第56話:断崖の磁界
王都を出発してから三日。
僕たちがたどり着いたのは、王都北部に広がる断崖絶壁の霊峰——『金剛山地』の麓だった。
見上げれば、天を突くような黒々とした岩肌がどこまでも聳え立っている。木々は極端に少なく、露出した岩石は陽光を反射して怪しく光っていた。
「ひえぇ……すごい圧迫感。登るだけで体力が削られそうだよ……」
ウィネットが口を半開きのまま見上げ、溜息をつく。
「ええ……ですが、気をつけてください。この山地の岩石には、極めて高濃度の『磁鉄鉱』が含まれています。すでに私の短杖の金属部分が、かすかに引き寄せられる感覚があります」
シルフが短杖を構え、警戒を強めた。
「磁性か……。僕の鏃が影響を受けるな」
僕は矢を番えてみた。
やはり、地面や周囲の岩壁から微小な引きつけ(磁力)を感じる。大気中の磁場が一定ではなく、局所的に歪んでいるのだ。
「風鳴り峡谷では『不規則な風』が障害だったが、ここでは『不規則な風』に加えて『不規則な磁場』が矢の軌道を狂わせる。……一筋縄ではいかんな」
僕は息を整え、二人に視線を送った。
「目的は『金剛角犀』の角の採取、そして生態調査だ。慎重に登るぞ」
「「はいっ!」」
山道を登るにつれ、環境は過酷さを増していった。
標高が上がるにつれて風は刃のように鋭くなり、足場は崩れやすい脆い鉄鉱石の砂利へと変わっていく。
一歩足を踏み外せば、数百メートル下の谷底へ真っ逆さまという悪条件だ。
さらに進むこと数時間。山地の中腹、すり鉢状になった巨大な荒地へと足を踏み入れた瞬間だった。
『ズズズズズ……ッ!!』
突如として地鳴りが轟き、足元の鉄鉱石の地面が大きく揺れた。
「キャッ……!? じ、地震!?」
ウィネットがバランスを崩しかけ、シルフがとっさに彼女の腕を掴んで支える。
「違います……下から……いや、奥からです!」
シルフの叫びと同時に、荒地の奥の岩壁が派手に吹き飛んだ。
爆煙と飛散する巨岩の中から現れたのは——まさに『移動する要塞』と呼ぶにふさわしい異様な巨獣だった。
『グォォォォォォンッ!!!!』
空気を震わせる地響きのような咆哮。
体長は七メートルを超え、四本の太い脚は城門の柱ほどもある。そして何より異様なのは、その全身を覆う皮膚だった。
黒い皮膚の上に、幾重にも重なるようにして無数の輝く透明な結晶——極限まで圧縮された『天然の金剛石装甲』が固着しているのだ。
頭部の中央には、二メートルを超える巨大な一本角が伸びていた。
その角は単なる骨や角質ではない。
陽光を受けて七色に乱反射する、あらゆる物質を切り裂く『金剛角』。
「で、でかい……! あれが『金剛角犀』……!」
ウィネットが息を呑む。
「あんな体全体がダイヤモンドみたいなバケモノ、どうやって倒すの……!?」
「落ち着け、ウィネット! まずは相手の動きを見るんだ!」
『ズゥゥゥンッ!』
金剛角犀が巨体を揺らし、突進を開始した。
そのスピードは体躯に似合わず凄まじい。前方に転がっていた直経三メートルほどの巨岩に対し、鼻先の金剛角を軽く振り払うようにぶつける。
『スパァァンッ!』
快音が鳴る。
巨岩はまるで温めたナイフでバターを切ったかのように、一切の抵抗もなく綺麗に真っ二つに両断され、岩壁へと叩きつけられて粉砕した。
「な……っ!? 岩が一瞬で刀で切られたみたいに……!?」
シルフが顔を青くする。
(なるほど……あの角の切れ味は伊達じゃない。触れれば大盾も全身鎧も一瞬で紙くず同然に切り刻まれる)
「二人とも、散開! 正面には絶対立つな!」
指示と同時に、僕は距離を取りながら弓を構えた。
番えたのは、磁気の影響を受けにくい竹軸の『風切三羽矢』。
(磁場の歪みは……右下へ約三度。突風が左から……! 補正して放つ!)
『離れ』——!
音もなく放たれた一射は、不規則な磁力と風圧を完璧に計算に入れた軌道を描き、金剛角犀の目元——装甲の薄いと思われる急所へとまっ直ぐに向かった。
しかし——。
『ガキンッ!!』
矢が届くコンマ一秒前。金剛角犀の頭部から強力な青白い磁気放電が巻き起こった。
大気中の磁鉄鉱の粉塵が一瞬で頭部に集束し、矢の軌道をわずかに数センチ逸らさせたのだ。軌道を外れた矢は、頬の金剛石装甲へと弾かれ、火花を散らして虚しく弾き返された。
「矢が……弾かれた……!?」
『グオォォォンッ!』
金剛角犀はダメージを受けるどころか、衝撃と磁気を体内に吸収し、弾かれた頬の装甲をさらに一層厚く再結晶化させた。
「嘘でしょ……!? 蓮くんの狙撃が、全然効いてない……!?」
「磁力による軌道偏向……そして衝撃をトリガーにした物理装甲の即時再生……か」
僕は弓を握り直し、冷や汗を拭った。
点による精密狙撃という僕の最大の武器が、この過酷な環境と異形の生態の前に完全に完封されていた。
断崖の絶壁、渦巻く磁界、そして傷一つつかない金剛の要塞。
僕たちの冒険の中で、最も困難で絶望的な戦いの火蓋が切られたのだった。




