第一章:エキサイティング・サマー④
ふっと意識が現実に浮上したとき、俺は真っ白な部屋の中にいた。意識が鮮明になってくるにつれて、俺は大雅によってガスで眠らされたのだということを思い出す。
意識を失う前の最後の瞬間、俺はバスの中にいたはずだ。なのに、ここは一体どこだというのだろう。
一緒にいたはずの柊夜もいなければ、全ての元凶である大雅もいない。それどころか、先輩たちも誰一人として見当たらなければ、結愛だっていない。
俺は何一つ物がない無機質な部屋の床から、体を起こす。ガスを吸わされた割には何の後遺症もないようで、体調におかしな点はない。
部屋の中に当然、大学を出発するときに預けたチャコールグレーのボストンバッグはない。それどころか手荷物として持ち込んでいたはずのブルーのハーバーバッグもない。今の俺は着の身着のままの状態だった。
左手首に視線を落とすと、黒いパーカーの袖口からスマートウォッチの文字盤が顔を覗かせていた。袖を捲り、時間を確認すると十六時四十三分と表示されている。
(もう夕方か……)
あれから三時間近くが経っている。窓のないこの部屋の唯一の外界との接点である扉をざっと調べてみたが、内側にはドアノブがなく、中からは開けられないようになっていた。つまり、俺は今この部屋に監禁されている。
どうしたものかと俺が足りない頭で思考を巡らせていると、ぴるるるるという無機質な電子音が着信を知らせた。
誰だろう、と怪訝に思いながら俺がスマートウォッチの文字盤を見ると、『香椎大雅』の四文字が表示されていた。俺たち写真サークルのメンバーをこんな目に遭わせておいて一体どういうつもりなんだと、内心で大雅に憤りを覚えながらも俺はビデオ通話に応答する。
受話器のアイコンをタップすると、目の前の壁に大雅の顔が映し出された。同時にサークルメンバー全員と通話しているらしく、大雅以外にも三十人近い人々の顔が、天井や壁に投影される。辺りを見回すと、柊夜や結愛の顔もあり、不安で表情を曇らせている。
他の面々も同様で、ある者は落ち着かなげに瞬きを繰り返していたり、ある者は壁に映し出された半透明の大雅を怒りで睨みつけていたりしている。
大雅はそんな皆の様子を意に介したふうもなく、おどけた様子で両手を振ってみせる。黒いサングラスの向こう側の表情は窺い知れないが、愉快そうににやついていることくらいは容易に推して知れた。
「ヒャッホーイ! お前らの大好きな大雅パイセンがコントロールルームから楽しくお送りしておりますよーっと! てなわけで皆はよーっす! つってももう夕方だけどな!」
ギャハハハと一人楽しそうに、大雅は映像越しに裏ピースをしてみせると、べろりと舌を出す。大雅の舌の上では、何か小さな宝石らしきものがあしらわれた金色のピアスが唾液に濡れて光っている。
「ちょっと、大雅先輩さあ」
金のハイライトが入った茶色い巻き髪の先輩――三年の葉月凪沙が不満を隠そうともせずに、幾重にもつけまつげが施されたきつい目で大雅を睨みつけている。オレンジのメッシュのカーディガンの下で組まれた腕は白いタンクトップごとたわわな胸を押し上げ、こんなときにもかかわらずその存在感を通話に参加している全員へと知らしめている。
「いきなりこんなとこに連れてきて、どういうつもりなん? 私ら、あのときまでテンションめっちゃブチ上がってたのに、こんなことされて超サゲな感じなんだけど? どう責任とってくれんの?」
そうだそうだ、と凪沙の言葉に賛同する声が上がる。バスの中で彼女と一緒に飲めや騒げやの大宴会に興じていた先輩たちだった。
まあまあ、と大雅は口の端を吊り上げた。何だか嫌な笑い方だと俺は思った。
「まあそう言うなって。これはお前らが更にブチ上がるための前準備――いわゆるサプライズってやつだ。出発ンとき、オレが何つったか覚えてねえの?」
「は……?」
壁や天井に映し出されたサークルメンバーたちの表情が一様に訝しげな色に染まる。バスの中で大宴会を繰り広げていた面々ですらも、大雅の言葉の真意を汲むことができず、眉間に皺を寄せていた。
ちっちっ、と大雅は舌を鳴らすと、顔の前で人差し指を振ってみせる。その動作のひとつひとつが俺の神経を逆撫でする。なんでもいいから、一体どういう思惑があってこんなことをしたのか、もったいぶらずにさっさと話して欲しい。まあ、この人のことだからどうせろくな理由ではないのだろうけれど。
「駄目だぜー、楽しいからって記憶なくすまで呑んじゃうのはさあ。オレ、言ったっしょ? 思い出に残る刺激的な夏にしようぜって」
「……」
悪びれる様子もない大雅の言葉に俺は絶句した。
いきなりガスで眠らされて拉致されるのは刺激的かもしれないが、ただの犯罪だ。そして、この場合、残るのは思い出ではなくトラウマではないだろうか。
刺激を楽しむためだけのために、こんなことをしでかしてしまえる辺り、大雅の思考は狂っている。毎日のようにアルコールを浴び続けているせいで、脳の中の大切な感情を司る部分が萎縮してなくなってしまっているに違いない。そんな俺の思考をよそに、それでだ、と大雅はさも愉快そうに話を続けていく。
「オレはお前らに一生味わえないくらいのエキサイティングでファンタスティックな体験をしてもらうためにここにご招待したってわけ」
大雅の口ぶりからして、ガスで眠らされて拉致されたことはまだ、この後に待つエキサイティングでファンタスティックなことに対する下準備であるように聞こえる。もう既にエキサイティングもファンタスティックもお腹いっぱいだというのに、一体大雅は何を企んでいるというのだろう。
「は? なんだよそれ?」
俺と同じ思いだったのか、いつもは大雅とつるんでいる三年の蓮見陽希が大雅とへと食ってかかった。普段は刺激に飢えているパリピでさえも、今のこの状況には愉悦よりも戸惑いが勝つようだ。
「まあまあ、はすみん落ち着けよ。とびきりエキサイティングなものを今から見せてやっからさ」
大雅はくつくつと喉の奥で笑い声を上げると、手元の端末を操作し、とある映像を全員の元へと送り込んだ。
「ゾンビ……!」
「なんでこんなところに……!」
「日本にはゾンビなんていないはずじゃなかったのかよ!」
サークルのメンバーたちが異口同音に悲鳴をあげる。
俺が小学生のときに経験したコロナ禍とは異なり、rotten-32の脅威は日常とは程遠いところにあるはずだった。
見開かれ、狂気に満ちた眼球。腐敗が進行して生の色を失い、濁った海松色の肌。時折上がる獣じみた咆哮。彼らは鉄格子の中を当てどもなくふらふらと彷徨い歩いていた。
「そうそう、言い忘れてたけど、ここは香椎製薬の研究所の一つでさあ。rotten-32のワクチンやら治療薬やらの研究で使う被験体として、親父がアメリカからこっそりゾンビ輸入してんの」
それでさあ、オレめっちゃ面白いこと思いついちゃったんだよねえ、と大雅は軽薄な口調で言う。
「この後、十七時になったら、オレはこの映像のゾンビを五体解放する。そしたら、お前らはこいつらに噛まれないように気をつけながら、今いる建物――研究棟の中を逃げ回れ」
大雅が口にしたおよそ正気とは思えない話に俺は言葉を失った。大雅が何を言っているのか理解するのを俺の脳味噌が拒否していた。俺やサークルの皆が二の句が継げずにいる中、大雅は更に驚くべきことを口にした。
「あ、そうそう、外に助けを求めようったって無駄だからな。お前らが眠っている間に、お前らの持ってるスマートウォッチに細工をさせてもらった。だから、今、お前らのスマートウォッチは俺との通話ととある配信サイトへの接続以外ができないように制限されている。つまり、ケーサツとかには通報しようにもできねーってこと。ま、仮にできたとしてもそんなつまんねーことオレがさせねーけどな」
映像の中のサークルメンバーたちの何人かが、自分のスマートウォッチを確認し始める。俺も設定を確認してみたが、どうやらプロキシの設定を変えられた上に独自のプロファイルを設定されてしまっているようだった。管理者権限を大雅側に握られてしまっているようで、自分でプロファイルを削除することは叶いそうになかった。
「ところで、とある配信サイトっていうのはなんなの? そんなところにだけ繋がるようにして大雅先輩は何がしたいんです?」
ブルーのロゴTシャツをルーズに着こなした女子――二年の梨木美桜が恐らくみんなが気になっていたであろうことを大雅へ聞いた。確かにそこへだけのアクセスを許可して、大雅が一体何をしたいのか意図が読めない。
「お前らが大好きなあのサイト――Ticking。お前らにはこれから、ゾンビから逃げる様子をTickingで配信してもらう。お前らが寝てる間にこれ専用に改造したアプリをスマートウォッチの中にインストールしておいたからそれを使え。
けど、ただゾンビから逃げるだけじゃ面白くねえから、お前らにはポイント制でバトルしてもらおうと思ってる」
「ポイント制? どういうことっすか?」
二年の雪平が大雅へと問うた。よく聞いとけよ、と大雅は映像の中で指を三本立ててみせる。値が張るのだろうと思われるシルバーのごついリングが中指と薬指でぎらぎらと光を放っている。
「お前らがポイントをゲットするための手段は三つだ。一つは配信で延べ視聴者数を稼ぐこと。これは一人につき一ポイントだ。二つ目は視聴者からのいいねだ。いいねも一つにつき一ポイントになる。あと最後の一つはゾンビを殺すこと――一キルにつき一万ポイントになる」
一万ポイント。俺はごくりと生唾を飲んだ。配信サイトなどにあまり興味のない俺は、当然配信のイロハなど知るわけがない。危険は伴うが、ゾンビを殺すことは俺にとってポイントを唯一稼ぐ手段になるかもしれなかった。
「ちなみに、一時間ごとにポイント集計して、ビリのやつはゾンビの檻送りだから。ゾンビのリンチに遭いたくなければせいぜい頑張るんだな。
ゲットしたポイントは必要なアイテムと交換することもできるから、生き延びるために活用してくれ。交換できるアイテムについては、あとでカタログデータ送っとくから、ちゃんと見ておくよーに。あ、だけど、アイテムにポイント使い込みすぎてビリになんねーよに注意な」
これ大事だかんな、と言い添えると大雅は言葉を続けていく。
「このゲームは参加者が最後の一人になるまで続ける。あと、一時間ごとにゾンビの数が五匹ずつ増えてくから、皆頑張って生き延びろよ」
誰が生き残るのか楽しみだわー、と写真サークルの面々を揶揄するように大雅は笑う。胸元に大胆なスリットが入ったライムグリーンのサマーニットの女子――四年の青峰彩葉が苛立たしげに大雅を詰じる。
「大雅、ちょっと悪趣味にも程があるんじゃない? あたしたちをそうやって戦わせて何が楽しいわけ?」
「こんなスリル満点のリアリティショー、他じゃそうそう見れねえだろ? 自分の命がかかってない状況での高みの見物、これ以上に最高なモンなんて早々ねえじゃん」
大雅は彩葉の言葉にもどこ吹く風で、両手の中指と薬指を折り、こちらへと向かってうぇーいと突き上げてきた。自分たちを煽るような言動に、「……最低」結愛が小さく呟いたのを俺の耳朶が捉えた。
スマートウォッチの文字盤上に表示された時刻が十六時五十九分から十七時丁度へと切り替わった。時間だな、と大雅は呟くと俺たちへとこう宣告した。
「――さあ、配信開始だ! 皆、せいぜい頑張ってオレのことを楽しませてくれよー!」
グッドラック、と心のこもらない無責任なエールを言い残すと、大雅は通話を切った。壁や天井に投影されていた半透明なビデオ通話の映像が消えていく。
カチャリ、と解錠音が響き、部屋の扉が開く。この部屋に閉じこもってゾンビをやり過ごすことは許されないらしいと俺は悟る。
俺はスマートウォッチを操作して、Tickingのサイトへと接続する。手回しのいいことに、すぐに配信ができるように俺の専用アカウントが作成されている。俺はそれを使って配信画面へとログインした。
俺は配信画面を目の前の空間に投影する。画面を確認すると、Ticking運営への通報を防ぐためか、メガホンの形を模した通報ボタンがグレーアウトされている。
どうやら大雅はこの状況を徹底的に愉しむつもりらしい。改造されたTickingの配信アプリからその本気が伝わってくる。ならばこちらも本気で大雅に抗うしかないのだと、俺はスマートウォッチのインカメラを見つめる。
(やるしかない……生き残るためには、手探りでもやるしかない……!)
動画配信のやりかたなんてわからない。それでも俺は意を決して、カメラの意匠のアイコンをタップした。
「えっと、あー、あー……俺、蒼生って言いますー。その、えっと、俺、今、ゾンビがいるっていう研究所に、その……閉じ込められてて……」
俺はカメラを覗き込みながらたどたどしく話し始める。視聴者は誰一人としていない。
俺は度々言葉に詰まりながらも、今置かれた状況を存在しない観客に語りながら部屋を出る。
こうして、命を賭けた刺激的で悪夢のような俺たちの夏合宿は幕を開けた。どこにいるともしれないゾンビの足音と息遣いに怯えながら、俺は廊下を進み始めた。
お読みいただきありがとうございます!
第一章、長めのセンテンスが多めでしたが、一気にお送りさせていただきました!
蒼生たちがこの悪趣味なデスゲームをどう戦い抜いていくのか、
今後も見届けていただけますと幸いです!




