第60話:悲憤の誓い
ギルド本部裏手に位置する大聖堂の救護所は、強烈な消毒薬と薬草の匂いに満たされていた。
白いカーテンで仕切られたベッドの上で、ゴルドが無数の包帯に巻かれて横たわっている。
昨夜までの堂々たる大柄な体躯は見る影もなく、呼吸をするたびに胸の包帯に滲んだ痛々しい血の赤が広がっていた。
「……蓮か……」
かすれた声でゴルドが呟いた。
隣のベッドでは、神官のカルムが未だ意識の戻らぬまま深い眠りについており、ライラが憔悴しきった表情でその手を取り、静かに祈りを捧げている。
「ゴルドさん、喋らないでください。まだ傷が……」
僕が言葉をかけようとすると、ゴルドはゆっくりと頭を振った。
大盾を構えていたはずのその両手は、皮膚が焼き爛れ、凄惨な痛みの痕跡を物語っていた。
「頼む……話させてくれ。俺たち『鉄壁の角笛』が……Bランク冒険者なんて名ばかりの俺たちが不甲斐ないばかりに……あんな化け物を野放しにしちまった……」
ゴルドの悔しげな網膜の奥に、激しい恐怖のフラッシュバックが見えた。
「昨夜、王都郊外の討伐任務から戻る途中の街道だった。……急に大気が歪んで、奴が現れたんだ。『佐藤』とかいう男だ」
「……佐藤さんはどんな様子だったんですか?」
シルフが不安げに胸の前で指を組み、静かに尋ねる。
「最初は……身なりのいい高級な法衣を着た、気取った若者に見えた。だが、圧倒的に異様だったのはその魔力の質だ。奴の右首筋に……ウネウネと脈打つ黒紫色の『肉塊』みたいなものがへばりついていた」
「肉塊……? 寄生核か……!」
僕の脳裏に、以前ギルドの古文書で目にした魔王ヴァルザードの寄生兵器の記述が蘇る。
「ああ……。奴自身の魔導センスも、素人目の俺から見ても恐ろしいほど整っていた。火と風の複合魔導を何の詠唱もなく同時に展開してみせたんだ。……だが、あの首筋の肉塊が脈打つたびに、その魔力が何倍にも不気味に跳ね上がっていた……! 俺の自慢の重鋼大盾が、奴の放った一撃の漆黒の炎で、まるで紙くずみたいに焼き切られたんだぞ……!」
ゴルドの手が、悔しさと恐怖で小さく震える。
「俺たちが手も足も出ず倒れると、奴は薄笑いを浮かべながら言ったんだ……『蓮に伝えろ。お前がこの世界で築き上げた友情も、信頼も、全部俺のこの力でゴミクズにして踏みにじってやる』ってな……」
「そんな……っ! 自分勝手すぎるよ……!」
ウィネットが感情を抑えきれず、拳を固く握りしめて怒りを露わにした。
「蓮さんたちは何も悪くないのに……! ゴルドさんたちを傷つけて、そんな嫌がらせみたいな理由で……!!」
「ごめんなさい、ゴルドさん。僕たちの因縁に、皆さんを巻き込んでしまって……」
僕が深く頭を下げると、ゴルドは傷つく手で強引に僕の肩を叩いた。
「バカ言え……っ! 謝るんじゃねぇ……! 俺たちは冒険者だ。自分の実力不足で負けたのを、お前のせいにするつもりはねぇよ。……ただ、蓮」
ゴルドの瞳に、鋭い光が宿った。
「奴は……もう人間じゃねぇ。あの右首の肉塊に精神を喰われかけてる。自分の力を誇示することしか頭にない、完全に狂った化け物だ。……気をつけてくれ。奴の目的は、間違いなくお前だ」
「……分かっています。これ以上、誰も傷つけさせません」
僕は静かに、だが決して揺らぐことのない声音で答えた。
背中に背負った矢筒の中には、バログが削り出してくれた22本の『汎用超貫通鋼鏃』そして、本命の『新・風切三羽矢』が詰まっている。
弓の「理」と、物理の「法則」。
そして仲間の想い。
逃げる選択肢など、最初から存在しなかった。
救護所を出た僕たちは、すぐさまギルド本部の情報処理課へと向かった。
案内された部屋では、ギルドの捜索隊長が大きな王都周辺の地図を広げて待っていた。
「蓮殿、待っていたぞ。『鉄壁の角笛』の襲撃現場から、ギルドのスカウト部隊が残留魔力を追跡した。……佐藤と名乗る不審な人物の足取りが判明した」
隊長が地図上の一点——王都から北へ約二十キロ離れた山岳地帯を指し示す。
「『旧黒銀鉱山』……ですか?」
シルフが地図の文字を読み上げた。
「そうだ。数十年前まで高品質な磁鉄鉱が採掘されていた廃坑だ。現在は落盤事故の影響で放棄され、立ち入り禁止区域となっている。スカウトの報告によれば、あの鉱山全体が不気味な黒い障壁で覆われ、内部から異常な密度の魔力反応が検出されているらしい」
「磁鉄鉱の鉱山……」
僕は思考を巡らせた。
磁鉄鉱は高濃度の鉄分を含み、自然の磁場を帯びていることが多い。
もし佐藤がそこに潜んでいるのだとすれば、単なる隠れ家として選んだのではないはずだ。
(高密度の金属環境と、自然磁場……。佐藤の持つ魔導スキルと寄生核の波動を増幅させるための『共振器』として、あの鉱山を利用しようとしているのか……?)
「それと、もう一つ嫌な報告がある」
隊長が苦々しい表情で言葉を続けた。
「黒銀鉱山の周辺に、見たこともない異形の魔獣群が集結しつつある。どれも全身が漆黒の金属質の甲殻に覆われており、坑道の入口を完全に封鎖しているようだ。……おそらく、あの男が寄生核の魔力を放出して付近の魔物を変貌・洗脳し、軍勢を作り上げている」
「坑道の封鎖と、魔獣の軍勢……。完全に僕たちを迎え撃つ準備を整えているということですね」
「ああ。ギルドとしては討伐隊の編制を急いでいるが、準備には最低でも二日はかかる。……だが、あの魔力の膨れ上がり方を見るに、二日も待てば王都にまで被害が及びかねん」
「二日も待てません」
僕は即答した。
「僕たちだけで、今すぐ行きます」
「蓮さん……!」
ウィネットとシルフが僕の顔を見つめる。その瞳に迷いはなかった。
「僕たちの目的は、佐藤の首筋にある『寄生核』の無力化と、彼の身柄の確保です。大部隊で押しかければ、かえって広域破壊魔導の格好の標的にされる。……点突破で突入するのが、一番確実です」
「……分かった。無茶は承知だ。だが、お前たちなら……あの『山を穿つ射手』であるお前たちならやってくれると信じる」
隊長は深く頷き、僕たちに特例の単独調査・討伐許可証を手渡してくれた。
ギルド本部を出て、王都の北門へと向かう道中。
街並みを歩きながら、僕は背中の矢筒から一本の矢を引き抜いた。
バログの情熱と、重甲亀の素材が融合した『汎用超貫通鋼鏃』。
銀黒の光沢を放つその三面極圧尖端が、昼の光を反射して冷たく輝いている。
「蓮さん」
シルフが隣に並び、静かな声で語りかけてきた。
「佐藤さんは……かつて蓮さんと同じ世界で、同じ時間を過ごした方なのですよね」
「……あぁ。高校の同級生だった。勉強もできて、何でも器用にこなす優秀な奴だったよ。……でも、だからこそ『自分は特別な存在であるべきだ』っていう承認欲求が強すぎたのかもしれない」
異世界に召喚され、強大なチートスキルを手に入れたことで、その歪みが爆発してしまったのだろう。
そして、その心の隙間を魔王ヴァルザードの寄生核に付け込まれた。
「ゴルドさんたちを傷つけたことは絶対に許さない。……でも、だからこそ、僕が止めなきゃいけないんだ。僕の『理』と『弓』で」
「はい。私も……どこまでも蓮さんについていきます」
「あたしもだよ! 気取り屋の鼻柱を、蓮さんの矢でドカンと折ってやろうよ!」
ウィネットが明るく笑いながら、僕の背中をポンと叩いてくれた。
重苦しかった胸の奥が、すっと軽くなるのを感じた。
「ありがとう、ふたりとも。……行こう。『旧黒銀鉱山』へ」
僕たちは脚力を強化する魔導薬を口に含み、王都の北門を飛び出した。
目指すは、暗い怨念と寄生核の魔力が渦巻く黒銀の山脈。
かつての同級生との、避けては通れない因縁の決戦へ向けて、僕たちは風のように街道を駆け抜けていった。




