い羊皮紙を携えたギルドの「伝令鷹」が、僕の肩へと舞い降りてきた。
「伝令鷹……? ギルド長からか?」
僕が羊皮紙を受け取り、封を破って中身に目を通すと、横からシルフとウィネットが覗き込んできた。
そこに記されていたのは、Aランク昇格後、最初の「特命依頼」の通知だった。
『特急指名依頼:王都東方・大樹海【黒翠ダンジョン】の緊急調査』
『内容:ダンジョン深部において、旧黒銀鉱山と同質の「黒紫色の結晶化現象」および異形魔獣の発生が確認された。Aランク冒険者・橘蓮パーティに、原因の解明と無力化を命ず』
「黒翠ダンジョンでの異形化……。佐藤の寄生核と同じ現象が、もう別の場所で起きているのか……」
僕が静かに呟くと、シルフが表情を引き締めた。
「ヴァルザードの影……ギルド長が仰っていた通り、本当に世界中で動き始めているのですね」
「ふん、望むところだよ!」
ウィネットがポンと自分の胸を叩き、強気な笑みを浮かべて僕を見つめた。
「どんな不気味なダンジョンだろうと、どんなチート魔物がいようと関係ないよ! あたしたちの絆と、蓮さんの矢があれば……絶対に負けないんだから!」
「ああ、そうだね」
僕は胸元のAランクプレートと、背中の『新・風切三羽矢』の感触を確かめ、ふたりの大切な仲間たちとともに、深く頷いた。
夕闇が明け、王都に美しい星空が広がり始める。
深まった絆と、深遠なる「和弓の理」を胸に、僕たちの新たなる冒険の旅路が、いま静かに幕を開けようとしていた。




