第26:氷点下の風と、伝わる体温
氷塊の領土、城塞都市フェンリル・ヴァイル。
見上げるほどの巨大な外壁を越えて吹き荒れる風は、肌を刺すように冷たかった。
「……くしゅんっ!」
小さな口から白い息を吐き出しながら、シルフは思わず身を縮こませた。
薄手の旅装の上に羽織ったコートだけでは、この極寒を完全には防ぎきれない。
「寒そうだな。……ほら、これ使えよ」
隣を歩いていた蓮が、己の首元に巻いていた厚手のマフラーを外し、シルフの首元へと無造作に巻き付けた。
ほんのりと残る、彼の温かさ。
「えっ……!? れ、蓮さん!? これじゃあ蓮さんが寒くなってしまいます……!」
「僕は体を動かしてるから平気だ。シルフが体調を崩したら困るだろ」
そう言って静かに笑う蓮の横顔を、シルフは見つめてしまう。
(また……そうやって、当たり前みたいに優しくしてくれるんだから……)
胸の奥が、熱く小さく跳ねる。
かつてギルドで「技の遅い落ちこぼれ」と嘲笑われていた自分を助けてくれ、その能力を「最高の素材だ」と認めてくれた人。
いつでも落ち着いていて、どんな難局もその手にある『和弓』一本で切り開いていく姿に、シルフは尊敬以上の強い憧れと恋心を抱き始めていた。
だが、それを口にしてしまえば、今の心地よいパートナーとしての関係が変わってしまう気がして、彼女はマフラーに顔を深く埋め、照れくささを誤魔化すように呟いた。
「……ありがとうございます、蓮さん。すごく……温かいです」
「なら良かった。……よし、着いたぞ」
蓮が足を止めたのは、都市の防衛線を担う高台の陣地だった。
そこでは、冷気で顔を青ざめさせた騎士たちと、浮かない顔をした精鋭の狙撃魔法使いたちが集まっていた。
「……打つ手がないだと!? 城壁の向こう、氷塞山の陰に隠れているというのか!」
「ああ……敵の大軍勢は山の裏手、完全な『死角』に本陣を構えている。こちらの攻撃魔法は山体に遮られ、あちらからは高角攻撃の魔導砲が一方的に降ってくる状態だ……!」
指揮官らしき騎士が、焦燥感に満ちた声を上げていた。
山に遮られた絶対安全圏からの砲撃。
視界が通らない以上、直線的に飛ぶ魔法や通常の弓矢では手も足も出ない。
「視界が遮られた山体の裏……か」
蓮は顎に手を当て、和弓を肩に担ぎながら呟いた。
「蓮さん……さすがに山を挟んだ向こう側の敵を狙うのは、無理ですよね……?」
不安そうに尋ねるシルフ。
だが、蓮の瞳には諦めの色は一切なかった。むしろ、物理の課題に挑む学者のような、静かな知的好奇心が宿っていた。
「まっすぐ飛ばすのが無理なら、上を通して落とせばいいだけだ」
「……え?」
「シルフ、ちょっと手伝ってくれ。この極寒の空気密度と、風の抵抗を測りたい」
そう言って、蓮はシルフの手を優しく握りしめ、高台へ向かった。
「ひゃいっ……!?」
不意に重なった手と手。
蓮の手は驚くほど力強く、そして温かかった。
シルフの顔が一瞬で朱に染まる。
「れ、蓮さん!? 手、手が……っ!」
「あ、悪い。……急に触っちまったな」
蓮は何事もなかったように手を離し、弓を構えた。
シルフは真っ赤になった顔を誤魔化すように、必死に自分の短杖をぎゅっと握りしめた。




