第55話:新たなる遠征と、忍び寄る影
金剛山地への出発を明朝に控えた日の夜。
僕たちは討伐の祝勝会と壮行会を兼ねて、王都で最も繁華な大衆酒場『豊穣の角笛亭』を訪れていた。
店内は冒険者たちの熱気と、肉を焼く香ばしい匂い、そして吟遊詩人の奏でる賑やかな音楽に包まれていた。
「ガハハハハ! おい蓮、もっと食え! 今日の肉は俺たちの奢りだからな! 遠慮すんなよ!!」
木製の巨大なジョッキを叩きつけながら豪快に笑うのは、『鉄壁の角笛』のリーダー・ゴルドだった。
テーブルの上には、大皿から溢れんばかりの特大骨付き肉と、香草で炒められた蒸し野菜が山のように盛られている。
勝負の約束通り、ゴルドたちが太っ腹に最高級の肉料理を振る舞ってくれていた。
「ありがとうございます、ゴルドさん。でも、本当にこんなに頼んで良かったんですか?」
「おうよ! 勝負は勝負だ! 負けた方が奢るって決めたんだからな! それに……」
ゴルドは大盾を背中に担ぎ直すと、どこか誇らしげに髭を揺らした。
「あの鉱山でのお前の『一矢』を見せられたら、悔しさなんて吹き飛んだぜ。あの精密さと判断力……俺たちもまだまだ修行が足りねぇと思い知らされたよ」
「そうそう! 探知の時も、私たちが正面突破してる間にあっさり迂回路を見つけちゃうんだもん! 本当にすごいよ蓮さんたちは!」
大槌士の少女・ライラが、骨付き肉を豪快にかじりながら目を輝かせる。
「付与術士の視点から見ても……君たちの魔法の使い方は極めて合理的だ。威力を誇張せず、最小の魔力で最大効果を生む……勉強させてもらったよ」
静かなサポーターのカルムも、温かい眼差しで酒杯を掲げた。
「みんな、僕たちを買いかぶりすぎだよ。ゴルドさんの鉄壁の防壁と、ライラさんの粉砕力があったからこそ、あのボスクラスの攻撃を完封できたんだ。僕たちだけじゃ、正面からの打ち合いには耐えられなかった」
僕が素直な称賛を返すと、ゴルドは照れくさそうに頭をガシガシと掻いた。
「へっ、お前はどこまでも謙虚だな! ……よし、決まりだ! お前らが金剛山地から戻ってきて、新しいヤバい矢を完成させたら、もう一回手合わせしようぜ! 今度は負けねぇからな!」
「ええ、喜んで。その時はよろしくお願いします」
「あたしたちも負けないんだからね〜! お肉ごちそうさまでした!」
ウィネットが満足そうにお腹をさすり、シルフも嬉しそうに微笑んでいた。
異なる戦術を持ちながらも、互いの実力を認め合い、高め合える仲間。
冒険者としての絆と充足感が、僕の胸をあたたかく満たしていた。
酒場を去る際、ゴルドは僕の腕を強く握りしめ、力強い声で言った。
「金剛山地は厳しい場所だ。気をつけて行ってこいよ、蓮! お前らは王都の誇る『Bランクの希望』なんだからな!」
「ありがとう、ゴルドさん。あなたたちも、次の依頼気をつけて」
僕たちは笑顔で手を振り合い、夜の街へと歩き出した。
——しかし。
僕たちが爽やかな絆を確かめ合っていた、その酒場の裏手。
街灯の光すら届かない暗い路地裏の影の中に、『それ』は潜んでいた。
頭から深い黒のフードを被り、壁に深く寄りかかっている男。
そのフードの隙間から覗く右首元には——赤黒く、気味の悪い脈動を繰り返す『巨大な生の肉塊』が浮き出ていた。
『ドックン……ドックン……』
不気味な心音とともに、肉塊の表面に張り巡らされた紫色の血管が真っ赤に発光し、大気中の魔気を貪るように吸い上げている。
「……へへ……ハハハ……」
フードの奥から、乾いた、狂気に満ちた歪んだ笑い声が漏れた。
佐藤の濁った瞳は、酒場から出てきた僕たちの姿、そして僕たちと親しそうに笑い合っていたゴルドたちの背中を、恐ろしいほどの殺意を込めて見つめていた。
「楽しそうだな……蓮……。お前は仲間とへらへら笑って、また手柄を立てて、みんなからちやほやされて……」
佐藤は自分の首元の脈動する寄生核を、爪が食い込むほど強く握り締めた。
肉塊から溢れ出た赤黒い魔気の波動が、足元の石畳をジワジワと溶かしていく。
「Bランクの重装パーティー『鉄壁の角笛』……か。お前が頼りにしている『壁』か……?」
佐藤の口角が、人とは思えない角度まで引き裂かれた。
「お前が金剛山地に行っている間に……試してやるよ。俺のこの新しい力が、お前の認めたライバルどもをどれだけ一瞬でゴミクズにできるか……」
漆黒の炎が佐藤の手元で揺らめき、一瞬で路地裏のゴミを消滅させた。
「待ってろよ蓮……。お前が山から戻った時、絶望でどんな顔をするか……楽しみで溜まらないよ……フハハハハハ……!!」
夜風に乗って消えた狂気の嘲笑。
蓮たちの知らないところで、魔王の呪いを宿した惨劇の足音が、静かに、確実に忍び寄っていた。




