第62話:堕ちた同級生
ひんやりとした湿気と、削り出された磁鉄鉱特有の強い金属臭が漂う坑道内を進む。
外からの光は一切届かない暗闇だったが、シルフが灯した温かな魔法の光が、荒々しく削られた岩壁を優しく照らしていた。
「蓮さん……壁の鉱脈を見てください。魔力が帯電して、ピリピリと震えています」
シルフが指摘した通り、黒く光る岩肌の隙間を、不気味な黒紫色の放電現象が脈動しながら奥へと続いていた。
「あの佐藤とかいう奴……この山の磁鉄鉱の性質を使って、自分の魔力を坑道全体に巡らせてるんだね。あたしたちが踏み込んだことも、もうバレてるはずだよ」
ウィネットが警戒を強め、風の刃を両手に纏わせる。
「ああ、折り込み済みだ。罠があろうと、突っ切るしかない」
僕は手に握りしめた和弓の感触を確かめながら、不気味な放電が向かう先——坑道の最深部へと足を進めた。
一本道を数百メートルほど進むと、突如として視界が開けた。
かつて大規模な採掘が行われていたであろう、巨大なドーム状の「空洞空間」だ。
天井からは不自然な黒い結晶群が逆さ吊りに垂れ下がり、広場の中心には巨大な紫黒い魔導陣が描かれている。
空間全体がまるで巨大な心臓のように、ドクン……ドクン……と不快な鼓動を打っていた。
そして、その中央に鎮座する切り立った岩座の上に——「彼」はいた。
「……遅かったじゃないか、橘」
静かな、だが鈴のように澄んだ声が広場に木霊した。
岩座から立ち上がったのは、仕立てのいい上質な法衣を身に纏い、優雅な笑みを浮かべた若者——佐藤だった。
高校時代と変わらない整った顔立ち。
しかし、その瞳には光がなく、濁った底なしの全能感が蠢いている。
そして、何よりも異様だったのは、彼の右首筋から鎖骨にかけて生々しくへばりついていた『黒紫色の肉塊』だった。
肉塊はまるで生き物のように蠢き、佐藤の太い頸動脈へと数本の黒い根を刺し込んでいる。
「佐藤……」
僕が静かにその名を呼ぶと、佐藤はくっくっと肩を揺らして笑い出した。
「久しいな、橘。まさかこんな異世界の辺境の洞窟で再会することになるとは思わなかったよ。……いやあ、驚いたな。あの冴えない弓道部員だったお前が、低ランクの冒険者として細々と生き延びていたとは」
「……『鉄壁の角笛』の皆さんをあんな目に遭わせて、何が目的だ。彼らは僕たちの因縁とは関係ないはずだろ」
僕が怒りを押し殺して尋ねると、佐藤は心底心外だと言わんばかりに両手を広げ、大袈裟に首を振ってみせた。
「関係あるさ! 大ありだとも! お前がこの世界で手に入れた『ささやかな居場所』や『仲良しごっこ』の絆……そういうものを一つずつ目の前で踏みにじって粉砕してやることが、僕の余興なんだからね」
「余興……だと……!?」
ウィネットが激昂し、前へ踏み出そうとするのを僕が手で制した。
「怒るなよ、風の娘さん。僕はね、真実を教えてあげているんだ」
佐藤の目が狂気に細まる。
「僕はこの世界に招かれ、強力なスキルを授かった『選ばれし存在』だ。それに対して橘、お前はどうだ? 『弓道経験がある』程度のゴミみたいな低スキルで放り出され、泥水をすするような生活をするはずだった・・・。 本来なら、お前は僕の足元で這いつくばって許しを請うべき存在なんだよ!」
「自分を特別な存在だと思い込みたいからって、他人の痛みを踏みみにじる理由にはならない」
僕が冷たく言い放つと、佐藤の笑みがぴたりと止まった。
「ふん……相変わらずつまらない正論を吐く男だ。……見ろよ、この力を!」
佐藤が右手を掲げると、首筋の寄生核が猛烈に脈打ち、黒紫色の膨大な魔力が爆発的に吹き荒れた!
『ゴォォォォォォォォッ!!』
坑道全体が激しく揺れ動き、天井から岩屑が降り注ぐ。磁鉄鉱の壁が共鳴し、紫色の電撃が空間を埋め尽くした。
「魔王ヴァルザード様から賜ったこの『寄生核』は、僕の優れた魔導スキルを数百倍に跳ね上げてくれる! 魔法の威力も、詠唱速度も、空間の操作すらも……全てが僕の思いのままだ! お前たちがどれだけ知恵を絞ろうが、この圧倒的な『暴力の絶対値』の前には何の意味もなさない!!」
絶大な魔力の威圧感が、肌を焼き切らんばかりの圧力となって僕たちに押し寄せてくる。
「シルフ、ウィネット。下がっててくれ」
僕は静かに弓を構えた。
「蓮さん……っ!」
「ダメだよ蓮、あいつの魔力、桁外れだよ……!」
「大丈夫だ。僕には、バログさんが作ってくれたこの矢と……君たちと培ってきた『理』がある」
矢筒から引き抜いたのは、『汎用超貫通鋼鏃』が装着された一本の矢。
銀黒の極圧尖端が、佐藤の放つ闇の光を跳ね返す。
「ハハハッ! そんな竹切れと鉄くずで僕に挑む気か!? 面白い、橘! お前がこの世界で積み上げてきた全てが、僕の『チート』の前にいかに無力か……その身に刻み込んでやる!!」
佐藤が両手を突き出し、黒紫色の巨大な複合魔導陣を足元に展開した。
闇に堕ちたかつてのクラスメイト。
過剰な承認欲求と魔王の寄生核によって歪み切った絶対の暴力。
対するは、日本の弓道と物理学のハックを武器に戦う、一人の弓手。
異世界の命運とそれぞれの信念を賭けた、最深部の決戦の火蓋が、今静かに切って落とされた。




