第58話:伝説の切削刃
金剛山地での激闘を終え、王都へ帰還した僕たちは、その足で真っ直ぐバログの工房へと向かった。
旅の汚れも落とさず、熱気を帯びたまま工房の扉を開ける。
「バログさん! 帰ってきたよ!」
ウィネットが勢いよく叫ぶと、奥から手さげの酒瓶を持ったバログがノロノロと顔を出した。
その目元にはクマが浮かび、自慢の髭もどこかしおれている。
愛用の道具を破壊されたショックから、まだ立ち直れていなかったらしい。
「あ……お前らか。……フン、無事に戻ったのは何よりだが、冷やかしなら帰ってくれ。俺は今、職人人生最大の挫折を味わってて酒を呑む気しか——」
「バログ。約束の物を持ってきたよ」
僕が布袋から取り出したのは、陽光を受けて七色に妖しく輝く、透き通った巨大な結晶の塊——『金剛角犀』の角の最深部から削り取った、最高の硬度を誇る『金剛角』の角刃だ。
「……なっ……!?」
バログの手から酒瓶がすっぽ抜け、石畳の床に落ちて割れた。だが、彼は酒のことなど目にも留めず、まるで吸い寄せられるように僕の手元へ飛びついてきた。
「こ、これは……まさか、本当に持ち帰ってきたのか!? 金剛角犀の角を……それも、一番密度の高い根元の角刃じゃねぇか!!」
バログは太い指先で慎重に金剛角を包み込み、光に透かしてじっと見つめた。その目が、一瞬で職人のギラギラとした熱を取り戻していく。
「す、すげぇ……傷一つ入らねぇ。俺が何十年も追い求めていた、極限の『結晶刃物』だ……! 小僧、本当にお前らはやり遂げちまったのか……!」
「ああ。シルフの極冷で分子を固定し、ウィネットの風の推進力を借りて、僕の矢で打ち砕いて切り出してきた。……これがあれば、あの『重甲亀のアイアンコア』を削れるか?」
「削れるか、だと……!?」
バログは口角を吊り上げ、雷のような大声で笑い飛ばした。
「ハハハハハ! 削れるどころの騒ぎじゃねぇぞ! これさえあれば、この世に削れねぇ金属なんて存在しねぇ! おいお前ら、今すぐ炉に火をくべろ! 俺の人生最高の仕事を、今からここで見せてやる!!」
バログの咆哮とともに、工房が瞬く間に熱を帯び始めた。
バログが最初に着手したのは、重甲亀の甲羅を削るための『特殊切削工具』の製作だった。
金剛角の根元を慎重に切り分け、耐熱性と衝撃吸収性に優れた特殊合金の柄に固着させる。
数時間後、バログの手には、先端に透き通る金剛石の刃を備えた、異形のタガネとドリル状の刃物が完成していた。
「よし……行くぞ。リベンジだ!!」
バログは作業台の上に、あの青黒く光る重甲亀の『高純度アイアンコア』を据え置いた。
これまで、どんな鋼鉄のタガネを叩きつけても傷一つ付かず、ハンマーを叩き折ってきた絶望の塊。
バログは固唾を飲み、金剛角のタガネをアイアンコアの表面に宛がうと、ハンマーを軽く叩きつけた。
『サクッ……』
工房内に響いたのは、金属音ではなかった。
まるで熟した果実の皮に刃を入れたかのような、極めて滑らかな手応えの音だった。
「さ……刺さった……!? 刃が入ったぞぉぉぉぉっ!!」
バログが歓喜の声を上げる。
金剛角のタガネの先端は、重甲亀の極高密度装甲の分子結合を完璧に押し切り、スルスルと内部へ侵入していった。
「モース硬度の完全な逆転だ……!」
僕はその光景に目を見張った。
ダイヤモンドと同等の硬度を持つ金剛角の刃が、重甲亀の金属分子を圧倒し、容易く切削しているのだ。
「よし、蓮! ここからが本番だ! どんな形の鏃にしたい!? お前の思い描く『理』を、全部俺に叩きつけろ!」
「ああ。僕が欲しいのは、単に尖っただけの針じゃない」
僕は作業台の紙に、素早く何本もの構造図を描きだした。
「表面には、微細な『らせん溝』を刻んでほしい。矢が飛翔し、空気抵抗を受けた瞬間に、矢軸全体が高速で右回転を始める構造だ。そして先端は、流線型を描く三面構造……弾丸の『JHP』の貫通力を参考に、接触面にかかる圧力を一点に集束させる『極圧尖端』にする」
「らせん溝……三面構造の極圧尖端だと……! 矢自体を一本の回転ドリルに変える気か!?」
バログは紙の図面を食い入るように見つめ、思わず唸った。
「恐ろしい発想だ……! 普通の鉄で作ったら、回転の負荷で鏃自体がねじ切れる。だが、この重甲亀のアイアンコアなら、どんな回転負荷にも耐えられる! 完璧だ……完璧な設計だぞ、蓮!!」
「よろしく頼む、バログ」
「任せろ!! 俺の職人魂の全てを込めて、削り出してやる!!」
ゴーゴーと燃え上がる炉の火光の中、金剛角の刃が青黒い塊を滑らかに削り出していく。
金属の削り節がキラキラと舞い、異世界と日本の物理学が融合した、究極の「穿つの刃」が今、産声を上げようとしていた。




