第69話:狂気の終わり
静まり返った黒銀鉱山の深部。
崩れかけた岩盤の破片がパラパラと音を立てて落ちる以外、空間を支配していた不気味な暗黒魔導の狂動は完全に潰えていた。
「あ……が……っ、は……っ!!」
倒れた佐藤が、激しく背中を波打たせて咳き込んだ。
右首筋から『寄生核』が消滅したことで、魔王ヴァルザードの異質な魔力が体内から急速に抜けていく。
それと同時に、寄生核によって限界を超えて強引に引き出されていた過剰な魔力の「逆流現象」が、彼の全身を襲っていた。
「うぁぁぁぁっ……あ、熱い……っ! 魔力が……身体が……っ!」
佐藤は冷たい岩盤の上で体を丸め、自身の両腕を強く抱きしめながら絶叫した。
全身の毛細血管から黒いモヤのような余剰魔力が噴き出し、空気中へ四散していく。
彼の右半身を侵食していた異形化も速やかに収束し、元の仕立ての良い法衣を着た若者の姿へと戻っていく。
「蓮さん……佐藤さんは……」
シルフが慎重に距離を保ちながら、僕の顔を伺う。
「大丈夫だ。寄生核は完全に細胞レベルで消滅した。……今の苦しみは、過剰に増幅されていた魔力が抜けて、彼の『本来のスキル状態』へ戻るための拒絶反応だ」
そう、佐藤は元々無力だったわけではない。
この世界に召喚された際、彼は上位に位置する優秀なスキルを授かっていたのだ。
強力ゆえの万能感、そして「自分は特別な存在でなければならない」という強い焦燥感。
その心の隙間を寄生核に付け込まれ、能力を異常増幅された挙句、狂気へと踊らされていたに過ぎない。
やがて、荒い息遣いとともに過剰魔力の逆流が収まった。
「ハァ……ハァ……ハァ……っ」
佐藤は荒い息を吐きながら、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳からは、先ほどまで宿っていた不気味な濁りと全能感が完全に消え去っていた。
かつて教室で見せていた、どこか神経質で、けれど優秀だった同級生の瞳に戻っていた。
「た……橘……?」
佐藤が力なく掠れた声で僕の名を呼んだ。
「お前……僕は……一体……」
自分の両手を見つめ、ガタガタと指先を震わせる佐藤。
『鉄壁の角笛』を襲撃し、王都を脅かし、僕たちを殺そうとした記憶は、当然彼の中に残っている。
寄生核の狂気に呑まれていたとはいえ、彼自身が犯した罪の重さに、佐藤の顔はみるみるうちに蒼白になっていった。
「僕は……何てことを……っ! 力が手に入って……お前より凄くなったって思いたくて……っ! なのになんだよこれ……っ! 僕は……ただの化け物の傀儡だったのかよ……っ!!」
膝をつき、岩盤に頭を擦り付けながら佐藤が慟哭した。
かつて誇り高く、誰よりもプライドの高かった少年が、自身の愚かさと不甲斐なさに打ちのめされ、子供のように涙を流している。
能力を奪われたわけではない。
彼は依然として優秀なスキルを持っている。
だが、理外のチート(寄生核)という不当な下駄を脱がされた今、彼は己の身の丈に合った現実と、犯した罪の重さに向き合わなければならなかった。
「……立つんだ、佐藤」
僕が静かに声をかけると、佐藤は涙と泥にまみれた顔を上げた。
「橘……お前は……僕を殺さないのか……? 僕は……お前の大事な仲間を傷つけたんだぞ……っ!」
「殺さないよ」
「ダメだ!!・・・殺してくれ・・・」
僕は弓を静かに肩へ担ぎ直した。
「ゴルドさんたちを傷つけた罪は、王都の法と冒険者ギルドの裁きで償ってもらう。でも……かつての同級生として、魔王の傀儡のまま惨めに死なせることだけはしたくなかった。それだけだ」
「橘……っ……」
佐藤は絶句し、ガクリと肩を落とした。
激しい過呼吸と絶望、そして過剰魔力の放出による極度の疲労が限界に達したのか、彼の視界がグラリと揺れ、そのまま静かに岩盤の上へ倒れ込んで意識を失った。
「ふぅ……今度こそ、完全に決着がついたね」
ウィネットが大きく息を吐きだし、安堵の笑みを浮かべた。
「はい。……ですが蓮さん、長居は無用です。佐藤さんの寄生核が消滅したことで、この『旧黒銀鉱山』の魔力構造が崩壊を始めています」
シルフが天井を見上げながら言った。
不気味に輝いていた磁鉄鉱の鉱脈が光を失い、ガラガラと小さな落盤の音が空洞の各所から響き始めていた。
佐藤が磁気と魔力で強引に支えていた坑道の構造が、限界を迎えているのだ。
「よし、脱出しよう。ウィネット、佐藤を担ぐのを手伝ってくれ」
「了解! 罪人とはいえ、ここで生き埋めになられたら目覚めが悪いもんね!」
ウィネットとふたりで気絶した佐藤の腕を担ぎ上げ、シルフの氷魔導で頭上の落石をブロックしながら、僕たちは急速に崩れ行く坑道内を入口へと向けて駆け出した。
『ガラガラガラバシャァァァンッ!!』
僕たちが坑道の入口から飛び出すとほぼ同時、旧黒銀鉱山の坑道口が激しい土煙とともに崩落し、完全に封鎖された。
外には、澄み渡る青空と、温かな朝の光が広がっていた。
山を包んでいた不気味な黒い霧も、磁気の狂いも、まるで嘘のように散り散りになって消えていく。
「はぁ……はぁ……出られたぁぁっ!」
ウィネットが地面に大の字になって倒れ込み、空を仰いだ。
「無事でよかったです……本当に……」
シルフも胸に手を当て、深く安堵の息をつく。
僕は担ぎ降ろした佐藤の脈拍を確認し、問題ないことを確かめると、背中の矢筒から一本の矢を取り出した。
深部で磁鉄鉱の岩壁に突き刺さっていた『新・風切三羽矢』だ。
脱出の際、忘れずに引き抜いて回収しておいたものだ。
山を穿ち、密度の壁を貫き、寄生核のみをピンポイントで打ち砕いた究極の一矢。
七色の風切羽も、重甲亀の鏃も、傷一つなく美しく光り輝いていた。
「ありがとう……バログさん。そして、シルフ、ウィネット」
僕は手の中の矢を見つめ、静かに呟いた。
和弓の「理」と、仲間たちとともに紡いだ物理ハックの方程式。
その確かな勝利の証を胸に、僕たちは傷ついた同級生を連れて、仲間たちの待つ王都へと歩みを進めた。




