第五章:ピース・オブ・ケイク⑦
(さて……どうしようかな)
蒼生の背中を見送った後、わたしはそんなことを考えた。彼は逃げるなり隠れるなりして身を守れと言っていたけれど、とんでもなくゾンビが増えてしまった今、それは果たして本当に叶うのだろうか。
(二階の倉庫の辺りが隠れるには一番よかったんだけど……あの辺りはさっきの戦闘でゾンビの血まみれになっちゃってる。たぶん、その匂いでゾンビが集まってきちゃうから、あそこに籠るわけにはいかない)
ならば三階か。三階には窓のない小部屋がたくさんあるはずだけれど、あそこは内側から鍵がかけられるのだろうか。
(『ゾンビコナーズ』を焚けば、ある程度安全にゲームが終わるまでどこかに立て篭もることはできる。けれど……)
蒼生がもし失敗してしまったら、このポイント消費のせいでこのゲームに敗北してしまうおそれがあった。二位が一体誰で、今どのくらいのポイント差があるのかわからないけれど、そんなリスクは冒せない。
(とりあえず、一旦上に行ってみよう。どうするかは、それから考えたほうがいい)
今、蒼生はこのゲームを終わらせるべく動いてくれている。自分もしっかりしないと、とわたしは自分を叱咤した。わたしがこんな弱気でいるわけにはいかない。そんなんじゃ、大雅にあのときの映像を消させるなんてできるわけがない。
「それじゃあ、今度は三階に行ってみたいと思いまぁす」
わたしはスマートウォッチのインカメラに向かってウィンクをしてみせると、階段を上がって行った。
最上階に足を踏み入れると、奥からバールを手にした見覚えのあるオシャレ坊主が歩いてくるのが見えた。先ほど、わたしが襲った四年で副部長の倉木凌悟だった。
「……二位、凌悟先輩だったんですね」
「香坂か。さっきはよくもやってくれたなあ? ゾンビのナイト様は一緒じゃねえみたいだなあ」
なら好都合だと、ただでさえ凶悪な強面を凌悟はにいっと歪めた。
「このゲームを生き延びるために、他の奴を襲うのは別に禁止されてないんだったよなあ?」
凌悟はバールを手にわたしへと無造作に近づいてくる。わたしはぎゅっと大鎌の柄を握る手に力を込めた。
「さっきの借り、ここで返させてもらうぜぇ? どのみちどっちかしか生き残れないんだから、ここでやり合っちまったほうが話が早えだ、ろっ!」
気迫と共に振り下ろされた凌悟のバールをわたしは危うく大鎌の刃先で受け止める。火花が空中に散る。攻撃の重さでわたしはたたらを踏んだ。
間違いなく凌悟の今の一撃には彼の本気が詰まっていた。両手がじんじんと痺れを訴えている。
凌悟の憎悪が三白眼の眼差しと一緒に鋭く突き刺さってくる。彼がわたしにこれほど烈しい感情を向けてくるのは、わたしが彼にしたことを思えば当然だった。わたしには逃げずに彼と戦う義務がある。
(ごめんね、成瀬くん……わたし、逃げ隠れするわけにはいかなくなっちゃった……)
わたしのことを慮って身の安全を優先してくれた彼へと内心で詫びた。わたしは体制を立て直し、鎌を構え直す。凌悟に対して申し訳ないと思う気持ちはある。けれど、わたしはわたしのために、こんなところで凌悟に負けるわけにはいかなかった。わたしはすうっと息を吸うと、目の前の凌悟を見据える。
「ふうん……あくまでやるつもりってか」
ハンと馬鹿にするように凌悟は鼻を鳴らすと、わたしへと向けてバールを振り上げる。
「ナマ言ってんじゃねーよ、このクソアマが!」
凌悟は胴間声でわたしに向けてそう凄むと、体重を乗せて再びバールを振り下ろしてきた。先ほどの凌悟の攻撃による痺れが残る手では、その攻撃を受け止めきれず、わたしの手から大鎌の柄が離れた。がっしゃーんと音を立てて、鎌がリノリウムの床を転がっていく。くっ、とわたしは唇を噛んだ。
劣勢に追いやられたわたしに、凌悟の口元が残虐に歪む。彼はバールを薙ぐようにしてわたしの脇腹へと叩きつけてきた。
「うっ……がっ……!」
凌悟の殴撃で、わたしの体が壁に叩きつけられた。息をするたびに脇腹が鈍く痛んだ。今のはきっと、肋骨が折れている。
痛みで視界に涙が滲む。目の前の空間に投影されたままの配信画面に、「立って!」「負けるな!」わたしを応援するコメントが弾幕を作っている。大丈夫、わたしはまだやれる。骨は折れてもまだ心は折れてない。わたしは肩から背負っていた大判ストールを漁って、彩葉から奪ったバールを引っ張り出す。
「何だぁ、お前ェ、ムカつく目ェしてんじゃねえよ!」
凌悟のバールの先がわたしの頭を目掛けて落ちてくる。わたしは自分の得物を抱え、その場を転がって避ける。しかし、執拗に凌悟の攻撃はやたしを追ってくる。
(成瀬くん、早く――)
蒼生のほうの決着はまだか。彼我の差がこれほどまでに圧倒的では、もうきっとさほど保たない。どれだけ負けたくないと思っていても、地元の福岡で狂犬の名で鳴らしていた彼と比べれば、このような荒事の経験が違いすぎる。
わたしは再び振り下ろされてきたバールを自分の手元のバールで受け止める。一合、二合と容赦なく重い攻撃が打ち込まれ続け、わたしの握力が、腕力が悲鳴を上げている。
ガン、と重い音を伴って、わたしの手からバールが叩き落とされた。
「あっ」
わたしは歯噛みする。まだストールの中には凪沙から奪った手斧があったはずだが、あれでは一撃を防ぐのが限界だ。
どうしよう。逡巡した隙を突いて、こちらへと凌悟のバールの先が降ってくる。このままでは頭をやられる――そう悟ったわたしは反射的に両腕を顔の上でクロスさせた。
「うっ、うあっ……」
左腕の骨が砕ける鈍い音をわたしは聞いた。ずきずきとした疼痛に耐えながら、わたしは凌悟をただただ睨め上げた。
肩へ、腹へ、背へ、凌悟の殴撃が驟雨のように襲っていく。バールの先が頬を打ち、口の中が切れた。他の参加者たちから奪ったアイテムを入れていたストールの端が解け、床にアイテムたちが転がった。
視界が霞む。もう体のどこが痛いのかわからなかった。口の中に広がる血の味だけが妙に鮮明だ。
ふっと、意識が飛びそうになる。すぐそばに迫る限界を感じながら、わたしは蹂躙に近い凌悟の攻撃を耐え続けた。




